ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「Is it worth to save us?」フランス公演レポート&インタビュー

 ステージナタリーさんに、「Is it worth to save us?」フランス公演のレポートと伊藤郁女さん・未來さんのインタビューが上がっています。フランス公演の様子が窺えるの嬉しい! 岩井秀人さんの「ワレワレのモロモロ」フランス公演も気になっていたので一緒に嬉しい~。

natalie.mu


 対話の内容が重要ではない、っていうのは横浜で観ていてもとても思った冒頭の質問コーナー(?)だったな。質問内容とその返答に特に意味は含まされていないし、関係ないんだよね。でも、「質問をされる」「それに応える」という行為というか、そのやりとりを一発目にぶつけられることによって、そういう作品なんだよ、っていう前提が理解できる、そういう作品なんだと思って観る体勢が取れる、そんな効果はあったように思う。郁女さんの云う「戸惑いのワンクッション」、もう身に覚えありあり過ぎて(笑)なんだけど、でもそれもあってしかるべきひとつの価値観、と云ってもらえてちょっとホッとする…。どうしても、ステージの上と客席は不干渉、って前提で劇場に入るからね…。

 言葉の持つ力ってとても大きくて、なのでダンス作品にテキストがたくさんあると、そっちの印象や記憶が大きくなってしまって、何を云っていたか、どんな内容だったか、にどうしても気を取られがちなのはすごくわかる。わたしがそうだから。でも、未來さん絡みでいわゆるテキスト多めのダンス作品ってけっこういろいろあったけど、というかそういう作品の方が多くなっているけど、未來さんの絡む作品ってどれもその配分がすごくバランス良いというか、テキストももちろん気になるし聞きたいんだけど、印象として言葉の方が強い、みたいなことにはどれもなっていないな、というのがわたしの個人的な印象です。「Is it~」然り談ス・シリーズ然り、もちろんテキストや言葉の記憶もたくさんあるけど、でも一番残っているのは動きの残像であったり、張りつめて見つめる空気であったり、微かに聞こえる息遣いや衣擦れや裸足の足裏が床を擦る音であったり、するので…テキストも思い出そうとすれば出てくる(笑)けど、比重としてそっちに偏った記憶はないな、と。思います。塩梅がよろしい。

 「Let's call the whole thing off」の選曲が偶然だった、っていうのはびっくりですね!! だって他に考えられないくらいしっくりのぴったりだったのに…えええデュエットだからくらいの理由なんてそんな…逆に凄い(笑)。そして確かに郁女さんと未來さんはカップルには見えなかったなぁ、ほんと面倒くさい姉とやれやれ顔の弟って感じ…でも仲良いのすごくわかる。すごく良いコンビ(カップルじゃない)に見えたなぁどっちもキュートでめんどくさくてめんどくさいなぁってお互い思いながらでも大好きなんだよね。そんなふたりの関係性が好きです。

 作品中での「自分語り」、わたしは基本的には舞台上で語られるものは舞台上での出来事、という感覚が強くあるので、そこに乗っかっているものは多分フィクション…というか、フィクションであるという前提の元に観ていることが多いかな。真実かフィクションかはどっちでもいいです、観ている時は真実だと思って観ているけどそれが実際の真実かどうかは別にどうでもいい、というか…終演したら解ける魔法みたいなものだからね。作品内の魔法としてそれが真実であることが機能しているなら、それは真実として作品内では受け止める、というスタンス。かな。…どうかな(笑)。でもその辺きっと、巧妙に絶妙に織り交ぜて作られていたりするんじゃないでしょうか。どうでしょうか。と思うんだけど、でも未來さんこういうところであんまり嘘つけないタイプに思えるので、とりあえず後頭部お大事に、は信じておきますね(笑)。

 フランス公演のレビューもとても興味深いです。そうなんだよね、きっと多様さを肌で感じて生活していればいるほど、もっと染み込んでくる作品だったんだろうね…日本で観るとなかなかその辺の感覚を意識しづらいというか、意識に上らせることを怠りがちというか。もちろん日本にもちゃんと、歴然と、あるんだけど、ついついそこに目を向けないことに慣れてしまっているから。フランスに暮らす郁女さん、世界に飛び出している未來さんはきっと、わたしよりずっとその辺の感覚を肌で知っているから、だからこそのこの作品になったのだろう。という点で、日本で観た日本人のわたしはちょっと理解の域が浅くなってしまっていただろうことが、今になって、少し残念というか、もったいなかったなぁ。