ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

エラ・ホチルド「Futuristic Space」@横浜赤レンガ倉庫3Fホール(2/1夜)

 薬飲んで吐いたり胃が空になると吐き気がしたり何だかイマイチな具合なので行きたいけど横浜遠い…とちょっと消極的になりかかっていましたが、ちょうど金曜日辺りから元気になってきたので、少し頑張って行ってきました。やっぱり観たかったんだもの…あと何だか気になる舞台セット写真も観てしまったんだもの…。

 チケットをもぎってもらった先の、細いレンガ造りの廊下からすでに世界観が始まっていて、低い位置に点々と吊り下げられた電球がオレンジ色の光を放ち、仄暗い廊下の先へと誘うような演出で、「この廊下を抜けた先はきっと別世界」感モリモリで…この時点でがんばって来た甲斐があったと思いました。もう好き(笑)。もったいなかったのは、割と急ぎ足で入ってしまったこと…ほら自由席だしさ…あとぞろぞろ感もね、仕方ないのだけど。ひとりでぽつぽつと歩いて入ってみたかった…没入感すごくなりそう。まぁ、廊下を抜けた先はホワイエでそこはいつも通りなんですけどね(笑)。そのまま会場内だったらほんと凄かったな…。

 

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 会場内は四角いアクティングエリアが一段高く設えてあり、客席は接する2辺に組まれてありました。段差がしっかりついていて観やすかった。そしてアクティングエリアの上、というか上空に、半透明の薄い膜のような布のようなものが、おそらく下から噴き上げられているエアーによって、不定形に形を変えながら浮いていました。ふわりと大きく膨らんだり、2ヶ所別々に風を孕んだり、ふぅ…っと息をつくようにしぼんで落ちてきそうになったり、またふわりと膨らんだり、まるで生きているように、そしてそれ自体が形を定まらせない生物のように、蠢いている、巨大な膜がとても不思議な存在で、開演まで少し時間があったけどその間ずーっと眺めていられました。不思議な存在だった…しかも上演中も常に頭上で蠢き続けて、ずっと世界を覆っているようだった…。

 やがて客電が落ちて、暗闇の中に最後まで膜の白い影が揺らめき、その残像が消える頃にステージ上には、それぞれデザインの違う黒い衣装のダンサーたちが立っていたのでした。うちひとりは背中にギターのようなリュートのような12弦の楽器を背負っていて、彼ともうひとりの女性が外国人、他の4人が日本人、という割合のカンパニーでした。これ、割合が違ったり、もしくは全員違う国籍だったりしたらどうなるんだろう。違ったものが見えてくる気がする。

 全員での静かな、密集した群舞から、ミュージシャンの彼がひとり、異国の言葉で何かを語り始めるけど、英語でもないその言葉の意味はわたしには理解できない。やがて彼はひとり群れを離れ、哀愁を帯びたどこか物悲しいメロディを奏で、ダンサーたちはまとまったりばらけたりしながら、集団そのものが決まった形を持たないひとつの生き物のように分裂と結合を繰り返し、その頭上ではやはり形の定まっていない透ける膜が、何か大きな生き物の呼吸器のように膨れ上がり萎み、揺れながら全てに薄い影を落とす。

 「ポストアポカリプスの世界で生き残った人々」を描く、というテーマを先に知っていたので、荒涼とした印象は先入観も込みでとても抱いたのだけど、それを忘れていても伝わる、滅亡の先にある、もしくは絶望の先にある未来の風景のひとつ、を眼前に観た、そんな気がします。美しくて物悲しくて、絶望的で、それでも絶対的に「生きて」いる。けど、生きる為にひとびとが取る選択は時にとても残酷で、排他的で。世界が滅亡した先は、バベルの塔が破壊された後のようで、でもばらばらになって生きることはもう不可能な状況で。文化も言語も価値観も身体的特徴も違う、わずかに残ったひとびとが、どう生き抜くのか、どう生きようとするのか、その選択を、彼らの頭上で揺らめく膜が覆いかぶさるように、時には包み込むように、不穏に、優しく、見守る。巨大な生物の息遣いにも見えるし、この世界に滅亡をもたらした「厄災」そのものにも見えるし、それがあるおかげで彼らが生き残っているようにも見える、とても不可思議で理解不能な、超越的存在感を放っている膜だった。

 圧巻だったのは、途中でダンサーたちが大きな薄くて伸縮性のある黒(か焦げ茶色)の布の中に取り込まれ、その中の高い位置から湯浅永麻さんが顔を覗かせ、そのまま動く場面。全身黒い布に包まれた巨大な聖母のようだったし、黒い布から顔だけを覗かせる姿は直截的に過ぎるけどどうしてもヒジャブを思い出すし、伸びる布の裾を長く引いて、ぬるりと滑るように動くのは異形の、もしくは地球外の女王のようである種の神々しさも感じた。ミュージシャンの彼が、それに対峙してユーフォニウム(多分)を吹き鳴らし、それに合わせて奇妙に踊るのは、ダリの「聖アントニウスの誘惑」を思い出したりもした。何となく、宇宙象みを感じたんだ…何となく。何か、分断や不理解をあるひとつの形で超越してみた「なれの果て」、にも見えた。それが成功なのかどうかは、その裾から次々とひとびとが打ち捨てられるように転がりはみ出て、女王の姿はどんどん小さくなる、のが答えなのかな、とか…。でも、異形で奇妙だったけど何故だかとても心惹かれる姿だったんだ。

 再び「個」に戻ったひとびとはまた集合と分散を繰り返すけれど、今度はダンサーで唯一の外国人女性を突然激しく攻撃し始める。彼女が倒れて動かなくなると、まるで彼女なんかいなかったかのように、日本語で、とてもたわいのない話*1を始める4人。ステージの手前側には、目を開けたまま、微動だにせず転がる彼女がいるのに。この、明らか過ぎる無関心と無視と分断に内臓の奥がひやっとしてとても苦しくなった…ある種の恐怖を覚えたのだけど、これを恐怖を伴い観るということはつまり、自分のどこかにこの光景に対する後ろめたさとか、罪悪感とか、この光景に対する釈明できないものがあるからではないか、と…思えてしまって、苦しかったです。

 が、救いのように見えたのは、雑談の中からふいに永麻さんがひとり、倒れている彼女の方を振り向き、雑談の輪を抜けてふらり、と足を踏み出したラスト。その、とても痛ましそうで、哀しみに満ちた表情が忘れられない。見知らぬ他者の痛みを知る、それに心を寄せる、ことが、絶望的な状況のその先への、何かの一歩に繋がる、とか、何かぬるいところに着地してしまったような気もするけれど、でも大事なことでつい目を逸らしがちなことでもあるので…どうなんだろう。でも少なくともわたしは、永麻さんのそれで、ちょっとだけ救われたというか、ひとつの光明が見えた気がしたというか、なので。

 あと内容とは関係ないけれど、女性陣の衣装がとても素敵でした。永麻さんの黒い、肩のところがパフっぽくふわっとしたオールインワンも、もうひとりの女性が来ていたウエストにちょっとだけ赤が入った黒いワンピースも可愛かったなー。カテコに出てきたエラさんの服装もおしゃれだった! シンプルな黒の上下に靴だけキラッとしていてかっこよかった…。

 終演後にセットの写真撮影可能だったので、膜をいっぱい撮りました。でもあの不可思議な生物的な無機質な気持ち悪くて不安感煽られるけどどうしても目が離せない存在感、は写らないんだ…。

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 クラゲの写真撮るのヘタクソ選手権みたいになっている。

yokohama-dance-collection.jp

natalie.mu

*1:日替わりなんだろうな。わたしが観た回では美味しい中華料理とかラーメンの話をしていた。そして永麻さんが云っていたレモンラーメンとやらがとても美味しそうだった…