ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「Upload a New Mind to the Body」パリ公演関連

 いくら連休中だからといってぱりーにも行けるなんてことはなかったわけですが、パリでの公演に関しても少し記事が上がっていて、ドイツ語イタリア語よりは多少まーだほんの少しはとっかかりが掴めるってもんですよ一応フランス語科卒なもので。しかし9割方忘れ去っているのですが。なのでぼちぼちと大雑把に直訳しつつ大体こんな感じかなーと意訳に持ち込んでふ………っんわりとなんとなーく読んでみたり。
Mirai Moriyama, dans une performance fascinante, danse l’animiste nouveau | Le Club de Mediapart
Mutant - Critiques - mouvement.net

 上の方は、作家で俳優でもある演劇評論家さんのブログなのかな。何となく意味も掴みやすい親切なフランス語だったので、大体大まかに大意は掴めました多分。下の方は…あれよね、めんどくさいおふらんすのジャーナリズムよね…皮肉っぽい言い回しとか親切じゃない文法とかで…一応読んだけど日本語には落とせない…面白いこと云ってなくもないんだけどなーーんか感じ悪いしな!
 なので、上の方だけとてもふんわりとした訳を置いておきます。が本当に薄目で読んで雰囲気だけ受け取ってくださいなアレなので…ここ違うとか、ここはそうじゃないとかあったらむしろ教えて頂きたいです…ちゃんと勉強し直したいね…。

森山未來の魅力的なパフォーマンス、新たなアニミズムダン

主体と客体の狭間で、森山未來は未来へ飛び込む

 光の中に、床上の水滴が照らし出される。空気が歌い、呼吸の循環が囁く。空気と水は生を踊る。感覚的な場所の対象は円である。その中央には卵型の身体が、時を超えて孵化している。彼は暗闇の中から我々の前に、産声でその名「Mirai Moriyama」を叫びながら生まれる。モリヤマミライのアナグラムと意表文字は、我々に彼の肉体のその向こうを語る。それは動植物がそこから生まれた山と森だ。どんな影もそこには落ちない。ただ、身に纏った透けた断片、何か胎盤のようなそれを脱ぎ捨て、彼が誕生するだけだ。
 「Upload a〜」はある種の動きによる彫刻である。ブランクーシの抽象的な彫刻や、カフカの「変身」を連想するだけでなく、ドイツの作家であり植物学者であるアーデルベルト・フォン・シャミッソーによって書かれた幻想小説「影を売った男」やペーター・シュレミールの不思議な物語を思わせる。
 このパフォーマンスで、森山未來は主体と客体の間で自らを未来へと放り投げる。母なる自然の眼前で、彼の東と西はひとつになる、新たなアニミストとして。森山は彼の芸術性において、その才能と精度が魅力的である。恐らく、フランス語のアナグラムで彼の名前「ミロワール(鏡)」は、「メメント・モリ(死を忘れるな)」という言葉を映し出しており、そして我々の肉体は精神と共犯関係にあるということを決して忘れてはならない、ということを思い出させるのである。

 下のめんどくさい方の下書きみたいなのも一応置いておきますね…がんばったんだけど色々足りなかった…供養しておく…。

変異体

 日本の大小劇場俳優の森山未來は、3月にピーター・ヴァイベルのZKMで製作したnovlangue*1での名付けのバリエーション「Upload a〜」(東京でフランス風のタイトルや名前を付けることがイケてたのは遠い昔のこと)をMCJPで再演した。
 この「パフォーマンス」とも云い換えられるソロは、コミッショナー長谷川祐子氏によってプログラムを組まれたカールスルーエでの展示「New Sensorium-近代化の失敗からの脱却」の一環として結集された16の非ヨーロッパ圏、アジア及び/もしくは広義の「東洋」のアーティストたちのプラスティック、映像、彫刻、インスタレーションとは云わないまでも、の中で唯一生き生きとしたダンスだった。様々な泉で大酒を飲んだ後−ジャズダンス、タップ、クラシックバレエ、ヒップホップ、コンテンポラリー−、役者でダンサーの森山未來は、共同振付の三東瑠璃の協力を得て、それらの泉のほとりで、少し「ニューエイジ」で普遍的なテーマに文字通り「粘り付き」たかった20分程度の小品を作成した。展示によって規定された図式-脱工業化時代やサイバー時代の人間と自然の関係性-が半自然主義的、半ヌーディスト的、もしくはそう云いたければ、半動物主義的、半アニミスト的であったことは注意すべきである。
 役者の呼吸とその増幅されたエコーは、ピアノのループとVOに任せたフレーズに飾られ、三浦康嗣のエレクトロアコースティックな音楽の上で丁寧にミックスされ、つまりシェイクスピアの言葉で云うならば、天井からぽたぽたと漏れるいらだたしい責め苦によるリズムであり、8個のRGBランプの仰々しいピクセルに囲まれた男は、20個程の多色LEDスポットライトの後光に包まれ、リノリウムの上で裸の純白のサーカシアン*2へ進化した。裸、もしくはほぼ裸:性器はフレッシュバター色*3のふんどしに守られており、白っぽいぼろぼろの鱗状の皮膚、乾いた残滓が脱皮のように剥がれ落ちる。
 このように、肉体は檻に囚われて、脱皮し、最初は動かず、変態と進化と変異を待ちながら、少しずつ動き出す。アンダンテになる前はアダージオのテンポだ。技術と身のこなしの質が素晴らしい床上での動き-様式の話はまだ語らない-は、ヒップホップも、伝統的な体操やコントーションも取り入れたものだ。確かに、動きはサウンドトラックのリズムや水の流れや時の流れや物事の順序に従っているように我々には見えたが、偶然にも、彼らが実際に、物質的に、物理的に、明示もしくは図式化することを試みるフレーズの順序にも従っているように見えた。

 はいわかんないーー。あと途中で投げたーーー。

*1:わざと反対の意味の言葉で表現する流行りの云い方らしいよ

*2:意味わからないわ

*3:#FFF48Dの色だそうです