ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

暗闇の中で「耳をつくる」山川冬樹ワークショップ@タタミスタジオ蕨(9/22)

 暗闇演劇の翌日はこちらのワークショップに参加してきました。2日続けて暗闇絡みなのはもちろん偶然なんだけど、アンテナの方向がそっちに向いていたのかな…9月後半は暗闇時期だったのかな…。暗闇に興味が向いていても別にメンタルとかは安定しているので大丈夫です(笑)*1

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 ライブは何度か行ってるし何かあればできる限り行きたいと思っている山川冬樹さんが、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の日本開催にも関わった『暗闇プロデューサー』たむらひろしさんと共にオーガナイズされるという暗闇のWSですが、正直わたしこういう…いわゆるワークショップというものに参加するのも初めてだしわりと苦手というか、申し込むのに相当がんばりが必要だったというか(笑)。ダンスのWS!とか、いいなぁ~って眺めてはいるけどまず無理だし(笑)、今回も何をするのかわたしが行って大丈夫なのかわからなくてなかなか…敷居高いね…観に行くのならホイホイ行くんだけどやる側にはなかなかなれないのね…でもがんばった…。

 長くなっちゃったので畳みます。

 

 夕方からの開催だったので、薄暗くなり始めた住宅街をグーグルマップ頼りにてくてく歩いて、ほんとにこんなところにスタジオが…?と思い始めた頃に見つかった四角い箱みたいな建物の2階が全面縁なし畳敷きの広いスタジオになっていて、入口でまず受付とお支払をすると、その時に耳栓を渡されました。荷物をクローゼットみたいな収納に片付けて身軽になって、WS開始までは各自好きなように…スタジオの広さとか構造とかを覚えておくタイム、と(笑)。縦横は畳何枚分とか、柱は何本あるとか、覚えておこうとしたけど、あんまり…役に立つほどしっかり把握はできなかったな…。最初に渡された耳栓は先に付けておいてとのことだったので、耳栓も装着して、30分弱くらい部屋の中をぶらぶらぐるぐるさわさわしていました。これからここが完全な暗闇になるんだなー、なんて思いながら、壁際の柱と窓の位置関係とか、畳と板張りの境目とか、畳の目の縦横とかに触れていたけど、何となく…こっちにこれがある、くらいのぼんやりさで。空間把握能力とかそれを身体的感覚に落とし込むとか、もう見るからに不得手なのわかってる!!

 ふらふらぐるぐるしている間に参加者が三々五々集まって、それぞれ耳栓をした状態で畳の部屋を歩き回り、やがて山川さんとたむらさんを中心に車座になってWS開始です。開始前に外からの光が漏れ入りそうなドアの隙間とかは、暗幕とガムテープですべて塞いで準備。全部(山川さんたむらさん含め)で14~15人くらいだったかな。男性の参加者は2名、あとは女性でした。軽く自己紹介というか名前を名乗って(耳栓してるから聞こえにくい)、今日の流れの説明と注意事項、暗闇の中での動作の注意点や明るい場所へ戻る時の注意などのレクチャーを受けました。完全な暗闇の中ではとにかくゆっくり動く、立ち上がる時も座る時も出来る限りのゆっくりさで、周囲に何もないことを確認しながら、歩く時は両手を軽く前に出して手の甲を前に、手のひらを自分側に向け指はやわらかく丸める、とか。あ、歩くのか…って思った(笑)。あとエアコンのLEDが明るいのでエアコン切るから脱ぎ着で調節してね、とか。明るい場所ではほとんど見えないような光なのに、めちゃくちゃ明るいんですって。なるほど。

 諸注意の後はいよいよ、約1時間の暗闇への旅スタートです。好きなところに仰向けに寝そべって、明るい天井を眺めていると、だんだん、少しずつ照明が落とされていき、時間をかけてゆっくりと、完全な闇の中へ。エアコンのLEDが確かに眩しかった(笑)。それも消えて、目を開けても閉じても変わらない暗闇に包まれました。しばらく仰向けに寝転んだまま、闇に目を凝らしてみたり顔の前に手を出してみたりしてみたけどうん、なにもみえない。気配もあんまり感じない(笑)。顔の前で手を動かすと、風が起きて感じるくらい。前日も暗闇演劇の客席で同じことをしていたんだけど、椅子に座っている状態で動かないのと、仰臥とではまたずいぶん、何というか…闇に包まれている感が違うんだな…。でも何だかリラックスできる闇でした。そして耳栓もしているからすっごく…内側に閉じこもっている感がした…自閉的というか…いつも若干なさ気味な、他者とコミュニケーション取るぞ!みたいな気持ちが、さらに薄れてどんどん内側にベクトルが向いていくような。殻に閉じこもりやすい環境でした。それはそれで心地よい。

 そのうち、山川さんの声にアテンドされて、深呼吸したり膝をゆっくり立ててみたり、少し動いてみたりして、完全に内側に向きかかっていたベクトルがちょっとだけ外に向いた(笑)。視覚と聴覚を塞ぐとこんなに外界から隔てられるんだなぁとちょっと面白い感覚だった…。外界から隔てられているけれど肉体的というか物質的にはかなり自他の境目がぼんやりしてきて、自分の身体がどこまで自分の身体なのか、意識が曖昧になりかけたところで、「動かす」ことによって自分の身体の輪郭が、あっここだったんだ、みたいに戻ってくるような。足ここにあったのね、みたいな(笑)。

 と、だんだん、わたしの右側にあったスピーカーから、可聴域ギリギリの低周波音がじわじわと鳴り響いてきて、それが音というよりは振動として、床を通じてぶるぶる届く感じで。マッサージ機みたいな(笑)。これしばらく当たってると肩こり治りそう、とか思いながらぶるぶる(って程の振動の大きさじゃないんだけど。痺れるみたいな感じ)していました。音はだんだん大きく…感じるけど音量がっていうよりは可聴域に入ってきたって感じで、ぶおおおん、と素敵な音になって、そしていよいよ、ゆっくりと立ち上がってみましょう、と山川さんの声が。音は可聴域のとても下の方で鳴っているから、声や物音は普通に聞こえるのも面白かった。

 暗闇の中でまず、ゆっくりと手探りしながら上体を起こし、おそるおそる立ち上がってみる…のだけど、平衡感覚がめちゃくちゃ覚束なくて怖かった…見えないと「真っ直ぐ」とか「平行」とかがすごく曖昧になるんだな…耳がおかしくなった時に目をつぶって足踏みしたらどっか行っちゃったのを思い出した…。なかなか怖かったし、自分の体の覚束ない、寄る辺ないような心細さ、これが私自身の本来の大きさなんだな…って感じがしました。身体性を剥奪された魂の大きさってこんなちっちゃくてひょろひょろした感じなんだろうなって…これがわたしなんだなって…思った…。

 まぁでもこけるでもなく立ち上がって、身体を揺らしてみたり腕を動かしてみたり、人とぶつからないことを確認してみたり。右耳から片方ずつ耳栓を外すと、突然自分の半分側だけ空間が開ける感覚がするのも面白かった…けどわたしわりと、耳栓常習生活なので、何かっつーと耳栓して寝たりしているので、わりと知ってる感覚でもあるのでした*2。左耳も外して、やっと世界が広がった感。見えないけど、というか、見えないからこそ、「聞こえる」ことの有用さをより感じる瞬間でした。安心感というか、外界と接点がある!感がね、全然違ったね。

 立ち上がって首を動かしたりして、低周波音の聞こえ方が変わる感覚を楽しんだり、音の聞こえ方から方角を感知しようと試みたりしてから、次は歩いてみる。これがねぇまたねぇ一歩踏み出すのに勇気がいるというか、「踏み出」せなくてすり足しかできないというか! 裸足のつま先で畳の縁を探りながら、両手の甲を前に突き出して、そろりそろりと移動する、くらい(笑)。腰が引けるもんですね…WS開始前にスタジオ内を見て回っていたはずなのに、たぶん今この辺にいるはず…と思ったところと違っていて、もうそこから位置が全く把握できなくなってしまった…。とりあえず、畳の縁に沿って歩けば真っ直ぐなので、壁に当たればそれがどっちの壁かはわかるから、何とか部屋の縦横だけ確認した(笑)。けっこうな人数がいるはずで、気配とか足音とかくすくす笑いとか、いっぱい聞こえるのだけど、距離とか位置関係とかはあんまりわからなくて、手が触れてあっ!ってなったり、何かこっちに来てるっぽい??くらいで回避ルートに入ってみたり、かと思うと突然触れたり、壁にぶつかりそうになったり、いろいろでした。最初怖かったけどだんだん面白くなっていくのも不思議だったなー見えないことには変わりないんだけど。目は慣れない。低周波音にはわりと慣れる。

 やがて低周波音のスピーカーの向かい端にあったもうひとつのスピーカーから、今度は可聴域ギリギリの高周波音が出始め、これがちょっとわーってなる音で(笑)。わたしは低周波音のずうううんって方が良いな…ウキウキするな…またこれも、スタジオ内の場所とか、向きとかで聞こえ方が変わるのをおもしろがったり、首をぶぶぶぶっと振ってみたり、スピーカーがあると思しき方へ近づいてみたり。高周波音はあんまり、振動としては感じられなかったような気がする。低周波は震える。

 摺り足でゆっくり動き回りつつ高周波音にぴーんと耳を震わされていると、山川さんのアテンドの声が、声を出しましょう、と。自分が出せる一番低い、唸り声くらいの声を出すように云われる。これね、最初のガイダンスの時点で、声を出したり遠吠えしたりするって云われて、えー声出すのー吠えらんないよわたしーって思っていたんだけど*3、暗闇の中だとできちゃうんですね。何のてらいもなくね。一番低い声から、ゆっくり高くしていって、自分が出せる一番高い声まで。一番高いところにしばらく留まると、いわゆる差音のような、共鳴音みたいなものがぶわーんと鳴ってきて面白かった。誰かのどこかの声と声が干渉して別の音になったんだねー。

 声を出す、ことに何の抵抗もなくなって、そのまま遠吠えのやり方をちょっとだけ教えてもらって*4、できるかな?と首をかしげながらも吠えてみる。うん、あんまり…カッコイイ遠吠えにはならなかったけど、ちっちゃめな…救急車と一緒に歌う柴犬くらいには…なれたかなどうかな(笑)。そういえばきなこさんは遠吠えしないなぁとか思いながら。あと、遠吠えするわんこたちが上を向いて喉を真っ直ぐにするけど、人がやってもああいうポーズになるんだなって思いました(笑)。何か、ああなる。遠吠えって、遠くにいる誰かに想いを届ける、自分はここにいると存在を伝える、一番原初的な通信手段であり、メッセージであり、それに応える届いてるよ、という声が響きあうのが音楽の原点、とは山川さんの言葉だけど、何も見えない完全な暗闇の中で、自分の存在を叫ぶ、という行為は何だか、とても根源的な「存在している」感覚を再認識するような、心のすごく深い部分でせつなくなるような、不思議な感覚でした。産声ってこういう状態だよな…って思ったり。叫ぶこと自体はとても開放感があって、ふだん自分が目で見ながら、他人の視覚に晒されて生きることに、気づかないうちに息苦しさや制限がとても生まれているのだな、ということもすごく感じた。どんどん楽しくなってきちゃった(笑)。でも、同時に、他人の資格に晒されていない状態なら普段できないことでもできてしまう、という感覚が少し怖くもあったな…実感として、絶対普通の明るさの中じゃわたしは高い声も低い声も遠吠えも、できないなぁって思ったから…でもできちゃうってことは、見られていなければ、見えていなければ、人間ってわりとなんでもできるよなっていうのを実感して、それってつまり、以前ちょっと話題になったBLACK BOX展だったり、ネット上の匿名書き込みだったり、そういう「自分を自分と認識されるリスクがなければ何でもできる」感覚に繋がる部分もあるよな、と…楽しかったけどちょっと怖かった。だって完全に何も見えない中なんだもの、たとえここで誰かが全裸になっていても誰にも見えないんだよ(笑)。けっこうね、大胆になる感覚が、自分でも身を以てわかった(※脱いでない)からね、なるほどそういうものか…と。思いました。わおーん。

 ひとしきり吠えて(遠吠えの声も様々で面白かった。とても高く伸びる人とか、中低域で響く人とか。わたしのは何かしょぼかった…心臓音と同じね…)、ふ、と静かになると、何となく暗闇に感覚や体が馴染んでいるような気がして、相変わらず何も見えないんだけど、わりと普通にそこにいられるような、いられてるような感じがして、また面白かったです。一度解き放たれると落ち着くような(笑)。静けさの中にシンギングボールの音がじわわわ…ん、と響いてクールダウンを促され、力が抜けたところで、ゆっくりと横たわるように指示が出ます。けっこう動き回っていたし、周囲どのくらいの距離に誰がいるのかいないのか、全然わからない(とりあえず至近距離にはいないことは何とか…声でわかるけど)ので、ちょっと場所を探りつつ、ここで座って寝ても誰にもぶつからないかな…?と手探りで場所を確認したりしつつ、あと頭の上に柱があることも確認して、最初と同じように仰向けに寝転がります。そのまましばらく…けっこうゆったりとした時間を過ごした気がするけど実際何分くらいだったんだろう、静かに深呼吸しながら、暗闇の中で何も見えない空間を見つめ、目を閉じたり開いたり、体の輪郭が闇の中に溶けだしていくような曖昧な感覚を味わったり、していました。何も見えない闇の中で、とても静かで、眠くなるかな…と思いきやこれが、静かで暗いと余計に、周りのひとの気配がめちゃくちゃ濃く感じられて、心地よく横たわってはいられるんだけどわたしはこれ眠れないやつだー!!ってなったのも興味深かった(笑)。別に至近距離にいるわけでもないんだけどね、部活の合宿とかで蒲団敷いて電気消して、でも回りの呼吸や寝返りや何かそういう気配で全然寝付けないなー…ってなる感覚をとても思い出した。わたしそういうので眠れない性質なので耳栓が手放せないのです(笑)。眠れないけど安らげてはいる、けど何となく、あっこれ眠れない!って焦りがどうしても出てくる…眠らなくていいのに今…ってわかっているんだけどね。条件反射かね。でも、そういう自分の反応込みで面白かったし、もっと長く暗闇の中にいたかったなー。

 どのくらい経ってからか、たむらさんが、すこしずつ明るくしていくので、身体を起こして座って下さい、と声をかけ、よっこらしょと起き上がって顔を伏せているうちに、じわじわと灯りがついてきました。いきなり光源を見ないように、眩しいと感じたら目をつぶって、と注意されて、恐る恐る目を開けたけど、すっごく弱い光なはずなのにめちゃくちゃ明るくて(瞳孔開ききってるからね!って云われたの、なるほどそっかー!ってなった)、本も全然読めるくらい明るく感じたけど、実はものすごく暗いそうで…瞳孔開いてるってすごいね…。最初ほぼモノクロの明暗だったのが、明るくなるにつれてだーんだん、畳の薄緑とか手の肌の色とかが見えてくるの、おお…見える…!ってなかなか感動するものなんだな。此岸に戻ってきた感がした…と同時にもう暗闇じゃないんだ、ってちょっと寂しい気持ちもしてしまった。だってとても安らげたんだもの暗闇…。

 薄暗闇くらいになった室内で、見回すと室内にバラバラに参加者が座っていて、久しぶりに人の姿が見える状態になった何ていうか…照れくささ? とちょっと嬉しい感じ? が混ざったような?? 面はゆいんだけど、うっすらと一体感みたいなものも感じたりして(勝手に)、まぁあれですね同じツアー客ですからね。暗闇から戻ってきた同志ですからね! それから、最初と同じように車座になって、目を慣らしつつ、振り返りや感想を話すタイム。同じ暗闇を一緒に体験したのに、怖いと感じる人、楽しくなっちゃう人、ぶつからないように寄らないで触らないで!!ってなる人、むしろ誰かにぶつかりたい人、何となく見えてくるものがある人、ない人、音が怖い人、楽しい人、いろいろで…そっかーそんな風に感じるのかー、ってなったり、あっわかるー!ってなったり。目を開けていても、閉じている時に見える模様みたいなのが見えた人もいたし、スピーカーの音が出ている部分がぼんやり見えた人もいた。わたしは何も見えませんでした!!!

 ひとりずつ感想を述べていってから、何となくトークタイムみたいになって、山川さんとたむらさんのいろんなお話を聞けたのも何か豊かな時間だったなぁ。山川さんが、暗闇の中で歩き始めた時に、何となくみんな同じ方向に歩き出しているようで、社会性を感じた話とか、所謂日本人の「美徳」とされる、震災時に略奪にならないみたいな、そういうのを思い出したとか、それを受けてたむらさんが、日本語話者じゃない外国人だけで暗闇WSをやったら大変なことになった話(笑)とか、面白かったなぁ。あと、エコーロケーションで何でも見えて何でもできる全盲の人の話とか。人間には無理なことになっているのにね、って。

 今回の、山川さんの「音」とたむらさんの「暗闇」を合わせたWSは初めての試みとのことで、意図や予想していたことと違った方向に行ったところもあったりで、開催する側としても面白かったと仰っていたのが、何というか、参加者としてはそれはよかった!と思いました(笑)。また是非やりたいとのことだったので、もし機会があれば、是非また参加したいと思います。暗闇楽しかった…そして夕飯食べてから参加したのに、終了後めちゃくちゃお腹すいたの不思議だった。いろいろ消費したのだろうか……。

 スタジオを出て、夜の住宅街を歩くと、やっぱり家の灯りや信号の点滅なんかがとても明るく感じられて、夜って明るいんだなー、なんて思ったり。あの完全な闇には、なかなか出会えないもんなぁ。あの中で寝てみたいような、寝られないような、寝たら起きられないような。もし次回があったら、もうちょっと「耳」とか聴覚方面を意識しながら暗闇に入っていきたいな…今回はわー暗いー何も見えないー!!でほぼ一杯だったから…あとダイアローグ・イン・ザ・ダークはやっぱり行きたいし行けばよかった…。

  …そんな体験をしてからの「SONAR」で未來さんとヨンさんが暗闇でエコーロケーションしてたらそりゃびっくりしてもいいよね?(笑)

*1:友人にちょっと心配されてしまった…

*2:他人の気配がや音が気になって熟睡できない体質で…

*3:こういう時に度胸が皆無で情けない

*4:山川さんの遠吠えは本当に狼か大きいマズル長めの犬がいるのかと思うくらいなんですよ…