ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

ままごと「わが星」@三鷹芸術文化センター星のホール(5/26夜)

 多分2011年の再演時の評判を小耳に挟んでいて、少し気になっていた作品が再々演されるということで、とても気になっていたのをえいやっと観に行きました。三鷹芸術文化センターはコンサートで何度か足を運んだことがある会場だけど、駅からちょっと離れてるのが面倒くさくてね…腰が重くなってしまうのね。でも、その重たい腰を持ち上げてみた甲斐が非常に大きかった、とても素敵な時間を体感できました。本当に、行って良かった!!
 フラットなスペースを円形に囲むように座席が設置されて、暗い会場の上からはアセチレンランプが点々と下がってほのかな光を灯す、そんな開演前の空間から何となーく、素敵な雰囲気を嗅ぎ取ってしまう。でも、開演を待つ間のどことなく静謐な、声を潜めるような空気感は、開演と共に一掃されるのでした…すごく、すごく音に溢れた90分だった! 観た方の感想や解説にふんわりと目を通していた時、「ラップ」という単語があったのはうっすら覚えていたけれど、え、ラップ? どの? サラン?? まさか?ってくらい結び付けていなかったというか、想像していなかった(笑)。けど、ああ、確かに、これは…ラップ…って云っていいのかわからないけど他に呼びようがない…でもわたしが思ってたのとは違う…。リズミカルで韻を踏んでて繰り返しが気持ち良くて止まらなくて、うんラップか…でも印象はラップだけどミュージカルでオペラです。
 ストーリーは、全然難しくないんだけれど抽象的で、言葉で説明しようとすると良くわからないし伝わらない(笑)。団地が宇宙で少女が星でちゃぶ台の周りを公転するの。ほらわからない(笑)*1フラクタルというか、マクロとミクロを並べたら相似形、みたいな。天体望遠鏡の中と顕微鏡の中は同じ世界、みたいな。そんな、とんでもなく広大な世界と、とても身近な最小単位の世界を、自在に行ったり来たりするのがすごく不思議で、でもすごく自然で、なかなか得難い体験というか、感覚です。そんな高速爆散・爆縮が、60bpm(四分音符=60)という時報のリズムを刻みながら繰り返され、宇宙と居間を、500億年と今を、座っている間に行き来する。刻まれるリズムのテンポは変わらないはずなのに*2、とても静かに流れる時間と、ものすごいスピード感と疾走感の瞬間とがあってそこも面白い。劇中で、時間を飛び越える感覚をすごく味わうのだけど、ほぼ上演中鳴り続けている時報の音*3が、一定に刻み続ける通奏低音として、ある意味冷酷に、時間の不可逆性を突き付けてくる気もする。こうしている間にも5400秒あなたは終末に向かって進んでいる、それは止まらないし戻れない、っていう事実を冷静に告げているような。
 何か、ひどく悲しい事件が起きるわけでも、感動的なドラマが繰り広げられるわけでもないのだけれど、何故か途中からじわじわと涙が止まらなくなって、最終的に嗚咽をかみ殺すくらい泣いてしまったのですが、何でこんなに泣けてしまうのかよくわからないって思いながら、わからないままに泣くというちょっと不思議な経験でした。けっこうそういう感じで泣いてる方が多いようで、あれ何なんでしょうねー? 喜怒哀楽とか、表層の感情じゃない、もっと奥底の深いところで何かが小さく震えている感じ…意識で掴まえられないんだけれど、何だろう、根源的というか普遍的というか…人間、地球、生物、生命、そういうレベルでの普遍性にある何かをつつかれたような、そんな涙だったのかも知れない。
 ひとりの少女と彼女を囲む人々、世界、その一生が、ひとつの惑星とそれを囲む星々、宇宙、その一生と、重なり縺れ合って、等しく刻まれる「時間」を進む、走る、回る、周る。町の灯りを見る時、月が光るのを見る時、眠る時、誕生日、家族といる時、誰かを見送る時、自分が逝く時、きっと思い出す。思い出したい。そんな、大事な作品になりました。


 座席の上に、チラシと一緒に置いてあるアポロ2粒。観終わると、とっても素敵なお土産になるので、踏まないように気をつけて下さい。
 コピーの「あー、地球に生まれてよかった。」を、じんわりと噛み締めながら帰るはず。地球上に生まれてよかった、であり、地球として生まれてよかった、なんだよね。そうありたいし、そうであってほしい、この先もずっと、いつか迎える終わりの日まで。
わが星 * ままごと – オフィシャルサイト

 三鷹公演の後は、小豆島にある学校の体育館で上演されます。すごい、絶対素敵だそんなの…。

*1:でも観た人には通じるはず!

*2:細かくはなるけど

*3:たまに音の種類が変わるのも面白い。テレビっぽいのと電話っぽいのと、あとピアノの音だったり