ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「オイディプス」@シアターコクーン初日!(10/7夜)

 前情報がほぼなくて、act guideのインタビューくらいしか手がかりがなく、どうやら近未来っぽい??とか神官ではなく『民衆のリーダー』とか、そのくらいのふんわりさで迎えた初日公演を観てきました。当日夕方にはゲネ写真とか出るかな~とうっすら待っていたけどそれも出ず(一夜明けて今日出ました)。でも、まっさらで観て良かったと思いました、何となくだけど。美術、無機質でかっこよかったなぁ!

 今回、ソワレの開演時間が18時30分で、上演時間2時間ないのにずいぶん早いな~平日けっこう厳しいんだけどな??と思っていたら、子役のお嬢さん方がいらっしゃったので、ああそれでか…と納得しました。ラストシーンまでちゃんと必要だからね…21時までに終わらないといけないよね…わかったおとなががんばる。ちっちゃい子たちふたりとも可愛かった…。あ、パンフは1800円でビニール袋を付けてくれます。

 ストーリーに大きな改変はなかった…と思う*1けど、美術とか衣装が違うだけでずいぶんと印象というか、イメージが変わりますね。オイディプス王はスーツにネクタイで、王というか施政者という雰囲気だし、イオカステもシックなドレスにピンヒール、王宮はコンクリートとガラス?アクリル?で堅牢、城を守る兵士たちはSATみたいな防弾チョッキで武装していて、王宮は分厚いコンクリートの防護壁で外界から遮断されている、という。王宮の外、テーバイの街は疫病に汚染されていて酷い有様とのことで、城門(?)を開くと警告サイレンが鳴るとか、外から来る者は防護服着用で入ってくる時に消毒?除染?を受けるとか、イメージがなかなかね。そう来るか。「穢れ」を「汚染」に読み替えるというかそう読むの、面白いです。個人的には、ごりごりにギリシャ感たっぷりな感じより、アレンジが効いている方が好みです。あっでも、王とかえらいひと(…)が市民に向かって語りかけるのが、配信的な中継なのはうんまぁ…いや面白かったけど、その背景が金屏風なのはちょっと笑ってしまった。面白い。何かちょっとおめでたい。

 セットが上下になるのとかもカッコ良かったし、上段が締められた所に浮かび上がる桜の木が咲いているのと枯れている?のとか、ちゃんと状況とか何かと関連しているんだろうな、と思うので次回以降探りたいところです。

 で、未來さんのリーダーなんですが、リーダーだけどめちゃくちゃ神官で、そっかー市民のリーダーになっちゃうのかーとちょっと残念気味に思っていたわたくし大歓喜でした!! うーんやっぱり神性纏った未來さんは最高なんだよー!! アレを手にした瞬間うっわ来た来た…!!ってなってしまった…静かに沸いた……。また祝詞のような詠唱が素敵で…ずっと耳に残るリフレイン…上手側の神殿の奥は角度的に見えなかったのだけど、席によっては覗けたりするんでしょうか。あと下手側の扉の外も…見えないものなのかな。見えなくてもいいや。スーパーボーナスタイムが2回来るので、これから観られる方…是非目をかっぽじってご覧下さい。オイディプスだけに(こら)。

 ひげに編み上げブーツに裾がひらりと風を孕む薄い上着を羽織って、動くたび歩くたび振り返るたび梯子を上るたび素敵でした。ほぼ出ずっぱりで舞台上にいらっしゃるのでありがたい…。コロスの皆さんも、前に観たギリシャ悲劇のコロスより、ひとりひとりに個性や背景が感じられて、より「役」に近い、キャラクター性のある群衆だったなぁ。前に観たのはとても「有象無象」て感じで、抽象的な民衆の声とか心の凝固したもの、みたいな印象だった…それはそれで面白かったけど。

 コテコテの悲劇(?)が、めちゃくちゃドライでスタイリッシュでクールな世界観の中で繰り広げられるギャップのようなものが面白い風味を出していたように感じます。現代的なんだけど中身はコテコテ…わりと表現もコテコテな感じで、オイディプス王は歌舞伎を思わせるような表現もあったりして。でも、演出が海外の方なのを思い出して、もしかしたら現代日本を海外から見るとこういう感じなのかもしれないなーとも思ったり。王が公式にコメント発表する時に打掛みたいなのを羽織ったりするのとか、スーツ着てコンクリートの街でビルが乱立していてネット社会だけど、皇族の儀式では十二単とか烏帽子とか付けるし結婚式は白無垢着たりするような…わりとそれをそういうものだと日常として受け入れているところとか、外から見たら面白いんじゃないかなーと。普通に街中で和服の人も見かけるし。…っていうのを、改めて舞台にあげて見せられると、その内側にいるはずなのに「おもしろーい」ってなる感覚、も面白いな。

 悲劇が悲劇極まりなくて、どう受け取ればいいのかちょっとまだよくわからないのですが、両目を潰し扉の外へ自ら出ていくオイディプスの、扉の向こうが清浄に見えたのは、あれはある種の赦しなのだろうか、とか。盲目故にそう感じるのだろうか、とか。ああでも、神のお告げでは、犯人を追放すればテーバイの穢れは払われるのだっけ。王自らが血に染まった衣を脱ぎ捨て、荒野へ踏み出すことによって、世界の穢れは払われ、それで王も赦しが得られる、みたいな印象を、初回では抱きました。が今後また変わるかもしれない。わからない。

 改めて、古代ギリシャに於ける「神」ってどういう存在なんだろう、と、絶対的に所謂キリスト教的な「神」とは違うのがね、面白いなぁと思います。今回の「神」はなかなか、神道というか、日本古来の神のイメージが強くて、でも日本の神様って所謂宗教的な、救いをもたらすとか、民衆を導くとかっていう存在というよりは、人間世界とは別のレイヤーに存在する人知を超えた何か、みたいな、人間にはよくわからない力を持つ存在だから祀っておこう、みたいな、畏怖と厄介が混在しているような、そんな存在に感じるので、そういう観点でもしかしたらギリシャの神と近しいところがあるのかな、なんて思いました。

 オイディプスに科せられる悲劇が不条理で特に理由がなくて、ただそういう運命です、って云われるだけなのがね、古代ギリシャに於ける運命論というものもよくわからないなぁ。でも、人間の身に降りかかる悲劇なんて大抵不条理で因果関係もなかったりして、そういうものをそういうものとして受け入れる為の「運命」という言葉、概念なのだろうとも思うので、理由や因果関係のはっきりしている悲劇なんてきっとものすごく少数だと思うので、うん…不条理で意味が分からないけどそこがリアルなのかもしれない…。

 ギリシャ悲劇の楽しみ方(?)はこれから学べるといいな! 面白みを見つけられるといいな!!

*1:あらすじ程度しか知らないけど