ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

きゅうかくうしおVol.1「素晴らしい偶然をちらして」@横浜赤レンガ倉庫1号館3階ホール(11/26、11/27)

 エクストリーム定時退社がんばっていますが、ついに乗り換えに失敗しタクシーを使うという罪悪に手を染めてしまいました……めっちゃ楽だった……くっ。流されてはいかん……けどめっちゃ楽だったんだ……。

 いよいよ折り返しに差しかかったきゅうかくうしお、10日間なんてあっという間ですよね。日々を積み重ねながらゆらゆらと揺れるように形を変えていくのを眺められるのは、本当に幸せなことだと噛み締める。体力とか生活とか日常とかいろいろかなぐり捨ててるけど幸せです(笑)。

 26日は、前半最終日らしく流れとしてもだいぶ落ち着いてきたかな、と、もちろん不定形な部分は多々あれど全体的な流れは掴めたぞ、と思ったら、27日はけっこう、がっつり、おっ??ってなる変更をぶちかましてきて、流石。そういうところ。そしてその変化がもたらす印象の違いがまた顕著ですごく面白かった、し、わたしはこっち(変更後)の方が肌馴染みが良い気がします。わたしの肌にね。ちょっとバタついてる感じも何かやるのか?やるのか??的にわくわくしてしまった(笑)。

 メモ程度に。

 


11月26日

  • 今日は顔面拝観席*1に座ってみたのだけど、印象が「かおが!! かおがよい!!! かおがよい!!!!! かおが!!!!! すき!!!!!!!」になってしまうのでどうなんだろう。だって顔が良いんだもの。好きなんだもの。顔が。顔も。
  • 相変わらず踊っている時のお顔が最高に美しくてほんと最高です……顔……顔ばっかになってる……でも顔綺麗なんだもん仕方ないじゃん顔……。
  • あと身体も。とにかく美しいで構成されているからほんと美しくて泣けてくるよね……圧倒的美……。
  • 知さんの身体の美しさと未來さんのそれとがまたベクトルが違うというか種類が違うというか別種のそれぞれの美しさ*2で、それがシンメトリーを描いて配置されたり動いたりするからほんともう…この日の感想は「美」になってしまう。早く国宝に指定しようあの背筋。
  • 未來さんが両肘を後ろにきゅっと引いた時の、背筋が背骨を中心にぎゅっと寄って盛り上がるのが、何の奇跡だって感じで…最高の瞬間だった…。
  • っていうか背中で背骨ってあんなに窪んで存在するんですね??? えっわたしの背中背骨の方が高いぞ?? 背筋とは……。
  • ハリガネムシのエロスについてはもう少し考えていきたい。カマキリしか思い浮かばないけど何であんなにゾクゾクするのだ……。
  • ヒジカターってそんなシノラーみたいに云わないで(笑)。オリコン一位って何だろう(笑)。
  • ブーツ川柳も可愛いでしたね。ほのちゃんの可愛かったなぁ、けどむれる。わかる。振付もキュートだった。
  • 映画の中の土方巽~のシークエンスであそこが開くの、すごいドラマチックで好きなんだけど、あっち側の席からしか見えないよね。何か祭壇っぽく見えるのが不思議なあの写真。終演後に観ると全然違って見える。
  • 最後、明かりがついてからもしばらく、塊のままほぐれない二人が印象的でした。
  • 帰り、夜道を歩きながら、全世界に向かって森山未來の顔の美しさと身体の綺麗さを叫びたい訴えたい声高に主張したい、とそんな想いを抱えた夜でした。なのでここで叫んだんだけどここで叫んでも「うん知ってるー」って感じですよね。っていうかそもそも人がいない。果たしてここは世界なのか…?


11月27日

  • 安定の定位置に戻った。ここからの眺めがわたしは一番好きです。顔席はメモリが顔ばっかになってしまうから…。
  • 舞踏譜の流れの辺りで未來さんも知さんも激しめに動いていて、つむじ風がふたつ起きているようだった。静的な日と動的な日があるような気がするんだ。今日は動的な日の方。
  • 今日のナナオさんはいつにも増して、とてもよくしゃべってたね。とても愉快でした。舞踏が参議院選挙勝利ってどういう事態だろう。でも何か、そんな世界すごく素敵そうだなぁ!
  • 水の川柳の振付は難しそうだった。難易度高め。矢野さんが困ってて可愛かったです。困ったお顔も可愛らしかった。
  • 土にしがみつく前のところで、何となくゴリラっぽい(握った手を床に着きながら歩くような)感じから、猿っぽくなってきて、落ちてる米粒?を拾って食べながら歩いていた。二足歩行への進化の過程みたいなイメージを持った。けどそのお米食べて大丈夫なの…?
  • 献杯の辺りの演出が大幅に変更されていました。映画の中の土方巽~の暗転映像中に、楽さんが指示を出したり何か動きがあったので、何だ何だと勝手に身構えていたら。
  • ざっくり。のたうつ未來さんが稲穂のそばに倒れ込んで暗転→映画の中の土方巽~の映像パート→吉枝さんから始まる「みんなで会いたい」メール→ひとりずつ壇上でグラスを合わせ、揃ったら倒れた未來の身体へグラスを空ける→知さんがネオンのファイバーを引き出し倒れた未來さんの傍へ→ゆっくり動き出してシンメトリーな動き という流れだったのが、映像パート繰り返し(楽さんが指示出してた)、明転前に稲穂の傍から起き上がり席に戻る未來さん→暗いまま最後の未來さんの「お通夜には行きます」メールのみ流れる→全員壇上でグラス合わせ、植えられた稲穂と土へグラスを空ける→知さんがネオンを引き出し土と稲穂を囲むように配置、未來さんははその傍で立って見下ろしている→ネオンの上に寝そべるように動き出す、シンメトリーな動きへ という感じになっていました。ざっくりね。
  • 「誰か」特定の個人の死、喪失を思わせながらも、より普遍的な喪失や不在を強く見せる印象になっていたと思う。誰もいないそこへ注ぐ水、とか。あそこに未來さんが倒れているとやっぱり、限定的な意味やイメージを喚起させるよなぁ。倒れた身体がそこにある、ってものすごく強いから。
  • あと献杯に未來さんが参加できないのはやっぱり。何となく。したいんじゃないかなって。
  • なので、そこが空白になったことによって「不在の10人目」を可視化するような印象を受けました。きっと、本来だったら、もしかしたら、ここに、いたかも知れない、けれど今はいない、誰か。もしくは、ここにいるはずだった誰かがいない、ということ。
  • そういえば、「お通夜には行きます」の文言は2日目くらいにあれ?増えた?って思ったんだった。お通夜、って強い言葉を耳にした記憶が初日にはなかった。2日目辺りに突然耳に飛び込んできて、あっやっぱりそういうことなんだ、って思った記憶。でも「~~には行きます」だけはあった気もする。
  • 村松さんのお腹の話、の文章も今までカットされていた部分が流れていました。2つの文章だった述懐が実は繋がっていてひとつのレターだったんだな。

*1:勝手に云ってる。何となくお顔が近くから拝める辺り

*2:は9人全員にも云えるんだけど