ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

演劇企画集団THE・ガジラ「Happy Days」@笹塚ファクトリー(8/18昼)

 ゲリラ豪雨が局地的に降ったりやんだりする中、ガジラ観てきました。タイトルがハッピーデイズですが、観よこのハッピーの欠片も感じ取れないチラシビジュアル…!

 これでこそガジラ、だからこそ鐘下作品!!
 前日の鎌塚氏とはがらりと一転、はたしてそこにハッピーはあるのか?なガジラですが、こっちはこっちでたまらなく好きなんだもの仕方ない。今回の作品は、2000年にKERAさん演出で一度上演されたものを鐘下さんが改訂・演出、とのことです。何となく、設定や背景描写の具体性が、いつおの鐘下作品とはちょっと違うような印象は受けました。そういうことだったのねー。
 人里離れた山奥で、長い間「水」を守ってきた旧家・鬼藤家。かつては栄華を誇った家も没落し、学校で「鬼の子」と苛められていた子供たちも成人している。没落した家を立て直す為、長男は企業ヤクザと手を組んで、沢に産廃処理場を造り埋め立て、その上に遊園地を建設する計画を立てる。廃棄が始まった山は、水の汚染が噂されるようになり、年若い妹が面倒をみていた母親は車椅子から庭の井戸に落ちて死んだ。そこへ、新聞に環境汚染の連載を持つライターの二男が姿を現す。産廃場反対派の市長を陥れる為、長男に市長の婚約者の誘拐を命ずる企業ヤクザ、その舎弟(?)の謎の青年、兄の暴挙を止めようとする次男、提示される母親の死の謎、そして妹。山奥の旧家という閉塞された地で、どこにも逃げられない、先の展望も未来の希望も何も見えない、どん底の状況で這いずりもがく人間の姿を、硬質なセリフの応酬と合間に挟まる狂気じみた笑いで物語る、これぞガジラ的ハッピーデイズ。セットは下手側にトタンをかぶせた古井戸、その脇に空っぽの車いすが1台。上手側に数本の柱が立ち並び、屋内/外や空間を仕切る役割。ミニマムなセットと、錆びたトタンや古井戸の生々しい触感が違和感たっぷりで、何も始まる前から観てるだけで怖い。
 とにかく観てる間の緊張感が半端ないのです。ガッチガチになって観てる、でもそれが良い。およそ人間の汚い・醜い部分を寄せ集めたような、欠片も幸せな気分にはならない芝居だけど、それもまた劇場空間の特殊性であり非日常性なのでそれをこそ楽しむのです。やっぱり好きだ鐘下演出。それにしても鐘下演出のヤクザさんは怖かったなぁ! 刑事さんはよく出てきて、刑事もほぼヤクザと変わらない感じで怖いんだけど、本気でヤクザさんやったらこうなのか、という迫力が流石でした怖かった〜。あと、ガジラ作品における「こいつ…何か、ヤバい絶対ヤバい…!」な役の人の、醸し出す違和感というか、異物感、は、そういう役回りの役者さんが毎回違うにも関わらず、間違いなくこいつヤバい!という空気を纏って現れるので、何というか、揺らぎないなぁと思いました。今回のこいつやべぇ!はチンピラ青年だったけど、これまたほんとに…うん。凄かった。
 けっこう人間関係が複雑で、誰が誰の指示でどうなって、っていうのを把握するのにちょっと手こずったけど、縺れこじれていくにつれてたどりつく先が破滅しかない感じが壮絶で…怖かった…。
 勝手な解釈ですが、あの青年こそが山に棲む「鬼」だったんじゃないかしらと観劇後の反省会で話し合いました。山から出ない・帰る場所のない人間には手を出さず、出て行こうとする者(妹)・どこかへ「帰る」者(社長の奥さん)は、出ていくことを許さない。ラスト暗転前の展開に、「この山で拾われた」という彼のセリフと合わせて、ああ、そういうことなのね、とぼんやり思いました。次男が「母」化したのは何だったのかな。兄妹が、ランドセルしょった小学生の自分の姿(ドッペルゲンガー?)をホタルと共に見る、というのもちょっと掴み切れないんだけど、それがHappy Daysの追憶だったのかな、とか。安易すぎるかしら。
 身をぶつけ合い削ぎ合うような役者の芝居もすさまじいです。殴打嘔吐も健在*1、突き放すというよりは突き落とすようなラストも、相変わらずカーテンコールはおろか劇終の拍手さえ躊躇われる幕切れもこれぞガジラという感じ。終わるまで息がつけない、息苦しい、湿度の高い、夏にはぴったりな舞台でした…次も絶対観に行く…。
 あっ今回、劇中に客席から笑いが何度か起きたのにびっくりした! ガジラで笑いが起きたの初めてだよ! ていうかわたしもちょっと笑ったよ!
 そして帰宅後、次男役の寺十吾さんが「P.W」にも出てらした方だと突然思い当たって調べたらその通りでそれもびっくりした。何故か風呂の最中に突然、ああ! あの人もしかして!!ってなったんだ(笑)。

*1:そして今回も嘔吐前の仕込みを見つけられなかった!