ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「震災×未来=?」@神戸大学百年記念館(6/28)その2

 ああ1週間が経ってしまった…! もう1週間も経ってしまった…!(その1はid:xxkyrixx:20090701にあります)
 イマサラ感というかイマサラ臭がぷんぷんしてくる感じですが、でも諦めない。諦め悪いのと有言実行は私の身上だ(笑)。有言実行というかむしろ云って自分の退路を断つ方ですが(笑)。後半、学生さんやNPO法人の方にお客さんの発言を交えてのトークというか、意見交換というか、でした。一方的にパネリストが話すだけじゃなく、お互いに疑問を投げ合ったり、悩みを打ち明けたり、何というか…アットホームでフラットな、同じ場所に立って対話をする、そんな場でした。
 手元の紙*1に、ざくざくとメモを取っていたのですが、何かこういうの…学生時代ぶりというか、懐かしくて…机欲しかった(笑)。講義ってわけではなかったから、…委員会の書記みたいな感じでした。が割と意味がわからなかったり何だり、です。引っかかったものだけざらっと書き留めたメモなので…まぁせっかくなので最大限に生かしつつ(笑)、再構築できたらいいです。やってみなくちゃわからないー。

  • 後半のトークセッションは、神戸大学の聞き語り調査会から2名、神戸芸術工科大学からOBを含め5人、NPO法人でドクタークラウンという活動をしている方がひとり、に未來さんとNHKアナウンサーさんを交えて、10人で行われました。1列に並びきらなくて、一部2列に重なってるところもあったりして。
  • 最初に、学生さんたちからの自己紹介があり、色紙に最初に書いた一言が発表されました。皆さん、本当に一言、というか一単語でびっくりした(笑)。「絆」とか、「驚」とか、「遠」とか、あと「金」とか。でした。
  • ちなみに未來さんは自己紹介なし(前半もいたから…)で、未來さんが色紙に書かれたビフォー一言が何だったのか、わからずじまいです。知りたかったなー。
  • 芸工大の学生さんは、神戸ルミナリエのグッズデザインをされたりもしているそうで、クリアファイルとか、あと…懐中電灯? かな? ライト?のパッケージデザイン*2などを手がけたそうです。
  • NPO団体CODE(CODE海外災害援助市民センター)で復興支援活動をされているオザワさんという方が…すごく…素敵でした(笑)。自己紹介中にオザワさん*3のマイクが途切れるハプニングが何度かあったんだけど、それを「NHKさんからいじめられてますねぇ」なんて笑いを取ったりして…すごく面白い方でした。
  • ご本人は大阪にいて被災しなかったけど、お父様の会社が神戸で被害に遭われて、人的には何もなかったけど経済的に大打撃で「こりゃあかんわー」ってずっと云ってた、そうです。が、その後会社の復興の様子をNHKプロジェクトX」で取り上げられたとのことで…すごいなぁ。すごいエピソードだなぁ。
  • イタリアでの地震で、被災地にドクタークラウンとして行ってきた、写真がプロジェクターで映されました。が未來さん、イタリアで地震があったことをあんまり認識されていなかった様子で…「あれ、知らない?!」みたいなことになってた(笑)。
  • 聞き語り調査会メンバーと、芸工大メンバーと、オザワさんと、未來さんは、それぞれみんなこの日が初対面だったそうです。「未来は今」で一緒に聞き取り調査に行った彼らは、現メンバーの先輩になる…のか。そっかあれ1月だもんね…。
  • トークはまず、聞き語り調査会からのお悩み相談というか。
  • 14年経って、現在の作業はもう、聞き取り作業がメインではなくなっていて、「その次」を考えなくてはならない、聞き取り調査の次の段階に進まなくてはいけないと思うのだけど、調査資料を何に、どう生かしていけばいいのか悩んでいる、と。確かに、そもそもが公開しない前提でやっている調査だし…資料そのものを公表したり、公表を含めた使用は…できないだろうしなぁ。
  • 芸工大とコラボレーションとか、何かできないかな、と、未來さん。あと、去年の調査会メンバーの子たちは、新潟の建築系の大学と繋がって、耐震建築の研究材料にならないか、という話があった、とも云っていました。
  • 会場に、聞き語り調査会の初代OBの方や、聞き語り調査を受けた被災者ご遺族の方がいらしていて、その方々のお話を聞きました。
  • 調査会初代OBの男性。震災直後から聞き取り調査を開始したけど、3年くらい経ってから「やっと話せるようになった」と語ってくれる被災者の方がいたり、時間が経ってやっと話せるようになった方は「みんな何でもう忘れてしまっているの?」という思いがある。まだ話すことが出来ていなくて、忘れてほしくないと思っていて、でもこういう活動のことを知らない人もいると思うので、そういう方に繋いでいって欲しい。
  • こういう活動をやっているということを、伝えていく方向に、エネルギーを転換する必要があるんじゃないか、と未來さん。ルミナリエの意味を知らない人や、GOING KOBEの意味を知らない人もいるけど、こういうものとコラボできないか?と。知らない人も来ていることが大事、みたいな事を云っていました。知らない人に知ってもらうことが大事だから。
  • 聞き語り調査を受けた遺族の方がお話して下さいました。双子のお子さんの男の子を亡くしたお母さんでした。9年前に自分から連絡を取って調査を受けて、今回9年ぶりに当時作成した資料を見たけれど、当時と今とでは明らかに変わっていることが感じられたそうです。当時の自分は「こんなに悲しんでいたんだ」と改めて感じられて、自分は9年間、すごくがんばって生きてきたんだと、自分を褒めてあげることができた、と…当時の「悲しみ」を形に残すのは、遺族にとって大切なことだ、と。
  • 今回、この会の話を聞いて、「まだやっていてくれたんだ」というのが正直な気持ちだった、と仰ってました。活動が続いていることを知らなかった、そうです。なので、「活動している」ということ自体を発信することが大事なのではないか、と。
  • そしたらもっと、話して下さる方が出てくるかも知れない、ですよね。今なら話せる、て方もいらっしゃいますよねきっと。
  • 世界各国の被災地でクラウンドクター活動をしているオザワさんのお話。クラウンドクターというのは、映画にもなった「パッチ・アダムス」が有名ですが、長期入院中の子供や患者さんに対し、ピエロ(クラウン)が病院を訪れ、笑いや対話などのコミュニケーションを通じて心のケアを行う活動…でいいのかな。被災地や難民キャンプなどでも行われているようです。オザワさんは被災地に赴いてクラウンドクター活動をされているそうです。
  • 『痛みの共感』という言葉があるが、自分は被災していないから、それはない、被災者の痛みはわからない、とオザワさん。だから、今笑っていても、心の中ではどう感じているのか、わからない不安はある。悩みながら前線に出ている状態、だそうです。
  • 被災者に対する時に心がけていることは?とアナウンサーに訊かれた答えは「素でいること」。飾れるものも技術もないから、ただ、日本人の青年が来ましたよ、とそのままの状態でいること、だそうです。
  • 現在の活動が一体何の為にやっているのか、この先どうしたらいいのか、悩んでいる聞き語り調査会のメンバーに、ヒントは見つかりましたか?と振るアナウンサー。遺族の方にそう(大切なことだと)云って頂けるのはありがたいし、続けていくことに意味があるんだということがわかった、と調査会の方は応えていました。あと、活動していることを発信していくことが大事、と。
  • やってきたことを何かに生かすことは難しいけど、と云った調査会の彼に、「難しい?」と食いつく未來さん。「(14年経って)一周してしまって、今共感することは難しいけど、悩みながらも『震災』を通して繋がって、何かを提示していこうという人たちの集まり」なのだから、やってきたことは間違っていないけど、次を提示していかなくちゃならない、『今』自分たちがやらなくちゃならないことを模索すべき、と。
  • …何か、何だろう、ビジョンの違いというか、求める先の違いが少し見えた、気がしました。自分たちのこれまでの活動が間違っていなかったことに安心して、現状維持でいいんだという確証が持てた、という印象が、聞き語り調査会の方から受けたんだけど、未來さんは、そこに留まっていちゃダメだ、何とかして次を探さなくちゃ、と強く思っているような…。どっちが良くてどっちが悪い、という話じゃなくて…見ている先が違うのかな、と…思った。未來さんはとにかく、具体策を展開して何か次の手を打ちたいんだろうな…聞き語り調査を調査で終わらせたくない、のだろうな…。
  • 聞き語り調査会の女の子が、「今まで悩みながらやってきたけど、悩んでることに自信を持っていいんだ、悩んでることは正解なんだと思った」みたいなことを云って、それに対しての未來さんの言葉が「悩みながらも、でも動かなくちゃ、動いたもん勝ちやから」*4だったのも…その差違が明確に出てるなぁと思いました。悩みながら続けてきた、それは間違ってない。でも、その一歩先に出なきゃ、進まなきゃ…意味がない、とまでは云わないだろうけど、さらに一歩を現実的に進ませたいと思っていることがすごく…伝わってきた。
  • えーと、いつの間にか未來さんがサンダルを脱いで裸足になっていました。いつ脱いだのか知らないんですが*5、でもリアルタイムでスクリーンに映し出される未來さんが、気づいたら裸足になってた(笑)。
  • 次に、「震災とデザイン」という話題に移りまして。ここで突然、未來さんがスツールを降りてすたすたと、向かって右手の扉から退場してしまう(笑)。何だ? どうした??と思っていたら、すぐに戻ってきて、本を手にしていらっしゃいました。その本を取りに出たのか! びっくりしたよ! 自由だよ!
  • デザインという視点から震災を見てみるプロジェクトに参加した、芸工大の学生さんと、芸工大OBのデザイナーさんのお話を聞きます。これがまた面白かったんだ!
  • プロジェクトの主旨はこの辺(http://www.h-plus-design.com/1st-earthquake/)から。
  • プロジェクターに、実際の作品が映し出され、説明がありました。体育館の時計の周りに黒板を取り付け、そこに「○時〜ミーティング」とか「お風呂○時〜×時」とか、予定を書き込めるようになっているもの。これは避難生活時に、情報の共有ができるように考えられたものだそうです。
  • あと、救命救急や災害時救命に使われる「トリアージタグ」というものがありますが、これから着想を得て作られた「ウォーター・トリアージ」というものが紹介されました。これは、水を「飲料水」「生活用水として使用可」「排水」の3種にタグで色分けし、効率よく再利用したり、水を大切に残す為のものだそうです。…これ使えそうじゃないですか?
  • この辺(http://osaka.yomiuri.co.jp/university/topics/20090502-OYO8T00277.htmhttp://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000220901160001)から写真など見られます。
  • どちらも「情報をデザインする」というコンセプト。
  • 未來さんが取ってきた本、『震災のためにデザインは何が可能か』という本でした。本を開いて見せながら説明する未來さん。…でも見えないんだ本…。ここでスクリーンに本を写してくれたりしたら良かったのに! せっかくリアルタイムで映せるんだから!
  • 本はこちら(震災のためにデザインは何が可能か |書籍出版|NTT出版)です。はまぞうも貼っておく。
    震災のためにデザインは何が可能か

    震災のためにデザインは何が可能か

  • 避難生活での被災者の苦労を汲み取ってデザイン化することによって、避難生活の困難を和らげたり、情報を共有して混乱を回避したり、震災を敷居を上げずに身近なレベルで感じることができる、と未來さん。とても興味深く読んだ、そうです。私もそれ見てみたいなー。
  • 現実的じゃないけど、遊び心もあって、避難生活をリアルに感じている人だけじゃなく、色んな人に知ってもらおうという意識が感じられて、素敵だなぁと思った、そうです。間口の広さ、もこれからは大切、ってこと…ですよね。
  • このプロジェクトに関わった芸工大の方は、「震災はデザインなんてもんじゃない、甘い」という言葉もたくさん云われたそうで…それはそうだろうなぁ…でも、素敵なアイディアの元がたくさんあるはず、とも思う。よね。
  • 神戸には、震災を通じて出来た『人と人とのネットワーク』みたいなものがすごくあると思う。これから、震災を体験していない若い人たちに何ができるかと考えると、もちろん震災そのものを伝えるのも大切だけど、それとは別に、『人と人がつながっている状態を伝える』ことが大切になっていくのではないか、と芸工大OBの方が云っていました。
  • 芸工大の学生さんが云っていた「震災があったからこそ変わったことを考える」という言葉が印象的だった。
  • 『震災のためにデザインは何が可能か』の中から、「私は何ができますカード」みたいなのが面白かった、とアナウンサーさんが紹介。被災者が、自分の得意なことや出来ることを書いたカードを胸に付けることによって、コミュニケーションが生まれるし、ここからボランティアに繋がるかもしれない、と。これはどうやら「スキル共有カード」というものらしいです。料理が得意です、とか、話術に自信あり、とか、機械には強いです、とか、そういうのが一目でわかるカードです。なるほどー…と思うと同時に、私何かそうやって胸に貼れることあるかなぁ…思いつかないなぁ…とちょっと凹んだ。
  • オザワさんだったら「笑かせます」って書きます、だって(笑)。いいなぁ!
  • オザワさんの活動について。何故、自費で被災地に行くようになったんですか?というアナウンサーさんの質問には「悩んでいたから」という応えが。ほぼニートだったけど、自分にできることは何かとすごく考えて悩んでいたから、と。震災は大きなきっかけになった、とのことです。
  • ここで会場のお客さんからの質問・発言を募ることに。最初は…小学校の先生かな? 教える側の立場で、震災を子供たちに伝えるのが仕事、という方でした。「伝えることによって、伝えられた側にはどう受け取って欲しい? どういう社会になって欲しい?」という質問。難しい。
  • 未來さんは、自分が生きることで精一杯だけど、と前置きしてから、「どういう社会になってほしいっていうより、自分がどう生きるかによって起きる連鎖反応であってほしい」と。関わって出会うことによって、自分も相手も何らかの影響を与え合う、そういうことを考える、と…そんな感じのことを仰ってました。
  • 聞き語り調査会の方は、すぐに影響が出るとは思わないけど、まず『考える機会』を与えることが大事、全く考えたことがなかった子供達が、考えることによって何か変わるかも知れないし、そういう機会を設けることが大切じゃないか、と。
  • 芸工大の方は、震災を「被災者の方が地面の下に、忘れてしまわないように大切にしまっておいたイメージ」と語っておられました。それが、いつの間にか時間が芽が出させていたので、自分たちの代でその芽に水をやって、大切に育てて行きたい、そういうイメージだそうです。何か、すごく…抽象的だけどよくわかるなぁ。ビジュアル的に見えるような気がするのは、さすがデザインという、イメージを目に見えるものに具現化していく専門の方だなぁと思いました。
  • オザワさん。…何か、オチ担当みたいなポジション*6になりつつありますが(笑)。でも笑かしだけじゃないんだこの人。すごい。
  • 「ひとりひとりの『花』を持てばいい、と云おうと思ったのに、水やりまで出てきてどうしようと思った(笑)」そうで。ボランティアの何ができますカードを、「すごいと思った」と。
  • ボランティア活動さえ統制していこうというのが今の流れで、でもそういう中でひとりひとりが、ひとつでも「自分はこれが出来ます」と自信持って胸に付けられる社会になればいい、と…そういう人に私もなりたいです。胸に何か付けられる人に。
  • 自分の活動を見た人にどう思って欲しい?と訊かれ、「こんなヤツでもこんなことができるんだ、って思ってくれたら一番嬉しい」と応えるオザワさん。
  • 四川大地震で中国に行った時に、自分は一体何が出来るんだろう、と何も出来ない自分に無力感を感じた、とも。それは毎回感じているけど、感じながら、それの繰り返しなのかな、と。
  • …被災地に飛んで、無力感を覚えない人なんて、多分…いないんじゃないかな…と思いました。何もしていない私が思うことじゃないけど。
  • 同志社大学の学生さんの発言がすごく印象に残っています。被災して避難生活も経験したけど、すぐに引っ越して被災地を離れてしまい、被災地に居ず普通の生活をしている自分と、被災地でない場所に暮らしながら確かに被災はした自分との間で、宙ぶらりんになっている感じ、を味わったそうで…SNSで「離れても忘れない阪神大震災」というコミュニティを立ち上げた、と。
  • 「伝える」ことと「伝わる」ことには大きな隔たりがあると感じたそうです。でも、今日は「伝えていく場」ではなくて「伝わっていく場」だな、と。伝える側と、伝えられる側が、少し歩み寄ったときに、伝わっていくんだと…うん。フラット感とか、同じ場所に立って対話する感じ、を、すごく的確に云い表している言葉だなぁと思いました。凄いなぁ。
  • ご年配のご婦人の発言もとても面白かった、良かったです。戦争も震災も経験して来られたそうですが、さすがに力があるというか。未來さんが裸足なのを「NHKは背広にネクタイなイメージがあるけど、素足でしょ。少し見直しましたわ」とか、面白いことも仰りながら、震災は自然だけど、人間が人間をいかに効率的に殺すかを頭のいい人が考えている戦争を絶対許してはいけない、と力強く云っておられて…全くだ。その通りだ。
  • 被災した方から、避難する時に家に動物を残して行かなくてはならなくて、それを表すシールや標識みたいなものをデザインしてもらいたい、とか、避難所で耳が不自由な方がとっても苦労してらしたので、耳がちょっと不自由ですワッペンみたいなものがあったらいいだろう、とか、提案?がありました。なるほど〜。実際経験したからこそ出てくるお話ですよねー。
  • 男性の参加者の方からも。一言で云うと「ひとつでも多くの命を守るための作業を、デザインを、続けてほしい」。
  • 鬱で身体を壊されたことのある方の発言も力強かった。「活動してること自体、生きてること自体がもう、バッチリ」…本当に! その通りです! バッチリだよね!!
  • 最後に、「震災×未来=?」の「?」、色紙の二つ目の一言、をパネリストの皆さんに訊いておしまいでした。未來さんは「今」と…先に何て書いてたのか、わからないので、何が「今」に変わったのか、それとも変わっていないのか、謎なままですが。
  • 今やっていること、デザインも、悩むことも、実際また震災が起きた時に、生かせるのか、役に立つのか、これが命を救うことにどう繋がっていくのか、わからないけれど、何かを模索していて、自分たちの生きる術として今これを表現していて。今、生き生きしている自分たちがいたらそれでバッチリだし。伝えることは難しいし、すごく言葉を選ばないといけないし、苦しい時もあるけど、自分たちが今生きているんだっていうことを証明し続けることが「伝わる」ことになるんじゃないか、と。そういうのを全てひっくるめた『今』、と…難しいです。でも、「今」この瞬間が、全ての未来に繋がっていくんだ、という…そういう雰囲気は何となく…受け取った、かな…?
  • と、未來さんの難しいながらもシンプルな答えで、この「震災×未来=?」は終了しました。拍手で右側の扉から出て行く未來さんたちを見送り、色紙にアフターの「一言」を書き、そしてエントランスにある白い木に貼り付けて、全て終了。終了後の神戸の景色がまた、開始前とは日が動いていて雰囲気が違って見えて…風はやっぱり心地よくて…階段に座ってお弁当食べたい気分でした。


 何だかざっくりというか…メモ打ち直しただけのあんまり的を射ないアレですが。答えは見つからないけれど、どの方向を向いているのか、何を求めているのか、は見えた。気がする。し、森山未來はきっと、この先も震災というものに対して、積極的かつアグレッシブに何らかの行動を起こしていくつもりなんだろうな、というのをうっすら思いました。とにかく「次」に進みたい、留まっていては意味がない、前進したい、という…焦れったがってるような感じ、を受けました。…が、ただの勝手な私の印象なので、それは未來さんのみぞ知る、です(笑)。
 わたくし個人的には、震災というものを、これまで負としてしか感じられていなかった、というのを認識しました。そりゃもちろん正と捉えるのは難しいですが、ですけど、「悲惨な出来事」「この悲惨な出来事が次にもし起こったらその時どうするか」という面でしか見ていなかったなぁ、と。震災の経験を次の震災被害に生かす、のはもちろんだけれど、震災そのものによって生まれたものがある、というのを今回、頭じゃなくて肌で感じられた、ような気がします。震災がもたらした「何か」、それは決して良いものばかりではないかも知れないけれど、でも、そこから芽生えたものもある。つながりであったり、意識の変化であったり、そういったものを内包して神戸という街は美しく在るのだなぁと…始まる前にどこか悲しい思いで見下ろした町並みが、少し違って見えた気がしました。
 …本当に、こんな清々しい、充実した思いで神戸大学を後にするとは…全くカケラも思っていなくて。すっごく、来て良かった!と…豊かな気持ちでバスに乗り込みましたよ。下りは登りほど、バスが唸らないから、下ってる意識があんまりなくて…気づいたら下界だった、みたいな(笑)。短い距離でものすごい高低差だよなぁ、面白いなぁ。素敵な街です、神戸。

*1:NHKさんの封筒ですが

*2:箱にドット穴で1.17と描かれていた

*3:小澤なのか小沢なのか緒沢なのか尾澤なのか

*4:的な

*5:足下見えないし

*6:座ってる場所も一番端だし