ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「スケリグ」@DDD青山クロスシアター(1/30夜)

 2019年遅い観劇初めは、確かだいぶ昔に、森山開次さん出演で舞台化されていたと思う「スケリグ」、その時は行かなかったので今回は行ってみました。今回のスケリグ役は浜中文一さん、「テイクミーアウト2018」とか「マクガワン・トリロジー」で最近拝見する機会が多かった俳優さんです。

 もともと原作の小説「肩胛骨は翼のなごり」がとても好きで、その舞台化なんて気になる…けど好きだからこそぐぬぬ…となったりしていたのですが、今回は行ってみた。正直、どうかなぁ舞台向きなお話ともそんなに思えないんだけどなぁと様子見半分な感じで向かったんだけど、オープニングであっこれは大丈夫だ、と確信できました。美しい絵本をめくるようなオープニングで、上手の端でミュージシャンの方がひとりで生演奏する音楽と、様々なものを使って造り出す音たち*1も素晴らしくて、めくるめく物語世界へ誘われる感じ…。もちろん、小説を読んで想像していたものとぴったり合致というわけではないけれど、でもこれはひとつの、あの作品世界の具現化として、わたしは受け入れられました。素敵だった…。

www.stagegate.jp

 気の進まない引っ越しで古びた家にやってきた少年マイケルは、引っ越し先の崩れそうなガレージの隅で「それ」に出会う。生まれたばかりの妹は身体が弱く、妹にかかりきりの両親の目を盗み、隣家の個性的な少女ミナと共にマイケルは弱っている「それ」を助ける。汚れてやせ細り、醜く折れ曲がった「それ」の背中にマイケルはごつごつとした何かを見つける。梟たちの鳴き声、奇妙な夢、妹の小さな鼓動。小動物の骨、虫の死骸、27と53。真夜中に踊る輪舞。かつて肩胛骨にあった、そしていつか肩胛骨から生じるかもしれない、折りたたまれた翼の幻想。気難しくて厭世的で皮肉屋な異形のモノと、少年少女の密やかな交流、それがもたらす奇跡…そんなお話です。ポエムになった。

 まず劇場で目に入る美術が素敵。ぼろぼろの、今にも朽ちそうなガレージが主な舞台なんだけど、ぼろぼろなんだけど構成しているボロいものたちが素敵で…色ガラスの嵌った大きな窓、半円窓、古い額縁、古いソファ、埃を積んだ綺麗じゃないアンティークショップみたいで…ハイ好きー(笑)。そして色ガラスの窓をスクリーンのように使って、窓外の風景を影絵のように映したり、窓の向こうで交わされる会話や情景を描きだしたり、窓を大きく明け放った向こうが学校の教室内になったり、セットの使い方も面白かった。とても、演劇的なセンス・オブ・ワンダーに満ちている作品でした。派手な演出もセット転換もないし、座組はこぢんまりだし、仕掛けはアナログだし、爆音BGMもないけど、でもすごく…豊かな空間だったなぁ。愛しい空間だったなぁ。

 音楽や音がひとりのミュージシャンの方の生演奏でリアルタイムに生み出されていくのも贅沢だったし、出演者も随所で、ハンドベルを鳴らしたりバードコールを鳴らしたり、音作りに参加していて、それも物語世界というか物語性を強化する感じで良かったです。ミュージカルではないんだけど、歌うシーンもいくつかあって、それも素敵だった。おお、歌った…!感がそれほどなく、すんなりと始まる感じで移行もスムーズで違和感なく。スケリグが歌った時は雰囲気と声も相まって、おおお…!ってなったけどそれはそうなっていい場面だったんじゃないかなー(笑)。つややかな声が朗々と溢れて素敵だったし! 個人的には最初に歌われた、ひとりが1音ずつ歌ってメロディになっていく曲…が好きだな。1音ずつ空間に音が置かれていくのを引きで見る(聞く?)とメロディに見えるような。点描的音楽とでも云おうか。美しかった。

 夜のイメージがとても大きい物語なんだけど、窓を使った夜の情景とか、フクロウのシーンとか、窓の外の満月とか、とにかく…美しかった…窓越しに差し込む光とか、色ガラスの色とりどりとか、本当に綺麗。夜の窓外に映る木々と風に舞う木の葉の影も美しかったし、屋根裏部屋の半円窓から差す青い光とか…思い出してうっとりしてしまう。美術本当に素敵でした。

 あと美術の使い方というか、とても「何かの向こう側」が印象に残る舞台でした。ガラス越し、とか、布(カーテン)越し、とか、窓枠越し、とか、雑多な荷物越し、とか。明らかに「手前」で描かれるのがガレージ内とミナの庭と「危険」の家(…は屋根裏部屋だけだけど)なの、マイケルの心情の在り処を表すようにも思えた。マイケルが心のわだかまりを抱かずに居られる場所、が、「何か越し」ではない場所、みたいな…病院のシーンがほぼシーツ/カーテンの向こうでシルエットでしか見えないの、すごく…象徴的だなぁなんて。「何か越し」の時って、子供/マイケルの意思でどうにかできる範疇にない状況、なのかもしれない。親と過ごす居間、学校の授業中、病院、大人の支配下に置かれる状況。何か越しでない、手前側での場面は、子供/マイケルが本人の意思をもって行動する/できる状況…とか。どうかなー。

 浜中さんは「テイクミーアウト」と「マクガワン・トリロジー」でしか存じ上げないのですが、小柄な印象だったので、スケリグ役と聞いて、お顔は似合いそうだけどカリカリに細くて長い、ナイトメアのジャックみたいなイメージのスケリグには、ふーーむ…って感じでしたが、実際に観たら長くはないけど細くてやっぱりお顔的には彫りの深いお顔立ちに異形っぽさが似合っていて、なかなかに素敵なスケリグでした。歌声初めて聞いたけど朗々としていて豊かで良かった! マイケルとミナは大人が演じるから仕方ないところはあれど、でもミナは特に、観ているうちに違和感が薄れていったかな。マイケルはまた…少年というものなので難しいよね…わたしのハードルも上がるしね…でも悪くなかったです。小学校のシーンがちょっと…うるさかったかな。あとお父さんそんな感じだったかな…イメージちょっと違ったな。人数少ない座組で、マイケルは出ずっぱりだけど、マイケル以外の役者さんが役以外でも舞台上にほぼ常にいて、いわゆる小説の地の文を、コロスのように読み上げていて、その重なり合った囁き声みたいなナレーションのようなものが、精霊たちの囁きみたいな雰囲気で、硬質な原作の文体とも良く合っていて面白い効果を生んでいました。良い演出だったなぁ。ただ、冒頭の不動産屋さんはきっとあれ日替わりとかアドリブなんだろうけど、あそこだけ世界観ぶち壊しだったのであれはやらない方がいいです…ナシで…あんまり受けてなかったし。もったいない。

 わたしは原作好きなので、原作の世界観が、空気が感じられる!とか、27と53とか、神々の甘し糧…とかでもう及第点です!!ってなるんだけど、原作知らずに舞台だけを観るとどうなのかは…どうなんだろうね…? むしろ舞台きっかけで原作読んで欲しいですけどね…あのひんやりとして繊細なガラス細工みたいな物語を是非文字で体験して頂きたい。

 想像で形づくっていた世界が、(かなり)すべて具現化されて提示されることへの、複雑さというか、あっそれもはっきり見せちゃうんだー的戸惑いはあるんだけどね。でもまぁ見せるよね…うん…そっか…でもそういうものだよね。戸惑いはそれとして、でもそれを上回る素敵な世界が展開されていたので満足です。そして森山開次さんのスケリグも観たかった~~余計に観たかった~~。あとついでに未來さんのスケリグも観てみたい~~(どさくさに紛れて)。

 小ネタとかあんまりわからなかったけど、病院でこちょこちょしてるのとかはきっとそうだったんだろうなー。ミナが座ってる樹の枝で逆上がりしようとするスケリグさん面白かったです。サッカーボールが良く客席に落ちる回でした。楽しかった!

enterstage.jp

ticket-news.pia.jp

 

肩胛骨は翼のなごり (創元推理文庫)

肩胛骨は翼のなごり (創元推理文庫)

 

*1:鳥の羽音を折り畳み傘で出してたのすごい!