ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

演劇企画集団THE・ガジラ年間WS公演「フランケンシュタイン -あるいは現代のプロメテウス」@ウエストエンドスタジオ(6/12夜)

 久しぶりのガジラ観てきました。「ドクラマグラ」から1年ぶりかな? 桜美林のOPALに行けていないので久しぶり感が。もっと密に観たいのだけどなかなかできなくて悔しい…見逃したくないのに…。

 今回は中野駅から徒歩10分くらいのスタジオ地下が会場でした。鐘下作品は開演時から演者さんが板付きなことが多いけど、今回はなし。でも暗い地下の雰囲気とセットの古びたテーブルや地球儀、壁にしつらえらえた鏡と、低く聞こえる風の音のような誰かのうなり声のような音で、ガジラを観に来た感は否が応にも盛り上がるのでした。

 メアリー・シェリーの小説「フランケンシュタイン」がベースになっているというか、かなり忠実に舞台化されている感触で、小説のイメージと後の映画や何やらのイメージがだいぶ違っている*1から、その差というかズレが自分で観ていて面白く感じたり。ビクター・フランケンも、彼が造った怪物も、女性が演じていて(性別逆転、ではないのだけど)、そこはちょっとしたオリジナル成分だったり肝になっていたりフックというか仕掛けになっていたり。ビクター役の岩野未知さん、ガジラではおなじみになってきたけど今回も流石の素敵さでした。低めの声がね、良いよね。怪物役の守屋百子さんも金髪に細身レザーの衣装が美しかった。北極探検の船に助けられたビクターが、そこに至るまでの自身の経験を語って聞かせるという形ですが、話者と回想部分(がほとんどなんだけど)の配役の妙もね、うすうす……かなぁっていうかだよね?とは思っていたけど、うん。ですよね!!

 ホラーとして捉えられるイメージがどうしても強い物語だけど、実際はフランケンシュタイン青年と彼が生み出した怪物、フランケンシュタインを取り巻く家族や友人や恩師、時代や家や大学、1800年代の最先端科学など、当時の世相や社会状況がリアルに反映された社会派文学だと感じました。科学や技術の発展と倫理、宗教、魂の在り処、ヒトをヒトたらしめるものは何なのか。「私」を「私」と証明するものはどこにあるのか。現代、AIやロボットの発展と共に、再び揺らいでいるその辺りの命題を、19世紀初頭に重ね合わせて、改めて突き付けてくるのが流石の鐘下節だなぁと。

 メアリー・シェリーという女性は17歳の時に不倫の末アメリカに駆け落ちし、18歳で小説「フランケンシュタイン」の執筆を開始しているのですね*2。19世紀初頭に彼女の歩んだ人生が世間にどう思われていたのか、想像に難くないし、作品の中での女性の描かれ方にもその辺の、彼女自身の思いが現れているように思う。し、鐘下版のアレンジというか演出が、さらにその辺りを強固に、ある意味逆説的に描いていて、よりコントラストが強く浮き出て見える仕組みになっているんだな。キャスティングの妙と書いたけど、より本質を突いた仕掛けだったんだなぁと後から思って噛み締めています今…。

 ガジラの作品は毎回、女優陣が印象に強く残るのだけど、今回もビクターと怪物はもちろん、ビクターの妹に婚約者、フランケンシュタイン家の使用人とその娘、ちびっこ判事、死んだビクターの弟、精神科医、と女性が光っていました。ビクターの妹クレアが個人的にとても好きだった…すぐ馬に乗りに行っちゃう男装の麗人美しかった…。ジュスティーヌも良かったなぁ特に化けてから。婚約者のエリザベスは哀しかった。北極パートの男性2人も良かったです。大学教授はガジラでは珍しく笑いを取る雰囲気で。ビクターの父親は声が良かった…あの時代の父親像ってそうなってしまうよね。亡くなった弟ウイリアムの存在感もすごかったし、ちびっこ判事さん個人的に気に入ってます(笑)。可愛くて悪い。

 あとガジラといえば水と嘔吐(※個人の意見です)なんだけど、今回もとても素晴らしく使われていて…良かった…水の使い方がほんと好きです。少ない量で効果的。嘔吐は今回も、えっいつだったんだ…で終わってしまった。今回も見極められなかったけど、でもあの瞬間のわたしのにんまり顔はマスクしてて良かったレベルですよ。

 と、基本の満足感は高かったし暗闇でゆらめく蝋燭やランプの灯りがとても美しく、鏡越しに見える表情や映し出される光や揺らぎなども緊張感を張りつめさせる良い効果があったし、ガジラ満喫した!って思えるのだけど、ちょっと惜しかったのはセリフ噛みで集中が途切れてしまうのと、役者さんの何というかレベル的なばらつきが如実に出てしまうのが…。上手い方が上手い分、同じレベルに揃っていないのが、これまでのWS公演に比べても如実に表に出ていた気がする。あと、これは構造上の問題だろうけど、同じ建物内にレンタルスタジオがあるのかな? バンドが練習しているのか音がけっこう聞こえて、静かなシーンにとても気になったのが残念だった…スペース雑遊は復活しないのかなぁ。

 自分の存在を証明するものは何なのか。神が自分に似せて作った人間という被造物は失敗作の怪物ではないのか。人が獲得してきた進化の過程は果たして進化なのか。北極の何処かを、今も哀しい怪物が彷徨っているような気がする、のか、彷徨っていてほしい、のか。どちらにしても、孤独な魂が彷徨い続ける地が北極圏だなんて、相応し過ぎてたまらない。ラストシーン、穏やかな表情で向かい合って座るビクターと怪物が、鏡写しの相似形のように見えたのが目の裏に鮮烈に残っています。

*1:アニメの「怪物くん」とかさ…

*2:wikiで見た