ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

演劇企画集団ザ・ガジラ「ゴルゴン」@SPACE雑遊(2/23昼)

 毎回、硬派でずっしりと質量のある芝居を見せてもらえるガジラ、今回もがっつり堪能させて頂きました。ふんわりとした前情報では、今回はバイオレンスなし、女の会話劇、とのことだったので、眠くなっちゃうかしらとか、バイオレンスないのか残念ーとか思っていましたが、いやいや。直接的な暴力描写がないだけで、ある意味いつも以上にバイオレンスなやり取りであったかもしれない、くらいの…息詰まるギッチギチな2時間でした…。あの息苦しくなるほどのぎゅうぎゅうに濃密な劇場空間を体感する為に行くようなものですガジラ。大好き。
 野田さんが「THE DIVER」で題材に取り上げたので印象深い某事件を下敷きに、20年前のクリスマスイブに夫をその不倫相手の女性に殺された妻と娘、夫の姉(義姉)とその娘、という2組の母子の、辿ってきた道とその先を、激しい言葉の応酬で目の前に見せつけられる。冒頭から流れる女性のモノローグが、誰の声なのかわかると、彼女たちの慟哭がさらに胸に突き刺さる。けれど、薄皮を剥ぐように徐々にその内側が露呈していくにつれて、犯罪被害者遺族の痛みとは別のモノに、眉間が寄ってしまう…。
 夫を不倫の末に殺された母親は、娘に自分の希望や夢を託し、母が喜ぶようにとその選択通りに生きてきた娘は、父を殺された事件の鏡像をなぞるかのように会社の同僚と不倫の末に妊娠。不倫相手の女性の刑期は間もなく終わり、彼女が書いた手記とマスコミの偏向報道により、世間は加害者側に同情的な風潮で、さらに勤めていたスーパーのパートもクビになり、母はどんどん追い詰められていく。そんな彼女を必死に庇い、助けの手を差し伸べる義姉は、ラブホテル経営者の若い男と再婚して裕福な暮らしを送っているが、男には暴力的な片鱗が覗く。娘同士は幼馴染で一見仲良く育ってきたが、その裏には複雑な思いが絡む。支え合って世間の目と戦う2組の母子、だったはずの彼女らの、隠していた内側が徐々に露呈していくと、それぞれが抱えた歪みや軽蔑、劣等感や虚栄や、そういった闇の部分が滲み出た油のように広がっていき、狭い劇場空間を侵蝕していく。全てを吐きだし、ぶつけあった後の一瞬の静寂に流れるバカ明るいクリスマスソングの白々しさが空恐ろしく思える、クリスマスシーズンにぴったり(…)な作品でした。
 義姉の娘が、義妹の娘の不倫相手に、「どうして、人は同じ生き方しかできないんですかね?」と訊くシーンが印象的だった。その生き方しか、知らないからじゃないですか、と答えられて、彼女は笑い、やがて泣き出す。「同じ生き方」って云い方をしていて、「親と」同じ生き方、ではなかったんだけど、でも一番身近な生き方をなぞるようにしか生きられないのだろうな、という意味に聞こえました。親とイコールではなくても、その鏡像のような生き方を歩んでしまう娘、その娘の姿にさらに絶望を深める母。ゴルゴン(メデューサ)の首は鏡に映してゴルゴン自身を石化させる、という逸話を何となく思い出してしまう。娘の為にと、ただそれだけを願い全てをなげうってきた母、でもその願いは娘の願いとは違っていて。それでも母の為にと母の願うままに生きてきた娘。互いに互いの為にと思う、その思いが嘘だとは思わない。思わないけど、それでもその関係性に、違和感を感じてしまうのは、幸か不幸かわたしの親子関係がそういう方向のものではなかったから、なのかな。
 抱えていた鬱屈した思いをすべて吐き出し、鏡に映ったゴルゴンのように母親を打ち砕いて、絶望の淵に去る母をそれでも追いかける娘が、行くなと止められた時に云った、「お母さんなんです、わたしの」という一言。どんなに傷つけ合い、反発し、罵詈雑言をぶつけ合っても、それでも、親子の関係は、そうではない人との繋がりとはやはり違う何かがあって、親と子は別々の人格であり異なる価値観を持って然るべきでありながらも、その奥深くでは切り離すことのできない強い関係性を保ち続けるものなのだろう、と思わざるを得ないのでした。それを絆と呼ぶか、業と呼ぶのか
、はたまた逃れられない呪縛と思うか。
 立ち去った母親を追ってスーパーの屋上に来た娘、そこからふたりで去った後、ドーン!と重い音が響いたので、うわ飛んじゃった…?と思ったのですが、でも考えてみるとふたりが去った方向は屋上に上がってきた方だったし、飛ぶ方向ではなかったので、じゃああの音は屋上の鉄扉が閉まる音かしら?? ちょっとわかっていないです残念…。
 濃密な女の会話劇、登場人物の誰もが何らかの歪みや齟齬を抱え、どこか違和感を覚えるキャラクターが揃う中で、唯一、義姉の再婚相手がなんというか、正常の指針というか(笑)、異常な状況を異常だと捉えてくれてるただひとりの人物というか、とても拠り所になりました…だって、出てくるみんなそれぞれ、あーこの人ダメだー、て人ばかりなんだもの(笑)。唯一ふつーなことを云う人、でした。いてくれて良かった…。
 殺された夫が、妻にしか見えない存在として舞台上に現れ続けるのだけど、ラストシーンが不思議で…死んでいない夫*1が、約束していたクリスマスケーキの箱を持って、誰もいない家に帰ってくる、という。これは、もしも彼が殺されていなかったら訪れたはずの20年前の光景なのか、何なのか。もし20年前に夫が殺されていなかったら、殺されていたのは…なのか。どうなのか。
 確かにバイオレンスほぼナシ、嘔吐もナシの会話劇でしたが、大変バイオレントリーな会話が全編に渡って繰り広げられていたので、いつもと同じ疲弊感と満足感でした。カテコ? なにそれ?な終わり方もたまらない。わたしが観た回は拍手が起きて、それすら珍しいのでした。
 やはりガジラは見続けたい劇団です。

*1:それまでは白塗りで焼け焦げた携帯電話を持っているけど、そこだけ顔色が普通