ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

 案外、なにも浮かばないもんだなぁ。
 知ってから1時間半くらい。5分号泣して10分ぼんやり、を数ターンくりかえして落ち着いたところだけど、そのことに触れる文や、写真や曲を耳目にすると途端にスイッチが入って号泣になってしまうので、ニュースが怖くてテレビつけられないし、ツイッターも開けないや。
 ひとつ前の日記で、お誕生日おめでとうって云ったばかりなのにね。ぽちっとしたニューアルバムもまだ届いてないのにね。
 火星に帰ったんだよ、って云われて、ああそうだね、って思ったけれど、でもわたしは結婚して奥さん大好きで恰幅良くなってすっかり地球の素敵なオジサンになった彼も大好きだから、帰って欲しくない。ずっと地球のどこかで穏やかに幸せに暮らしていてほしい。どこで何してるかなんて知らなくていいし、新曲だって出なくてもいい、ただどこかに彼がいる、それだけで良かったんだ。良かったんだよ。
 体の一部をもがれるよう、とか、心臓が半分千切られたみたいとか、そんな風には感じないけど、わたしの中のとても中心に近いところにある、大事なものを集めてそっと蓋してある宝物箱みたいな場所から、とても大切で綺麗な一粒がこなごなに砕けて消えてしまった、そんな喪失感。そこにあるだけでよかったのに。そこにあることをわたしが知っているだけでよかったのに。そこにそれがないことを、そこにあったそれがもう消えてしまったことを、わたしは知ってしまって、それがとてもとても悲しい。
 きっと、わたしのこれからの人生は、それが消えてしまったことによって、特に大きく変わることはない。今までだって普段、昔の曲を聞いて昔の映像を観て昔の歌を鼻歌でふんふんして、大体はそれで満足していたから、きっとこれからも同じように、チェチェチェチェチェンジース、とか、グランコントロートゥメイジャートム、とか、レボレボ、とか、アンダプレッシャ、とか、たまにはミラクルグッナイとか、そんなことをふんふんしながら生きていくと思う。これまででも、これからでも、大した変わりはないと思う。べつに、彼にわたしの人生は変えられていないし、彼がいなければ今のわたしはいない、みたいなこともない。ただ、彼がもう地球のどこにもいないことを知ってしまってから、わたしの世界の彩度が少し下がったのは確か。
 ああ、こういう風に好きな人を亡くすのって、初めてなんだなぁ。彼が最初になるとは、正直あんまり思っていなかったなぁ。
 ずっと大好きだったし、これからもずっと大好きです。少しでも、彼が地球上に存在する間に、自分の生が重なったことを幸せに思う。彼を好きになれて幸せだと思う。2004年の日本公演に行けて本当に良かった。R.I.Pとはちょっとまだ云えないけど、わたしが彼を好きなことには何ら変化はない。綺麗な一粒が砕けて消えてしまったことは知っているけど、それがどれだけ綺麗だったか、どんなに輝いていたかもわたしは知っているし、それはずっと消えないから。残してくれたきらきらしたものたちを観て聞きながら、その向こうに一粒を探せるから。
 大好きです。でも悲しい。また地球に落ちてきてよ。