ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「Judas, Christ with Soy」@横浜赤レンガ倉庫ホール(1/6)

 3日公演の最終日、行ってきました。相変わらず風邪がアレでぼんやりどんより気味でしたが、赤レンガ倉庫に近づくにつれてヘリコプターがぶんぶん低空で旋回しまくっていて、何かあったのか何なのかと思いながら到着すると、赤レンガ倉庫すぐそばの海上で、横浜消防がヘリでの航空救難訓練をやっていました。わーラッキー! ヘリ好きにはたまらんやつでした。ついつい見ちゃうし近づいちゃうし、「強風で物が飛ばされたり、波しぶきがかかることがありますのでご注意ください」のアナウンスに『よっしゃダウンウォッシュばっちこーい!!』なんてテンションにもなるってものです。旋回してアプローチ、ホバリングからの浮き輪投入で要救助者マーキング、いったん離脱して再アプローチからの今度は降下救助、の一連を間近で見られました。楽しかった…かっこよかった…続けて船上救助もして、最後にパレードっぽく一周して手振ってくれて、終わりまで見てしまった。とても良いものを見られました! おかげでビルズのパンケーキとレモネードを10分でかき込む羽目になったけど後悔はない。
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 そんな、ちょっといいものを見てからの「Judas,~」千秋楽、あっという間だなぁ。初日はほぼセンターから観たので、今日は上手寄り、蓮沼さんも良く見える辺りに座りました。良い位置だった。蓮沼さんがブースにスタンバイされて、やっぱり可愛らしい、でも初日よりわざとらしい硬さが薄まった(笑)影ナレに続き、照明が落ちて足音と気配が舞台上に現れ、そしてじわり、と明かりが灯り出すと共に、重なってひとり分に見えるシルエットが浮かび上がって始まりました。

 2回目にして楽のJudas,~は、初日に比べてものすごく、何というか、胸苦しさが増したというか…初日に薄まって感じた渇望感や希求感、求めても得られないものへそれでも手を伸ばす感じ、が、今日はとても、苦しいほどにぶち当たってきて…何が違うのか、何か違うのか、どう変わったのか変わってるのか、相変わらずわからないんだけど、今日のはとてもそう感じました。エラさんが無邪気で奔放で人ではない無邪気さ(故に残酷)、みたいに見えたのも良かった…人ならざるものの気まぐれに翻弄されてもがき苦しむ人、という対比に見えました。好きな見方(笑)。

 そう、相手は人じゃないかもしれない、ディスコミュニケーションが言葉や文化の違いだけとは限らない。ヘブライ語と日本語、っていうのはその一面で象徴的な部分ではあるけど、もっと根本的な精神構造の基盤の違いかもしれないし、その土地に住む遺伝子レベルで伝承される何かが違うかもしれないし、ユダとキリストというふたりならばそもそも、人間と「神の子」の間の決してわかり合えない何かがあるはず。彼の意図は理解できず、自分の思いは彼に伝わらない。注ごうとしたワインは避けられ、注いだそれは打ち捨てられる。それでも、重なる歌声は美しいハーモニーとなってすれ違うふたりから流れ出す…のがむしろつらい、ような。そういえば、エラさんの側のセリフは何を云っているのか、いつか明かされる時が来るのだろうか。来ないか(笑)。一ヶ所だけ、居座り/イスラエリッツ*1・やっぱり/ヤパーニ、だけ聞こえる…から何か、イスラエルと日本の何かについて語っている…つまり未來さんのテキストとはあまり関係ないんだろうね。全然違う内容なんだろうなぁ、何なのかなぁ。リーフレットで未來さんが書いてた、エラさんのヘブライ語のテキストでイスラエルの観客が笑った、っていうのはここなんだろうか。面白いこと云ってるんだろうか…日本語まったくわからないヘブライ語のわかる人から観たら、いったいこの作品はどう見えているのか、知る術もないけれどとても気になる…そこにもディスコミュニケーションの壁が。

 蓮沼さんの音楽、というか音は、最初の方は透明な水槽を満たす水の中に、いろんな色のインクを一滴ずつ落として、それがふわりと不思議な模様を描きながら広がり、また落とされた別の色のインクの広がりと重なり合い混ざり合い溶けて消えていく、みたいなイメージだったけど、進むにつれて音を拾い上げるような、真っ暗闇の中にキラキラ光る粒みたいな、石みたいな真珠みたいな音が落ちていて、この音はここにあったのか、って拾っていくイメージに変わっていったのが面白かったです。本牧公演時、途中に波の音が入って(エラさんも波の音出してた)蛇腹の紙が青く照らし出されるところで、とても「海」「港町」「横浜」を感じたのだけど、今回の方が海も港も近いTHE・ヨコハマ!な場所なのにあまり感じなかったのは何故だろう。何なら海を眺めつつ潮風に吹かれながら来たのに…*2

 そういえば、蓮沼さんばっちり観察席だったのでけっこう演奏の様子を観られたのですが、やっぱり心臓音は音源でした。あのめっちゃ良い音の心臓音気になる…(笑)。途中で登場する、派手な色のホース状の物をぶん回すとフュンフュン音が鳴るやつ、もしっかり観られました。ああいう、演奏の気配とか、音を出す時の音とか、鍵盤を叩く微かなカタカタする音、ばん!と強くペダルを踏み込んだ時の振動、次の楽器を準備する物音、そういうものもひとつの作品中の音や空気となって、それらを含む全体が作品になっていく、そういう感じがとても…何て云うのかな、心地よい、気がしました。

 そうそう、蓮沼さんを観ていて思い出したのだけど、ふたり並んで背中を向けて、両手を頭上高く伸ばして指先をくっつけて、蓮沼さんが振ると鳴るポーンって綺麗な音に合わせて両手の指をぱっと離すの、SALでもやっていて、3日目かな? 両手を離すキッカケをエラさんがOにした口で小さくぽっ、と音を出していて、その微かなぽっ、という音に合わせてふたりの両手がぱっとほどけるのが、蓮の花が咲くみたいだな、と思ったのでした。っていうSAL思い出話。

 今日も、階段に足をかけて頭で倒立して左右に少し回転するところの後にお団子がほどけて、くるくるのパーマ髪が顔にかかっていたの、本人はうっとうしいかもしれないけど観てる側からするととても良いです。作品にどうこう、とは全く関係ないけどわたしは喜ぶところだ(笑)。襟足の下段はそのままだからちょっと面白い感じになっているのもまた。でもあの辺、音楽はぐわあっと盛り上がってくるしそうなるとこっちのテンションも上がるし階段下からよじ登ってワイングラスに手を伸ばして届かなくてぼとりと落ちる未來さんに胸は苦しくなるし心臓音は鳴り響くし蓮沼さんも見なくちゃだしほんと足りない。目がじゃなくてわたしが足りない。分身して担当決めて観たい。そんで後から同期してデータ統合したい。その盛り上がりのクライマックスから、終わる直前にふっ…と音が引いて、そこからラストへ雪崩れ込むようにぶわぁっともう一度音が空間を満たしていくの、本当に息が出来なくなる。満たされた音が徐々に減衰していく中で、だんだん暗くなる照明に照らされながら、合わせた両手がゆっくりと降りていき、手のひらが離れ、その頃にはふたりの後ろ姿は輪郭しか見えないくらいのシルエットになっていて、張り詰めた静寂を弛ますことない緊張を保ちながら、指先が少し名残惜しそうに絡んで留まり、やがてそれも離れ、暗転。というラストの一連の美しさといったら。ぎりっぎりまで張られた細くて硬質な透明の糸が、暗転と共に一気に弛む感覚、本当に何ものにも代え難い瞬間です。あれを味わいたくて観ているのかもしれない、この「Judas,~」という作品を。

 明かりが点いて、並んでお辞儀するふたりがとても柔らかい良いお顔をされていたのが印象的です。蓮沼さんを舞台に呼び上げる時、蓮沼さんが小さくガッツポーズ…というか何というか、をしたら、それを笑顔の未來さんが真似してて可愛かった! カテコで蓮沼さんがちょっと引いてふたりに拍手、しようとしたら引かせないで一緒に拍手される側にいさせてるのも可愛かった…蓮沼さん、すぐちょっと引いちゃう素振りをされるけど、どうぞ賞賛受ける側にいて下さい(笑)。あと、蓮沼さんがハケる時スキップ未満の小さなステップだったのも可愛かったです。マフラー巻いてて暑くないのかな…。

 と、蓮沼さんで終わってしまった赤レンガ倉庫Judasですが、今後もきっと、何かのタイミングで、誰かを取り込んで、どこかの場所で、その時と場所に呼応した形で、演じられ続けていくんじゃないかなーと思います。きっとこれはそういう作品。その時の未來さんが、エラさんが、舞台上に創り出す世界が、わたしにどう見えるか、次のいつかの機会を楽しみにしております。…観られる場所だったら、ね! その時はどうか万全のコンディションで心身ともに元気に受け止められますように…健康第一マジで。

*1:的な

*2:桜木町から汽車道歩いてきた