ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「ウォールフラワー」2回目(マチネ)

 本日はマチネのみでした。夜は別件の先約がありまして…何でかぶるのかしら…。
 昨日は4段の側から観たので、今回は7段側から。ああ、こっちの方が視界の一望に全部がすっきり収まって見えるのねーなるほど。より、個々のパートがそれぞれ見えて、全体を把握しやすいと思いました。4段側はあれはあれで面白いけど!
 日替わりネタがどうとか、そういうものではないので、もうあとはわたしの個人的な感想と印象しかありません。やっぱり2度目なので、初回よりは多少見えてきた風景がくっきりしたかな? まぁ、そもそも風景自体が勘違いの蜃気楼である可能性も大きいんですけどね(笑)。


 昨日より、ダンサーさんの表情*1がよく見えて、こんな感情あらわに踊ってたんだ、っていうのがダイレクトに伝わってきたので、よりメッセージ性が強まって見えた回でした。これはわたしが、そういう思いを先に持った上で観てるから、というのが大きいとは想うんだけど。妄想の根拠をよりはっきりともらった感じです(笑)。
 集合と反発とか、集合からはじき出される異分子、みたいなのは昨日も感じた点で、異であることを良しとせず、というかできず、壁から離れられないとか、離れてもまた壁に押し付けられるとか、今日はそういう感じを受けとりました。昨日は何か、アクロバティックですごいな!みたいな方しか見てなかったような。
 集合体でありながらそれぞれが孤独で、寄り添ったり触れたりしても一時的で何かが通い合うような触れ方でもなく、とてもよりどころのない、頼りなげで希薄な関係性が透けて見えるような。
 それが一変するのが、雄叫びの後、自らの身体を激しく叩き始めるシーンで。叩いている女性ダンサーさんの表情からも何となく、怒りの発露のような印象を受けました。身体というか、むしろニットの衣装を叩いているように見えて。集合体は最初戸惑い、彼女を異端視する*2けど、徐々に怒りは伝染し、それぞれが自分の身体を叩き始める。昨日、ニットの衣装がその人をカテゴライズする外的/付随的要因みたいに見えると書いた、それがすごく残っている頭なので、そういうものたちに対する怒りとか、反発とか、そういうものに見えてしまったのです。
 これまで自分を狭めてきた肌にまとわりつくモノを、怒りを込めて叩き、集合体は個々へと変化していく。壁際から解放されフロアに解き放たれる個、自由、力、意志、そんなものを想わせるパワフルなポーズとダンスが、それまでのためらいを一掃してすごく爽快でかっこいい。照明の色も冴え冴えとした白に変わるの、何だかゾクゾクして大好きです。
 カチカチとクリック音みたいな機械的な音がして、コキコキした動きが挟まるのは何だろうな、すごく歯車とか、メカニカルでシステマチックなイメージがあるんだけど。でもそのあたりから、うごうごしていた茶色いアレが何だか縮こまっていって、ダンサーたちはアレを恐れなくなっていくように見えた。結局アレは脱ぎ捨てられて空の蛹みたいにくしゃくしゃに打ち捨てられ、色とりどりのダンサーたちは床に手足を大きく広げて寝転がる。壁の花だったものたちが、床に大輪に咲いているのがとても美しいのです。が、そこに天恵もしくは天啓みたいにハンガーが降りてくる。それはもう脱ぎ捨てて良いんだよ、って云われてるみたいな。それを少し驚いたような顔で見上げるダンサーたち、それを脱ぐことなんて思いもよらなかったような顔して、脱げることを知らなかったみたいな風に、ゆっくりのそのそと脱ぎ始める。ハンガーにかけた抜け殻が、ゆっくりと天へ昇っていくのを見上げる彼らは、生まれ落ちたばかりみたいなほこほこの身体に、小さな子供のような下着をつけて、いらないものは何も纏っていないまっさらなただのヒトで。そんな、何色でもない、何者でもないヒトが、祝福みたいな音楽が鳴り響く中、壁に押しつけられることなく自由に、晴れやかに力強く誇り高く踊る姿が、本当に美しくて嬉しくて、何だかやたらとにまにまして観ていた気がします(笑)。何だかとっても、多幸感を覚えるというか。自分も何かからほんの少しだけ、その瞬間だけでも、解き放たれたような、そんな気持ちになる。今のところわたしにとって、「ウォールフラワー」はそんな作品です。大好き。

*1:未來さん以外もね

*2:ように見える