ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

さいたまネクスト・シアター「朝のライラック」@さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO(大稽古場)(7/20昼)

 「ジハード」「第三世代」と観てきたネクストシアターの「世界最前線の演劇」シリーズの3作目、「朝のライラック」を観てきました。このシリーズは見続けることに決めているので、今後も上演が続くことを願ってやまないのです。今回は、今回も…なかなか心が塞いでしまう作品だった…。「ジハード」とはまた違う感触というか方向性で八方塞がりを味わわされた…。

 演劇教師のドゥハーと音楽教師のライラクの夫婦が住む中東の片田舎は武装組織の支配下におかれ、学校は占拠され教え子は戦闘員になり、戦闘は日々激化していく。自宅から出られない生活を送っているふたりの元を訪れたムスリムの長老は、武装組織の手下となり、美しいライラクを手に入れようとドゥハーにある選択を迫る。とても受け入れがたい選択を突き付けられた夫婦が選ぶ道とは…。

 という感じのストーリーでした。音楽教師のライラクが本当に美しくて、今時の溌剌とした女性で、肩や顔を布で隠すこともしない都会っ子*1で、日本に暮らす無宗教のわたしの目にはもう、彼女に降りかかるあらゆることが不条理でしかなくて、哀しいとか可哀想とかよりもうただただ腹立たしくなってしまった。伝統とか文化とか教義とかあるのはわかるけど、ただの女性蔑視じゃないかそれ…今そういうのにセンシティブな時代になってきているから余計その辺が、観ていてしんどかったです。思い出してもむかむかしかしないわー。でもそういう世界が、国が、地域が、今現在も実際にあって、女性たちがそういう扱いを受けたり被害に遭ったりしているのも今現在の事実で、って思うと何かもう……胸が塞ぐとしか云いようがない……。

 話の展開としてはまぁ、そうなるんだろうな、という形になるのですが、でも予想通りだったからといって落ち込まないわけではなく。彼らの選択がベターだと思えなくて苦しいのだけど、それはわたしが知る、生きる世界では、という前提のもとに成り立っているのであって、彼らの選択が最良のものになってしまう場所が彼らの生きている世界である、という事実が一番重く伸し掛かってくる…彼らに向かって、それは最良の選択ではない、他に道があるはず、とは、なかなか、云えないな、わたしは…。でも、だからといってそれを選んだ彼らの姿を美しいとは思えないというか、思いたくないというか、その辺りの落としどころが見つけられなくて余計に苦しい。個人的に一番ショックを受けたのは楽器のシーンでしたね…あれはちょっと目を背けてしまった。こんなところに地雷があったとは気づかなかった…アフタートークで、あのシーンは楽器があたかもライラク本人のように見える、と作者のガンナームさんが語っていらして、その通りだったのも…つらかった!!!!! 観たくない!!!!

 ちょっと気になったのは些末なことだけど、この状況でどうしてそれをする…?っていうのが幾度か見られてそれが気になってしまった。そこでその声出したら危ない…!とか、今それをやったら…ほーらそうなるじゃん!?とか、静かにしてないと見つかる~!!とか、そういうので勝手にハラハラしてしまった。怖いったらないよーもうちょっとこう…隠れよう…危険なんだからさ……。いや演出なんだろうけど。ちょっと…合わなかったってことだろうか…。

 アフタートークは作者のガンナーム・ガンナームさんと、翻訳を手がけた渡辺真帆さんが通訳も兼ねて。暴力や非人道的な行いの対極にあるのが芸術、そういったものに打ち勝つための抵抗手段になる、という意味で主人公を演劇や音楽の教師にした、というのはとても納得、なのだけど、対極にあって抵抗して……勝てるのかな……ってなってしまう戯曲なので……うっ。つらい。でも希望は捨てたくはない。ドゥハーの教え子の青年が、演劇の力で武装組織への抵抗への力を取り戻すような描写があるのだけど、「ジハード」を知ってしまっているわたしには、彼のその後も……あんまり明るい想像ができなくてね……元ダーイシュの戦闘員、という烙印は一度押されてしまうときっととても彼に重くのしかかると思うんだ…。

 と、アフトも沈みがちでしたが、長老役の手打隆盛さんが途中から出てきて下さって、とても場が和んでありがたかったです(笑)。ほんと、役じゃないとお若くてびっくりした。酷いおっさんだったんだもん長老…。中東の演劇シーンは今元気なのか、という質問にガンナームさんが、数多くの劇場で演劇が上演されているけれどただ笑うだけのものや、商業演劇は減った、と仰っていたのが印象的でした。

 竪山隼太さん、今回もとても繊細で良かったです。がその分しんどみも増し増しでした…彼のその後がどうなるのかとても気になる。ダーイシュの部隊長だった堀源起さんの冷たい目がとても恐ろしいのに…わたしのゴーストがカッコイイって囁くの…ダメだ…。

 つらくてももう一回観たい……ってなるものと、つらくてもう観たくないや……ってなるものの違いってどこにあるのかな、とちょっと考えているけど見つけられていない。好みの成分含有量かなぁ。ライラクもファーティマも、フムードの母親も、女性であるというだけでそんな目に遭う不条理さがただただ腹立たしい。

*1:そんなことでいろいろ問題が起きてしまうのがほんと…どうしてだよ…どうかしてるだろ…ってなってしまうのだけど