ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「BOAT」@東京芸術劇場プレイハウス(7/24夜)

 マームとジプシーの藤田貴大作・演出「BOAT」を観てきました。藤田さんの作品は「小指の思い出」「ロミオとジュリエット」と、マームじゃないものばかり、それもプレイハウス上演のものに限って観てきている不思議(笑)。今回の「BOAT」も、プレイハウスで2作観てるから3作目も…って思った部分もなくはないです。けっこうあります。あと青柳いづみ&豊田エリーのロミジュリコンビがとてもとても良かったので彼女たちが観たいなって。

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 余談ですがチケット発売開始からそこそこ経って、やっぱり行こうかなーと座席指定画面を眺めていたら、けっこう前方の真ん中辺に1席空きがあったのであらラッキー、と確保していざ劇場に入ったら、まさかの最前どセンターでびっくりしました。F列が最前になるとは思わなかった…観易いちょうど良さそうな列だと思ってた…計らずともとても迫力ある視界を楽しめました。がちょっと奥が見えない場面もあったね(笑)。でも、豊田エリーちゃんの仰臥した目尻から水晶のような涙が一筋零れ落ちるのが観えたりして、それはそれでとても贅沢でした…。

 今回の「BOAT」は、マームとジプシーの過去公演「カタチノチガウ」「sheep sleep sharp」と世界観を共有しているとのことで、3部作的な、完結編的な、種明かし的な位置づけの作品だそうで。…って聞くと、前2作を観ていないのでちょっと躊躇してしまったんだけど、でもその躊躇を超えて青柳いづみと豊田エリーが観たかったんです…前2作も観ておけばよかったと歯噛みしつつ。

 マームとジプシーの、というか、藤田貴大の作品は、1本の流れのあるストーリーを小さく切って、断片化した場面やセリフたちを散らばらすように配置して、違う角度、違う時間軸から何度もそれを繰り返していく(リフレイン)手法が特徴的です。脈絡のない場面が細切れに、でも流れるように次々と連続していくのは正直、最初は戸惑うのだけど、それがだんだん心地よくなってきて、そして観ているうちにその場面やセリフが本来どこに嵌っていたピースだったのか、がわかってくると、ある種の伏線回収的な、云ってしまえばミステリ的な快感が得られたりもする。し、ああ、冒頭のあの場面はここだったのか……と思うとまたそれが何だか、じんわり染み込んでくるように感じたり、何度も繰り返されすっかり耳目に馴染んだ場面や言葉が、どんな流れで発された、どういう想いが込められたものだったのかを改めて理解する瞬間に、淡いカタルシスが感じられたり、するのが面白いです。わたしは。全編を紙ふぶきのように切り刻んで、ひらひらと撒き散らして、その降りかかる一片一片をランダムに読んでみるような。また、紡がれる台詞たちがどれも散文的に、もしくは詩的に響くことばで、それがまた散らばりシャッフルされた断片として、より印象的に響いてくる効果がある…ように感じます。わかり始めるまでは、わっかんない…ってなってるんだけどね、それがわかり始めるとまた面白い、というか、わからない状態から徐々にわかり始める感覚の変化が面白いんだ。バラバラに砕け散るグラスの映像を、逆戻しして破片がグラスに戻っていくのを見るような感覚…。

 前方席をかなり(5列も!)潰して大きく張り出した舞台上には、1隻のボート(本物の手漕ぎボート)が流木の上に乗せてあり、舞台奥には赤い幕が下りている。上手・下手の端には大きな蓄音機のような金色のホーンを担いだラジカセが、流木と共にオブジェのように設置してある。客電が明るいまま、音もなく現れた宮沢氷魚が、そのボートを下手に向かって押し出していく。そして幕が上がると、奥には薄暗い、いくつものボートが並ぶ港?の様子が広がる。そんな幕開けでした。登場人物に名前はなく、「あいつ」「あの人」「彼」「あの子」と曖昧に、でも理解はできる程度に呼びあうのがどこか無機質な印象で、「港」「丘の上の療養所」「市街地」「下宿」「酒場」と場所も変わるけれどそれも、セリフの中で説明される程度、大きなセットはボートと、薄い布を張った可動式のパネルのような壁、あとはソファやベッドやテーブル、ホーローの食器やブリキの水差し等、どちらかというと「小道具」の範囲に収まるものくらい。衣装もキナリ~藍のグラデーションの中で統一されていて、全てが簡素化というか記号化されたような世界観でした。「個」やキャラクター性を剥奪された世界の登場人物たちが、より普遍性、寓話性をまとって見えるのも面白い。遠い昔のどこかの国にも、今よりちょっと先か前の日本にも、まったくのSF異世界にも、見えてくる。

 ストーリーは断片化されて、目の前で語られている台詞や場面が、全体の時間軸のどこに当てはまるのかはかなり後半にならないと整理されない感じ。ボートで流れ着いた人々がルーツの港町に、今でもまれにボートで漂着する人がいる。1年前に流れ着いた「余所者」の男、煙突掃除人として買われてきた少女、1年ぶりに戻ってきた「除け者」の女、「除け者」の幼馴染で療養所に暮らす「患うひと」、「除け者」や「余所者」、新たに漂着した「漂着者」が身を寄せる下宿を営むのは、港で失踪した夫を「待つひと」。

 1年ぶりに除け者が旅から戻ると、下宿には見慣れぬ余所者がおり、かつて一緒にピクニックへ行った幼馴染はもう立つこともできなくなっていた。港町には新たな漂着者が現れ、彼の言葉をただひとり理解できる余所者を通じて、恐ろしい情報がもたらされる。空を埋め尽くすボート、襲い掛かる厄災。1年前、除け者が旅に出る前に起きたある少女の死と、それに続く事件の記憶がそこに重なり、混乱と緊張に覆われる中、次の悲劇が引き起こされる。新たな地を目指すもの、そこに留まるもの、送り出すもの、追うもの、待ちきれずに終わらせるもの。市街地の劇場は火に包まれ爆発する。灯台守の協力を得て夜の海へ漕ぎ出す一隻のボート、その背後から襲う脅威。暗闇の中に漂うボートはどこを目指し、どこへ向かうのか。

 観るたびに思う、青柳いづみというひとはいったい何者なんだろう。彼女の口から吐かれると、ことばには魔が宿る。初めて観たのが「小指の思い出」で、魔女狩りの火あぶりのシーンが印象に残っているせいか、彼女は魔女だと思っていますわたし。短く切りそろえられた黒髪が素敵でした。ラスト、漕ぎ出したボートの上での彼女の述懐、圧巻だった…。「劇場は爆発した」「これは祈りなんかじゃない」「もう繰り返さない」、それまで重ねてきた無数のリフレインをそこで一刀両断するような、そしてもう、言葉どおり、繰り返されることはない。赤い幕が下りた舞台の張り出しに、1隻だけ浮かんだボート、彼女たちが後にした街で燃え上がる劇場が今、この空間そのものになる感覚、劇場中を巻き込んで背負い立つちからを、彼女のことばは持っている。実は、青柳さんの魔が凄すぎて、彼女の口から吐かれたらどんなことばでも力を得てしまうんじゃないかと疑っている…ので、他のテキストを読んでみてもらいたいとか、同じテキストを他の人に読んでみてもらいたいとか、思ってしまうのです。今回のこのラストも、ずっと呼吸も忘れて吸い込まれるように見つめていたけど、それが青柳さんの魔のせいなのか、藤田さんのテキストなのか、わからなくてな…青柳いづみが吐いたら特売チラシのアオリでも力を得るんじゃないか疑惑を捨てられない。

 豊田エリーさんは、ロミジュリのジュリエットが姿も声もあまりに可憐で、青柳ロミオとの相性も素晴らしくて、あのふたりがまた並ぶのなら是非観たいと思った故の今回でしたが、うん。間違いなかった。すごく良かった。患うひと、という、ほとんど椅子に座ったまま、追憶の小鳥を追いかけ、ゆっくりと迫る死をただ待つだけという役だったけど、彼女の「今」が死に近い分、語られる1年前の過去がとても美しくて輝いていて、そのキラキラしたものを懐かしく窓の外に眺めながら、今の彼女は死に捕らわれている、という対比が悲しくも美しかった。1年ぶりに戻った除け者との再会を喜ぶ姿が、1年前から変わり果ててしまった患うひとの姿に衝撃を受ける除け者の悲哀とまた強いコントラストで、印象に残っています。襲い来るボートから車椅子で逃げまどい、除け者との合流を待たずに毒を呷って自死する展開は、ジュリエットへのオマージュなの?と思うくらい何というか既視感があったのだけど、でもその既視感も嬉しい方で…駆けつけるけど間に合わない除け者の青柳いづみと併せて、このふたりにはどうしてこう悲劇が似合うの…と唇噛みしめながらも深く頷いてしまうのでした…。こんなふたりが、誰もいないのに木陰に隠れてキスしたとか、珍しい色をした鳥を見つけたとか、追憶は常に色鮮やかで美しい。革のソファに横たわり、中空に手を差し伸べながら死へと向かう彼女の横顔の、目尻から一筋の涙がこぼれ落ちる様は、まるで絵画のようだった。

 宮沢氷魚さんは初舞台とのことですが飄々とした存在感が面白くて、すごくどっしりしてた印象。背が高くて姿が良いのは流石モデルさんって感じです。あと、良い意味での異物感というか、馴染みきらない感じが今回の役にとても効果的に働いてた、のか、それもお芝居なのか。でも陰鬱さはあんまりなくて、決して重苦しくはない、軽やかな異物感とでも云うか、涼やかなのが、「余所者」だけど「余所者」としてコミュニティに受け入れられ始めている微妙な立ち位置の絶妙さに似合っていたなぁ。あと英語が堪能なのを何かのドラマのメイキング的なもので見た覚えがあるけど、今回もちらりと披露するシーンがありました。お父様をミヤくんと呼んでいた方(笑)なので、何か…不思議だ…。

 中島朋子さんは「待つひと」、港で姿を消した夫が戻るのを待ちながら、身寄りをなくした「除け者」や「余所者」の受け皿になる下宿を営む。夫はもう戻らないことを、わかってはいるのだけど、待つことをやめられない、そこから動けない、弱さと強さが柔らかく合わさった女性でした。素敵だった! ラストの彼女の選択はけっこう、ああ、そっちなのか…って苦しくなったのだけど、でもそういうものなのかも知れないな…もう動けないんだろうなあの場所から…。あそこに残ることを選んだ彼女がその後どうなるのか、前2作を観ていたらもしかしたら想像できたんだろうか。想像しない方がいい感じなんだろうなってことは薄々察しているけどな…。

 煙突掃除の少女、「煤まみれ」を演じた長谷川洋子さんも耳に残る声の持ち主だったなぁ。小柄な身体が不憫で、いつも少し怯えた風情で、でも力強さが芯に透けるような。「口裂け」役の尾野島慎太朗さん、すっごくすっごくイヤなヤツの役で、もう本当にイヤなヤツでした(笑)。そう思わせられるってことはやっぱり、上手いというか、リアリティがあるお芝居なんだろうな……思い出しても怖いしイヤだ(笑)。

 薄くて大きなパネルが、チャプターを表示するスクリーンの役目を担ったり、部屋の壁になったり、舞台上を横に滑るように移動していき、場面を区切ったり場所を区切ったりするのが印象的でした。藤田さんの舞台は横軸に動いていくなぁ。あと、「本物」を登場させて動かすのも印象深い。「小指の思い出」も、本物の車がいくつも舞台上を行き交っていたし、今回はまた相当な数のボートを、動かしたり吊したり引っ張ったり起こしたり、大変そうだった。重いよなぁ陸上のボート…。でも、本物がそこにあることのインパクトと説得力、って凄く大きいとも思うので、わたしは好きです。

 音楽も印象深くて、舞台の両端に設えられたホーン付きのラジカセから、少し古い洋楽が、ざらついたラジオの音質でいろいろ流れてくるのが、ちょっとこじゃれた雰囲気で素敵でした。洋楽というか既存の楽曲なのがまた、この場所が現実の「今」と地続きの、いつかのどこかである可能性を思わせて、寓話的だけれどファンタジーじゃないというか、語られないけれどリアルというか。少し俗っぽさが残る感じがね、別世界じゃない、別文明じゃない、って気にさせる効果があるように思う。確かに、観ていて感じるイメージは、ぼかされているけれど北朝鮮から漂着するボートであったり、小さな船で国を脱出するシリア難民であったり、かなり現在の、現実のニュースに重なるところが大きい。記号化された美術や役名が具体性を薄めているのでついつい、どこか別世界の物語として捉えそうになってしまうけれど、意識を強く「今」へと揺り戻す役割を、聞き覚えある音楽が担っているように思える。燃える街を後に、暗い海へ漕ぎ出すボートが目指す場所は、我々の目指すべきどこかであり、燃える劇場は今この場所に重なり、メタに近い感覚で当事者意識を揺すぶられるラストの演出もあって、おとぎ話を観ていたら現実世界に放り込まれたような、そんな観後感の舞台でした。ルー・リードの「Perfect Day」が流れたのすごく印象に残ってる…。

 終演後にはアフタートークが設けられ、この日は藤田貴大さんと、宣伝美術の名久井直子さんのおふたりのトークでした。ギッチギチの緊張感が張りつめたクライマックスで終演した後とはとても思えない(笑)、ゆるふわなおふたりのトークが楽しかったです。舞台上に登場する小道具はすべて藤田さんの私物で、マームとジプシーのほかの作品にもよく登場する物たちであるとか、タイトルの「BOAT」の手書き風な文字は打ち合わせの時に藤田さんが何気なく書いたものをそのまま使ったとか、メインビジュアルの写真はピンホールカメラで撮影されたとか、ピンホールカメラなので制止しているボートだけはっきり写ってしまうから実はこのボートの陰にもうひとりスタッフが隠れていてずっとボートを揺らしていたとか、とても楽しい裏話が聞けて良かったなぁ。キャストのお話や芝居の内容に関することも聞いてみたかったけど、これはこれでへーえ!ってなるお話で良かったです。次回作の「BEACH」では珍しく人が死ななそうだよね、とか名久井さんが笑ってらしたけど、そう云われたらじゃあ、って殺しちゃうかも、なんて冗談(?)も。ずっと聞いていたいふんわりしたおふたりの、どこか可愛らしいトークでした。こんなふんわりした人なのに、あんなの作るから、作家って怖いなぁ(笑)。

 当日パンフがとても素敵だった。

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 今回の「BOAT」はNHKのプレミアムステージで9月3日に放送が決定したそうです。わーい嬉しい! 最前列でちょっと近かったので、引きでどう見えていたのか見てみたいな。あと青柳いづみさんの魔は映像でどう伝わるのか知りたい。あのラストをもう一度見てみたい!

TOKYO METROPOLITAN THEATRE×TAKAHIRO FUJITA |

natalie.mu