ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

おいぬさま詣り

 7月半ばの猛暑の中、1年ちょっとぶりのきなこ詣りに行ってきました。ずいぶんご無沙汰になってしまった…1年以上開いちゃったけど忘れられていなくてよかったです。

 きなこさんもいつの間にかもう10歳、所謂高齢犬に突入のお年頃、ブラックシルバーだった毛並もだーいぶシルバーになってきた気がします。でも相変わらず可愛い…何馬鹿かわからないけど可愛いんだ…トリマーさんがいつもの人じゃなくて何かへんちくりんなカットにされてるけど、よだれ焼けで相変わらず口のまわりまっかだけど、でも可愛い…。そしてこの頃ちょうど死にそうな猛暑期間で、さらにきなこ宅は高温でニュースになる地域を含む群馬県平野部で、うん…とても暑かった…。さすがのきなこもエアコンがさやさやする場所でぺったりしていた。寝るときはケージの中なんだけど、暑そうだから2リットルのペットボトルに水入れて凍らしたのにタオル巻いて置いてあげたら、顎乗せて寝てました。良かった。

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 今回撮ったきな写真、のきなみべろ出てて暑かったからね…ってなります。

 あんまり暑いので避暑に行こう、と軽井沢まで犬連れで行ってきたんだけど、外気温30℃ですごく涼しく感じるのね。湿度も低いし風は涼しいし天国だった…そしてわんこ連れさんが多い軽井沢のアウトレット、出会う犬はすべて倒すべき敵と認識しがちなきなこさんは常に臨戦状態で大変だった(笑)。何であのこあんなにやる気に漲っているのだろうちっこいくせに…巨大なボルゾイさんとかラブさんとかにも勝つ気しかない勢いで立ち向かっていくのほんとやめて(笑)。この辺は(も…)残念ながら躾上手くいってないなって思ってしまうのだけど、わたしの子じゃないから仕方ない…。せめて間に割って入って邪魔をする人係になります。面白かったのは、ご飯食べたオープンエアのカフェで、ペットカートに入れられたわんこさんがすぐ近くでわんわん云ってるのにきなこは無反応で、でもちょっと離れたところを歩くわんこさんには反応しまくってて。視覚>>聴覚なんだな、というのがわかった。吠え声聞こえてても平気なのに姿が目に入ると反応するのかなるほど。

 あと連れがお店を見ている間、ベンチで待っていたきなこさんのそばに、どこかの小さなお嬢さんがずーっと立っていて、ずーっときなこを見ていて、さわってみる?って訊いてみたら「ママがダメっていうから…」って、でも離れず立ち尽くしてガン見していて(きなさんは好き勝手していた)、そっかーそうだねーあぶないもんね、えらいね、なんて云ってたのだけど、そのうちお嬢さんがママさんのところに一度戻って、また戻ってきて「ママがいいって」って報告してくれたので、きなさんをおすわりさせてちょっとだけ触ってもらいました。頭撫でられるのが嫌いなので、顔の下に手を出してもらって顎下とかを撫でてもらうようにして、きなさんは塩対応上等が常なので特に愛想よくとかもしてくれないんだけど、お嬢さんはちょっとおっかなびっくりだけどでもとても嬉しそうで、わたしもとても嬉しくなりました。いつか可愛いシュナがお嬢さんちの家族になったりしたらいいなぁ。

 きなんぽは暑さ回避の為早朝5時台出発だったので今回は不参加で、人も犬もかなりバテバテのだらだらだったけど、久々に触れ合えてきな充できて幸せでした。いろいろ健康面でも心配だけど、少しでも元気に長生きしてもらいたい、それだけです。あっ今回、お風呂入れようときなこ捕まえて無理やり抱っこしたら、絶対暴れて嫌がって下手したら噛まれると思っていたのに*1、全然平気で何だか良い調子に抱っこされてくれて、こんなの10年で初めてだよ!!ってびっくりした。あれ何だったんだろう…叔母はもちろん父にも抱っこされるの嫌がるのに…。

 きなこの中での位置づけがいまいちよくわからない。父は上って思ってる(けど抱っこは噛んだことある)、叔母はいつも一緒だから大好きだけどちょっと舐めてるところがある、母…は何かよくわからない(笑)、私は何なんだろう。口うるさくてめんどくさいたまに来る親戚だろうか。でもわたしの云う事はわりと聞いてくれるんだよなー何なんだろう。気遣いかしら。顔見るととても喜んでくれるけどウザ絡みすると逃げられる。ウザい親戚でごめんよーでもまた会いに行くからねー!

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 ぺっとり。

 

*1:もし噛んだら二度と噛まなくなるくらいの勢いで叱り付けるつもりだった

新感線☆RS「メタルマクベス disc1」@IHIステージアラウンド東京(8/4夜)

 久しぶりにお城で回ってきました。お城というものはすべからく回るものなのである感…年末まで回るんですねすごいな…。

 12年ぶりの生「メタルマクベス」、青山のお城に坂を上って通い詰めたあの初夏の日々を思い出さざるを得ません。松本のプレビュー公演から大坂の陣まで、あれもこれも脳裏に焼き付いて離れないし片時も離すもんかと抱きしめ続けているわよ。きよしの奇行の数々、ジュニア様の麗しさしなやかさグレコの長細さ水分量、松さんのお肌に赤いトレーナー、どんどん削られていった門番のセリフと丹下のおっちゃん、千秋楽ライブでドラムを叩くパール王、ベースを弾くゴーグル付きグレコ殿、嗚呼何もかも懐かしい……。

 と、懐古スイッチがどうしても入ってしまうのですが、今回の鋼鉄城は回ります。新生メタルマクベスです。思い出語りしている場合じゃない。相当回るらしいとかもはやアトラクションとかいろいろ小耳に挟みつつ、後方ほぼどセンターで観劇しました。

 あのね、広い。よこはばが。極髑髏でひろびろ使うなーって思ったけど、まぁ横幅が広い。さらに広げて2画面みたいなことにもなるし、初演で上下分割していた場面が左右分割になっている。そして広くて円形なステージを駆け巡るバイク! 本当にバイクになった!! 足蹴り自転車じゃない!! これは感動した(笑)。わーん未來ジュニア様もバイク乗るの観たかったよー!!(笑)電飾スクリーンも出てくるし*1、バンドブースもあるし*2、スクリーンも180°近くまで使って映像没入感も凄いしエレベーターは上下するし何かすごいね!! お金いっぱい使ってるね!!! 生の音圧と物理の演出でぶん殴ってくるタイプのエンタメでした。すごく豪華だった…。

 脚本は初演からずいぶんと枝葉を取り払った感じで、すっきりしちゃったなぁと。わかりやすく、ランダムスター夫妻の悲劇にきっちり焦点を絞ってきたなぁと。個人的に、初演を観た後に松岡和子版マクベスを読んで「アレも! ソレも! こんなものまで原作通り!?」ってびっくりしたのがとても鮮烈な思い出なのですが、けっこうその、こんなものまで原作通りなの!?な部分がカットされてるような…長々とした修辞の部分とか、3人の魔女以外に出てくるヘカテーとか、原作の時点で??なパートがばっさりなくなっていて、ほんとスッキリしている。けど、あれは一体何だったんだ…ってなる部分が実は原作に忠実だったのを知って余計?!??ってなる感覚、が、今回のdisc1を観た後に松岡和子版マクベスを読んでも、あんまり大きくなさそうだなぁ、と思うのでした…だって開門前のすったもんだも一切ないんだもの…あまりにあっさりした再会シーンで逆にびっくりしたわよグレコとジュニア様。っていうか逆にどうして初演がああなったのか不思議だよ。なんだったんだあれは……。

 っていうか全体的に、めちゃくちゃあっさりしていた…というのがわたしの感想です。演出は派手だしカッコイイし機構はスゴイしエンタメ物理でぶん殴ってくるしほんと凄いんだけど、こんなに凄いのに、透明塩出汁スープ…って感じがして…とても美味しいのだけど薄味に感じてしまった。初演がコッテコテの背脂マシマシ豚骨ギトギトみたいなあらゆる意味で濃厚味付けだったからね…そっちに慣れた味覚には何だか薄かったんだ…いや美味しいんだけど…。物足りない、とは云わないけど、いやこの話もっとパンチあったよね?ってなってしまった。…のは、仕方ないですたまごから孵って最初に観た新感線がメタマクだったんだもの……。あとジュニア様は永遠に別格扱いだから。思い入れが重すぎるやつだから。ごめんなさい。

 ぐだぐだ云ってしまうけど、でもちゃんと面白かったです! それは本当! 3魔女がベビメタちゃんで絶対怒られるやつだったり、ローラの「あの娘のブーツは~」がめっちゃ疾走感あったり、反乱軍揃い踏みが完全に族のカチコミでかっこよかったり、あと2つの時代を広々と開いた舞台で並べてやるのとか、マホガニー城や鋼鉄城の構造がすごい複雑&広くなってたりとか、あと本物バイクとか、バイクとか、良かった点もたくさんあったし、技術の進化に12年という時の流れを感じたりしましたよ。キャストも味は違えと皆さん良かったしお歌は流石だったし*3、松下ジュニア様はイケメンでダンスもキレッキレだったし、山口グレコ殿は渋かっこよかったし。きよしが…っていうのも小耳に挟んでいたので覚悟はできていたけど、もったいない…マイケルやればよかったのに。きよしがあんまり出てこないとマクダフがきよしのツアーに帯同したから新生メタルマクベスのパーティに出席しないって話がなくなるのね…ぐぬぬ。あ、グレコもジュニアも初演のイメージより年上な感じがしました。おぼこいアピールはあったけど成人されている王子だった*4猫背椿さんのグレコ夫人とシマコはとても良かったです! 猫背さんキュートだなぁって鎌塚氏の時に思ったんだけどやっぱりキュートだった。あと初演からキャストが変わって一番違和感がなかったのは門番な。カヲルさんから仁さんになったけどほぼ変わらないのすごい…好きよ門番…。ランディはね、とても良かった! 安定感あるしかっこいいしお歌流石だし、変顔はうーちゃんの方が面白かったけど(笑)、でも素敵なランディでした。新感線のさとっさん、を初めて観たのだけど、なるほど…じゅんさんとの馴染み具合、なるほど……これが「おかえり」なのね、と納得のコンビネーション、納得の新感線芝居でした。安心安定。夫人の濱田めぐみさんはこれまたさすがの歌ウマで!! 流石だ!! ミュージカルだ!! っていうかさとしさんとめぐみさんの夫妻ほんとに帝劇感溢れててミュージカルでした。メタルかどうかはともかく、感。ただちょっと、わたしの耳にはヒステリックさがキンキンしてしまった…お歌じゃない時にね。カッコイイし可哀想だし哀れだしとっても夫人なんだけど…わたしの肌にはちょっと合わなかったかな。うん。あと個人的に寂しかったのは伝令係の吉田とヤマハがまとめられてしまったことな…伝令係のヤマハ(メタルさん)、ってすごく脳が混乱するわ。うっわたしの吉田…吉野家じゃない吉田……。

 初演から続行キャストには文句ありません。大満足です。エクスプローラーお変わりなくだしパール王今回もめっちゃかっこいい……今回もパール王かっこいい……もっと見せ場欲しかった台詞も欲しかった開門シーン欲しかった……カナコさんの宝島少女姿がまた観られて幸せです…あと「SIONかと思った」が残っていてガッツポーズを決めたわたし。それを云ったら「グレコ・ローマンスタイル」が復活していてそこもガッツポーズでしたが。グレコと門番の「ランダムはどうした」「ガンダム?」「ランダムスターだ! 主の名前くらい覚えろ」はやっぱり消えてしまった…(笑)。

 あとちょっと気になったのは、髑髏シリーズでノーストレスな利点だったはずの暗転なし舞台転換が、「間(ま)がない」感になってしまったように感じたこと…。間というか余韻というか、このシーンとこのシーンの間にはもう少しタメが欲しい、ところがそのまま流れて始まる感じがして、メリハリが逆に薄れたように思いましたよ。途切れなく続く=意識が途切れなくて集中できる、没入感、だとわたしも思っていたのだけど、鋼鉄城崩壊から老婆が這い出てくるところとか、暗転で地響きが収まるまでの時間が次の静寂に繋がって緩急というか、少し落ち着く感じが良かったな、と初演と比べて何だか慌ただしさを感じてしまった今回でした。まぁ私感ですが。

 個人的には、初演が観たい!!になってしまうのですが、それを差し引けばとても面白かったし、何よりあの物理と音圧でぶん殴る舞台は体験しておいて損はないと思うので是非劇場でご覧下さい(笑)。冠くんの魂のシャウトは生で聴くべきものだ!! あと「王を弔う歌」が始まると自動的にトイレダッシュの準備をしなくてはいけない気になるの、12年経ってもしみついた習性は抜けないのだなって感じで自分で可笑しかった。青山劇場のトイレは地下の外に増設された方がスムーズに入れるからオススメだよって12年前のゴーストがわたしに囁くの…。

*1:っていうかステアラに迫りってあったっけ??

*2:途中見えないけどあそこにいるんだよね?

*3:レスポール王が…って聞いていたのでそっかって思ってたけど思ったより大丈夫だった!

*4:未來さんも成人してたけど初演1幕の王子はティーンだったじゃん?

2018年8月3日:睡眠不足解消

 熱くてアツかったツール・ド・フランス2018も終わって、早寝できる日々が戻ってきました。しんどかったけど終わると寂しい…今年の夏は熱かった…。本命で応援している選手が勝てなくて悔しかったんだけど、それ以上に勝利を巡る人間ドラマが熱くてたまらなかったです。フルーム残念だったけどでも!! G!! 最高だ!!! 来年の去就も気になるけどとりあえず今は、ぐっだぐだでテキトーな優勝コメントの最後にマイク落とす最高にクールなマイヨジョーヌをかっこよがって過ごします。悪いウェールズ人め…!!

 …っていう自転車ロードレースは楽しいんだよ話。未來さんは絶賛大河撮影中なのでしょうか。三角ひげなのかなー。元気かなー。

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Dance Dance Dance @YOKOHAMA 2018関連

 今週末からいよいよ開幕です。SONARはまだちょっと先だけど…。

www.cinra.net

 トリエンナーレなんだねぇ。つまり前回の本牧での「Judas,~」から3年経つってことか…そうか……。

 SONARの頃は少し暑さも納まってるといいな~。

natalie.mu

 未來さんインタビューもアップされました。オフィシャルガイドブックのインタビューの完全版って感じ。ジャック・マイヨールの名前が出てくるの嬉しいな! 8月にクリエーション再会とか、制作におけるインターバルについてとか、3人でのクリエーションの様子とか、冊子になかったお話がいろいろ聞けてありがたい。未來さん個人の話以降はまるっとなかったなぁ。コンテンポラリーダンスが身近になるとジャンルとして形が定まる…ちょっと前の「モダン」みたいな感覚に近い気がする。あと「現代音楽」とか。50年前はモダンで現代だったものがもう古典の枠に入ってきている感覚…ちょっと違うか。でもそんなに外れてもいないと思う(笑)。消費、という言葉はどうしても肯定的にとらえにくいけど、でもどうしたってわたしも消費する側だしなぁ。

 未來さんの云う、「ミュージカル的な何か」、生み出してほしい。観てみたい。

DanceDanceDance@YOKOHAMA2018オフィシャルガイドブック

 「SONAR」が9月に上演されるDDD@横浜のガイドブックが無料配布されています。未來さんのインタビューも1ページ掲載。

フェスティバルガイドブックが完成 | Dance Dance Dance at YOKOHAMA(DDD 横浜)

 まだ2ヶ月弱も先なので、何だか茫洋としていてタイトルとメンバーとスタンディングらしいこと以外わからない状態の「SONAR」ですが、インタビューを読んでも…うん、わからないな(笑)。言葉を使わない、言語を超えたコミュニケーション、なのは把握できるけど、それをどうパフォーマンスにするの…? 何が観られるの?? むしろ観られないの? 聴けるの?? わからない!!

 ヨン・フィリップ・ファウストロムさんとは「Te ZukA」繋がりなのはわかったけど、よく一緒に飲んでたのは…なるほど。スウェーデンにいた時、は「談ス」合宿ですよねきっと。ノルウェーは隣だから、っていうこの、地続きで外国な感覚がどうしても想像できない島国の人間です。どういう感覚なんだろう、他県に行くのとは流石に感覚違うよね? 徒歩で国境越えたのなんてカナダからアメリカに30分くらい滞在して戻ってきたナイアガラくらいだわ。あれも何だかほんとちょっと厳重な県境くらいの感じだったけど謎…。

 及川潤耶さんとの出会いもまた面白いところで、ドイツかー。音響空間作家、という肩書き(?)も不思議です。どんな音で満ちた空間が作られるんだろう。観る場所、立つ位置によっても聞こえるものが違ってきたりしそうな匂いがするぞ。3人のコミュニケーションの取り方も面白くて、3人の共通言語がないっていうのが(笑)。でも、そんな関係性だから、そんな3人だからこそ生まれる作品なんだろうな。

 イルカやクジラは超音波の振動でコミュニケーションを取り合うけど、じゃあこの3人はどんな振動で、何で何を震わせて、どんなやりとりをするんだろうか。それはどんな風に見えて、どんな風に感じられるんだろう。まだ何も、全然わからないけど、きっといろんなところをビリビリ震わせられるんだろうことは予想できます。楽しみー!!

「マクガワン・トリロジー」@世田谷パブリックホール(7/28夜)

 大型台風が関東に近づく土曜日の夜、「マクガワン・トリロジー」を観てきました。台風来ないうちに先に現地に着いておこう作戦で早めに三軒茶屋に行って、お茶などしてから劇場に入り、観劇後は駅直結で帰ったら、台風らしい雨風にさらされたのは正味15秒ほど*1という、何とも上手い具合にいきましたよ。電車も全然止まってなかったし帰りもすんなり帰れてほっとした…。

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 松坂桃李さん主演で、何となく不穏カッコイイ系なチラシビジュアルが気にはなっていた、くらいの感じだったのだけど、IRAの兵士の話と聞いて俄然興味が出てしまい、ついでに「テイクミーアウト」ご出演だった浜中文一さんや小柳心さん*2、あと趣里ちゃんも出ているとのことで、あっやっぱり行きたい…とチケットを入手しました。客席に着いたら、流れている音楽がちょっと前のUKロックで、開演前からめちゃくちゃアガってしまった…ストーンズの「Let's spend the night together」とかボウイの「Heros」とか流れてひゃーってなったよ。もうそれだけで来てよかったと思ったし期待もめちゃくちゃ高まった…お手軽…。しかしいざ開演してみたら、めちゃくちゃ高まった期待を裏切ることないというかさらに超えてのとても大好きな作品でした!! めちゃくちゃ好きなやつだった!! 劇中で使われる音楽も良かったし話もキャラクターもすごく好みだった。1幕なんかずっと頬が緩んでしまう好みっぷりで…全然頬が緩んで良い内容ではないんだけど…でも好きなんだああいうの!!! たまらん!! 良かった!!!

 1980年代のアイルランドを舞台にした、IRAの内務保安部長ヴィクター・M・マクガワンにまつわる、3つのお話です。トリロジーだから。IRA、80年代、アイルランドベルファスト、と並べればもうサンデー、ブラッディサンデー*3ですね。U2が流れ始めますね。わたし小学校に上がった頃から新聞を隈なく読むのが趣味だったのですが、国際欄に北アイルランドでの戦闘やテロの記事があったのを覚えています。3篇どれも、まぁヴィクターが対象を処刑する話なのだけど、小説の短編集を読んでいるようで、その小品×3、という構成もすごく好みだったし、3つどのお話もそれぞれ違うツボを突く好みだった…全部良かった…。

 ひとつ目はIRAのアジトになっているベルファストのバーで、敵に情報を漏えいした疑いのあるIRA構成員を尋問する、のだけど、まぁヴィクターがぶっ壊れていて最高にカッコイイんだ。ぶっ壊れてるけど。何かキメてるんじゃってくらいハイで、歌ってるかまくしたててるか踊ってるか暴れてるか暴力振るってるかどれか、みたいな…めっちゃアッパー系で観ているだけで変なアドレナリンがどばどば出てしまった。ほんと冷酷で無慈悲で乱暴で粗野で頭おかしくて、でも紅茶を愛していたりラテン語を織り交ぜて話したりシェイクスピアをもじったり、頭いいんだか悪いんだかな感じとか、細いダメージジーンズによれよれのTシャツの上からショルダーホルスターで銀のコルトを吊るして、革ジャン羽織って編み上げ靴というスタイルとか、笑ってる続きで殺す感じとか、だめだ好き…こういうのを「面白かった! 大好き!!」って云うとちょっと人間性がアレなんですが、でも好きで楽しかったのも本当だから…ごめん人間性がアレで…。

 バーのカウンター横にあるラジオから、絶えず70~80年代のUKパンクとかロックが流れていて、それが大きくなったり小さくなったり、それに合わせてヴィクターが歌ったり踊ったり、音楽の使い方がとてもかっこよくまた効果的で、選曲も個人的にツボで、そういうところもめちゃくちゃ楽しかった。やってること、舞台上で起きていることはそりゃあ酷いんだけど、どこか荒廃したポップさを感じてしまって、いいのか悪いのかはさておき、わたしはとても楽しかった…楽しんでしまった…スミスが流れる中行われる粛清とかほんと…最高か…。ヴィクターがたまに、外の車に待たせている仲間とトランシーバー?無線?で会話するんだけど、そのオチも素晴らしかった。これぞイギリス、いやアイルランドか。痺れる。

 アタマオカシイ処刑人のヴィクター松坂桃李さんがとにかくカッコイイんですが、処刑されるアハーン役の小柳心さんも、ついでに殺される司令官ペンダー役の谷田歩さんもかっこよかったです。アハーン大変だったな…血だらけで追い詰められていく姿が痛々しい、のだけど、どうしてもヴィクターのアッパーな空気に乗せられてしまってヒャッハー!って観てしまっていて申し訳ない…1部ほんとヒャッハーしてしまった…。可哀想なバーテンのパンクスくん浜中文一さん、めちゃくちゃモヒカンが似合ってて可愛かった! 何ていうんだろう、パンクス顔というか…すごく似合ってたんだ…彼は本当に関係ないただの巻き込まれでただただ可哀想だったんだけど、ラストにヴィクターが彼の背中に銃口を向けて暗転したの、は、すごく、だよねー!!!ってなって良かったです。ペンダーの甥だし顔見られてるしやるよねあれは……。

 と、ただただ暴力と血と硝煙とロックにアドレナリンどばどばさせられてヒャッハーたーのしー!!となってしまった1幕が終わり、休憩をはさんで第2部の始まりです。車のヘッドライトに照らし出される夜の水辺の、背の高い芦みたいな草むらに、カーステレオから流れる音楽が低く聞こえる…のが! また2幕いきなり「Broken English」で!! 頭パーンってなるから!! …っていうのは置いておいて(笑)、2部は1部とは打って変わって、趣里ちゃん演じるヴィクターの幼馴染の女の子との、静かな会話劇でした。両手を拘束され車のトランクから降ろされた少女は、ヴィクターに幼いころの思い出話をする。ねぇ、覚えてる?と語られる淡く甘い恋の思い出、ヴィクターはぶっきらぼうに「ああ」と答えるだけ。実はあなたが好きだった、と打ち明ける少女、でも彼女はIRAの敵であるイギリス軍の兵士を助けた罪で処刑されるために連れてこられたのだった。哀願と諦念の間を振り子のように揺れる少女の、肝の据わったような虚勢がとても痛々しくて可憐だった趣里ちゃん。お願い助けて、と請われても「規則だから」と淡々と返すヴィクターだけど、胸の中で泣かれるシーンでは抱きしめるかどうか戸惑う手がとても饒舌で…哀しかったなぁ。カーステレオから流れる曲に合わせて踊りながら、草むらの中へ入り背を向ける少女、その背中に銃口を向けて引き金を引くヴィクター。少女が倒れてから、頭を抱えて呻くように泣く…。1幕では完全に頭のイカレた殺人マシーンだったヴィクターだけど、少女との会話の中で描かれるかつての子供らしい一面や、センシティブな内面の機微を垣間見せて、ヴィクターという人間の多面性が明らかにされる2部でした。またこれがね…ラスト哀しいんだけどね…そこが良いんだ…。

 1幕でヴィクターがまくしたてる中にあった、ラテン語での言い換えとか、「ミドルネームは○○」というジョークとか、シェイクスピアの話とか、が、2部での彼女との会話にも出てくるのが、ヴィクターの根幹が幼少時に形成されたんだなって感じがしてうまいなぁと思いました。あと"What are you fighting for?"と繰り返される「Broken English」の歌詞が2部のヴィクターにすごく刺さる…。

 2部から暗転で始まる3部は、夜の病院のような一室で、ベッドで眠る老婆*4の元を訪れるヴィクターの話でした。顔から血を流しながら、風にカーテンが揺れる窓から音もなく飛び込んでくるヴィクターが何だか天使のようだった…。それまでの2篇が常に音楽が後ろに流れ続けている、音が溢れるイメージだったのが、深夜の病室…ではなくて老人施設の一室が舞台なので静謐の裡に沈んでいくようで、空気感の変化が鮮やか。目を覚ました老女メイはヴィクターの母で、でも二人の会話は噛み合わず、メイは辻褄の合わないことを取りとめなく話す。少女の頃の記憶、パパと呼ぶ夫、遠い昔に水辺で見つかった殺された少女、そしてヴィクターの弟であるパディのこと。目の前のヴィクターに「パディ」と呼びかけ、パディは優しくて頭が良い、ヴィクターは悪い子、嫌い、と何度も口にするメイに、ヴィクターは哀しげに、でも優しく、そして諦めたように相槌を打ち、手を握り、ショールを肩にかけてやる。自分の顔も忘れ、会話もろくに成り立たず、夢と追憶の間を漂うばかりの母親にイラつきながらも無下にできないヴィクターが哀しい。母親の言葉から、ヴィクターが幼少期から肉親の愛情を満足に受けられず、周囲からも孤立していた様子がうかがえて、彼がIRAの戦士となった要因もその辺りにあるように思えてくる…のは、「ジハード」の影響かな。居場所のなさとそれを与えられる組織に属する安堵、とか。

 母親が語る、ヴィクターも知らなかったいくつかの事実。ヴィクター・M・マクガワンのミドルネームMは、Murder のMだと嘯いていたヴィクターだけど、実は聖母マリアのMから付けられたこと、2部で殺した彼女が実はヴィクターの家を何度も訪ねていて、彼女がヴィクターのことを好きだと母親は知っていたのにヴィクターには伝えなかったこと。

 3部でも、1幕でヴィクターが口にしていた「金髪の」イリヤ・クリヤキン(テレビドラマ「ナポレオン・ソロ」の登場人物)の話や、2部で語られた湖畔の草の中で見つかった殺された少女、幼い頃のヴィクターの長い黒髪の理由、などが母との対話の中に現れて、この薄皮を剥いでいくようにじわじわと見えてくる構造がとても面白い。ヴィクターの黒髪のエピソード、親の心子知らずで子の心親知らずって感じで胸が痛むのな…。

 母親の死が近いことを悟ったのか、ヴィクターは錠剤を取り出し母に飲ませる。そのまま静かに息絶える母を看取り、病室のテーブルの上にあった、馬を駆るインディアンの置物にテーブルライトをあて、大きな影を母親の上に据えるようにして、また音もなく窓から去るヴィクター。大きな影が、母親の墓碑のようにも、彼女が求めて得られなかった理想の「息子のヴィクター」像を手向けるようにも見えて、哀しくもとても美しかったです。そして開け放たれカーテンがそよぐ窓から、また夜の暗闇へ姿を消すヴィクターはやっぱり、死をもたらす黒い天使のようだと思うのでした。好きだ…。

 1部で顔見知り程度の関わりの相手を楽しく殺し、2部でかつて好きだった、もしかしたら愛し合えたかもしれない相手を殺して慟哭し、3部で愛する肉親をそっとその手にかけて去る。結局、舞台上に現れるヴィクター以外の全ての人間はヴィクターによって殺され、ヴィクターのみが残るのだけど、それぞれの死とそれをもたらすヴィクターの描かれ方の違いが、3年(1話ずつ1年が経過している)の月日の流れでヴィクター自身の死に対する、及び殺人に対するスタンスというか、感じ方の変化に繋がっているように思いました。無感情に、むしろ楽しんで殺していた彼が、痛みを伴う殺しを経て、深い諦念とある種の安堵、もしくは救いをもたらすものとしてそれを行う。人間としてはきっと、壊れていっているんだろうと、心の大切な部分を麻痺させ続けているうちにそれが壊死してしまったように思うのだけど、それが逆に彼を人間性から遠ざけ、残酷で非人間的な聖性のようなものを纏わせているように見えてしまう。3部の彼の「天使」のイメージはそういうところからも滲んでいるのかな、と、勝手なイメージですが。

 ヴィクターの母親メイを演じたのは高橋惠子さん、年老いたなんて云えない美しさでした。でもその美しさが、この世からすでに半分遠ざかってしまったメイの彷徨える心の、悲しい狂気をより際立たせていたように感じます。時に少女のように無邪気に、夢を漂い、恐怖に震え、怯える様が、美しいからこそ哀れで痛々しくて、吐き出される無慈悲な言葉がとても鋭利に胸を切り裂く。母親はきっと、ヴィクターを愛していたと思う。のだけど、その愛し方は、ヴィクターが欲しかったものとは形が違っていたんだろう。愛情を伝えるにはその形はあまりにいびつで、それを受け取るにはヴィクターはあまりに幼く素直だった、んだろう。すれ違い、掛け違ったままの時間が長すぎた親子のボタンを掛け直す方法が、あれ以外になかったとは思わないけれど、あれ以外の道を探るにはもう、ヴィクターは「人間」から遠い場所に来過ぎてしまっていたよね…。

 カテコの最後で、イギー・ポップの「The Passenger」が流れて、またふわああってなってしまった(笑)。これも歌詞がとても、ここまでとこの後の、ここからの、ヴィクターにとても良く似合うので、戯曲で曲まで指定されているのかどうかわからないけれどもしそうならめちゃくちゃ考えられてるなぁと思うし、もし違うならこれをここに選んだ方のセンスにひれ伏すばかりです。ヴィクターが窓から飛び降りた夜空にはきっと、孤独な魂のための星が光ってるよ…。IRAベルファストだしU2の「Sunday Bloody Sunday」来るかなー??って待ち構えてたけどそれはなかった…短絡的過ぎですかすいません(笑)。

 アッパー系な1幕が楽しかった分、2幕でどんどん沈み込んでいく感じがちょっとしんどくて(好きなんだけど!)、もうひとつくらいヒャッハーなやつ欲しかった…なんて思ってしまったのだけど、でも時系列で並んだ3つの話だし、少なくとも2部より後のヴィクターはもう、ヒャッハーしなくなっちゃったんじゃないかな、と思うので、うん…。でも1幕のヴィクターは本当に刹那的な美しさと色気を纏って危うくて最高だったんだ…。

 こんな、IRAなんて日本からものすごく遠くて、とても共感しづらい難解な世界観で、背景なんかも馴染みがなくて、入り込みづらい、云ってしまえば受けなさそうな作品を、贅沢なキャストで、がっつりと上演してもらえたことに、何だか感謝の気持ちを覚えてしまう。日本でこんなものを観られたことを、とても幸せに思います。ほんと好き…上質な短編小説集の翻訳を、余韻を鼻に抜きながら読んだような幸福感と満足感に包まれて台風の劇場を後にしました。カメラ入った日があったようで、何らかの形で映像化されたらいいなぁ。出来たらWOWOWとかで放送してくれると嬉しいんだけどなぁ。放送なら音楽差し替えられなさそうだし…。

www.mcgowantrilogy.com

natalie.mu

 原作者のシェーマス・スキャンロンさんが、ヴィクターを主人公にしたアナザーストーリーをいくつかアップされています。う、うれしい…こういうのもっと読みたい…ツイッターのは2部の元になったテキストだけどこれまた訳も理想的で…。

thenewengagement.com

“Helpless” by Séamus Scanlon | Akashic Books

 

*1:カフェから駅までの往復

*2:はもちろんマーキュリーファーも!

*3:は70年代の事件だけど

*4:ってほどの老婆じゃないんだけど

「BOAT」@東京芸術劇場プレイハウス(7/24夜)

 マームとジプシーの藤田貴大作・演出「BOAT」を観てきました。藤田さんの作品は「小指の思い出」「ロミオとジュリエット」と、マームじゃないものばかり、それもプレイハウス上演のものに限って観てきている不思議(笑)。今回の「BOAT」も、プレイハウスで2作観てるから3作目も…って思った部分もなくはないです。けっこうあります。あと青柳いづみ&豊田エリーのロミジュリコンビがとてもとても良かったので彼女たちが観たいなって。

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 余談ですがチケット発売開始からそこそこ経って、やっぱり行こうかなーと座席指定画面を眺めていたら、けっこう前方の真ん中辺に1席空きがあったのであらラッキー、と確保していざ劇場に入ったら、まさかの最前どセンターでびっくりしました。F列が最前になるとは思わなかった…観易いちょうど良さそうな列だと思ってた…計らずともとても迫力ある視界を楽しめました。がちょっと奥が見えない場面もあったね(笑)。でも、豊田エリーちゃんの仰臥した目尻から水晶のような涙が一筋零れ落ちるのが観えたりして、それはそれでとても贅沢でした…。

 今回の「BOAT」は、マームとジプシーの過去公演「カタチノチガウ」「sheep sleep sharp」と世界観を共有しているとのことで、3部作的な、完結編的な、種明かし的な位置づけの作品だそうで。…って聞くと、前2作を観ていないのでちょっと躊躇してしまったんだけど、でもその躊躇を超えて青柳いづみと豊田エリーが観たかったんです…前2作も観ておけばよかったと歯噛みしつつ。

 マームとジプシーの、というか、藤田貴大の作品は、1本の流れのあるストーリーを小さく切って、断片化した場面やセリフたちを散らばらすように配置して、違う角度、違う時間軸から何度もそれを繰り返していく(リフレイン)手法が特徴的です。脈絡のない場面が細切れに、でも流れるように次々と連続していくのは正直、最初は戸惑うのだけど、それがだんだん心地よくなってきて、そして観ているうちにその場面やセリフが本来どこに嵌っていたピースだったのか、がわかってくると、ある種の伏線回収的な、云ってしまえばミステリ的な快感が得られたりもする。し、ああ、冒頭のあの場面はここだったのか……と思うとまたそれが何だか、じんわり染み込んでくるように感じたり、何度も繰り返されすっかり耳目に馴染んだ場面や言葉が、どんな流れで発された、どういう想いが込められたものだったのかを改めて理解する瞬間に、淡いカタルシスが感じられたり、するのが面白いです。わたしは。全編を紙ふぶきのように切り刻んで、ひらひらと撒き散らして、その降りかかる一片一片をランダムに読んでみるような。また、紡がれる台詞たちがどれも散文的に、もしくは詩的に響くことばで、それがまた散らばりシャッフルされた断片として、より印象的に響いてくる効果がある…ように感じます。わかり始めるまでは、わっかんない…ってなってるんだけどね、それがわかり始めるとまた面白い、というか、わからない状態から徐々にわかり始める感覚の変化が面白いんだ。バラバラに砕け散るグラスの映像を、逆戻しして破片がグラスに戻っていくのを見るような感覚…。

 前方席をかなり(5列も!)潰して大きく張り出した舞台上には、1隻のボート(本物の手漕ぎボート)が流木の上に乗せてあり、舞台奥には赤い幕が下りている。上手・下手の端には大きな蓄音機のような金色のホーンを担いだラジカセが、流木と共にオブジェのように設置してある。客電が明るいまま、音もなく現れた宮沢氷魚が、そのボートを下手に向かって押し出していく。そして幕が上がると、奥には薄暗い、いくつものボートが並ぶ港?の様子が広がる。そんな幕開けでした。登場人物に名前はなく、「あいつ」「あの人」「彼」「あの子」と曖昧に、でも理解はできる程度に呼びあうのがどこか無機質な印象で、「港」「丘の上の療養所」「市街地」「下宿」「酒場」と場所も変わるけれどそれも、セリフの中で説明される程度、大きなセットはボートと、薄い布を張った可動式のパネルのような壁、あとはソファやベッドやテーブル、ホーローの食器やブリキの水差し等、どちらかというと「小道具」の範囲に収まるものくらい。衣装もキナリ~藍のグラデーションの中で統一されていて、全てが簡素化というか記号化されたような世界観でした。「個」やキャラクター性を剥奪された世界の登場人物たちが、より普遍性、寓話性をまとって見えるのも面白い。遠い昔のどこかの国にも、今よりちょっと先か前の日本にも、まったくのSF異世界にも、見えてくる。

 ストーリーは断片化されて、目の前で語られている台詞や場面が、全体の時間軸のどこに当てはまるのかはかなり後半にならないと整理されない感じ。ボートで流れ着いた人々がルーツの港町に、今でもまれにボートで漂着する人がいる。1年前に流れ着いた「余所者」の男、煙突掃除人として買われてきた少女、1年ぶりに戻ってきた「除け者」の女、「除け者」の幼馴染で療養所に暮らす「患うひと」、「除け者」や「余所者」、新たに漂着した「漂着者」が身を寄せる下宿を営むのは、港で失踪した夫を「待つひと」。

 1年ぶりに除け者が旅から戻ると、下宿には見慣れぬ余所者がおり、かつて一緒にピクニックへ行った幼馴染はもう立つこともできなくなっていた。港町には新たな漂着者が現れ、彼の言葉をただひとり理解できる余所者を通じて、恐ろしい情報がもたらされる。空を埋め尽くすボート、襲い掛かる厄災。1年前、除け者が旅に出る前に起きたある少女の死と、それに続く事件の記憶がそこに重なり、混乱と緊張に覆われる中、次の悲劇が引き起こされる。新たな地を目指すもの、そこに留まるもの、送り出すもの、追うもの、待ちきれずに終わらせるもの。市街地の劇場は火に包まれ爆発する。灯台守の協力を得て夜の海へ漕ぎ出す一隻のボート、その背後から襲う脅威。暗闇の中に漂うボートはどこを目指し、どこへ向かうのか。

 観るたびに思う、青柳いづみというひとはいったい何者なんだろう。彼女の口から吐かれると、ことばには魔が宿る。初めて観たのが「小指の思い出」で、魔女狩りの火あぶりのシーンが印象に残っているせいか、彼女は魔女だと思っていますわたし。短く切りそろえられた黒髪が素敵でした。ラスト、漕ぎ出したボートの上での彼女の述懐、圧巻だった…。「劇場は爆発した」「これは祈りなんかじゃない」「もう繰り返さない」、それまで重ねてきた無数のリフレインをそこで一刀両断するような、そしてもう、言葉どおり、繰り返されることはない。赤い幕が下りた舞台の張り出しに、1隻だけ浮かんだボート、彼女たちが後にした街で燃え上がる劇場が今、この空間そのものになる感覚、劇場中を巻き込んで背負い立つちからを、彼女のことばは持っている。実は、青柳さんの魔が凄すぎて、彼女の口から吐かれたらどんなことばでも力を得てしまうんじゃないかと疑っている…ので、他のテキストを読んでみてもらいたいとか、同じテキストを他の人に読んでみてもらいたいとか、思ってしまうのです。今回のこのラストも、ずっと呼吸も忘れて吸い込まれるように見つめていたけど、それが青柳さんの魔のせいなのか、藤田さんのテキストなのか、わからなくてな…青柳いづみが吐いたら特売チラシのアオリでも力を得るんじゃないか疑惑を捨てられない。

 豊田エリーさんは、ロミジュリのジュリエットが姿も声もあまりに可憐で、青柳ロミオとの相性も素晴らしくて、あのふたりがまた並ぶのなら是非観たいと思った故の今回でしたが、うん。間違いなかった。すごく良かった。患うひと、という、ほとんど椅子に座ったまま、追憶の小鳥を追いかけ、ゆっくりと迫る死をただ待つだけという役だったけど、彼女の「今」が死に近い分、語られる1年前の過去がとても美しくて輝いていて、そのキラキラしたものを懐かしく窓の外に眺めながら、今の彼女は死に捕らわれている、という対比が悲しくも美しかった。1年ぶりに戻った除け者との再会を喜ぶ姿が、1年前から変わり果ててしまった患うひとの姿に衝撃を受ける除け者の悲哀とまた強いコントラストで、印象に残っています。襲い来るボートから車椅子で逃げまどい、除け者との合流を待たずに毒を呷って自死する展開は、ジュリエットへのオマージュなの?と思うくらい何というか既視感があったのだけど、でもその既視感も嬉しい方で…駆けつけるけど間に合わない除け者の青柳いづみと併せて、このふたりにはどうしてこう悲劇が似合うの…と唇噛みしめながらも深く頷いてしまうのでした…。こんなふたりが、誰もいないのに木陰に隠れてキスしたとか、珍しい色をした鳥を見つけたとか、追憶は常に色鮮やかで美しい。革のソファに横たわり、中空に手を差し伸べながら死へと向かう彼女の横顔の、目尻から一筋の涙がこぼれ落ちる様は、まるで絵画のようだった。

 宮沢氷魚さんは初舞台とのことですが飄々とした存在感が面白くて、すごくどっしりしてた印象。背が高くて姿が良いのは流石モデルさんって感じです。あと、良い意味での異物感というか、馴染みきらない感じが今回の役にとても効果的に働いてた、のか、それもお芝居なのか。でも陰鬱さはあんまりなくて、決して重苦しくはない、軽やかな異物感とでも云うか、涼やかなのが、「余所者」だけど「余所者」としてコミュニティに受け入れられ始めている微妙な立ち位置の絶妙さに似合っていたなぁ。あと英語が堪能なのを何かのドラマのメイキング的なもので見た覚えがあるけど、今回もちらりと披露するシーンがありました。お父様をミヤくんと呼んでいた方(笑)なので、何か…不思議だ…。

 中島朋子さんは「待つひと」、港で姿を消した夫が戻るのを待ちながら、身寄りをなくした「除け者」や「余所者」の受け皿になる下宿を営む。夫はもう戻らないことを、わかってはいるのだけど、待つことをやめられない、そこから動けない、弱さと強さが柔らかく合わさった女性でした。素敵だった! ラストの彼女の選択はけっこう、ああ、そっちなのか…って苦しくなったのだけど、でもそういうものなのかも知れないな…もう動けないんだろうなあの場所から…。あそこに残ることを選んだ彼女がその後どうなるのか、前2作を観ていたらもしかしたら想像できたんだろうか。想像しない方がいい感じなんだろうなってことは薄々察しているけどな…。

 煙突掃除の少女、「煤まみれ」を演じた長谷川洋子さんも耳に残る声の持ち主だったなぁ。小柄な身体が不憫で、いつも少し怯えた風情で、でも力強さが芯に透けるような。「口裂け」役の尾野島慎太朗さん、すっごくすっごくイヤなヤツの役で、もう本当にイヤなヤツでした(笑)。そう思わせられるってことはやっぱり、上手いというか、リアリティがあるお芝居なんだろうな……思い出しても怖いしイヤだ(笑)。

 薄くて大きなパネルが、チャプターを表示するスクリーンの役目を担ったり、部屋の壁になったり、舞台上を横に滑るように移動していき、場面を区切ったり場所を区切ったりするのが印象的でした。藤田さんの舞台は横軸に動いていくなぁ。あと、「本物」を登場させて動かすのも印象深い。「小指の思い出」も、本物の車がいくつも舞台上を行き交っていたし、今回はまた相当な数のボートを、動かしたり吊したり引っ張ったり起こしたり、大変そうだった。重いよなぁ陸上のボート…。でも、本物がそこにあることのインパクトと説得力、って凄く大きいとも思うので、わたしは好きです。

 音楽も印象深くて、舞台の両端に設えられたホーン付きのラジカセから、少し古い洋楽が、ざらついたラジオの音質でいろいろ流れてくるのが、ちょっとこじゃれた雰囲気で素敵でした。洋楽というか既存の楽曲なのがまた、この場所が現実の「今」と地続きの、いつかのどこかである可能性を思わせて、寓話的だけれどファンタジーじゃないというか、語られないけれどリアルというか。少し俗っぽさが残る感じがね、別世界じゃない、別文明じゃない、って気にさせる効果があるように思う。確かに、観ていて感じるイメージは、ぼかされているけれど北朝鮮から漂着するボートであったり、小さな船で国を脱出するシリア難民であったり、かなり現在の、現実のニュースに重なるところが大きい。記号化された美術や役名が具体性を薄めているのでついつい、どこか別世界の物語として捉えそうになってしまうけれど、意識を強く「今」へと揺り戻す役割を、聞き覚えある音楽が担っているように思える。燃える街を後に、暗い海へ漕ぎ出すボートが目指す場所は、我々の目指すべきどこかであり、燃える劇場は今この場所に重なり、メタに近い感覚で当事者意識を揺すぶられるラストの演出もあって、おとぎ話を観ていたら現実世界に放り込まれたような、そんな観後感の舞台でした。ルー・リードの「Perfect Day」が流れたのすごく印象に残ってる…。

 終演後にはアフタートークが設けられ、この日は藤田貴大さんと、宣伝美術の名久井直子さんのおふたりのトークでした。ギッチギチの緊張感が張りつめたクライマックスで終演した後とはとても思えない(笑)、ゆるふわなおふたりのトークが楽しかったです。舞台上に登場する小道具はすべて藤田さんの私物で、マームとジプシーのほかの作品にもよく登場する物たちであるとか、タイトルの「BOAT」の手書き風な文字は打ち合わせの時に藤田さんが何気なく書いたものをそのまま使ったとか、メインビジュアルの写真はピンホールカメラで撮影されたとか、ピンホールカメラなので制止しているボートだけはっきり写ってしまうから実はこのボートの陰にもうひとりスタッフが隠れていてずっとボートを揺らしていたとか、とても楽しい裏話が聞けて良かったなぁ。キャストのお話や芝居の内容に関することも聞いてみたかったけど、これはこれでへーえ!ってなるお話で良かったです。次回作の「BEACH」では珍しく人が死ななそうだよね、とか名久井さんが笑ってらしたけど、そう云われたらじゃあ、って殺しちゃうかも、なんて冗談(?)も。ずっと聞いていたいふんわりしたおふたりの、どこか可愛らしいトークでした。こんなふんわりした人なのに、あんなの作るから、作家って怖いなぁ(笑)。

 当日パンフがとても素敵だった。

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 今回の「BOAT」はNHKのプレミアムステージで9月3日に放送が決定したそうです。わーい嬉しい! 最前列でちょっと近かったので、引きでどう見えていたのか見てみたいな。あと青柳いづみさんの魔は映像でどう伝わるのか知りたい。あのラストをもう一度見てみたい!

TOKYO METROPOLITAN THEATRE×TAKAHIRO FUJITA |

natalie.mu