ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

今年も忘れずにいられたよ

 8時15分にはまだ寝てましたが。
 特に何かをするわけではありませんが、頭の片隅に留めておこうと、なるべく思っています。今日と、9日と、あと15日。だから何だというわけでもありませんが。他の日に何もなかったわけでもないのですが。
 大学時代、夏休みにカナダに短期留学したことがありました。ほんの一月弱だけだけど、フランス語のサマースクールに通ったりホームステイしたりしてました。大変だけど楽しくて、フランス語で夢を見るくらいにもなって、風邪ひいたりもしたけど、充実した日々を送っていたわけです。
 で、ある日の夜。街中に遊びに出たわけです。サマースクールの友達と、あと一緒に留学してた同級生なんかと。何して遊んだのか、全然覚えていないんですが、でもまぁ楽しかったんじゃないでしょうかね多分。覚えてないんだけど。で、その帰り道、街中にある広場を通りかかったんです。
 広場には噴水というか、小さな水場がありまして。そこに数人の人が集まって、何かしてたんです。何してんだろう、と覗きに行ったら、小さな灯籠を流していました。何かのお祭りかな?くらいの感覚で、そこにいた白髪のご婦人に聞いてみたのです。これは何ですか?と。つたないフランス語で。
 彼女の答えは、「今日は日本に爆弾が落ちた日だから」でした。
 何かね。今思い出しても涙出る。はずかしくて。お前日本人だろ!?って自分の頭をはたいてやりたい気分になる。言葉が出ませんでした。遠い異国で、しかも戦勝国側の国の人が、小さなろうそくを広場の泉に流して祈ってるっていうのに、何やってんだろうと思った。すっかり忘れて遊び呆けてた自分が恥ずかしかった。
 うちの母上は小倉の生まれで、終戦の年の7月に生まれているのですが。9日に長崎に落とされたアレは、実は天気が良ければ小倉に落とされるはずだったもので。8月9日に偶然、空が曇っていたから、母は生きてて私が今いる、という何というか因果みたいなものをね、まぁ思っていたわけですよ。それは結構小さい頃に聞いた話なので、それ以来アレは何となく…他人事じゃあない、感覚でいた、つもりだったわけですよ。
 なのに忘れてるの。まるで気にしないで、カレンダーだって手帳だって見てるくせに、丸一日それについて頭を掠めもしなかったの。
 それがすごいショックだったわけです。外国の人が覚えてるのにこの私が忘れてるとは、と。
 で、それ以来、これまで以上に何というか、意識して意識しようと努めておるわけなのですが。
 しかし何というかアレ*1に関しては、アレルギーというかむしろトラウマになってまして。小さい頃、小倉のおばあちゃんち行く途中の新幹線で、広島近くなると必ず気持ち悪くなってたのはアレの所為です。この時期、見かけるようになるアレ絡みの映像とか、うん…ちょっと…具合悪くなる…。
 まぁその、何だ。61年目ですね。この具合悪い感じと共に忘れないように努めます。

*1:名前出したくないの