ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「テイク・ミー・アウト 2018」@DDD青山クロスシアター(4/14昼)

 「テイク・ミー・アウト2018」観てきました。DDD青山クロスシアター、初めて行ったけど小ぢんまりしていてなかなか観やすくて良い雰囲気ですね。青山劇場の横を通るのだけど、何だかちょっと哀しくなってしまった…そのままあるのなら使わせてくれれば良いのに…。

www.takemeout-stage.com

 この「テイクミー~」は2003年にブロードウェイ初演、日本では2016年に初演され、今回は再演とのことですが、どうやら初演時とは演出やら何やらがずいぶん変更されているそうで…なので「2018」バージョン、ってことなのかな。柿喰う客の玉置玲央くんが出てるから、というそれだけの理由で、情報もあらすじも他の出演者情報も何も見ずにチケットを取り、そのまま当日を迎え客席に座るという…何だっけ野球だっけアメフトだっけのロッカールームでの話なんだよね?くらいのふんわり感で着席してしまいまして、流石に舞台上にバットがあったので、あっ野球だ、てなりましたが、そんなぼんやりした姿勢の開演前の自分に喝を入れたいくらい、良かった。観て良かった作品でした。とても…とても、困難な問題が山積みで、じゃあどうしたらいいのか、どこで間違って何が正解だったのか、なんて全然見つけられないけれど、わからないからと目をそらしたくはない。考えることをやめたくない。そう、強く思わされる作品でした。舞台は2003年メジャーリーグのロッカールーム、それから15年経った今、日本で、変わったものと変わらないもの、変わったようで変わっていないもの、変わらず確かにあり続けるものたちが、どう変わったのか、何故変わったのか、何故変わらないのか、変わることができるのか。今の日本だからこそ、考えるべきことがたくさん提示されているとも思います。

 以下、決定的なネタバレはないけどふんわりバレてはいるので畳みます。

 

 メジャーリーグのロッカールームは、華やかなスタジアム内では窺うことのできない選手たちの本音が渦巻く、いわば裏側ともいえる場所で。様々な人種・国籍・宗教・出自を持つ選手が、同じひとつのチームとして、共に勝利を目指しながら、でもその水面下にそれぞれが抱えているものは複雑で。そこにチームのスター選手ダレンのゲイ・カミングアウトが一石を投じる。混乱するチーム、それをきっかけに、内包されていた問題が次々と表面化していき、チームの成績は下がり始める。それを救ったのは、2軍から上がってきたばかりの抑えの投手シェーンだったが、彼の言動がチーム内の軋轢をさらに大きくしていく…というストーリーです。登場人物はチームメンバー8人と監督、ダレンの親友でライバルチームの選手デイビー、そしてダレンの専属会計士・メイソンの11人。長方形の舞台の長辺を左右から囲むように客席が配置され、舞台上に時にはロッカー、時には壁に見立てられる可動式のフェンス状パーテーション、天井近くにテレビモニターが数台、というシンプルなセットが、ロッカールームという閉鎖された空間での濃厚な会話劇(題材は野球だけど会話劇です)を、息苦しいほどに密に感じさせる。舞台が近いのもあって、ロッカールームの壁の隙間から中を覗き込んでいるような、見てはいけない場面をうっかり目の当たりにしてしまうような、ある種の居心地の悪さを感じるほど。

 黒人と白人両方のルーツを持ち、中産階級出身で、ルックスも良くて非の打ちどころのない高潔なスター選手であるダレンが、自分はゲイであるとマスコミを通じて発表したことで巻き起こる賞賛と非難、同情や侮蔑、向けられる好奇の目や差し伸べられる手。ダレン自身は何も変わらない、今まで通りだと取り合わないけれど、チームメイトの反応は様々で。どれも、ああそうなるよな…という反応なのだけど、それでも観ているのがつらい。2003年だし、15年も前だし、とも思うけど、じゃあ今だったら、日本だったらどうだろう、と考えてしまう。

 そこをさらにかき乱すのが、抑えのピッチャーで所謂コミュ障タイプのシェーンで。誰とも口を利かずにロッカールームの隅でいつも静かにしている彼が、めざましい成績を上げチームを勝利に導くのだけど、インタビューでメディアに向かって放った彼の言葉が、更なる混乱を引き起こすことに。文字通り、画面越しに耳にするシェーンの言葉は、本当に、心臓がきゅっとなるくらい衝撃的で、耳を疑うほどで、でもきっとそれもひとつの、そして決して少なくない数の、反応なのだろうことも想像できてしまって、それがさらにつらい…ほんとつらいシーン多いんだ…。

 シェーンが起こした混乱は次の悲劇への呼び水となり、状況は連鎖的に悪くなっていく。かつて楽園だったはずの場所はその姿を変え、追放された者たちが彷徨うその先に、「ここではないどこか」はあるのか。わたしをどこかへ連れ出して、というタイトルは、もちろん「Take me out to the ball game」から取られているけれど、to theに続く場所はそれぞれ違うのでは、登場人物それぞれが、ここではないどこかを求め、楽園を出る最初の一歩の物語なのでは、とも思うのです。それは野球をやめる、ということではなく、かつての楽園ではもうなくなったロッカールームで、どう生きていくか、という一歩、楽園を追い出されたアダムたちが新しい世界へ踏み出す、その創世のきっかけの物語なのではないかと。

 人種、宗教、セクシャリティ、社会的ヒエラルキー、あらゆる違いが差別に直結していくのを目の当たりにするのはとてもしんどくて、劇中で誰かに向けて誰かが発する差別的な言葉がすべて自分に向けられているような苦しさを感じるのだけど、同時に、その言葉の元となる感情が自分の中にもあるように感じられて、それがさらに苦しくなる。誰かに対して強者になり、別の誰かに対して弱者になる、そういう部分がきっと自分にもあって、それを強く意識させられるのが苦しかった。

 あと、マイノリティ/マジョリティの問題とは別に、もうひとつ感じたのは、こういう人はこうあるべき、みたいな固定観念の押し付けが根強く自分の中にある、ということです。スーパースターは清廉潔白であるべき、というのはダレン自身が自らに課している、ある種のプライドと責務のようなものだとは思うのだけど、そうあって当然、そうあって欲しいと思いながら観ているから、そこが揺らいだ時にとても衝撃を受ける。恵まれない出自の人は心優しくあって欲しい、とか、ヒスパニック系の人は陽気で楽しいはず、とか、英語のしゃべれない日本人は努力してコミュニケーションを取ろうとするべき、とか、そういうティピカルな印象をどうしても先に持ってしまうから、それを悉く引っくり返されていくのがとてもショックで、そこにショックを受ける自分の中にある固定観念、~であるべき、が実はけっこう根深いことにさらにショックを受ける、のでした。しんどかった…。

 ってつらかったりしんどかったりばっかりみたいになってしまっていますが、まぁ体感7割くらいはしんどいのですが(笑)、その中で、メイソンのキラキラしてまっすぐな笑顔は本当に救われるし息が出来るところだった…きっとダレンもそうだったんだろうなって。大丈夫、残りの3割はとても…良いから……きっと良いから……いや良いことばかりじゃないだろうことは想像に難くないけど、でもきっと良いと信じているから…だから終演後は明るい気持ちになれます。わたしはなったよ。メイソンが連れて行かれる「どこか」が幸せに満ちていることを祈ります…。

 ひとりずつ。まずはお目当ての玉置玲央さん。本当に、これ観られて良かった…メイソンの玲央くん観られて良かった!! ダレンを担当する会計士で、唯一チームの外から顛末を見る、いわばスタンド目線の役でしたが、キュートが溢れていた。全身からいろんな感情がこぼれ出してキラキラしていたよ。あの身体能力を発揮するシーンがなくて、ちょっともどかしい感じはあったけど、それを封じてなお魅力溢れる玲央くんが観られるのは幸せだ…。会計士と聞いてそうかな?と思っていたけどやっぱりユダヤ系なようですメイソンさん*1。はぁ可愛かった…愛しい。みんな、~に見えて実は…な面があったから、もしかしたらメイソンにも…ってかなりヒヤヒヤしてたけど、うん。メイソンは可愛い。ラストシーンの「悲劇だ…」の意味を一瞬考え込んでしまって、嵐のようなシーズンは彼にとっても悲劇と表すにふさわしかったのだろうし、もしかしたらシーズンに限らず、それまでの彼の人生全体を思い返しての言葉だったのかもしれない、なんて。でも次のシーズンに向かって走り出す姿は希望と幸福に満ち溢れていて、その先の幸せを切に祈るしかないです。大丈夫、きっと幸せになれる。なってくれ。頼む。あと柿で玲央くん小さいって思ったことなかったんだけど、今回わー玲央くんちっちゃいな!?ってなったのは…周りが高身長揃いってことかな…。

 メインの語り部、チームメイトのキッピー、味方良介さん。高学歴で頭が良くて面倒見がよくて公正で、観客の視点を背負って引き受ける役でした。だから絶大な信頼を寄せていたのに…ね……。使命感と驕りは紙一重なのだな…。根は悪くないと信じたい。

 ダレン、章平さん。まったく存じ上げなくてめっちゃかっこいいなーめっちゃイイ男だなーと見とれていましたが、2.5舞台にたくさん出られている方なのですね。複雑に捻れてしまったスーパースターの、美しい外見とセンシティブな内面がとても繊細に表されて素敵でした。自らを神だと云える驕りの裏に、そう云い聞かせることで自分を保つような危うさを感じたし、それが折れそうになる弱さも垣間見えたよ。シャワーシーンはさすがにびっくりしました…えっいいのこれ観てて…?ってなった…いや美しかったです。

 シェーンの栗原類さんは、これまでいくつか気になるお芝居に出てらして*2、舞台での姿を是非観てみたかったので今回観られて嬉しかった! とても複雑で難しくて、しんどい役どころを、身を削るように演じていて、胸が痛むほどシェーンが閉じこめられている閉息感やもどかしさ、叫んでも届かないけど叫ばずにはいられない叫び、が伝わって、つらかったけど良かった。シェーンは悪くない、とは云えないけど、哀しい。し、南部のあの感覚は根深いよね…。あと、ちょっと思ったのは、彼自身が2軍にいたり、施設にいたりした時に、もしかしたらそういう、セクハラ的ないじめを受けたことがあったんじゃないか、っていう。彼のゲイフォビア的言動は何か、そういう経験があってエスカレートした可能性も、というのは、類くんが綺麗だから余計にね…。

 トッディ、浜中文一さん。彼も観ていて哀しい気持ちになった…精神的に未成熟だなぁという印象。それに対してジェイソン、小柳心さん、は不器用だけど大人だなって。気遣い屋さんで優しくて善良な人なんだろうなぁ。小柳さん、「マーキュリー・ファー」のスピンクスだけど、印象全然違いすぎてしばらく気づかなかったよ…。スピンクスも不器用だけど優しかったよね、方向性がだいぶ違うけどね。

 マルティネス陣内将さん、ロドリゲス吉田健悟さんのヒスパニック系コンビ。すごいね、セリフほとんどスペイン語だった…ぽかーんとしてしまった。陣内さんは何度か舞台で拝見しています。私服の雰囲気が流石って感じだったおふたりとも。何かきっと愉快なことを話しているんだろうなーって勝手に思っていた会話の内容がとても酷くてショックだった…つらい。ロドリゲスは写真をよく眺めていたけど、きっと故郷の奥さんか彼女かなんだろうな。あとこの二人に関しては、有色人種同士の人種差別、をすごく見せつけられてきつかった…日本にいると自分がそういう対象になることに対してとても免疫がないんだな…。そして日本人投手、タケシ・カワバタ、堅山隼太さん。無口で静かでいつもひとりで腕をアイシングしている姿が印象的。つい気になって目で探してしまうのは日本人だからかなぁ。彼もまた、通訳を解雇するという、コミュニケーション完全拒否の姿勢にびっくりした。くそ高い契約金泥棒、みたいに云われるの、日本人メジャーリーガーってそんな風に思われるんだ、っていろいろショックでした…。

 ダレンの親友でライバルチームのスラッガー、デイビー役はSpiさん。レントのベニー役やられてましたよね。デイビーなぁ…彼は彼で、彼の信じるものに対して誠実であったんだろうことは、わかる。し、そういう人が少なからずいることもわかる。それを哀れだと思ってしまうことは、驕り…なのか。しかしダレン、人を見る目はあんまりないなーとか思っちゃうよ…デイビーがどういうタイプか見抜こうよ…。チームの監督スキッパー、田中茂弘さん。落ち着きと重厚感で、暴走しがちな若者たちの要になってくれていました。大人の事情と選手の間で、苦労も多いだろうな監督…。

 野球にそもそもあまり思い入れがないので、メイソンがキラキラしながら語る野球の素晴らしさを、なるほどそっか~、なんて聞いていたのだけど、わたしにとってそれは演劇で、演劇を観ている間は、ここではないどこかに連れて行かれている時間で、それがほしくて劇場に通うわけで、それが野球でありスタジアムな人たちもいて。野球でも演劇でもその他でも、そういう時間が人生にはとても大切なんだよ、というのも改めて感じられた作品でした。

 何か、長いわりには全然まとまらない文章だな…。

*1:アフタートークで玲央くんが云ってたそう

*2:気づかいルーシー」とか「春のめざめ」とか