ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

百万円と苦虫女【ネタバレあり】

 …あるかなネタバレ? 一応、ネタバレしないようにという気遣いをせずにやるので、バレ前提ということにしておきます。あ、バレそうになったら畳みますよ。畳んでないところはバレなしです。
 といっても、何かすごく語りたいというわけでもなく…1日ぼんやりと、中島を思っては溜め息、みたいな感じでしたが(笑)。正直、今このカルマ祭りな最中に、苦虫観るのがちょっともったいない気がしたり、別々の時期にやってくれれば良かったのにと思ったり、せめて東京公演終わるまで待とうかなと思ったり、していたのです。していたのですが。
 結論。今観て良かった。カルマ祭りのまっただ中に観ておいて良かった、と思いました。だって、とりあえずコマにはカルマ王子がふわっふわのひらっひらで綺麗な声で歌い上げたり南十字星見上げたり飛んだり舞ったり回ったりしてるんだもの。逃げ道があるというのは、非常に助かりました。これが、他に何もなくて、中島ひとつを真っ向から受け止めて、中島だけで過ごさなくちゃならないとしたら、多分私は精神的に引きこもると思います…。そのくらい始末が悪い男だもの。始末が悪いというか始末がつけられない。五右衛門という最高に楽しい、娯楽に徹した、ステキな作品が同時期にあるから、そっちで元気になれるんだ。これが中島しかいなかったら…と思うと、ほんと、怖いわ。無理だわ。精神衛生上宜しくないわ。

 
 昨日から、どうしてこんなに具合悪くなってしまうくらいギッタギタにされてしまったんだろう、とぼんやり考えておったのですが。1日経って、何となくわけが見えてきた、気がします。
 この映画はロードムービーなので、観ていれば自然に、鈴子と一緒に旅をすることになるんですよね。鈴子と一緒に歩き、鈴子と一緒に怒り、鈴子と一緒に困り、鈴子と一緒に苦笑いして、鈴子と一緒に次の場所へ行き、鈴子と一緒に中島に恋をする。それでいいと思います、そういう映画だと思います。
 ただ、ひとつだけ違ってたのは、…私は鈴子以上に中島に惚れてしまった、という点だと。多分、鈴子より私の方が幾分か、重症に中島に惚れたんだ。だから、色々あって、鈴子が中島と別れることを決め、あの町を出て行くことを決めた時、私は鈴子に乗っかれなくなってしまったんだと思うのです。だって、別れたくないもん。百万円なんかどうでもいいから、あの町に留まって、お金が目当てでもかまわないから傍にいたいと泣き叫びたい。なのに鈴子は、私を置いて、ひとりで勝手にさっぱりした顔で、荷物をまとめて出て行ってしまうのだ。映画の中で鈴子に置いていかれたら、どうにもしようがないじゃないか。いやだ、私は歩道橋の上から必死に目を凝らして中島の自転車を見つけたいんだ。弟には「がんばらなくていい、転校すればいい」と云いたいんだ。逃げない勇気と同じくらい、逃げる勇気も必要なんだ。流れに逆らう強さと同じくらい、流れに逆らわないでいる強さも必要なんだ。監督が云っていた、「大切なものを、いとも簡単に手放してしまう」という言葉を、何というか…イヤと云うほど実践してここまで来てしまったような私はだから、もうこれ以上手放したくないんだよ!! それやっちゃイカンのだよ!!という…経験から来る執着心が、鈴子の潔い一歩に乗っかれない原因で、そこがつらかったのかな、と…ぼんやり思ったのでした。だって、手放さなきゃよかったものだらけだもん、私の人生。
 そして、人生に於ける恋愛のプライオリティが極端に低いこのわたくしをしてさえ、中島が相手なら無様でかっこわるくてボロボロになり果てるような恋愛でもしてみたいよと思わせる、そういう男でしたよ中島さんは。ああやだやだ。
 と、恐らく乗っかりすぎて「物語」としての見方ができなかったのが、最大の敗因でしょうかね。あとは中島が森山未來なのがいけないんだ。鈴子と同じくらいの惚れ方させてくれるひとなら良かったのにー。