ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

多摩美術大学芸術学科公開講義「21世紀文化論1『パフォーマンス・アート・テキスト-横断する身体』

 オープンキャンパスに合わせた公開講義なるものに、のこのこと潜り込んで果たして良いものやら、そもそもOCって入学を考えている学生さん向けのものじゃないの?とか、到底学生には見えない人間が紛れて良いものなの?とか、けっこう直前まで迷っていたのですが、大丈夫だよの声を頂いたり、あと美大卒の友人に訊いてみたら、誰であれ作品を見てもらえるのは嬉しいから別に学生じゃなくてもOC来てくれたら喜ぶよ、と背中を押してもらえて(笑)、じゃあ、と八王子まで出かけてみました。案外近かったよ八王子。でも八王子の駅からは遠かったよ多摩美
 緑豊かな山の上のキャンパスは、建物自体がもうモダンアートな感じで、敷地もさすがの広さで、こんなところで芸術と向き合って4年*1も過ごすって、そりゃあ大変なこともたくさんあるのだろうけれど、人生の中でも素晴らしく豊かな時間を持てるんじゃないかと、羨ましく感じましたよ。休み少なすぎ!って嘆いてる声も聞こえたけれど(笑)。あと久しぶりに入った大学の学食が、とても良い雰囲気で、安くて美味しかったのも…いいなぁ! チーズハンバーグ美味しかったなぁ!
 整理券配布に30分くらい並んで、配布開始時点で配り終えるくらいには並んでいたと思います。100人くらいは入れたのかな。講義を受講している学生さんはあらかじめ席が確保されていて、一般はその後ろに着席する感じ。講義室とかほんと懐かしい…机にくっついてる折り畳みの椅子あったあった!
 講義は、講義というよりは講演会のような感じでした。もっとこう、ホワイトボードに何か書きながら授業っぽくやるのかなーとか思っていたら(笑)。長谷川祐子教授との対談というかインタビュー形式で、前方に着席してマイク付けて、プロジェクターで映像を映しながらそれについて語る感じ。おそらく未來さん私物(笑)のMacBookAirか何かの画面をプロジェクターに映して、動画を再生していました。
 取り上げたのは最近の作品を中心に、ダンス寄りのセレクトでトレイラー映像やら何やらを流しつつ、クリエーションの方法や背景、表現方法や意図などを長谷川先生が訊くという流れで。印象に残っていることをちょこっとメモってきたので*2、置いておきます。

  • 未來さんの出で立ちは、お団子頭に柄もののTシャツっぽいもの、の上に黒い薄手のジャケットを羽織って、グレイのゆるいスエット風ボトム、足元は見えませんでした。ペットボトルのお水が用意されていて、それをすごくしょっちゅう飲んでいた印象が。
  • この講義は何回か続いているシリーズのうちの1回で、異なるジャンルを横断して活躍している方を毎回招いているのだそう。お名前何人か出てたけど誰だったかなぁ。
  • まず「談ス」の映像から。「談話する」と「ダンス」のダブルミーニング。汚いものが存在するのにそれを見ないようにするのが現代の風潮だけど、汚いものや必要じゃないかもしれないものが、それがないと世界が回らないかもしれない、そういうものこそが世界を循環させているのかもしれない、とか。
  • 抽象的な表現であるコンテンポラリーダンスの合間に、点々と言葉を置くことによって、点と点を線で結んで何かしらの形が出来上がる。けれど、そこに何の形を見出すかは観る側に委ねたい。3人のコンセンサスが取れていれば、その先は観客に委ねるのでいい。
  • 身体表現の抽象性と、そこに点在させた言語の具体性のバランスが絶妙だった、と長谷川教授。
  • この3人が演じること、ではなく、この作品自体に意味を持たせたい。演じる人間が入れ替わっても成立するようなものにしたい、と云ってたのがとても印象的でした。
  • 次は「DUST」。タイトルが決まったのはプレミアの10日前くらいで、それまでずっとflood(洪水)というイメージで作っていた。洪水は水でもあるけれど、情報の洪水とか、人の渦巻く感情とか、そういうイメージも含まれている。
  • 8〜9人のカンパニー中、偶然日本人が2人いて、多分東日本大震災のイメージも強かったんじゃないか。
  • インバル&アヴシャロムのクリエーションは、インバルが直感的でビジュアル的なのに対し、アヴシャロムはそこに言葉を乗せてくる。その言葉が直截的なものではなく、「〜かもしれないし、〜かもしれないよね」みたいな曖昧模糊としたものなので、ダンサーは混乱する。けど、その頭で考える部分が大事なんじゃないか、みたいなことを話していました。
  • 「Wall Flower」は元々イスラエルの美術館で上演するために依頼された作品。美術館と劇場との差異を考えた。
  • おじいちゃん*3は最初、美術館の監視員的な存在からスタートしたそうです。へーー!! ダンサーは壁に掛かった絵画かもしれないし、展示されている彫刻かもしれない、みたいなところから始まって、そこに「違う素材が入って」きた、臭う鉄、とか、って。思い返すとよくわからないんだけど(笑)、聞いてる時はすごく、へーなるほどーってなった…はずなのに掴みきれてないなこの辺。
  • もっと美術館的に、ダンサーを絵に見立てて、観る人もそこを通り過ぎながら観る、みたいなのも良かったかもね、と。
  • この作品のクリエーションは、カンパニーのダンサー9人中7人がこのシーズンで抜けることが決まってから始まったので、インバルたちの淋しさとか、脱皮とか、次へ進むとか、そういうのも入っているかもしれない、とも。そう云われると、最後の祝福感も、なるほどねと思える感じがするなぁ。
  • 海外でのクリエーションに参加した感想を訊かれ、外に出ると日本にいては感じられない「日本」を逆に強く意識する、と。
  • イスラエルのコンテンポラリーは政治的にずっと混乱状態で兵役もあって、身体的で爆発的、生身のものが刹那的に出てくる。ベルギーは大国に囲まれてコンプレックスが複雑、批評や上演のプラットフォームが出来上がっているので作品のすごく奥まで観る側が読み取ってくれる、と。国や政治や歴史、文化的背景の違いで、生まれる作品の傾向や特色が変わってくるのは当然っちゃ当然なんだけど、やっぱり日本にいて日本で上演される作品を見ているだけだと、なっかなかそういうのは感じられないよなぁと改めて思いました。
  • 「Te ZukA」、日本人からは出てこないであろう手塚治虫の捉え方と表現。バクテリアのくだりは「TED」という番組で発表されたテキストを使用しているそうです。バクテリアの共通言語のところね。
  • とにかく情報量の多い作品だった、と。「クロス・ディシプリン」って単語が長谷川教授から出てきたのはここかな。映像とダンスと言葉と、複数の表現方法が同時に成立している…ような?
  • コマ割りを説明する時の手の動きがとても綺麗でした(笑)。
  • Pluto」。長谷川教授が人工知能の演出を「とても人形浄瑠璃的」と云うと「それは絶対にありますね」と。ヒトガタに対する感覚の違いが西洋と東洋(日本?)である。肉体の模倣・模造として捉える西洋と、空っぽのヒトガタの中に魂を吹き込む日本。っていうのはキリスト教の影響とかもありそうだなと思いました。
  • Judas, Christ with soy」、内子座の映像撮って出し!(笑)
  • エラと二人でやっているけど、どちらがユダでどちらがイエス、とかは明確にはしていない。
  • ユダのイエスに対する思いと、イエスのユダに対する思いが、伝わっているようで伝わらない、または伝わっていないようで伝わってしまっている、そういうコミュニケーション/ディスコミュニケーションを、エラとのクリエーションの中でも感じた。
  • 太宰の作品をエラは英語で読んでいるけど、当事者により近い分、宗教的には捉えず、もっと本質的に抽象化して捉えている、そうです。
  • 影の演出は、キリストの処刑後にユダも結局自殺しているが、そういう終わりが近づいていることを暗喩している、ような…?
  • 時間がそろそろなのでそろそろ総括を、と云われ。ダンス表現のみのダンス作品は少ないし、演劇もダンスや歌を含んでいるものが大半で演劇のみのものは少ない、クロス・ディシプリンは意識せずとも自然発生していて、役者/ダンサー、などの境界線は曖昧になっているのが現状。それでも、「これはダンス」「これは演劇」と判断されることが多いけれど、そういう線引きが念頭にあるような「観てもらい方」を変えていく方法を探したい、というような感じで総括されていました。
  • すっごいざっくりまとめてしまっているので、解釈が違っているのとか、わたしの主観入り過ぎなところとかもたくさんあると思いますが…そこは差し引いて薄目でお願いします…。
  • ここから芸術学科の安藤先生が参加されて少しトーク。何故題材に「駆け込み訴え」を選んだのかと訊かれ、愛情と憎悪は表裏というか、「誰かに想いを傾ける」という意味では一緒だなと思った、と。ユダに対する愛情、弱者に目を向ける太宰の目線に共感する、とも云っていました。
  • 安藤先生に「人間失格」をやってみてはどう?と云われ面白そうですね、と。自分を書けば書くほど自分を消していく私小説、表現していくたびに表現が消えていくのは面白いかもしれない、と安藤先生。どんなんなるんだろうそれ(笑)。
  • 予習で授業内で「走れメロス」と「変身」を学生に見せた、と安藤先生。メロスの映像をなんやかんやして(笑)やっと出して、長谷川先生は走る姿が美しくてと大絶賛でした。ブルーバック撮影や、田中泯さんとは全然会ってないとか、この辺はわちゃわちゃ楽しそうに雑談モード。
  • 長谷川教授が「顔がアルカイックでクラシックだから何でも憑依させられる」みたいなことを云って、未來さん大笑いで「能面みたいな?(笑)」って云ってたり。
  • メロスの映像が出る前に、「田中泯さんは静止画です」とか云ってた未來さん、映像出たら全然動いてて「あ、動いてる(笑)」
  • しかしメロス久しぶりに観たらまぁバレエが美しくって美しくってこういういわゆる美しい動きはここ数年とんとお目にかかっていないわ…とちょっと寂しくもなってしまいましたよ…。あれはあれでとても良いんだもの…。

 と非常にざっくりかいつまんでですが印象的だった部分をピックアップしました。知ってるお話も知らないお話もいろいろ聞けて大変興味深く有意義な時間でありましたよ。
 最後の方で、ちらっとPC内の画像を見せてくれて、「今大阪でダミアン・ジャレっていう人とこんなことをやってます」と。ダンサー数人の身体で組み上げた不思議なポーズを、3Dスキャニングして3D画像化したもの、だと思います。それが平面作品なのか立体作品になるのか何なのか、その時はまったくわからなかったのだけど、どうやらこれみたいですね!
Villa Kujoyama | 「Vessel」ダミアン・ジャレ、名和晃平
Villa Kujoyama | ダミアン・ジャレ&名和晃平

 一応、舞台作品…のようで…すが何もわからない(笑)。
 講義の前には、学内の展示をいくつか見て回ったのですが、まぁこれが面白いんだな! 普通にモダンアートの美術館に来ているような気分で見ていました。プロダクトデザインの卒業制作とか、環境デザインの作品展示とか、面白かったなぁ。1年次2年次のカリキュラム説明なんかも覗いてきたけど、すごい。すごいし面白そう。だし、難しい! 美術とは中学で決別した身には、目に入るものすべてが尊敬の対象でしたよ…すごいよほんとに…かっこいいよ羨ましいよものがつくれるってすごいことだよ…。2年次の授業かな? 可視化する課題がすごく面白かったです。映画1本の、いくつかのワードがセリフに含まれて出てくる時間とそれを発する登場人物をグラフ化して、それと同期させてBGMのBPMと流れる時間を表化したり、映画の背景の色と時間をカラーチャートで表にしていたり…こんなこともデザインなんだねー! キャンパス内でお揃いのTシャツ着てる学生さんたちがとても眩しく見えました。

*1:4年間八王子キャンパスじゃないけど

*2:授業だからね!

*3:茶色いイモムシみたいな