ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「暴力の歴史」@東京芸術劇場プレイハウス(10/24夜)

 先日のラファエル・ボワテルに続いて、何か気になるから無理やりねじ込んだシリーズ。「何か気になる」程度のアレで行くもんじゃなかったけど、何か気になって行って良かった…。フランスの若手作家エドゥアール・ルイの私小説をドイツの演出家と劇場が舞台化したものの日本公演です。字幕で観る演劇ってあんまり経験ないので(バレエとかは観たけど)どんな感じかなー字幕ばっかり追ってしまわないかなーとちょっと心配だったけど、全然問題なかったです。ぎっちぎちに集中してしまった。

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 とにかく、すごいものを目撃してしまった、という衝撃が物凄くて、ちょっと…塞いでしまう。話には聞いていたし、警告的なものも目にしていたので、心構えは充分できていたし、大丈夫だろうと思っていたんだけど、思ってた以上に衝撃が大きくて、メンタルサンドバッグにされてしまった……つらい。けど後悔は一切ない。心の底から、観て良かったです。終演後の物販で、読めもしないのにドイツ語のパンフ買ってしまうくらい良かったです。パンフ、小さくて500円で赤くて可愛い。読みたいなぁ何が書いてあるのか気になる。

 あらすじはリンク先とかに。ちょっと書き起こす気力がないので。あらゆる種類の暴力と差別が多重構造に透けて見えて、とても胸が苦しくなるミルフィーユだった。合間に挟み込まれるユーモアにも笑う気が起きないくらい打ちのめされる。えっよくここで笑うな?!って思ってしまうくらいしんどかったです。「私」であるエドゥアールがキュートで、それがまた苦しいんだ…。レダもちょっと目を奪われる魅力で、だからああなるまではすごくチャームに溢れたシーンだったから、よけいに…どうしてああなってしまったんだ…。またそこを全くオブラートに包むようなことなく、そのままがっつり見せてくれるから、これは確かに…警告必要…当事者じゃなくても相当しんどいです。息ができなくなるね。

 時系列が軽くシャッフルされている構成で、「私」である主人公始め登場人物が、スタンドマイクだったりハンドマイクだったりで語りながら進んでいくのが、ちょっとライブっぽさもあって面白かった。あとスマホのカメラを使ったライブ映像が後ろの白い壁に映し出されるんだけど、すごく上手い使い方でカッコ良かった。壁から盗み見ている人のアップとか、ベッドに転がったふたりの幸せそうなアップとか、そういうのが背景的にリアルタイムで映し出されて、オープンなセットですごく効果的でした。巧いな~!! あと音楽も、舞台上にドラムセットを中心にミュージシャンのブースがあって、そこでひとりで生音を出していたのもライブ感あって良かったです。照明も綺麗だったな、四角く光る蛍光灯がひんやりしていて。途中に挟まる謎のダンス?がほんとに謎で、そこはちょっと良くわからなかったんだけど(笑)、何だったんだろう。特にかっこいいとかそういう感じでもなく…いやいいんだけど。不思議な時間が流れていた…。

 直接的な暴力はもちろんだけど、そこから連鎖的に起きていくセカンドレイプ的なものたちに、暗澹たる気持ちになるばかりで。冒頭に「私」の語りで描かれる、事件後の部屋での彼の行動がもう、その時点で本当に痛ましくてしんどいんだけど、後半に再現される暴行シーンを目にして改めてそれを思い出すと本当に…胸がつぶれる思いがする…。ラスト近くに「私」が語った、電車の中で濃い色の瞳が自分を見ているのに気づく恐怖、がやたら刺さって、怖くて悲しくて悔しくて泣けてしまった。何だろう、とても悔しい。

 どうでもいいんだけど、北フランスの田舎出身の主人公がパリで暮らしている、という設定をドイツ語で演じられてそれを日本語字幕で観る、という状況にちょっと混乱して、主人公はドイツ人でパリの大学に通ってるのかな??とか最初思ってしまったけどそうじゃありませんでした。ちょっといろいろこんがらがった(笑)。

 カテコで全員笑顔になるのにめちゃくちゃ救われた。どうか、この先のエドゥアールの人生が良きものに満ちていますように、と祈りながら拍手したよ……。

 

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natalie.mu

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