ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

Eテレ「100分 de 名著」第4回

 最終回、1日遅れで録画で観ました。終わっちゃった~…この1ヶ月毎週ありがたかった…。本当に、未來さんに中原中也という、思いつきそうで考えたことのなかった、でも云われた瞬間に「!!だよね!!」となる最高の組み合わせを、ありがとうございました…。

 最終回は畳み掛けるように哀しくて、知ってたけど…そうなるのはあらかじめわかっていたし4回シリーズの最後だもん他にないのだけど…つらい。「頑是ない歌」以外全部つらい。「頑是ない歌」だって決して届くことはない何かを郷愁と愛おしさを抱えて目を細めて眺めるような切なさと諦念に満ち満ちていて…へこむな…。飄々として見せてるようなところが余計につらいわ幸せな時のはずなのに。でもとても良い声だ…。あとどうしても武田鉄矢の顔がちらつくの悔しい。

 詩って書いている詩人は、活字を黙読されることを前提にしているのか、それとも朗読され音で耳から入るものとして書いているのか、音として耳から入れながら文字を追うものとして書いているのか、わからないのだけど、わたしはこれまで目で文字を追うものとして読んでいて、音にして耳から聴くことはとても少なかったのだな、ということと、文字を目で追って読む「詩」と、言葉を声に乗せて耳から聴く「詩」は、ずいぶんと違って感じられるものなのだな、というのを、今回のシリーズを通して理解というか改めて認識したのだけど。この、「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は、その最たるものだった…読んだことはあるし知っているのに、未來さんが読むそれを聴いているとまるで違って聞こえるし情景がものすごくリアルに立ち昇ってくる…わたしものすっごく字面の上っ面を撫でるようにしか追っていなかったんだな…。もちろん、詩人の生涯や作品の背景も大して知らなかったし、この作品がそんな状況で生まれたものというのも知らなかったから、作品の理解という意味ではそりゃあもう何もわかっちゃいなかったのだけど…こんなに哀しいのにこんなに美しいなんて酷い。し、ここに描かれた最後の瞬間に、世界の全てを終わらせて仕舞いこんで止めてしまいたい気持ちもすごくわかってしまう…。映写機のフィルムが途切れるみたいに、紺青の空でぷつっと終われてしまえればいいのにね…。空を見上げて、エクスクラメーションマークを静かに読む未來さんが本当にたまらない。で、ずびずびしながら解説を見てティッシュに手を伸ばしたら礒野アナが目元を拭っていて、ああ…。伊集院さんの、どうして詩の神様はこうしちゃうの、っていうのすごくわかるけど、詩にしないと生きていけない人が詩人になるんだよね…それが詩人だしそうやってしか生きる術がないのが詩人だよね…。

 「春日狂想」は、うん、ヤバい。壊れてるね…伊集院さんはマズイって云ってたけどこれは、ね。未來さんこういうのやらせるとほんとあれだから…怖いから。ギリギリのところまで行けちゃうから…怖いよぅ…。穂村弘さんが「中也は純度が高い」と表するのがとてもなるほどなぁと思うのだけど、純度が高い分脆くて壊れやすいんだろうな…。ほんと、「狂想」に辛うじて自覚があるところだけだよね、ギリギリこっち側に残ってる分って。

 絶筆の「四行詩」、故郷を思い返しながら、かつて決して戻ることのない場所として遠く眺めたそこへ、戻っていくことを許す、許してしまう、のが、わたしにはどうしても「もう一度がんばろう」的な要素を見つけられないのだけどどうしよう。わたしがだめになっていく気がする。人生の終わりとか、そんなじゃなくても、とりあえず眠りに落ちる前に、未來さんのこの朗読で沈んでいきたい…安らかに眠れそう。

 何だかとても哀しい気持ちになってしまったので*1小林秀雄wikiなど読んで、早々に逝ってしまった純度の高い硬質な詩人と、その後の歴史の激動を身をもって乗り越えていった剛健な批評家の、人生の色の違いにめまいを覚えたりしました。

 と、ちょっとダウナーな感じになってしまいましたが、でも詩の朗読とても良いですね!! 個人的には未來さんに宮沢賢治の「春と修羅」とか「原体剣舞連」を読んで頂きたい…dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dahどうするんだって感じですが。だって大好きなんだもの…あと未來さんの声で「おれはひとりの修羅なのだ」聴きたい。「原体剣舞連」は勅使河原三郎さんが踊ってたイメージも強いので(F/T12で観た)踊ってくださっても…えへ…。

*1:希望とか明るさとか見出せないです太田先生!!