ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

血の婚礼 血13滴目の千秋楽in福岡

 …正直、何というかもう、私の中であのカーテンコールで、完全に消化そして昇華されてしまったので、あまり…言葉で云々するべきものが見つからないというか、見あたらないというか、残っていないというか、なのです。あの福岡の夜で、全てカタがついて綺麗さっぱりスッキリしてしまったような。完結と決別が綺麗にできたような。それだけ、有終の美を飾り切った千秋楽公演だったのです。
 なので、もうこのまま触れずに行こうかなーと、レポも各所に上がってるし、いいかなーと、思っているのです。そもそも、小ネタがどうこうとか、「今日のアレはこんなだった!」的なアレとか、があまり通用しないというか必要とされていないというか、そういうモノじゃない舞台だったので。レポ用メモとかも全く取らずに毎回観ていたのです。
 しかも福岡公演、私にとっては半月ぶりの婚礼な上に、その半月の間の地方公演はものすごく変化を孕んだ日々でありまして。そんな、突然あんなモノを見せられて、半月ぶりだっつーのに、それで一体何が云えようか。いや云えない。ただただ…口をあんぐり開けて、すげー…すげー…すげー……!!!で終わった2時間でした。だって全然違うんだもん。半月ぶりのレオナルドだー!なんて感慨に浸る隙もないんだもん。半月ぶりのレオナルド、全然別人みたいになってるんだもん。
 とにかく、セリフのひとつひとつ、動きのひとつひとつから、視線の投げ方、方向、目を逸らす・伏せる・開くタイミング、全てが…何だろう、浸透していた。森山未來という人間の中深くに、レオナルドという人格が浸透して染み渡って隅々まで行き渡って、いた。解け合う、とか、同化する、とかとはちょっと違う感じ…染み渡ってるんだな。雫を垂らすくらいにいっぱいに水を含んだスポンジみたいに、森山未來の隅々まで、レオナルドが行き渡っている、そんな風に感じました。面白いな、「役に入り込む」とか、とはちょっと違う感じがしたのです。レオナルドに満たされた森山未來、というか。いや本当に印象でしかありませんが。しかも半月ぶりだし(笑)。とにかく何だか、そこに居る「居方」が、他の舞台で観る未來さんとは違う、気がした福岡婚礼でした。それが一番…鮮烈だった。透けて見えないし、剥がれることもない。役の仮面をかぶる演じ方ではなくて、内側を役で満たす演じ方。多分、東京ではまだ、前者だったと思うのです。いや、前者から後者へ変化したのかどうか、はわからないんですが。東京でも後者だったのかもしれない。でも、だとしたら浸透度が全然違っていたのは確かです。んー、でも、何となく…東京では前者だったのが、地方公演になってから、徐々に…染み込んで染み渡っていった、ような気がするなぁ。過程を見ていないので何とも云えませんが。
 いや、全て印象の話ですが。
 とにかく、役の入り方が、役に入る、んじゃなくて、役が入ってくる、そんな風に思えたので、そりゃ芝居を観て受ける印象も全然違うだろう、と。別モノにも見えるだろう、と。で、半月ぶりのお久しぶりで、いきなり突き付けられたものがそんなモノで、しかもそれっきりでおしまいなんて、…これで何が云えようか。いや、云えない。そんなわけで口をつぐみたくなるほど、凄かった、のです。
 未來さんに浸透していったのは、レオナルドももちろんだけど、フラメンコも同じ印象で。というか見終わってすぐは、むしろフラメンコにこそこの感想を抱いたので、だから当日の日記にはそんなことを携帯からぷちぷちと打っていたと思うのですが。全然まとまってない日本語だったけど。うん、やっぱり、フラメンコも、森山未來の身体に浸透していた。抑えられない激情やエネルギーを叩き付けて噴出させる踊りから、一段…先、なのか、上、なのか、次、なのかはよくわからないのですが、とにかく一段、何かを越えた踊りになっていた、と思います。染み渡りきったからこそ、その上に乗せられる何か、が乗っかった、踊り。緩急自在、という踊りではそもそもないけれど、ただがむしゃらで、そのがむしゃらさが息苦しい程の「想い」を噴出させていた東京のメンコとは、全然違って見えました。がむしゃらを一段越えて、エッジがくっきり際立った、そんなメンコになっていた。何度でも云いますが、半月ぶりに見せられたものがそんななんて、もう、開いた口がふさがらないですよ。後ろの壁に馬のシルエットが映っているのだって全く目に入りませんでしたよ。目の前の若駒にクギヅケですよ。えっ馬がいたの!? 知らなかった!!
 そんなレオナルドで満たされていたスポンジを、ぎゅっと絞って森山未來100%に戻ったカーテンコールはまた…うん。いい思い出です。号泣するソニンちゃん、そっと涙をぬぐうれいなちゃん、みんな美しかった。聞こえない座長ご挨拶も、固く交わされた握手も、「泣くなよ」っぽくぶつけた肩も、精一杯のパフォーマンスだろう土下座も、夢みたいな幻みたいなキラキラした光景でした。あの全力疾走やり遂げた、涙と笑顔を見てしまったら、終わりを迎えた寂寥感は私は覚えられませんでした…。5月の頭にスタートラインを蹴った芝居が、ひと月半後にゴールテープを切った、その長くて短い全力疾走を、ただただ讃えたかった。おつかれさま、凄かったね、止まることも緩むこともなかったね。もう走らなくていいんだよ。うん、そっちの方が大きかったかもしれない。毎日繰り返されるレオナルドと村人達の、生と死が、あまりにも過酷で、強烈で、その生と死からやっと解放された彼らに、良かったね、もういいよ、って。そっちの方が云いたかったかもしれない。終演後、座席で泣き崩れて立てなくなっていた友達の肩を通りすがりにひとつ叩いて、そんなことを思っておりました。終わってしまったことを悲しむには、あまりにも過酷な2時間で、あまりにも素晴らしい最終公演だったから。
 ただ、とても強く残っているのは、ラストシーンで赤い砂を手からこぼす女達、その一番最後の曲の、本当に最後の1和音、そのひとつの音に、それを鳴らした渡辺さんの、万感の想いが詰まって聞こえて、あの1音で泣けました。凄かった…全ての幕を下ろす、最後の、たったひとつの音。あの音が、何よりも雄弁に、物語の終焉を宣言していたと思う。もの凄い締めくくり、でした…。
 と、レポを放棄して、朧かつ個人的な印象を語るに留まってしまった婚礼大楽ですが、これにておしまい!ということで。血の滴る部屋も、いつものお部屋に戻します。すぐわんだーが来ちゃいそうですが(笑)。
 ていうかわんだーなお部屋ってどうすりゃいいんだろうか。迷彩柄にでもするのか?? イヤだー血以上に不穏だー!