ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

演劇企画集団THE・ガジラ 年間WS公演「ロミオとジュリエット」@下北沢小劇場B1(5/10夜)


 公演があったら必ず行くリスト上位常駐の鐘下辰男率いるガジラ、今回は年間ワークショップを終えた15人の老若男女によるシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」でした。もうね、WSはともかく、ガジラでロミジュリ!?!? 一体どうなるの!?!?と、まぁガジラがやるからには普通の、おおロミオ、あなたはどうしてロミオなの…?は、ないだろうとは思いつつ、それでも全く予想もつかず、という状態で観に行きました。
 何故かガジラはかぶりつき席になる率が極めて高く…今回も最前列になってしまいまして。着くのが遅い所為なんですが。ほんとにね、客席とほとんど段差のない*1舞台で、爪先数センチに演者が立ち、転がり、下手したら乱闘するという作品ばかりなので、最前の緊張感ったらないんですよ毎回…たまにはすこし下がって観たいもんだ…。会場に入ると、深紅の床に、まるでプロレスのリングのような、四角の四隅に立てられた柱と、その間に張られたロープならぬ赤い糸、その中心に白い布のかかった棺のようなもの、傍らには椅子に座りうなだれる黒衣の男性、と、入った瞬間からもう始まっているのもガジラらしい。大好物。前売り完売の為ギリギリまでお客さんを入れている最中に、音もなく現れる蒼いドレスにスキンヘッドの女性がひとり、椅子に座った彼の傍らに立ちつくし、時が止まったように動かないまま暗転、から始まると、そこからはもう、激流のような、ロミジュリでした…すごかった…!
 シェイクスピアの原作戯曲自体はきちんと読んだことがなく、ざっくりとあらすじくらいは…程度のふんわり把握で挑んだので、どのくらいオリジナル要素が盛り込まれているのかはわからなかったのですが*2、筋はロミジュリだったし設定も特に、現代日本に置き換えたりということもなく、そのままだったのだけど、たとえイタリアヴェローナだろうが日本だろうが時代がいつであろうが、そこに広がるのは完全なるガジラの世界! もうほんっと、激しくて火傷しそうに熱くて、ヒリッヒリのギリッギリで、感情もセリフも激流のように迸る。プロレスのリングみたいな舞台が、正しくバトルフィールドと化し、深紅の戦場に入り乱れる老若男女が、愛や家や親子関係や嫉妬や矜持や名誉や諸々の為に文字通り命を賭けて乱闘する…ロミジュリってこんなに攻撃的で破壊的だったっけ!?という驚きと、肉体と魂が眼前でぶつかり合う圧倒的な迫力に、開始早々易々と引きずり込まれましたよ。すごかった…鮮烈なロミジュリだった…。
 雰囲気としてはウエストサイド物語の空気が混ざってるような、短剣の類がいちいちカッターナイフでチキチキチキ…という刃を出す音がとても印象的に使われていたり。ロミオもだーいぶやさぐれた感じで(笑)、でもジュリエットがね! すごい花火みたいにぱちぱち弾けてるジュリエットでね! 不機嫌全開で怒ってて不遜でめっちゃ可愛かったんです…これはマリアでもなかった…ほんとこんなジュリエット、イメージなかったわーでもめちゃくちゃ魅力的だったわー。ロミオと出会う前は、母親*3の云う事に無言でうなずくような従順な娘に見えたのに、あの母親の娘だものね…一度火が着いたらもう大変だった。ロミジュリがこんなにエキサイティングになるなんて、シェイクスピアチャイコフスキーもびっくりだろうよ(笑)。個人的に一番興奮した(笑)のはやはり、ロミジュリ一番の有名シーンですね。夜のバルコニーからひとり、愛しいひとの名を呼ぶジュリエット、そこへ現れるロミオ、という例のあれ。が、まさかの演出で!! リング*4の角に置かれた台の上に上がり、ハンドマイクで「ロミオ! あなたは何故ロミオなの!?」と叫ぶジュリエット、その姿はまさに、試合前に相手を挑発するプロレスラーのマイクパフォーマンスが如し…対角線上の台上では服を脱ぎ捨てたロミオが、「君を得られるのならこの命だって捨てる!」みたいなことを絶叫すると、「足りない!」「全然足りないわ!!」「もっと!!」と煽りまくるジュリエット嬢、レフェリーよろしくあわあわしてるロレンス神父など目にも入らず真ん中でがしぃっと抱き合い腕とか足とかその他いろいろ絡めまくるふたり、を何とかひっぺがそうとする神父とジュリエットの侍女*5、引き剥がされてもすぐにがしぃっとするふたり…たまらん。そもそも、ジュリエットが恋に落ちる過程の描写も、なんというかものすごく急転直下な感じで、その急転直下感がまた、若くて激情的で青くてバカでとても眩しいのでした…。なりふり構わず家も名前も地位も親も、それまで手にしていた世界の全てを捨てるくらいの激しさだからこそ、あの結末が、…うん、仕方ないよね…と、悲劇的だけれどある種の達成感を覚えるような、ひとつの成就の形なのだなと思える。と同時に、有名な物語の結末としてではなく、ある男女が起こした事故/事件を眼前で目撃してしまったような、そんな生々しいリアルさを感じた。芝居の観客というよりは、事件現場に立ち会ってしまった感覚。ロミジュリがこんなにリアルに感じられるとは、これもほんとに鮮烈な体験だった…!
 ロミオの母が狂死したとか、ジュリエットの姉が母からの圧力に耐え切れず自殺(カッターで!)とか、この辺の設定はオリジナルにはないと思うのだけど、こういう部分がものすごーくガジラっぽさというか、「今わたしガジラ観てる!!」と感じさせる大きな要因になっているのも事実で。キャピュレット夫人がティボルトを誘惑したり、パリスが50過ぎのおっさん*6だったり、ロザラインVSジュリエット女の対決だったり、っていうのも今回ならではの演出なんだろうな。マキューシオが線が細い眼鏡の青年でちょっと良かったです個人的に(笑)。キャピュレット夫人が徹底してあー…な親だったのも鐘下風味。ロマンチックは欠片もなかったですがそこがいい!
 生者と死者が入り混じる、死の匂いが濃く立ち込めたロミジュリだったからこそ、ふたりの激し過ぎる恋が、正しく生のエネルギーとしてスパークしまくっていた舞台だったと思います。生者が悉く喪服のような黒衣なのに対し、ロミオの母・ジュリエットの姉という死者は色のある服を身に付けていたのも、何というか、生きながらにして死んだようなふたつの家を象徴的に表しているような。そうか、だから恋に燃え盛ったふたりは神父の制止もきかずに黒衣を脱ぎ捨てて抱き合ったのか。
 ラスト、ロミオとジュリエットの亡き骸を模した場所に、サングラスがふたつ置かれていて、確かにロミオもジュリエットもほんの少しの場面だったけど、グラサンをかけていたシーンがあって、でもグラサンの意味を掴み切れなかったのがすごく悔しいです。あれ絶対、ああそういう意味か!っていうのがあるはずなのにー!!…と、観劇後の反省会で友人と語り合いました。反省会まで含めてがガジラ観劇。
 あー、ワークショップ公演だからどうこう、というのは全然頭になかったな。いつものガジラと同じように観てたし、観られたし。今年のワークショップも募集されているので、また1年後の公演が楽しみです!

*1:今回は舞台の方が一段下にあった

*2:さっきちょっと確認したらだいぶ違ってた!

*3:がまたアンルイスみたいなワッフルヘアのセクシー迫力美人でしたよ

*4:だよあれは完全に

*5:というか友人というか

*6:でもとても素敵だったけど