ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「Upload A New Mind To The Body」パリ公演関連

 パリ公演に際してのインタビューが掲載されていました! ふらんすごで!! 日本語でしゃべってる(多分)のをフランス語に訳されて、それを日本語に戻すって…どうしてこんなにむずかしくなっちゃうの…そのままお話聞かせてよ〜…。
« Upload A New Mind To The Body » : Les Mues de Mirai MORIYAMA – Journaldujapon

 ああでもお写真も色々でありがたいです。
 ほんと幼稚園レベルのアレで、全然意味取り違えてたり、間違えてたりしそうで怖いし申し訳ないことこの上ないんですが、でもぐーぐる翻訳は日本語にしてくれないし、読みたいものは読みたいし、多分だーいたーいこんなことを云ってらしたんじゃないかなーくらいの半目推奨で訳を。っていうかこういう教材で勉強したらすごいがんばるんじゃないかなーわたし。森山未來で学ぶフランス語講座受けたい。毎週テキストは森山さんのインタビューで。文法解説もがっつりあって。このqueはどこにかかってるとかこのlaは何を受けてるとかそういうのちゃんと…がんばって辞書ひくわ…*1

『Upload A New Mind To The Body』:森山未來の変身

MCJPで行われたダンサー森山未來のパフォーマンス『Upload A New Mind To The Body』、この滅多にない機会に、Journal Du Japonはマルチな才能を持つこのアーティストに、その経歴とこの新作についての話を訊いた。

JDJ:森山未來さん、こんにちは。まず、あなたの経歴をお聞かせ願えますか。

森山:わたしにとってのきっかけは、マイケル・ジャクソンでした。5才の時にジャズダンスを始めました、その頃日本では(マイケルが?)とても流行っていました。6才でタップダンス、8才でヒップホップとクラシックバレエを始めました。高校の時にはフラメンコも習いました。
同時に、母親がハリウッドのミュージカル俳優フレッド・アステアの大ファンで、それで10才の時に劇団に入りました。そこでミュージカルに出演したのが最初で、それからドラマや映画に出るようになりました。
実際、私はいろいろな経験を得る為に、可能な限りの技法を試してみました。ダンスに戻ろうとした25才頃、自分がある種の壁のようなものに直面していることに気づきました。そして、振付家の辻本智彦や「変身」で一緒に仕事をしたイギリスの劇作家スティーブン・バーコフ、とりわけダンサーのシディ・ラルビ・シェルカウィといった人々に出会い、ようやくひとつのダンススタイルに自分を閉じ込めなくてはならないという考え方から脱することができました。すごい開放感でした!
ちょうどその頃、ダンスや演劇といったツールが舞台上でのグローバルな表現に出会う助けになると思い始めていました。そしてこのより広がる芸術的展望を抱き始めた時、文化庁より、イスラエルインバル・ピントカンパニーで学ぶことができる文化交流使の任務を提案されました。わたしは、一つのジャンルに制限されることなく活動することを彼らに教わり、とても多くのことを学びました。
パリで行う今回のパフォーマンスのキュレーター長谷川祐子と出会ったのもこの時です。彼女は日本においてとても重要な人物で、私が今日上演する作品のアイデアを持っていたのは、彼女が美術館でパフォーマンスを行うよう勧めてくれた時でした。

JDJ:フランスでは、しばしば古典と現代にとてもはっきりと区別をつけます。日本ではどうですか? あなたはジャンルを混ぜますが、それは流行っているのですか?

森山:日本でも、それはとても部門化されています。もちろん観客も同様です、クラシックバレエの観客は本当に、コンテンポラリーの観客とは混在しません。舞台上では、まったく違う二つの世界なのです。コンテンポラリーダンスはある状態や総体的なものを表現します。クラシックは、何ならヒップホップも、よりいっそうの完璧さや美しさを見せることが目的になります。でも、クラシックのそれをやるのに、コンテンポラリーでは最後の一瞬で充分かもしれない。出発点が違うので、ひとつの舞台上でふたつのジャンルを混在させることは簡単ではありません。なので、ダンサーは自身を表現するために、彼自身の何かを『壊す』覚悟を決めなくてはならないのです。

JDJ:日本の多くの芸術的分野はその土地の文化や歴史に結びついています。コンテンポラリーダンスもまた日本の文化や歴史と深く繋がっていますか?

森山:わたしは舞踏に興味を持ち始めています。真似事に陥ることなく、日本人の身体はこの種類のダンスに順応します、それは日本人の身体が身を屈めたり、しゃがんだり、跪く習慣を持っているからです。日本人の顔立ちは本当に舞踏によく合います。この公演でも、恐らく舞踏を想起させる要素を見つけることができるでしょうが、それらは私の顔立ちにさらに結びつけられているのです。
同様に、このパフォーマンスには確かにアニミズムの思考があると思います。『Upload A New Mind To The Body』が含まれていた展示会は、アジアや中東、西洋より人間と『モノ』を区別しない考え方が今でも残る地域のアーティストが招かれていました。

JDJ:今回のパフォーマンスについて話してもらえますか?

森山:これは学際的(クロス・ディシプリン)な作品です。言葉があり、音楽があり、身体の動きがある。これは私が長年にわたって蓄積してきた全ての表現のツールを同じ舞台に乗せる、ひとつの集大成です。私はこのパフォーマンスの基盤を、身体の記憶に置きたかった。当然、身体に刻み込まれたような動きも含まれます。それはきっと、ひとつのジャンルのダンスか、もしくは別の、もしくは身体が言葉と共に立ち現させるものになるでしょう。公演では私自身の名前に基づいて、日本語でもりやまみらい、アルファベットでm-o-r-i-y-a-m-a-m-i-r-a-iがはっきりと発音されます。音節と文字は音楽の中で新しい単語になるまで混ざり合います。
コンセプトの面では、私の身体は半透明のある種の膜でコーティングされています。ちょっと薬みたいだと思いませんか?(笑) 興味深いのは、踊っている間の発汗で、膜は柔らかくなり、私の肌にくっつきます。にもかかわらず、次にそれはすぐに固まり、ひび割れます。いくつかの断片は落ち、他は私の肌に直に混じります。

JDJ:『Upload A New Mind To The Body』は再生(ルネッサンス)や新しい価値観といった考えを想起させます。『近代主義に代わる』というこの考え方がある一方、あなたはあなたのパフォーマンスをコンピューター開発のシステムアップデートに喩えたり、メディアテクノロジーやメディアアートの中心で活動されたりしています。矛盾していませんか?

森山:私はこのパフォーマンスを、ドイツ・カールスルーエのZKMで開催された学際的展示会用に作りました。『New Sensorium』というタイトルのこの展示は、『近代化の失敗からの脱却』という問題提議に続いています。わたしのパフォーマンスが持つ考えは確かに、近代主義に替わる新しい価値観の集積です。でも、まるごと否定したくはありません。私の身体を覆う膜は、私の肌にこびりつく近代主義をもまた表しています。それに、いくつかの欠片は剥がれ落ちますが、他は残ります。全ての膜が剥がれ落ちるパフォーマンスもあれば、逆に、全くひび割れないこともありました。全て剥がれても、全て肌と混ざっても、それはひとつのパフォーマンスから別のものへと変化し、そして私は問題の複雑さをよく表していると思います。パフォーマンスは40分程度続きますが、もしそれが即興で行われたとしても、上演時間は安定した結果となります。わたしはどの状態でパフォーマンスを終えるのか全く予想することが出来ないにもかかわらず。
わたしはデジタルツールが一般化する前の最後の世代に属しています。若い世代を責めようとは思いません、私自身もそれらのツールを使います。むしろ、わたしは理解する為に自分の世代と次の世代の間の繋がりを作りたい。
でも、このパフォーマンスはそんなことにもそれほど縛られているとは思いません。伝えたいことは私の経歴や遺産によってさらに言い表され、パフォーマンスの結末は対立して見えるふたつの世界の狭間で作られた様々な要因次第であるということによっても言い表されます。

 最後ほんとふんわり…になってしまって…ニュアンスしかわからない…匂いだけでもふんふんしますね…。
 すごいどうでもいいことなんだけど、évident(明白な、明らかな)って単語を否定形にすると「難しい」「簡単ではない」って意味になる、のがすっごいフランス語っぽいなって思った。「明晰ならざるものフランス語ならず(ce qui n'est pas clair n'est pas français)」って何か標語みたいなものがあって、これを掲げて昔のフランス人の頭いい人たちがフランス語を今のようなとても文法的にクリアーな形にしていった、っていうのをかつて教わったのだけど*2、明晰なものは美しいって感覚がとてもフランス的で、明晰じゃないものは難しいんだな。ce n'est pas évident(明らかではない)、を「難しい」って日本語には普通持っていけないから、あーすっごいフランス語だーって思った単語でした。こういう感覚懐かしい。

*1:でも英語はあんまりやる気にならぬ

*2:なのでフランス語の文法は基本的に全て説明できる理論がある。ので理屈っぽいわたくしにはとても理解しやすかった。英語はそういうの破綻してるからわたしには無理…