ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

演劇企画集団THE ガジラ「どん底」@笹塚ファクトリー

http://tuffweb.jp/gazira/donzoko.html
 本日昼公演を観てきました。今まで、ガジラ作品は古典にしろ近代にしろ現代にしろ日本が舞台のものしか観たことがなかった*1ので、ガジラがゴーリキーってどうなるのかしら、日本に置き換えたりするのかしら、どん底なんて真冬イメージだけどガジラは思いっきり湿度高い日本の夏イメージだからどうなのかしらといろいろはてな及びわくわく*2携えて劇場に足を踏み入れましたらば、うん、寒そうな舞台だった! 入った時点で舞台上に役者さんがいるのはいつものガジラ演出。蝉の声がして扇風機や換気扇がゆるゆる回ってる代わりに、サモワールから湯気がうっすら上がっていました。うん、舞台ガチロシアだ(笑)。
 その後登場した人物の衣装で、ああもう本気ロシアだ、というのを確信。そして…ええっとすみませんロシア文学とか人名が難しくて困るんですちょっと…。とりあえず髪の色やら髪型やらで人物を見分ける群像劇。あ、どん底はどのバージョンでも初見です。ストーリーは、1900年初頭くらい?のロシアの底辺に生きる人々の、正にどっちを向いてもどう転んでも這い上がれないどん底人生、という…しかもそれをガジラで鐘下演出だから、倍率ドンで救いようがない。抱いた夢や希望はぽきんとへし折られる、どん底から自由になるには死ぬしかない、だったらこのどん底で酒でも飲んで博打打ってろ、みたいな…見事に、劇中で幸せになった人がひとりもいなかった。すごい。でも、何だか、こう…落ち込むような暗ーい気持ちにも、それほどならなかったんですよね。不思議と。むしろ、底辺のどん底で夢も希望も皆無だけど、それでも生きてる人間たちってしぶといなぁ強いなぁ、みたいな…勇気づけられたり元気をもらったり(笑)*3は全くしないけど、したたかさを見せ付けられた気はします。
 そして20世紀初頭ロシアの、翻訳脚本でも、ガジラはガジラだった!という…そこはね、嬉しいです。それを楽しみに行くので。ガジラと云ったら嘔吐、の嘔吐シーンは今回はお休みだったけど(笑)、流血は多かったなぁ。あとアクションというか乱闘というかバイオレンスも。セットチェンジのかっこよさは「新・雨月物語」を思い出しました。が笹塚ファクトリーであの音量はビクゥッ!となります。3回くらい肩がびくっとしたよ…。
 錠前屋の妻が肺を病んで亡くなる場面が印象的でした。黄色い光に導かれるようにゆっくりと歩いていく昇天が…エドガーをちょっと思い出して。でも、荘厳な歌声に導かれるその後ろで、生きている人間たちが、ガチャガチャと煩雑な音を立てながら錠前屋の仕事道具を手荒くまとめているのが、どん底に於ける「死」の軽さ、日常性、死人を悼む暇があったら生きる、そういう感じがして、すごく無常に感じたと同時に、やっぱりバイタリティのようなものも感じてしまったり。無神経、だけど力強い。随所で当たるスポットライトが正方形だったのも面白かったなぁ。最後の1場での、ランタンがたくさん並んだ変形舞台もすごく美しかった、どん底だけど。いつも本を手にしている娼婦の少女が可愛かったです。どん底だけど、彼女が見た淡い夢もまた、ぽきりと折られたけれど。

*1:鐘下演出では「ビロクシー・ブルース」がアメリカだったけど

*2:でもガジラでどん底

*3:この云い方はどっちもあんまり好きじゃないのです