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ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「THE DIVER 日本バージョン」@東京芸術劇場(夜)

北村有起哉 舞台

 観てきました。おかげさまで頭が重いです。頭というか全身が…気圧が1より大きくなってる、5くらいになってる感じ…ああそうか、潜ってるからか…*1。精神という海の底へ、深く深く潜っていく芝居に、まんまと引きずられてしまった。重いよう苦しいよう。
 放火殺人の罪で逮捕された山中ユミ、拘置期限までに彼女を起訴したい警部と検察官、事件当時の彼女に責任能力があったことを証明する為に呼ばれた精神科医。精神鑑定の為の対話を繰り返す医者と女、しかし女の「人格」はめまぐるしく変化する。志度の浦の海女、源氏物語の女たち、そして源氏本人。源氏と女たちの口を借りて、徐々に明らかになる事件の全貌と背景、拘置期限の最後に精神科医が下した結論とは…。
 …と、ざっくざくなざっくり感のあらすじはそういう感じですが、これを4人という最小限の役者が、シンプルな舞台装置で、濃密に演じていくのです。小道具もほとんどなく、布とか、袋とか、抽象的なものの「見立て」でどんどん成立させていく。特に扇が万能でした、ピザにはびっくりしました(笑)。ちゃんと見えるのがすごい、面白い。
 上手袖に能の囃子方がいて、生演奏*2で音を出すのですが、囃子だけではなくスタンダードな洋楽も一緒に使っているのが新鮮でした。聖性と俗性、とか、精神性と即物性とか、高尚さと下卑とか、何かそういう対比…いや対比じゃないな、混在してるんだ。分けて切り離すことができない渾然一体とした…そういう感じを、作品全体からも、大竹さん演じる女(たち)からも、何となく受けて、音楽というか音がその最たるものというか、もっとも象徴的だったような気がする。まぁ気のせいですが。
 ストーリーの中核を為し、六条御息所−源氏−葵の上、の関係性を重ねられている事件は、ある現実に起こった事件が下敷きにされている。のだけど、「下敷きに」なんて言葉では収まらないくらいに、そのまんま…公表されている言葉の一言一句まで同じ、くらいの勢いで取り込まれているので、何というか、その辺の生々しさが余計に…重くなってしまうのね。頭が。もちろん、事件と作品は分けて認識すべきなんだけど、あまりにも近くて…いや、近いって知ったのも観た後だから、それこそ余計な重さなんだけど…どうにも。今は非常にキッツいです。
 ああ、キツいだけじゃなくて、オモシロいところもたくさんあったんですよー。そして有起哉さんはすっごく…素敵だったんですよー。検察官のクールな感じも、悪いけどどうしても憎めない男も、どっちもたまらなく素敵でした…オールバックヒゲスーツ、かっこいいんだ! 源氏のゆっきは品が良くてすっとぼけててどーしよーもない、でも愛しい男なんだ…。大竹さんいっけいさん野田さんはもう、さすがとしか。盤石で鉄板、そして自由自在。大竹さん、錯乱状態の次の瞬間にお姫様になってて、息一つ乱さずにおっとりゆったり喋るの…どうなってるんだ一体…。
 以下、力一杯ネタバレるので畳んでおきます。全く整理できていません。
 
 
 
 結局、精神科医は山中ユミの責任能力を認め、彼女は死刑に処されるのだけれど、医者が下した判断は、その答えを出すことが自分に求められていたから、でもあって。その意識の底深くへ身を沈めた時点で、きっと、医者もその海に取り込まれてしまっていたのかもしれない、と、だから客観的に彼女を「診断」するのは彼にはすでに無理なことだったのかもしれない、と、ラストシーンで彼女と共に、赤い紐*3で繋がれて海の底へ沈んでいく彼を観ながら思いました。彼女の内側に一緒に沈んだ時、手足を丸めて漂う彼は、臍の緒で繋がれた彼女の子になっていた。赤い紐=臍の緒を断ち切られ、ひとり浮上して生還した彼の声は、生まれることの出来なかった彼女の子供の産声でもあったのだ、と…自分が死ぬことによって我が子を世に出す、「海人」から始まった物語は「源氏物語」を経て「海人」へ立ち戻った、そんな終わり方でした。
 あ、紙袋の向こうというか奥というかにゆっきが消えていくのがすごかった! 紙袋の影に迫りがあったのね…わかると、だよねぇってなるんだけど(笑)、一瞬すごいびっくりしたよアレ。紙袋の中にすーっ…と消えていくんだもの(笑)。

*1:上手いこと云わなくていい

*2:って云うか

*3:ある時は血であり、ある時は堕胎した胎児だった