ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「Upload a New Mind to the Body」@MCJP関連

 5月10日付でパリ公演の記事?が上がっていたので、細目でふんわりと目を通したら、何やら褒められていそうな気配を察した(笑)ので、先日に続いて今回もざっくり訳してみましたよ。褒められてる記事はモチベーションも上がるってもんですな!
 薄目で見て欲しい感じなので…例によって例の如く、ここちがうとかあったら教えて頂けるとありがたいです…。でも意地悪な文章じゃなくてわりとすんなり行けた…。

La folie des manga: Danse et expression corporelle avec Mirai Moriyama

森山未來ダンスと身体表現

 先の4月30日、ダンサー森山未來はパリのMCJPで行われたユニークな興行に出演した。ダンスと身体表現と強いメッセージ性の間で、満員の会場はこの世界でも類を見ない作品に魅了された。
 上演に続き、デザイナー(長谷川祐子氏?)から、及び森山未來からの解説が行われた。

ダンスとしての美

 まず、カエサルのものはカエサルに:*1森山未來は比類のないダンサーであり、その身体を自在に操ることができる真の天才である。全ては上品に、優雅に、ダイナミックに為される。人々は彼の身体のしなやかさと振付の活力に魅了され、驚かされる。身体の全てはミリ単位で計算され、寸分の狂いもない。彼はリズムと一体となって演じることができ、雰囲気や音楽、照明に完璧に合わせることができる。それら全てが彼の振付に、より一層の深みと激しさ、強さを与えている。

強いメッセージ

 ダンスにも増して、森山未來はそのパフォーマンスを通じて我々に、強く衝撃的なメッセージを提示する。名前や名字、それらを解体したものから想起される象徴的なアイデンティティの探求。彼の場所、この世界の破滅の探求。それはとても悲痛で、観る者はすぐに全ての暗示と象徴を理解する。それは全てを豊かにし、より一層興味深くする。それはある種の通過儀礼だ。

象徴主義としての芸術

 森山未來ダンスは光輝き、象徴主義の始めから終わりまでの足跡を残す。全ては自然と、人間と、近代社会と深く繋がっている。彼のダンスはメッセージと、内省を通した精神の旅への招待だ。全ては世界を構成するあらゆる存在がそうであるように調和する。それは変化と、均衡への回帰への招待だ。

世界への視線

 このダンサーは我々に世界のイメージを見せようとしているが、実はもう一つ別の物の見方を提示している。それは、経験と五感を通して見る、ということだ。それは興味深く、充分に組み立てられている。我々は全てがある意図を持っており、いい加減に放置されているものは何もないことを理解する。

終わりに

 初めは、このパフォーマンスの象徴主義と世界観へ入り込むのは難しいかもしれないが、その後、観客は文字通りこのパフォーマンスに魅了される。森山未來は並外れた身体能力を持つ希有なダンサーである。

 にほんごもむずかしい。

*1:こういうの上手く訳せない