ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「100,000年後の安全」@渋谷UPLINK(5/19)

 日記に書きそびれていますが、先日…っつっても4月中ば頃かな、大友良英さんと山川冬樹さん目当てに「We don't care about music anyway」というドキュメンタリー映画を観に行きまして、その時に予告編を見て「何これなんか面白そう…」と思ったり、お奨めして頂いたり、などなどで気になっていた1本。こんな時期だしね…観ておいた方がいい、むしろ観るべきだと思っていたのですが遅くなりました。観てきました。
映画『100,000年後の安全』公式サイト

 フィンランドの地下深くに建設されている、放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ」の内部をカメラが捉えたドキュメンタリー映画です。10万年は、廃棄物に含まれる放射性物質半減期。廃棄物が無害になるまでにかかる10万年という期間、確実に放射能を外部に漏らすことなく、封印して誰も近寄らせないように建設している施設。映画は、10万年後もしくはもっと早い時期の、未来の人間に向けて、この施設には近づいてはいけないというメッセージを伝えるような形で作られています。
 正直、予告編でのイメージは、やたら…映像がスタイリッシュというか、建造物好きだとちょっとざわざわしてしまう純白の長い長い廊下とか、巨大クレーンとか、地下500メートルまでの掘削作業とか、何かもうかっこいいじゃないこれ…という印象で。カッコイイ映像に見えてしまったのです。それをちょっと期待してしまったのです。そこは期待外れには、ならなかったのだけれども、うん、やっぱり…テーマがテーマなだけにね…何だか、とても虚しい気持ちになりました。
 だって10万年だよ? 1000年はおろか、100年後の世界がどうなってるかさえ全くわからないのに、10万年って。今から10万年前は旧石器時代とかで、その頃から残っているものなんて石器しかないのよ石器。ほんの1000年前に書かれた文字を、今すらすらと読みこなせる人はどのくらいいる? 今現在の建築やその他いろんな技術がいくら発達しても、10万年に耐えうる施設とか、やっぱりちょっと…ナンセンスに思えてしまう。本気かよ、と。10万年後、地球あんの?とかね。でも、本気なのね。本気でそんなナンセンスなことを、国を挙げてやらざるを得ないのね。つまり、原発ってそういうナンセンスで途方もない、冗談みたいなことを真剣に考えなければならないくらい、ナンセンスなモノなのだな、と。何やってんだろうね一体…。10万年後に対して責任取れる人間なんてどこにもいないのにね…。
 フィンランド政府の原子力関係の人*1と、オンカロを運営する会社の人に、映画の製作者が投げかけた質問がとても印象的だった。「10万年後の人間を信頼できますか」と。できる、と答えたのは会社の人。政府の人は、答えようとして口ごもり、すごく困った顔で、「それは、答えられない」と。すごく率直な答えだと思った。信じたい、でもわからない、そんなところじゃないかしら。
 福島がああなって、他にも色々問題を抱えているのが明るみに出てきている今、改めて、やっぱり人間は手を出してはいけないものってあるんじゃないかという思いが強まる。少なくとも現代の科学は、原子力を自在に扱うレベルには達してない。三輪車も乗れない子供にバイクをあてがうようなものじゃないかと思います。でも、できてしまったものは仕方がない。少なくとも、フィンランドは、核燃料の再利用だリサイクルだということは「絶対にやらない」と断言していたし、今ある/今後出てくるであろう核廃棄物の行き先を決めている。その覚悟はどんなにナンセンスに見えても評価すべきだろうし、必要な覚悟なのだと思う。
 でも10万年。10万年間、オンカロの危険性をどうやって伝え続けていくのか。途方もない伝言ゲームみたい。伝言ゲームは得てして途中で意味が変わっていく、ものよね…。
 邦題「100,000年後の安全」もインパクトあるけど、原題の「Into Eternity」も恒久性というテーマに沿っていてそっちの方がわたしはぴったり来るな。ラストけっこう衝撃的でした。
 そして予告編で流れた「六ヶ所村ラプソディ」に虚しさ倍増。日本、ほんと、ダメだ。

*1:すいません肩書きとか覚えてない