ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

さいたまネクスト・シアターゼロ「ジハード ―Djihad―」@彩の国さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO(大稽古場)(6/28夜・6/30昼・7/1昼)

 チケット取っていたのは1回だけだったのに、うっかり後から増えるパターンが最近多いので、もうちょっと計画性を持たなくてはと反省している今日この頃です。でも1回見たらえっ待ってもっかい…ってなることあるじゃん? あるよね? いやそればっかりなのもどうかとも思うんですがね??*1


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 初ネクストシアターでした。ゴールドシアターも気にはなっているけど未見で、せっかく県民なのにもったいないなぁ。今回初めてネクストシアターのお芝居を観て、とても良かったので、知らなかったこれまでが本当にもったいなかったです。こんな近場にこんな良質な演劇があるなんて、こんな素敵な俳優さんがいるなんて! きっかけは「テイクミーアウト」に出演されていた竪山隼太さんご出演、でしたが、他の俳優さんたちもみんなとても素敵だった! また観たい! こうして幅が広がって予定と財布がきつくなっていくんだな!!

 初回は前売りでチケットを確保していたのだけど、うーんおかわりほしい…と当日券で前楽・楽を追加してしまいました。前楽は12人くらいの当日券客でしたが、楽はわたしが確認できただけでも40人近い当日券客で、もちろん前売り完売だったのだけど、さい芸のスタッフさんたちが何とか全員観られるようにと急遽雛壇席を増やして下さって、階段座布団席もびっしりで、少しずつ詰めてもらえるようにお客さんにお願いして下さったり、スタッフワークにも感動してしまった…ありがとうございましたとても良い視界で楽公演楽しめました…。

 会場のNINAGAWA STUDIOはさい芸の稽古場で、稽古場のある棟に入るのも初めてでちょっとどきどきした(笑)。スタジオ前の廊下に見覚えがあるなーと思っていたんだけど、「プルートゥ」の稽古もさい芸でやっていたとWOWOW放送時のエンディングテロップで見かけて、そういえばプルートゥ稽古中にツイートで流れてきた談ス組の動画がここだった気がする…と結びついてしまった。たぶんそうだと思うのあの廊下!


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 「ジハード」はベルギー出身のモロッコ移民2世であるイスマエル・サイディさんが、自身や周囲の経験を元に*2、ヨーロッパに暮らす移民系ムスリムの青年が過激派テロ組織に身を投じることを選択する、その意味や想いや現実を描いた作品です。タイトルもそのものずばりだし、ちょっと身構える部分がわたしもありましたが、実際観てみたら思いのほか笑いの要素も多くて、登場人物の若者3人とひとりが、誰も魅力的で愛しくて、そしてとても身近に感じられて、なので彼らがなぜそれを選択したのか、どういう思いを抱えてそこへ向かうのか、何を夢見、そして何に直面するのか、そういう諸々にいちいち、少しずつだけど共感していけてしまう。ニュースなんかで漠然と、ヨーロッパからシリアに向かう若者がいる、自爆テロを起こす若者がいる、と聞いていると、何でそんなバカなことを、意味がわからない、カルト怖い、狂信的怖い、みたいな印象しか抱けないのだけど、彼らひとりひとりの名前を知り、顔を覚え、彼らの人となりを知ることによって、「テレビの向こうの得体の知れない理解不能なテロリスト」は、わたしの知っているイスマエルやレダやベン、になる。そういう感覚を、とても強く思い知らせてくれた作品でした。

 …ってわたしがだらだら書くよりこちらの動画をぜひ。BS1の国際報道2018というニュース番組で特集されました。

www6.nhk.or.jp

 やたら長くなったから畳みますね。

 

 映像には映っていないけど、冒頭、オープニングというかプロローグの、イスマエルのモノローグがもう、いきなりめちゃくちゃ良くて、開始早々というかむしろまだ何も始まっていないのに泣けてしまって。演劇の力ってそういうことだよね、遠い異国の見知らぬガイジンの話を、わたしの知っている「彼ら」の話にしてくれる。彼らと共に笑い、彼らの為に涙を流し、彼らのことを考えさせてくれる。もちろん、映画だってテレビ番組だってそれは可能なのだけど、生身の人間がその場で、目の前で、呼吸して、吸い込んだ息を使って言葉を吐き、同じ場の空気が振動してこちらの耳に届く、そこに乗る熱量とか、言葉以外の情報量とか、って、やっぱり違うと思うんだ…そうやって伝えられたものって、やっぱり映像を見て受け取るものとは少し、違う気がするんだ。だから、演劇じゃなくちゃダメなんだ、と思う。し、この作品が演劇という形で上演される意味があるのだと、思う。ベルギーやフランスの中高生に向けて「ジハード」が上演され続けているのをとてもうらやましく思うし、日本でもやればいいのに…と思うのでした。あの、「ようこそ、わたしのジハードへ」を聞くたびに、ああ、ここに来てしまった、とぞくっとなる感覚、戻れないところに踏み入ってしまった感じ、めちゃくちゃ怖いんだけど何度でも味わいたくなる。最高の幕開けだった…。

 ベルギーに暮らすモロッコ移民2世のムスリムの若者、イスマエル・ベン・レダの3人は、「ジハード」に参戦するためにシリアへ渡る。現生は自分たちの為の世界ではない、より良い世界を目指す為に殉教覚悟で異教徒を殺しに行く、と無邪気にシリアを目指す彼らはでも、「異教徒」の顔を知らない。訓練もなく前線に送られ、顔も見えないまま「敵」に向かって銃を放つ戦いの中で、初めて彼らが出会った「異教徒」は、彼らと同じ顔をして同じ言葉を話すのだった…。欧州で移民系ムスリムを取り巻く現況、理想を求めた戦場で相対する現実、親友を失い、戻った「故郷」で待ち受ける、さらなる苦境。ぼんやりと、何でわざわざシリアまで、ヨーロッパで平和に暮らせているのに、と思っていた認識が、観終わった時には、そこに行くことを選択せざるを得なかった彼らの苦悩や、社会から拒絶され続ける疎外感、残されたコミュニティから外される恐怖、帰属する場所の欠落感喪失感、そんなものたちがとても近くに感じられて、もちろんそれでもテロリストになる以外にも道はあっただろうとは思うのだけど、でもそこへ行ってしまった彼らを、彼らの抱える事情や理由を、多少なりとも、ほんの一例かもしれないけど、理解する手がかりに触れられた気がする。その認識の変化こそが、とても得難い体験だったと思うし、こういう作品の醍醐味だと思うのです。初回、ソワレを見終えて外に出たら大きな丸い月が昇っていて、さっきシリアの砂漠に昇っていた月と同じだ、なんて思いながら帰ったのも貴重な感覚だったなぁ。


 堀源起さん演じるヤンチャ系イスマエル、竪山隼太さん演じる敬虔なベン、小久保寿人さん演じる天然フワフワ系レダの3人が、みんな本当にキュートで魅力的で可愛くて、天然キャラでピントずれ気味のレダの言動にイスマエルがキイイイ!ってなるのをベンがまぁまぁって間に入る、みたいなトリオ感がとても楽しくて、このままずっと3人のロードムービーを観ていたい、イスタンブールで観光してそのままベルギーに帰ろう、とか思ってしまうくらい。なのに、だからこそ、まるで遊園地に向かう子供みたいにはしゃぎながらシリアを目指し、アトラクションを楽しみにするようなテンションで「早く異教徒を殺したいな!」と無邪気に笑う彼らに、不意打ちのように胸を突かれ、痛々しさを覚える。あのレダの発言の瞬間、会場全体が「あっ…」って固まる空気感、忘れられない。たまらない。ああいう瞬間って演劇を観ていると何度か遭遇するけど、それぞれ忘れられないんだな…ガジラの「大人の時間」の「え?」とか、「マーキュリーファー」で一斉にナズを見る瞬間とかさ…。「ジハード」のその瞬間は、その瞬間を境に空気が一変する的なものではなく、その場ですぐに流れ去っていく感じだったけど、でもそういうものが流れていきながら積み重なっての戦場到着なので、笑っている間にじわじわとそちら側に流れ着いている感じがして、それはそれでとても恐ろしい。日常と地続きのまま命を奪い奪われる場にいる感覚がね、すごく怖かった。3人が戦場で出会う、妻を亡くした男ミシェル役の鈴木彰紀さんも、登場時間は短かったけど鮮烈な印象でした。劇中に、3人以外で登場する唯一の「他者」が彼、というのもまた、この作品がどこに的を絞ってメッセージを発しているのか考える手がかりになる気がする。崩れた教会に佇む静謐な、端正な哀しみと、レダとベンの間に割って入った時のギャップは毎回笑ってしまう…のだけど、そのすぐ後がね…どうしてそうなってしまうのかね…。

 イスマエルは絵を描くことや漫画家になる夢、ベンはロックやエルヴィス・プレスリーへの憧れ、レダムスリムじゃない恋人ヴァレリーとの結婚、3人が3人ともそれぞれ、大切なものを宗教的理由で諦めさせられていて、でもその喪失感を補い、彼らを落胆の淵から救ったのもまた信仰で。彼らがかつて大切にしており、そして今もこっそりと好きなままでいるものを吐露するシーンが、3人それぞれにとても愛おしくて、だからこそつらくて、でもとても好きです。偶像崇拝を禁じるイスラム教では絵描きは地獄行きなんだね…とくに戒律の厳しい宗派なんだろうな。プレスリーのフルネームから彼がユダヤ系であることを知り、それまでの熱狂を恥じ悔いたと云うベンが、死んだミシェルを埋葬した砂漠の墓の前で、仲間が寝静まった夜中にひとり、iPodプレスリーの「Suspicious Minds」を聴く場面が、もしかしたらわたしは一番好きかも知れない。聴いているうちにノリノリになって、華麗なステージングで歌い踊るベンが最高に素敵で、可笑しくて、寝ていたはずのふたりも一緒にノリノリしてて、本当に可愛くて、でも毎回泣けてしまってたまらない。一度は兄弟と呼びかけ食事を分け合った「異教徒」を殺せと迫り、彼を巡って仲間とは対立し、ミシェルを埋葬してひとりになったベンが、自分を慰めるように、手放しかけた自分の人間性や日常を何とか手繰り寄せようとするように聴くプレスリーの音がひどく優しくて、全ての夢と希望と、それを潰えさせられる不条理と、理想と現実と、生と死と、喜びと悲しみと、何か全部が凝縮されているようなシーンで。マイクスタンドに見 立てたカラシニコフを華麗に回してキメポーズしまくるエルヴィス・ベンを観ながら、泣き笑いするしかないのでした…大好き…。

 もちろん、宗教的な、信仰の部分とか、とても戒律に縛られて生きることに疑問を抱かないとか、頭でそういうものだと理解はできても納得はできないこととか、たぶん特に日本人にはなかなか受け入れがたい感覚とか、はいろいろあるのだけど、でも特定の信仰対象を持たないものに、その感覚を理解することはまず難しいし、特定の信仰を持たないが故に、それを持つひとのことを、その信仰や戒律をナンセンスだとか不条理だとか、それを大切に守るひとのことを可哀想とか、は思いたくないし、否定してはいけない、否定する立場にないと感じるのです。信仰って、持たない者には計り知れない、想像以上にずっと、大切なものだと思う…わたしは持たない者なのでわからないけど、きっとそういうものなんだと思うんだ…。ましてや、社会や地域から疎外されて、帰属するコミュニティを信仰にしか見いだせないような状況に置かれている彼らにとっては、そこから追い出されるのは恐怖以外の何物でもないだろうし、想像すらできないんじゃないか。だから彼らが、それぞれの夢や大切なものを、信仰を理由に諦めるのを見て、軽々しく「だったら宗教なんてやめちゃえばいいのに」とは云えないし云うべきじゃないよなって…難しいところだけれど。だからと云って自爆テロや殉教を擁護する気はさらさらないのだけど。

 ヨーロッパに住むイスラム系移民の2世、という彼らが、彼らの国でどのような立場にあり、どんな扱いを受けているのか、正直云って自分がまったく知らなかったし理解していなかったことがショックでもあり、知ることができて良かったとも思う。イスマエルが云う、「俺たちは『NO』だ」「移民問題、移民の子供たちの問題、移民2世の同化問題。俺たちはいつも『問題』扱いだ」という言葉や、彼らが投げつけられる罵倒の例として挙げていた「汚いアラブ人、国へ帰れ」、その地のその国で生まれ育ち生活しているのに、その国から、社会から拒絶され、出ていけと云われる絶望と孤独はどれほどのものだろう。そんな彼らが属していられる唯一のコミュニティがイスラム教で、そして過激派組織への勧誘はきっと、そういう隙をついてくるんだろう。社会から断絶され、国家からお前の居場所はここにはない、と拒否され続けている若者が、「こここそが君の居場所だ」「我々は君を求めている」「君は役に立てる」なんて囁かれたら、それはもう、想像に難くないよね…。

 ベンとレダを戦場で亡くし、ひとりベルギーに戻ったイスマエルは当然ながら逮捕拘束され、刑期を終えて「同化」することを誓い社会への復帰を目指すのだけど、彼を待ち受けるものはもう、予想通りで。移民2世のムスリムってだけで充分受け入れられていなかったのに、さらにIS帰りの元過激派構成員なんて肩書きを背負ってしまったら、それはもう…ねぇ。案の定と云う感じで、感じなんだけど、それでももうわたしはイスマエルのことを知ってしまったから、ただただ苦しくて。自分がこの社会に受け入れられることはないんだと悟ったイスマエルの取った行動は、どう考えてもやっぱり最悪手なのだけど、彼のこれまでを知っているとそうなってしまうのも理解できなくはないと思えてしまうし、彼を通して、これまで全くわからなかった、それを選択した人たちの思いに、ほんの少しだけ近づけたような、指の先だけでも触れられたような、気もするのです。行為は絶対に肯定しないし、仕方ないとも云わないけれど、でもそこまで追い詰められていたのだろうし、それに向かわせるだけの怒りや絶望や哀しみがきっと、積み重なった上での選択だったのだろうことに、思いを寄せることはできる…。「知る」ことって最初の一歩で、その一歩はほんの些細なきっかけだったり、短い時間の間だったりで踏み出せるものだけど、たとえ少しでも「知っている」と全く「知らない」との差ってものすごく大きいんだな、と当たり前のことを改めて強く感じたのでした。

 自爆テロへと向かうイスマエルに、死んだベンとレダがそれぞれ語りかけるシーンで、ベンが黒いシャツ姿*3レダが白いTシャツ*4で、視覚的にも語る内容的にも、爆破ボタンを押せ、やり遂げるんだと訴えるベンが黒い悪魔で、やめるんだ、憎しみからは何も生まれない、と止めるレダが白い天使、みたいな印象がとても強くなるのだけど。でも、ベンが悪魔なんじゃなくて、レダとイスマエルがベン亡き後に、異教徒を殺すのが正義であり自分たちの役目である、という思考の、少し先まで辿り着けていたから、なんじゃないかなと思うのです。ベンは残念ながらそこに行く前に死んでしまったから、途切れた時間のその時点で時間も思考も止まってるんだよね。もし、時間軸がもっと前だったら、レダもイスマエルもベンと同じ主張をしたかもしれない。考え続ければ人は変わることができる、みたいなことをそこから思うのはちょっと違うのかもしれないけど、何となくその、「変化」って大切なことなんじゃないかなーと、ぼんやりとだけど思うんだ…。

 イスマエルが最終的にどちらを選択したのかは、観る側に委ねられたままになるけれど、ラストの裂け目から光とスモークが溢れる演出が、初回はものすごく「閃光」のイメージが強くて、ああイスマエル押しちゃった…って方に感じてしまった。で、たとえ押さなかったとしても、拘束されて刑務所に逆戻りで自爆テロ未遂犯なんてこれまで以上に居場所なくなるだけじゃん…ってどっちに転んでも悲観的なことしか想像できなくてしんどかったんだけど、2回目を観る前にふと、でも、押して(死んで)しまったらもうそれ以上のことは何も起こり得ないけれど、生きていればもしかしたら、何か変わる可能性もなくはないぞ?と思い始めて。生きてるうちにベルリンの壁は壊れたしソ連は解体したし、何十年後かもしれないけれどもしかしたらまた世界は思いも寄らない方向に変わるかも知れない。死んでしまえばその、わずかな可能性さえも無にしてしまうんだ、と思ったら、次の観劇から裂け目が、裂けるんじゃなくて「扉が開く」ように見えて、新しい世界の扉を開く最初の一手、それがイスマエルの選択から始まるかも知れない、そんな可能性がまだ残されているように思えて、なので彼は押さない方にいてほしい、と思えるようになりました。初回観劇後は押しても押さなくてもどっちもどっちじゃん……ってかなり悲観的になってしまったからさ…。

 …っていうのも、前述の「変化」につながるのかな、なんて、それは今思ったんだけど。どうかな。

 「ジハード」は上演後毎回、いろんなゲストを呼んでのアフタートークが設けられていました。ベルギーやフランスでの公演ではアフトというかディスカッションの場があったそうで、それもすごいなー。しかも日本だと客席はまぁ9割以上が日本人のお客さんだけど、向こうだったらそれこそ、人種も宗教もいろいろな方が同じ場所でこれを観ることになるわけで。隣の人はムスリムのアラブ系かも知れないわけで。どんな風に観えて感じるのか、この作品を、彼らをどう受け取るのか、すごく訊いてみたいなぁ、なんて。

 それはともかく、毎回設けられるアフタートークがまたすごく興味深くて。6/28は日本に暮らす移民の方のドキュメント作品を制作しているディレクターの日向史有さんがゲストで、ニュースでうっすら耳にはしていたけど、程度の知識量だった日本のクルド人難民(難民認定を却下され続けているから不法滞在者になってしまっている)について、彼らの2世の子供たちから、劇中の3人とまったく同じ言葉をいくつも聞いたとか、遠い外国の話に思われるかもしれないけれど知らないだけで本当にすぐ隣に暮らしていることとか、目からうろこがぼろぼろなお話がたくさん聞けました。質疑応答で、客席からドキュメンタリーを制作する意味(番組を作っても直接相手を救うことにはならないことをどう考えるか的な)(すごい鋭い質問だった)を問われた日向さんが、敵とか○○人とか○○教徒とか、大きな主語で語ると相手が見えないけれど、対話をして名前を知るともうその相手は「○○人」ではなくなる、○○さんになる、主語を小さくしていくことが役目だと思っている、みたいなことを答えていて。まさしく「ジハード」はその、大きな主語だったものに個人の名前と人となりを与えて観えるようにしてくれる作品で、これまでほんとぼんやりと、画面の向こうにいるイスラム過激派組織とか、IS兵士とか、自爆テロリストとか、ただただ狂信的で何考えているのかわからなくて怖い、みたいな印象しか持てなかった人たちが、めちゃくちゃチャーミングで魅力的で愛らしい個人であり、それぞれがそこに向かわざるを得なかった事情と深い悲しみを抱いていることを知らしめてくれるものなのだな、と思いました。わたしにとってもう彼らは、「凶悪なテロリスト」でも「イスラム過激派」でもない、愛すべきイスマエルとレダとベン以外の何者でもなくて。つまり、そういうことなんだ、っていうのを、身をもって体感させてもらえて、本当に【世界が変わって見える】のを味わえた、アフト含めてすごい体験だったなぁ。

 6/30はNHKの国際部の記者で、ベルギーのモロッコ系移民の現状を取材していた方がゲストでした。これもまた興味深いお話がたくさんで、劇中にも出てくる「同化」の問題とか、移民の人たちを社会から孤立させない為の政策としてある自治体ではバディ制度をとって、ヨーロッパ系ベルギー人と移民系ベルギー人を家族単位でペアリングして、相談に乗ったり話相手になったり、そういう取り組みをしているとか、なるほどなぁ。あと、バディ政策を施行したのと同じ市長さんが、スラム化した街を徹底的に綺麗にして、壊れた建物も直して、清掃を行き届くようにしたら、街が汚されなくなって治安も良くなった、っていう話も面白かったです。もともと汚いところを汚すことには抵抗を感じないけど、綺麗なところを人間は汚しにくい、ってすごくわかる感覚だしうまいことやるなぁ。

 7/1は明治大学の国際学部教授の方がゲストでした。劇中では移民2世の若者がシリアに向かったけど、実際ヨーロッパでは移民系ではない、ヨーロッパルーツの若者がわざわざムスリムに改修してISに参加することもあったそうで、そこへ向かわせる動機や理由は決して、「移民だから」差別されることや社会から拒絶されることとは限らない、移民でなくても社会からの疎外感やアイデンティティの希薄さ、そういったもので過激な方向に走る若者がいる、という話がとても…これまた目から鱗だったなぁ。日本では、そういう時になかなかイスラム過激派という選択肢にはならないけれど、それこそカルト教団であるとか、ちょっとニュースで話題になった所謂「無敵の人」みたいな、そっち方向に向かっていくものと近いのかもしれないな、と思うと、やっぱり遠い外国の話ではないぞ、となるのでした。ほんとどの回もすごい面白かった…イスマエル・サイデイさんのお話も聞きたかったなぁ。

 個人的に、昔からパレスチナイスラエル問題に興味があって勝手にちょこっと調べたり*5、「アラビアのロレンス」で有名なトーマス・E・ロレンスについて調べたり、何となくイスラム教に興味があったり、していたので、何というか、何となく思い入れが深めになってしまうというか、入り込みやすい間口だったというか、うん。普段に輪をかけて暑苦しい感じになってしまいました。当日配布された資料*6を眺めつつ、シリアとかヨルダンとか、ずーっと憧れの地だったんだよな~なんて感傷的になってしまったり。アレッポもダマスもアンマンもアカバも行ってみたかったしパルミラ遺跡見たかったなぁ壊されちゃったもんなぁ。クラック・デ・シュヴァリエも行ってみたいです…残っててね…。あとベルギーとモロッコと云えばシェルカウイさんだなぁ、とか、いろいろ勝手に繋がって見えてしまって、「プルートゥ」と重なる部分もあって、とても…観られて良かったなぁ…。最近、大切な経験としてずっと心に残っていくであろう作品にいろいろ出会えている気がする。

*1:実は「テイクミーアウト」5回「夢の裂け目」4回になっていましたこっそり

*2:サイディさんのかつての同級生がISに参加していたのをテレビで知ったとか

*3:はもともとの恰好

*4:は着替えてくる。それまではグレーのTシャツだった

*5:そして心情的にパレスチナ寄りになったり

*6:3人が辿った足跡の地図や言葉の解説なんかがありました