ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

阿佐ヶ谷スパイダース「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」@本多劇場(1/30昼)

 久しぶりの下北は本多劇場で、阿佐スパを観て来ました。長塚さんおかえりなさいfromえげれす記念公演!*1

 なかなか…感想を述べるのが難しい作品でした。前作「失われた時間を求めて」の世界観と、重なる部分がとても多くて、セリフも同じものがあったり、モチーフも色々、あっこれもしかしてアレ…なの?って感じたり…なので、「失われた〜」を観たひとの方がさらに面白く観られる、ような気がします。知らないと知らないなりに、前作に捉われずに観られて面白いのかも知れないけど…でも、前作が本当にたまらなく大好きだったわたくしとしましては、「あっコレってもしかして…!」な類似点が見つかるのがちょっと嬉しくもあったりしたので、うん。前作を踏襲した作品、という位置づけにいて頂きたい感じなのでした。
 これまでの「阿佐スパ的」な部分を完全に削ぎ落とした「失われた〜」に比べると、今作は一段、これまでの「阿佐スパ的」要素を盛り込んだ雰囲気にはなっておりまして。ちゃんと、人物に名前が付いたよ(笑)。で、現代日本のようだったよ! でも「失われた〜」な世界観もあって…向こう側の世界と、こっち側の世界が、混ざってしまった感じ。混ざることによって起こる変化、悲劇、悲劇だけど確かな変化…そんな印象でした。…何だかね、茫洋とした印象で…イマイチいろいろ掴み切れてない・読み取れ切れてない・消化し切れてない、自分の頭の具合を残念に思う感想しか持てず悔しいのですが…うん。わからない。でも、わからないながらも、面白くはあった。ん? んん? んんん?って思いながら、いくつかの瞬間で「ああっ! なのか!!」と思ったり…でも、仕組みを明確に解明することはできなかったなぁ。できなくていいのかもしれないんだけど、したかった(笑)。ああ!って思ったことが正しいのかどうかもわからない、裏づけが取れないままで…理解しきれなかった。残念です。面白かったんだけどー!
 とりあえず、これからご覧になるご予定のある方は、…良く睡眠をとってから行って下さい…上演中ほぼいびきかきっ放しの方がいらっしゃって非常に…イラッとしました(笑)。くらりとする気持ちはわからなくないんだけど! 落ちるならせめて静かに落ちて!! そして一度落ちたら絶対戻ってこられないから落ちないでー!!
 ネタバレというか、断片的に感じた印象を並べておくので、畳みます。あ、ロビーで「失われた時間を求めて」上演台本が販売されていました。やはり繋がっている部分がある作品なので、「失われた〜」未見の方はもしかしたら、手がかりが隠されているテキストになるかもしれません。わたしは帰りの電車の中でコレ読んでうっかり涙ぐみました…やっぱり大好きなんだ…*2


 あとあと、客席に足を踏み入れた瞬間に三宅弘城さんを発見してびっくりしました(笑)。ちょうどほら、卒業アルバム時期だったので…わぁジョン! ていうかミミちゃん! ていうか三宅マン!?みたいな。とってもお洒落さんでした。ロビーですんごい至近距離にいたけど、背がわたしとあんまり変わらない感じだった…キュートでした…。
 
 
 
 印象としては、「乱丁した本をそのまま読んでいる」ような感じの構成というか、作りになっているように感じました。ページの順番はばらばらに乱れているけど、製本されてしまったらその本の時間は、乱れたページの並び順で流れてしまう、それがその本の正しい時系列になる、それがその本の「物語」になる…そんな感じ。その本をそのまま読む読者にとっては、未来の出来事が先に起きて、それ以前の物語が後から始まる…刑事2人の視点はそんな、乱丁本を読んでいる人みたいな視点だなぁと…わかりにくいけど、思いました。刑事2人の視点も、光石研さん演じる作家本人の視点も、劇中で起こる事件も、劇そのものも、入れ子のようになっているのかなぁ。演じられている世界が、作家がすでに書いた物語…なのかな、と思いきや、作家がこれから書く物語であるようにも思えたり。
 とにかく、劇中でひとつの事件が起きて、その「ひとつの事件」の時間軸をバラバラに切り刻んで、シャッフルして、順番を並べ替えて、並べ替えた順番で時間が進む軸もあって、作品全体の時間軸もシャッフルされていて…ううんわかんないー。タイトルが「アンチクロックワイズ」なので、「逆時計回り」なのかな、と思っていたら、「アンチ」は「時計回り」そのものに対する否定のアンチだった、みたいな。逆じゃないの、「時計回りじゃない」なの。普通の時間が進む通りに物事が進まない。難しい(笑)。
 でも、「本」というのは何か、キーワードというか、鍵にはなっていると思います。だから「乱丁本」てイメージがすごく強く浮かんだのね。で、本で繋がったのが、「失われた時間〜」で公園*3で伊達さんが読んでいた本…本に書かれた言葉は、ずっと昔に書かれたものだけれど、読んでいる自分にとっては「今」の言葉に感じる、みたいなセリフとか、今作にも出てきた「(物語の)いきなり途中からは入り込めない」ってセリフとか…「失われた〜」で伊達さんが読んでいた本には何が書かれていたんだろう、と改めて今思ってしまう。今作の伊達さんと馬渕さんが、「男」「女」という名前を持たない存在で出てきたのも、「失われた〜」の公園の住人なんだろうなぁと思わせるし、今作の「公園」シーンに出てくるオブジェみたいなものが、巨大な枯葉を模っていたのも、「失われた〜」の公園を思い起こさせるし…「猫を探している」とか、「見つからなくても一緒にいることはできる猫」とか…象徴的で思わせぶり(笑)なセリフがモリモリ出てきて、その度に何だか、うわあああん!と、切ないようなもどかしいような気持ちにさせられたのでした。こんっなにヒントというか手がかりがたくさんちりばめられているのに、明確な糸口が見つけられない自分が悔しい〜。
 伊達さんと馬渕さんは、あの「公園*4」の世界の人、枯葉色の服をまとった人、なんだろうなぁ。それは死者であり、時間の流れの止まった世界の者であり、本の中に書かれた物語の人物*5、なのかな…。それが、「こちら側」に飛び出して、「こちら側」と関係を持ってしまったから、静止していた時間が流れ始めて、馬渕さん演じる彼女は輪郭をくっきりさせながら朽ちてしまった…みたいな? 違うかなーわかんないなー(笑)。ただ、「失われた〜」での「公園」が、生者と死者の間にあるエアポケットみたいな場、に思えて、その静かな時間の止まった場所がすごく優しい、愛おしい場に思えていたので、あの優しい世界と、今回のどろっとした「こっち側」の世界*6が混ざってしまうのが、何だか酷く悲しく思えたのでした…って、そもそも公園とかあっち側こっち側の解釈が自分勝手なので、悲しく思うのも勝手解釈極まりないのですが。勝手に悲しくなっちゃったのよ。
 劇中でたまに流れる、時計が時を刻む音、秒針の音、も、最初の頃にこれはきっと「何か」だから気をつけて聞いておこう、と思ったのに…それどころじゃなくなってしまい…意味を掴み損ねた…。秒針の音がくっきりと響いている間だけは、時間の流れがクロックワイズになっていた…のかな?とか、後から思ったんですが、時すでに遅し。わかりません。
 「人形」という、これまた何かの象徴的なワード、あと「胎児」とか…出てくるんだけど、わかりませんでした。どこにつなげられるのかわからなかった…何かね、頭の中でね、舞台上で現在進行している事柄を見聞きするのと、シャッフルされた時間軸を元に戻して並べ替えるのと、「失われた時間〜」の世界と重なってるのをほぐすのと、いくつか同時進行で処理しなくちゃならなくて、それに躍起になって取りこぼしが増えた、ような…そもそもかわいそう気味な脳みそでそんなマルチタスクは無理なんですが! わかんなくて当然なんですが! しかもマルチタスクのどれも処理できなかったし! ほんっと残念としか!
 ええと、ひとつだけ…思ったのは、いわゆるタイムスリップものでよくある、「過去に触ったら未来が変わっちゃう!」ていうお約束の、「過去に触った結果変わってきた未来」が現在なんだな、という。だから起きたはずの事象がどんどん消えてなくなっちゃったりするんだな、という…のは、何となく、思ったのでした。まだ起きてもいない事件を調べる刑事、とか。取った筈の調書がどんどん薄れていくの、とか。その、過去に触って未来を変えていったのが、伊達さんと馬渕さんのふたり、とか…あああ違うかなぁ自信ないなぁ。
 とにかく、触ろうとするとするりといなくなる猫みたいなお話でしたよ。という。いや、起きている事件はかなり惨劇だし、かつての阿佐スパ的に「…うわあああ」ってなるグロテスクさというか怖さももちろんあるんだけど! そこはしっかりあるんだけど! でも…捕まえられないんだこの物語…。そのうち放送してくれないかしら、もう一回見てみたいです。

*1:とわたしが勝手に思っているだけー

*2:そして印象が「失われた〜」に塗り替えられそうになってしまった…

*3:これもすごいキーワード

*4:「失われた〜」に出てきた公園

*5:「ページを飛び越える」みたいなセリフがあったから

*6:って云っていいのかどうかはともかく