ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

まとめて観たメモだけ

 先月のことですが感想書けていないのでメモだけ。

インバル・ピント&アヴシャロム・ポラック ダンスカンパニー「ボンビックス モリ with ラッシュ」@世田谷パブリックシアター(11/23)

 怖カワ系と云われますが今回の、特に「ラッシュ」の方は、何だか得体の知れない恐怖というか不安感が募ってしまった…観る側の心情を反映するのかしら。衣装や小道具が具体的というか普通というか日常的に可愛いかったり素敵だったりする分、それを纏ったダンサーたちが立ち表させる世界観の奇妙さ、ワカラナさが不安に結びつくのかしら、とか。「ボンビックス モリ」の方が、「きちんと」奇妙だったので、その分安心して奇妙な世界に入り込めた気がする。何か、フツーっぽいひとが、フツーじゃない動きをするのって、ちょっと怖いんだ…エクソシストのブリッジ少女みたいにさ…。
 でも相変わらず奇妙側はとても好きな奇妙世界なので、やっぱりねこは楽しみです。未來さんひかりちゃんも猫背ウォーキングするのかしら(笑)。
 終演後はアヴシャロムさんと森山開次さんのアフタートーク有り。開次さんやっぱり素敵でした…踊るとあんっなにカッコイイのに、話すと物腰柔らかでキュートなの…見た目イカツいのにね…。

後藤まりこワンマンライブ@リキッドルーム(11/24)

 いやぁ凄かった。これが後藤まりこなのね。下北のひとりぼっちライブも面白かったけど、ホーンセクション付きのバンド従えて、何と云うか自由奔放というか緩急自在というかやりたい放題というか…かっこよかったー! 曲とかあまり存じない状態で行ったけど、パフォーマンスと存在にくぎ付けでした。面白かった。
 で、後藤まりこのパフォーマンスを観てちょっと思ったのは、ヘドウィグで『ヘドはイツァークから何を取り上げたんだろう』って話。映画やこれまでの舞台では、イツァークからドラァグを取り上げたヘドが、最後にイツァークにそれを返してあげる、という描写があったけど、今回の大根ヘドではまりこイツァークが取り上げられて、返されていたのは何だったのかというのを、前に少し考えていて、それは「ライブパフォーマンス」か「喝采」かな、と思っていたのね。ヘドは執拗に、イツァークからマイクを取り上げ、拍手を遮り、歓声を浴びさせないようにしているように見えたから。
 それが間違っていたとは思わないんだけど、今回の後藤さんライブを観て、ふと思ったのは、もしかしたらヘドウィグは、「後藤まりこ性」を奪ったのかな、ということ。後藤まりこから、後藤まりこ性をはく奪して、イツァークとして立たせた、のかも知れない、と。そして最後に、みんな挙げろ手を、で白いワンピース姿で舞台に舞い降り、駆け回り、手を伸ばし、裾を翻して客席を睥睨したのは、ヘドに奪われていた「後藤まりこ性」を取り返したイツァーク/後藤まりこ、だったんじゃないかな、と。そもそもの後藤まりこさんのパフォーマンスを知らなかったから、ヘドを観ている間には思わなかったというか、思えなかったんだけど、ライブを見たらあまりにも、あのヘドウィグラストのイツァークの姿が、後藤まりこのライブ時の姿そのままだったから…そんなことを感じてしまいましたよ、という感想です。
 とすると、ヘドウィグが虚飾を全てかなぐり捨てて、全ての壁も越えて、たどり着いたあの境地は、もしかしたら、森山未來だったのかも知れないな、とも思ったりするわけです。イツァークが「後藤まりこ性」を取り戻して<イツァーク/後藤まりこ>、として存在したのなら、同じ地に立つのは、ヘドウィグとの境界線を壊して乗り越えた<ヘドウィグ/森山未來>、だったんじゃないか、とね。いや、<トミー/ヘドウィグ/森山未來>、か。
 まりこさんライブとはずいぶん遠いところに来てしまいましたが、ライブはほんとに、ワンマンまた行きたいと思う楽しさでした。ダイブするねー! 運ばせるねー!「あすこまで行きたいねん」って持ち上げられながら後方指さして、ちゃんと後ろまで流れ着いて、後方の柵の上からまたダイブして戻って行ったよ…かっこいい。そして運ばれているまりこさんのマイクのコードを、軌跡の下のお客さんたちがちゃんと捌いてあげている、というのも感動しました。マグロ解体ショー見れば良かったわ。

F/T12勅使河原三郎「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」@東京芸術劇場プレイハウス(11/25)

 高校生の時に何を思ってかは忘れたけれど買った雑誌に、勅使河原三郎の「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」舞台写真が掲載されていて、何がというのはわからないままに、何かが引っ掛かり、ずっとそれを覚えていた演目、でした。まさか再演とか、それをわたしが生で目にする機会が来るとか、思っていなかったなぁ…すごく不思議な感覚でしたよ。
 モノクロの写真を眺めて、宮沢賢治のテキストを噛み締めながら、勝手に夢想していた舞踏とは、またまるで違っていて、違っていて美しい作品でした。勝手に、外に向かって爆発するようなベクトルのエネルギーを想像していたら、もっとこう…内へ内へと、より深淵へ向かっていくようなエネルギーの迸りで、意外な気もしつつぐいぐい引き込まれた。風と自然と生き物の気配が、夜の森の静謐の向こうに激しく息づいているような。一見静かなんだけど、その内側がものすごくエネルギッシュで、躍動と咆哮に満ちているような。静謐に耳を澄ますと、その迸りに心臓が止まるほど驚く、ような。そんな印象でした。凄かった…観終わってからしばらく鼓動が収まらなかった(笑)。本当に、観られて良かったです…。
 ステージの一番手前側に並べられた金魚鉢の中の金魚たちが、黄色い電球に照らされて、そのゆったり動く影が本当に美しかった。あれ照明にしたい…けど金魚のお世話は大変…。F/Tはフラッシュモブと時間が合わなくて残念でした。