ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス-さざめく亡霊たち」展@東京都庭園美術館

 天気は良いけど風の冷たい日曜日、朝イチを狙って行ってきましたボルタンスキー展。朝イチは朝1.4くらいになってしまったけどそれほど混む前の午前中に観られて良かった。

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 ボルタンスキーは秋のVESSELの時に、豊島の「心臓音のアーカイブ」を見て…というか聴いてというか体感して、とても好きな世界観だったアーティストです。このタイミングで東京で個展が開かれるなんて行かないわけにはいかない! と、12月になったら行くことに決めていた…のだけど風邪引いたりして遅くなってしまった。あっ風邪はほぼ治りました。ところで、ほぼ治りました、と、ほぼほぼ治りました、では、どうニュアンスが変わるんだろう。良くわからないから使わないようにしている言葉、ほぼほぼ。

 じゃなくてボルタンスキー。庭園美術館自体が、旧朝香宮邸をそのまま美術館にしているというか、建物自体が美術品みたいなところなので、そこで展示ってどういうことなのか、建物は建物として、展示室として部屋を使うってことなのかなとか、どういう感じなのか想像つかないまま入口の守衛室みたいなところでチケットを買って、ラリックの硝子の扉を眺めてから中に入る。と、何か聞こえる。日本語の会話…にはなっていない、こちらに話しかけるような、誰かの独り言のような、小さな呟きが、たとえば階段を上ると、ある部屋のドアをくぐると、何かの前に立つと、聞こえてくる。その場所に立たないと明確に言葉を聴きとることはできなくて、でも聞こえないわけではなく、建物の中は意味を為さない小さな囁き声で満たされていて、そのさわさわとした音をぼんやり知覚しながら館内を見ていると、ふいに頭上や耳元から「わたしはもういない」なんて声が降る。ああ、亡霊たちがさざめいてる! 旧朝香宮邸「で」ボルタンスキー展を開催する、のではなく、旧朝香宮邸そのものが、そのままの状態のまま、ボルタンスキーの作品になっている。ボルタンスキーの作品をまるまる内包している。そういうことだったのか…とここで個展が開催される意味をとても明確に理解できた瞬間でした。楽しい…!

 亡霊に囁かれながら、美しいアールデコ様式の装飾を纏って緩やかにカーヴする階段を昇るこの…楽しい…いや楽しいとは違うのかもしれないけど、誰の声かもどういう会話の流れから出てきたのかもわからない言葉の断片を、この館でかつて営まれていた優雅な、もしくは隠微な、歴史的積み重ねの亡霊であったり、どこの誰とも知れぬ誰かの思念の欠片であったり、そんなもののように感じながら美しい建物の中を歩くのは、前にここを訪れた時の印象とはまるで違う、まったく別の場所を歩いているような体験でした。すごく不思議で面白かった…配置も構造も何も変えることなく、音だけで別の場所にしてしまうの凄い。ある意味、ボルタンスキーと旧朝香宮邸のコラボレーション作品になっているんだね…建物は前に見てるからボルタンスキー作品だけ見られればいいや、なんて思っててすみません…。

 亡霊の囁きに満たされた館内を歩き、2階へ上がると、そこに(やっと)展示が。というか、階段の上の方を昇っている時点でもう、聞こえるんですよねあの音が。何故だか時分でもよくわからないけどやたらと高揚してしまうあの音が。スピーカーで増幅された心臓音が!!(笑)しかしここは一旦抑えて、順路通りに。まずは「影の劇場」、館の美しい部屋の中に、ヨーロッパの不気味なハロウィンみたいな、ちょっとユーモラスでキモカワな影が弱い風にゆれて踊る、のを、ドアの小さな窓から覗き見る。首吊り男、悪魔、天使?、子供の見る悪夢みたいな影たちは可愛らしいけど可愛い分何だか凄惨な印象も受けてしまうし、寂寥感も。小窓から吹き付けるひんやりとした風がやけに記憶に残っています。

 そしていよいよ心臓音。豊島のハートルームとはまた少し雰囲気の違う、書斎に隣接した書庫部屋なのかな? 小さな、少し奥に深い細長い部屋に、赤い電球がひとつ明滅していました。入口が開け放たれたままなので、完全な闇に電球が小さな光を震わせるハートルームほどの暗さや密閉感はないけれど、なのであの部屋で感じるほどの異世界感はなくて、もう少しカジュアル(笑)な雰囲気なのだけど、それでもあの音は何だかたまらないのでした…。今回の心臓音は、豊島のアーカイヴからボルタンスキー氏が選んだ10名分と、ボルタンスキー氏本人のもの、あと庭園美術館の職員の方のものの計12名分が流されているとのことでした。なかなか個性豊かな音だった! ひとつ、とてもクリアで規則正しくて力強い美しい心臓音があって、思わず周回してしまった…美心音だった…心臓音に惚れるというのもありかもしれない…。ちなみにわたしのは確実に含まれていなかった。部屋は8名定員だそうで、日曜だしそれなりの出入りもあってざわざわしていたけど*1、部屋の奥の方で入り口を背にしていると気にならない没頭感でした。椅子があったら長居したいんだけど、ここも豊島もないんだよね(笑)。つまりそういう意図はない、と。

 後でもう一回来よう、と思いつつ順路を先に進めます。新館*2に移動して、「まなざし」「アニミタス/ささやきの森」を。「まなざし」は部屋の中に、薄い生地に人の両目がプリントされた巨大なカーテンのような布が迷路のようにつり下げられていて、合間に電球がぽつぽつと灯る作品。真ん中には高く積み上げられた古着を金色のエマージェンシーシートで覆った山みたいなオブジェが鎮座していました。作品の合間を、どこの誰とも知れない無数の巨大な視線に晒されながら歩くのは、ちょっと居心地が悪い感じもする…(笑)。でも圧迫感はなくて、生地が薄く透けるのと、弱い風が部屋の中を吹き渡るので、不思議な抜け感がありました。風が吹いてるんだなぁボルタンスキーの作品って。幾重にも重なった透けるまなざしの向こうで、うっすら電球が光っていたりするのも素敵だった。新館の作品は写真撮影OKとのことで、でもなかなか上手く撮れないものですねー。撮ってみました、程度のものしかなかった…。

 

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 「アニミタス」と「ささやきの森」は映像インスタレーションで、チリの砂漠のどこかに設置した無数の風鈴が風に鳴る作品「アニミタス(小さな魂)」の映像を使ったものと、豊島に今年新しく設置された森の中で無数の風鈴が鳴る「ささやきの森」の映像を使った作品の、呼応する2作品が表裏に展示されているものでした。これはベンチがあったので、座って鑑賞できました。乾いた風のざわめきに風鈴が鳴く「アニミタス」、蝉の声と葉擦れの音に包まれる中を風鈴の澄んだ音が涼しげな「ささやきの森」、どっちもぼんやり長居したくなってしまう…そして夏の瀬戸内が恋しくてたまらなくなってしまう…。次はささやきの森にも行こう、そんで大切なひとの名前を残して来よう、次がいつかはわからないけど、なんて思いつつ。

 お昼近かったので、美術館のカフェで軽くご飯を。ケーキも可愛くて美味しそうだったなぁでもそんなには食べられないからなぁあと家に甘味あったからなぁ今回はスルーで。期間限定メニューとかで、可愛いオーナメントのおまけが付いてきました。今はえば子さんに付いてるよ。

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 一休みして、もう一度心臓音を一周して、ボルタンスキー氏のインタビュー映像を20分くらい見て(とても興味深く面白かった!これです

 


Boltanski interview


、次の予定もあったのでお昼過ぎに庭園美術館を出ました。庭園は半分くらい整備中だったからあんまり見なかったけど、ご家族連れが遊んでいたり長閑な日曜のお昼時でした。日が高くなるとあったかくもなったしね。

 そういえば同時開催になっていた「アールデコの花弁」、というのはどれのことだったんだろう…ボルタンスキーで頭もお腹もいっぱいになって満足して帰ってしまった。

 インタビューの中にあった、「たとえその場所に行くことができなくてもいい、そこにそれがあることを知ってさえいれば、いつかそこに行くことができると思えるから」というボルタンスキー氏の言葉がとても印象的でした。ちょっと、星の王子さまを思い出したりして。そこに置いたものが朽ちても、そこに思いを残した事実だけは伝わって、その場所が「祈りの場所」として残っていく、巡礼のように人が訪れる、そういう場所を作りたい、とも。なるほどなぁ、と深く頷くと共に、瀬戸内巡礼したいなぁ、とまた望郷の念(?)にかられるのでした…だってわたしの半分あの島々に置いてきちゃってるから!

*1:豊島では物音立てないような気遣いが自然とあったけど今回はそうではなかったなぁ

*2:があったんだねー