大塚宣幸・玉置玲央・藤本陽子の3人によるユニット、モノモースの旗揚げ公演「エンドルフィン」を観てきました。
こまばアゴラも初めて行ったなぁ。なかなかキッツイらしいという噂を小耳に挟み、わーい玲央くんだーってノリだけでチケット予約した身としては若干、戦々恐々というか…おそるおそる、という感じで挑んだのですが、キツかったのはキツかったけど何とか大丈夫、でした。いやぁまだ平気だ。ところどころ顔をしかめたり眉が寄ったりはあったけど大丈夫。大変だけど大丈夫。
廃棄物とゴミの集積地「希望の島」、そこで見つかったスマホのボイスメモに残された「エンドルフィン」と名付けられた独白、島の再開発を行おうとする企業でそれは再生され、「希望の島」の悲しくも美しく、絶望に満ちた現実が立ち現われる…。そんな物語が、3人が入れ代わり演じる複数の人物によって紡がれていきます。玲央くん演じる「少年」の過酷な状況でも生にしがみつくある種のしなやかさ、藤本さん演じる少女ニイナの悲しい愛らしさ、謎の男大塚さんの謎めいた雰囲気、三者三様の個性がぴたりと嵌ってとてもバランスの良い三角形の美しさを感じる80分でした。玲央くん、実年齢とは無関係に少年性を常に纏える希有な存在だなぁ。自由な肢体を歪に引きずって、そこから逆に身体性が透けて見えるような少年だった。
所謂グロであったり、なかなかどぎつい状況が、語りと動作とあと少しの小道具*1で表現されて、演劇的な「看做し」がとても巧みで、おぞましくも美しい極彩色の悪夢が広がって見える。起こる出来事はどれも、そうなるしかない、という意味で意外性はなく、ああやっぱり…と思うしかないのだけど、そうなるしかない先にある何かは茫洋と見えなくて、霧に霞んだ向こう側を目を凝らして見ようとする感覚に似た気持ちで結末までを身守っていたような気がする…。
求めるものが得られた時に脳内で分泌される快楽麻薬物質エンドルフィン。死の淵で生を求め、渇望しながら声を絞り出し続けた少年の、その声こそが生きている証、言葉を発するその瞬間に得られる生によって分泌されたエンドルフィンそのもの、だったのかもしれない、などと。でも、全ては過去形で語られるのだけれど。俺はここにいた、忘れるな、俺はここにいたんだ。
アフタートークのゲストがミュージシャンの方だったので、音楽についてのお話が聞けたのも興味深かったです。というのは、観劇中はあんまり音楽まで頭が回っていなくて、話の途中で「あのシーンの音楽…」ってなると音響さんがちゃんとその曲を流してくれて、改めて聞いて「あああったこの音…」ってなれたので、復習までできてありがたかった。ニイナと猫のシーンほんと…悲しくて酷くて美しくて音楽もすごく良かった…。
ちょこっと思ったのは、少年のふくらはぎの○をあれっそれ○○○○の?ってなったのと、ニイナが○○○時にあれっニイナ○○○○んだ…ってなったのと。まるでわたしがサイコみたいじゃないかこれじゃあ。*2