ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

森下真樹「ベートーヴェン交響曲第5番『運命』全楽章を踊る」@森下スタジオ(12/1・12/2)

 一週間以上経ってしまったけど12月最初の土日にマキバンバンさんの「『運命』を踊る」、2回観てきました。とてもとても良く知っている楽曲を、わたしの「知り」方とは全く違うアプローチ、全く違う読み解き方で、作品として提示されて、とても良く知っているのだけどその上に二重写しのように全然知らないものが重なって見えるようで、何だかすごく不思議な気持ちになったのが面白かったです。中学生の頃から何度となく弾いてきたけど、ほんとわたしにとっては音符の連なりだったり強弱だったり「ここのタイミング難しい」「このパッセージ忙しい」「このフレーズ気持ちいいよね」「はいチェロがんばって!」みたいなものの集合体だった、というか、でしかなかった、というか。もちろん、メロディが好きとか、ノれる(笑)とか、かっこいいとかはあったけど、あんまりそこにこう、ドラマ性を見出したり、ストーリーを導き出したり、物語を重ね合わせたり、っていう作業は…あんまりじゃなくてまったくしたことがなかったな…って。弾けるかどうか、の観点からしか聴いてこなかったし楽しんでこなかったし*1認識もしてなかったんだなぁ、と改めて思いました。楽器やめてもうだーーーいぶ長いこと経つけど、やっぱり弾いたことのある曲はどうしても、弾く時の感覚でしか聴けないんだなぁ、というのはオケ曲に限らず、先日聴きに行ったヴァイオリンのリサイタルでもとても思ったのでした*2。幸か不幸かって感じだ…。

 土曜日曜と2公演観て、何となくだけど日曜日の方が爆発してるというか、大きく弾けていたような気がしました。何が違うか、具体的にはわからないんだけどね、何となく…よりダイナミックに、第四楽章の突き抜けた感じなんか特に、ああこれは富士山のさらに高みから降りてこられないね、ってなる感じ…凄かったです。ただでさえ終わらない*3「運命」ラストの、止まらないんだか止めどころがわからないんだかな高揚感から、音が消えてもなお繰り返されるムーヴメント…さらにその上に行ってしまっている感じ、「下」という概念を忘れた感じがとてもわかるんだけど、ちょっとキツくて、胸が詰まってしまった。哀しいのではないけれど苦しくなってしまう感じがした…こんな高みに到達してしまって、この先マキバンバンさんはどうするんだろう、どうなるんだろう、みたいな…心配、というか。どういう感覚なんだろう一体(笑)。

 えーと順番に、まず第一楽章、振付はMIKIKOさん。上手から椅子を1脚と裾がひらひらした赤いワンピースを持って入ってくる。舞台の一番下手にその椅子を置くと、黒い舞台の床に白いテープを長く貼って区切っていく。4本貼って5つに区切る。一番上手の区画だけは横方向にも白線を描き、縦に貼ったテープと、横に貼ったテープをどちらも切らずにロールを残して置く。舞台の奥には透明のビニールシートが吊り下げられていて、奥行きを半分に分割している感じ。ビニールシートにはスリットが入っていて行き来はできる。テープを貼り終えたら下手の椅子のところで、ワンピースを着て、暗転。後ろ向きに座り込み、曲の開始と共に振り向くような振りから始まる。MIKIKO先生っぽい動きなんだけど、やっぱり真樹さんが踊ると真樹さんのものなんだなぁ。MIKIKO先生の振付は無機質で綺麗なイメージが強いんだけど、その隙間から個性が滲み出るような、無機質なイメージを有機的に、どちらかというと生々しく感じさせる部分に真樹さんが宿っているような。五つに区切られた空間を、あの主題に合わせて壁にぶち当たるような、その壁に弾かれながらも次の空間へ飛び込んでいくような。壁を押し破って次の空間にもつれ込むと、またそこも閉鎖されている小部屋のような、前の空間へは戻れないような。不可逆性、とか、以前の自分には戻れない、みたいな印象を受ける。下手から上手へ、ひとつずつ空間を移動して、一番上手の部屋までたどり着いて、主題が晴れやかになると部屋を大きく飛び出して自由に行き来したり、ワンピースを脱ぎ捨てて、さらにまとわり付くものを全て脱ぎ去るみたいに腕をこするような動きをしたり。下手の椅子まで戻り、椅子を抱えて床に転がるようにしたり。上手の空間で、今度はロールで残してあったテープでその部屋の区切りをより強固に描く、とか。もうここから出ない意思、みたいなものを感じたり。最後は繰り返されるムーヴメントを、曲が終わっても舞台から床へ降りて、そこで繰り返す。無音の中で、速まった息遣いだけが静かに響いて、手指が印象的な動きが連なっていく。そんな、激しさの後の静寂の中でのラストでした。

 ふ、と動きを止めて、静かに舞台に戻り椅子とワンピースを抱えて舞台の奥へ消えると、ビニールシートの向こう側には食器や本や文具やスマホが乗ったテーブルセットが現れる。テーブルの前に座り、マグカップにポットからコーヒー?を注ぎ、口に運んでお金?を数え、ふと思い出したように文庫本に手を伸ばしてしおりが挟まったページから続きを読み、読みながらもうひとつのカップを口に運ぶと空っぽで、そっちにもポットから飲み物を注いで一口飲もうとして、もう一方のカップに気づく、とか。この辺は未來さんのインタビューで見たやつだーって思った(笑)。カップの飲み物を飲んで、文庫本を読みながらトイレットペーパーに手を伸ばし鼻をかみ、ペンケース?の中身をしまい、出してペン?をトイレットペーパーの芯部分に立て、またお金を数え、スマホを手に取りスワイプして、どの動作も完遂されず途中で次に手を出す感じが、あーあるあるって感じで面白い。4楽章の中で一番ユーモラスな印象でした。そのうち、テーブルの上にあったヘッドフォンを装着してまたスマホを触り、そしてかすかに聞こえ始める鼻歌が、第二楽章のメロディ、なのでした(笑)。鼻歌を歌いながらまたお金を数えたり、ペンを片付けたり、カップを手に取ったり、手鏡で顔を見たりする動きがだんだん動作からムーヴメントに変わり始め、曲調が盛り上がると真樹さんの動きも鼻歌も大きくなって、ついにビニールシートのスリットからこちら側へ出てきて、でもすぐに収縮する曲に合わせてまたするっと引っ込んで椅子の上にだらりと座り込む…。ビニールシートの向こう側はとても個人的な、インナースペースで、もしくは精神の内側とか、脳内の深層部分とか、そういう奥の方で、ビニールシートを超えてたまに現れる動的な部分が表層化する真樹さんの表面的な部分、みたいな風に見えた。やがて曲の盛り上がりと共に、スピーカーからも音が流れ始める…のだけど、鼻歌からスピーカーまでが繋がっていたのかどうかがちょっとわからなかったなぁ。でも繋がってたんじゃないかなーって勝手に思っています。途中で、森下真樹とはこんな人、みたいな内容のモノローグというか説明が読み上げられたりして、手足が長くて走るのが速くて長い髪をなびかせて走る姿からあだ名がジョイナーだったとか、人と話す時には相手の目を見て話しなさいと云われてきたせいでじっと人の目を見るけど凝視し過ぎて怖がられることがあるとか、アルカイックスマイルが得意で菩薩のような笑みを浮かべることができるが菩薩のような心では別にないとか、全体を通して何となく、これは「森山未來による森下真樹のプレゼンテーション」みたいなものかな、と感じました。もしくは、森山未來の好きな森下真樹像、とか。何かね、「好き」が溢れてた(笑)。し、だからこそなのか、真樹さんの魅力も溢れていたように感じました。転勤族で転校が多くて人との距離感が上手く測れずシャイだけど爆発すると爆発的なことになるみたいなことを読み上げられながら、盛り上がった曲調と共に、100ねこで王様の兵隊がかぶっていた羽付きの帽子*4を被ってぐわーーっと前に出てきて羽根の先でうりゃうりゃするようなのとか、ほんと…チャーミングが過ぎて面白かった…。そこから両手を頭上に振り上げてくわっと面白い顔になるのとか…求愛ダンス…(笑)。膝を軽く曲げて挙げた両手の先をちょっと曲げるのとか、も、あー未來さんっぽいやつ!って思うのだけど、観ているうちに忘れていくというか、真樹さんでしかなくなるのがね。ほんと見てる最中はほぼ、誰が振付とか頭から抜け落ちていました。ただただ目の前のパワフルでしなやかで美しくて生々しいひとつの肉体が躍動する様に惹き付けられるだけで。

 …とは云いつつも、やはり「初振付作品」なので、そこはね、じわじわ感慨深くなるのだけどね。「いつか森山未來の内側から発される動きを見たい」ってぼんやり思っていた頃を思い出すと、誰かに振付してる!!って(笑)。でも、振付ではもちろんあったけど、何というか、もっと総合的な…演出というか、プロデュースというか、振付だけではないし、内容もダンスという括りには収まりきらないシアトリカルなものだったし、って考えると、演出自体は前からやってたしなぁ。感慨深い面もあるけれど、エポックメイキング!!って感じでもない…かな…。とても自然に、真樹さんをプロデュース、みたいな感覚でした。「求愛ダンス」と「マイクロスリップ」がテーマ、とインタビューで云っていたのもちゃんと観ていて思い出したな。と同時に、鳥類の性染色体は哺乳類に比べて大きいのでオスの突然変異的な羽根の色や形の情報をより多く後世に伝えやすいとか、遺伝子そのものも変化しやすいとか、だから哺乳類に比べて鳥類の雌雄は色形大きさが違うとか、っていう話をぼんやりと思い出した…けどあんまり関係なかったな(笑)。でもマイクロスリップから生まれた求愛ダンスも、大容量の性染色体があるからこそ、それに乗っかって受け継がれていくのだなぁと思うのです。うん、やっぱり関係ないな。

 ビニールシートの向こう側に戻った真樹さんが、大きなザックからウィンドブレーカーの上下を靴を取り出して着込み、代わりにテーブルの上のものを全部詰めて、頭に懐中電灯を取り付け、暗い中に懐中電灯の明かりだけが不安定に揺らめいて、その光に映し出される大きな影の手が、岩肌を掴むように蠢く、聞こえるのはバチバチザラザラゴウゴウという…強い風の音?の中で始まる第三楽章。何しろ振付したのが写真家の方で、一体どうなっているんだろうと思っていたけれど、すごい…ダンスというかもう全体でインスタレーションというか、そういう表現もありなんだ!という…本当に自由。面白かった。懐中電灯を装着した真樹さんは山肌を這いずるようにビニールシートの奥の暗がりへ入っていき、さっきまでテーブルだったものの下に潜り込み、それを背中に背負うようにして、ゆっくりと上手から出て行く。出て行っちゃう。退出してしまう! 無人の舞台上では、ビニールシートに照射される映像が、富士山の風景を映し始める。木々の緑、緑の中で踊る真樹さんの姿、山頂近くの灰黒のザレ場、山頂の石碑に絡みつくようにして踊る姿、そして「お鉢巡り」最中であろう、ヤッケにリュック姿で地面にへばりついて、轟風の中を這って進む真樹さんの姿。そして大きく映し出される「大・山岳ショウ!!」の文字、流れ始める第三楽章のメロディ…すごい。富士山に連れて行かれたという話は聞いていたけど、まさかそれそのものがそのまま作品になっているとは。でも、山の厳しさ、過酷さ、緊張感と雄大さが、第三楽章のフォルテでもピアノでも常にひりつくような緊張感が保たれていて、そんな中にたまに勇壮でダイナミックなメロディが歌われるイメージにとてもよく重なって、これはこれで…やっぱりね、「ダンス」でくくれないんだよね、もうこれは「森下真樹という人間の生き様」を全4楽章で表現した、みたいなものなんだよね。ほんと面白い。し、四者四様の森下真樹像が提示されていくのも面白い。全然違うし、でも同じ森下真樹というひとが体現するから、ちゃんとひとりのひとつの像を結んでる。流れやつながりがあるように感じる。

 で、第三楽章から第四楽章はインターバルなしにそのまま入るから、ここどうやって振付けるんだろう、とぼんやり思っていたのですが、すごかった! もう、これしかないよね!!ってくらい鮮やかで美しい、第四楽章の晴れやかで何もかもから解放された、正しく解き放たれた魂、みたいな始まりで…初見で涙出ました。クレッシェンドで刻まれていく音の本流の中、それが爆発する最後であり最初の音と共に、透明なビニールシートが全て取り払われ、広さを増した舞台に真っ白い衣装をたなびかせた真樹さんが飛び込んでくる、その神々しさ晴れがましさといったら。這いずり引きずり上げて地上の高みに到達した肉体を鮮やかに脱ぎ捨てて、さらにその上の天界に到達したかのような…晴れやかで荘厳で美しかった…。和音四つにあわせてすぼめた指先を肩・腿の上・肩・腿の上、に置きながら膝を軽く曲げて前方へ進み出てくる姿、きっとずっと忘れない…あそこ聴くたびに思い出すんだろうな…(笑)。舞台上にも身体的にも何の負荷も制限もなくなり、本当に自由になった肉体が、弾けるように舞うのが、一度第三楽章の主題が再現されるところで少し翳るというか、思い出すというか、な印象を受けたのも、振付家同士はきっと打ち合わせとか何もないはずだろうに、ちゃんと(?)第三楽章の主題の雰囲気を纏うのも流石だなぁとか。そしてそこから、再び爆発的な解放に一気に持っていくのが、きっとめちゃくちゃ過酷だろうに、最後の力を振り絞る感じで…しかもそこから終わりそうで終わらない地獄のターンに突入していくという…あのね、楽譜見てると笑えてきちゃうんだけどね、おっフィナーレかな?って辺りに入ってから楽譜まるまる1ページあるからね(笑)。終わりそう!ってなってから丸1ページ分あるからね…あと2展開くらいあるからね…今度こそ終わりでしょ!?ってなってから4段あるからね…ほんと終わらないからね…。弾いてる分にはニヤニヤで済むけど、踊るとなるとなぁ…大変だろうなぁって思ってしまう…ベートーヴェン完全に終わり方見失って着地点模索してるもん…。そりゃ、こんだけフィナーレ引っ張られたら、曲が終わっても終わり方は見失うし止め方わからなくなるし、踊り続けるしかないよね…って思う終わり方でした。終わらないフィナーレ、静寂の向こうで鳴り続けるオーケストラ、止まない熱狂。そこから醒めることは果たしてあるのだろうか、それが止まった時彼女はどうなるのか。ちょっとだけ、「死刑執行中~」のラストを思い出すような、終わることなく踊り続ける宿命を負った人、感。音の消えた舞台で、ひとり止まない熱狂の中、踊り続けるまま、暗転していく、そんなラストでした。それを『運命』と題するなんて、過酷で皮肉で、何て宿命的なんだろう。

 公演後はアフタートークがありました。土曜日は第四楽章振付の笠井叡さんがゲスト、金曜日も笠井さんだったって聞いたような。笠井さんは稽古からゲネから本番全日、一番ずっと観に来てくれている、と真樹さんが云っていたような。ふんわりとしか覚えていなくて朧ですが…。印象的だったのは、真樹さんのことを「この人は剣士だ」「型も流派も何もなく剣を構えて、おっとうの仇ー!!って斬りかかっていく女剣士」と仰っていたこと…何故だかとても納得というか、すんなりイメージ通りで面白かった。真樹さんが話されているのを聞くと、とても優しげで声も可愛らしくて、勇ましい雰囲気じゃないのにね。あと「あらゆる関係、親子関係とか夫婦関係とか恋人関係とか、の中で最もエロティックなのは振付関係」というのも笠井さんの口から発されるととても説得力あるというか…素敵な響きだったな。年齢も性別も何も関係なく、でもとても深い関係性を築くし、ある意味サディスティックでマゾヒスティックでもある、とか。それがいやらしく聞こえないのがまた、かっこよかったな。ゲネを見学されていた笠井さんが、MIKIKOさんの振付をとてもとても不思議がっていて、「空気が振付けているみたい」と仰っていたのも印象的でした。何かね、ふわぁ…っとしていて、あれ振付なの?って(笑)。あとご自身の振付のことを「ダンサーが放つものを映して鏡のように跳ね返ったものを振付ける」みたいなことも。それはMIKIKOさんも同じで、対話の中や真樹さんが発した言葉をそのまま振りにしていったそうで。第一楽章の終わりに繰り返された印象的な振りも真樹さんの言葉を振りにしたものだとか。何て云ったのかはわからないままだけど印象的なのは確かだった…。

 日曜日はMIKIKO先生と未來さんがゲストで鼎談のようなアフタートークでした。前日からだったけど、マイクが何だかボツボツノイズが入って、その原因をいろいろ考えたり、結局3人ともマイク切って生声で話したりしていた(笑)。この日の未來さんは青系のチェックのロングシャツを羽織ってインナーは白地にフロントプリントのTシャツ? ロンT?、黄系チェックのストールをぐるぐるっと巻いて、黒白横縞っぽい模様×黒の2枚接ぎジョガーパンツ、の裾から黒地に白ドットの靴下が覗いて(可愛い)、ワインのDr.マーチン8ホール、お団子頭にヒゲなし、という出で立ちでした。MIKIKO先生は淡いラベンダーカラーのモヘアのタートルニットに黒いロングの巻きスカートっぽく見えて実はパンツ、ショートブーツ。大振りなピアスが素敵だったな。真樹さんが「高山病で降りてきてないので(笑)」、ということで先に未來さんとMIKIKO先生ふたりでスタートしました。ちょっとメモを箇条書きで置いておきます。

  • MIKIKO先生が最初にこの話を聞いたのは、ドイツのCeBITの前くらい、そういえばドイツでその話したねって未來さん。あと三者面談もしたそうです(笑)。
  • 真樹さんは先に大体、誰に何楽章を頼むか決めてたっぽい。
  • 第一楽章は避けたかった、とMIKIKOさん。やっぱりメジャー過ぎるのは避けたいものなんでしょうかね。未來さんもあーそうねーみたいな感じだった。
  • 第一楽章の、テープで区切った各空間は感情の小部屋だったり過去・未来だったり、とのこと。
  • 真樹さんとMIKIKOさんは生で「運命」を聴きに行ってるんですよね?と未來さんが質問して、第一楽章だけ日フィルの生演奏で踊るイベントがあると説明が。日フィルかーーー新日フィルだったら潜り込めたかもしれないなぁ(笑)。
  • 第一楽章はその、生オケとやるのが先にあったから、アクティングエリアを奥に広く取れなくて横方向でやることにしたそうです。なるほど。
  • 第二楽章について。第二楽章は4楽章中で一番長くてアップダウンが激しい。
  • 中目黒で飲んだ時に曲を聴かせてもらって、真樹さんからはできれば2楽章でお願いしたいと云われていたそうです。
  • テーマは「マイクロスリップ」+「求愛ダンス」。
  • 求愛ダンスもマイクロスリップから生まれている。
  • 作ってる最中に、Eテレももクロが求愛ダンス(「求愛あるあるアニマルダンス」)をやっていて「個人的にはやられたー!って(笑)」と未來さん。ももクロみんなのうたかな?
  • ビニールシートのスクリーンはプロジェクション前提で、第一楽章はアクティングエリアを区切る、第二楽章は覗き見感覚の効果もある。
  • この辺で真樹さんが登場、出てくるなり木彫りの人形を取り出して「石川さんです」って置く。網走のお土産だそうです。万歳ポーズをしている人形で、石川さんが「二楽章の万歳ポーズです」って誕生日プレゼントにくれたとのこと。この日いらっしゃらない石川さんの代わり(?)に来てくれました(笑)。
  • 二楽章のナレーションのテキストは未來さんが書いたもの。真樹さんも自分でも書いたけど人が書いた方がやっぱり面白いから未來さんのが採用されている。
  • 「森下真樹の運命の人とは?」をコンセプトにチャームポイントを書いてみた。
  • 世界共通の女性の求愛の表情、微笑んで眉をあげて目を合わせてから流す、とかも取り入れてるそうです(笑)。
  • 未來さんからの真樹さんの印象は、100ねこで会う前にダンスの動画を観て、セクシーな人だと思っていたのに、ねこ前に満島ひかりちゃんと一緒にワークショップを受けたら「おかしな方が前に立ってる人だとわかった」そうです(笑)。それで印象がおかしい>セクシーになっちゃったけど、今日セクシーだと久しぶりに思い出した、とのこと。WSの時は「シュールさが前に立ってた」だって(笑)。
  • MIKIKOさんの振付、第一楽章冒頭で振り向きざま手指をかぎの様にして振り上げるのは「笠井さんっぽく」した、とのこと。第四楽章を受けての第一楽章、みたいな流れを作ろうとしたそうです。
  • 指揮者の海老原さん(海老原光さん)がゲネを見に来てくれて、第二楽章を「革命的だ! ベートーヴェンを超えている!! 運命がBGMにしかなっていない!!」って(笑)。
  • それって…大丈夫?と笑う未來さん(笑)。
  • ベートーヴェンおたくの人も見に来て(「おたく!? おたくがいるの!?」みたいな反応する未來さん)、そのおたくの人に「ベートーヴェンが踊ってる!」と云わしめた第一楽章。
  • 指揮者の海老原さんはCDに合わせて振ってくれて、真樹さんの身体を使って二人羽織り状態でも指揮してくれたとのこと。指揮って指示出しだからタイミングが早いんだよね、って云ってたのが、そう云われればそうだなぁ棒見て弾くもんなぁ棒より先とか同時には弾けないもんなぁと当たり前だけど改めて思った…。
  • 第一楽章の最後に繰り返される振りにあった、高く掲げた右手首に左の人差し指を当てるのを未來さんが「最後、脈計ってたよね?」って云っていたのだけど、わたしあれメンタルがヘルシーでないものを想像してしまいましたね……すみません……。
  • 初の振付でしたがどうでしたか、と振られた未來さん。何を与えても森下真樹になる、見えてくるから大丈夫だろうと思った、と。
  • 第一楽章と第四楽章は身体を使ってくるだろうから、ずっと踊り続けるのもアレだろうからって、ちょっと違うアプローチになったようです。
  • (未來さん途中で小さめのくしゃみをされていた)(お風邪気を付けて~)
  • 他の人がどうしてるか気になった?と訊かれてMIKIKO先生、プランの段階では他の楽章がすごく気になったけど、作っている時はあんまり気にならなかった、次が未來くんだし、きっとばらばらになるだろうなって思っていたそうです。たしかに見事にバラバラだった…。
  • バラバラだったけど結局森下真樹に収束していく、森下真樹になるんだよね、って感じでまとまりました。そろそろお時間です、となる。
  • 真樹さんが、客席にいらした笠井さんを舞台上に呼び込んで、笠井さんが空気みたいに振付けるのね、なんてMIKIKOさんに云ったりして、4人+石川さんの代わりの木彫り人形も挟んで記念撮影したりしておしまいでした。楽章順に並ぶように木彫り人形の位置も調整したりする未來さんでした(笑)。

 けっこう時間もたっぷりめで、リラックスムードで色々なお話が聞けてとても楽しかったです。楽屋にベートーヴェンの本があって「あれも真樹さんの?」なんて未來さんが訊いてたなぁ、すっごく研究されてるんだなぁ。日フィルの生演奏で踊るイベントも面白そうです。せっかくなら全楽章やってほしい…けど第二第三どうするかってことになるわな…。真樹さんはもちろんとても素敵だったし、美しくてユーモラスで悠々としていてでもどこかにとても華奢で繊細なものがあって、それを柔らかく包むような柔軟性、しなやかで強いものが華奢で繊細なものを密にくるみ込んでいるような、そんなイメージを持ちました。未來さんはそりゃあもう、これからも色んな人に振付けてみて欲しいし、森山未來が作り出す動きを他の誰かの肉体が表現する、ことを、森山未來自身の肉体が表現するのとどんなふうに違って見えるのか、比べてみたくもある、し、…でもやっぱり踊る未來さんは観たい、し、うん。悩ましい。全部観たい全部ぜんぶ。

 で、この先は、マキバンバンさんとも未來さんとも今回の「『運命』を踊る」ともあんまり…いや全然…関係ない話になっていくので、畳んでおきます。わたしの個人的な感覚というか感じの話なので。

 

 

 ほんとに感想とも云えない「感じたこと」でしかないのだけど、オーケストラの、特に弦楽器で演奏する側に求められるのって、個性とか主張とか個人の表現力とかじゃなくて、基本的には再現力、なんだよな、っていうのを、ぼんやりと再認識したのも今回の「『運命』を踊る」を観てすっごく感じたことだったのね。オケである限り、特に弦は集団でしか弾かないし、楽曲の表現や表情をつくるのは譜面(作曲者)と指揮者で、その指示をいかに的確に再現するかが求められるわけで、演奏する側は楽譜に書かれた指示と、指揮者の指示から逸脱することなく、忠実にそれを返すことが最低条件であり必須条件で。作曲者の指示をベースに、表現や解釈を重ねて全体の音を作り上げるのは指揮者の仕事で、それがそのオケの「個性」になる…みたいな。もちろん、プロの有名オーケストラ奏者はきっと、その向こう側にある個性、まで辿り着いているのだろうけど、まぁアマオケで楽しく弾いてる分にはその辺りができるかどうか、なくらいです。あんまりオケで個性主張しちゃうと逆にちょっとうるさいよとか、出過ぎ(笑)とか云われるからね! コンマスより前に出ないの鉄則だからね!(※あくまでオケでの話です。ソロは全然別です。あと個人の私感です)

 …っていう弾く側感覚しか持ち合わせていなかった人間が、今回の「『運命』を踊る」を観て、こんっなにパーソナルな、ひとりの人物の思いや感情や個性や性格や歴史や、個人的なもろもろすべてを、乗っけてしまっていいんだ、乗っけることができてしまうんだ、というのがものすごく新鮮に感じられたのが、ある意味そりゃそうだよなぁと自分でも思うのだけど、そんな風に感じたことにもけっこう衝撃を受けたというか、びっくりしたのも面白い体験だったなぁと。ダンス作品で既存の音楽を使うことは珍しくないし、そういうものもこれまでいくつも観てきたのに、こういう感覚になったのは初めてで。どうしてかなぁと考えるに、やっぱりここまでパーソナルな位置に、ものすごく有名で普遍的な楽曲の、しかも全曲を、引き降ろして、ひとりの人物が主体となってその楽曲を体現する、みたいな作品を初めて観たから、かなと。楽曲の一部を使ったり、楽曲そのものを演じてもそれは「楽曲に登場する人物を演じる」とか「楽曲を身体で表現する」というバレエやオペラみたいな感覚のものが多くて、そこにいるのは決して「本人」じゃなかったり、主体が「楽曲」であったり、していたんだよね。ましてや、オペラやバレエ音楽みたいな標題音楽じゃなくて、絶対音楽のしかも交響曲を、ひとりで全曲、あくまで主体は(楽曲側でなく)本人側にありながら体現しつつ、パーソナルなものとして表現する、提示される。ベートーヴェンの「運命」が、ひとりのダンサーという一個人のもの、一個人を表現するものとして機能させられている、そこがすごく…観ていて面白い感覚だったのだなぁ。「私を通して『運命』を表現する」のではなく、「『運命』を通して私を表現する」っていう。わたしにとって「運命」は「運命」以外の何物でもなかったからなぁ。あの普遍の塊みたいな、普遍性の代名詞みたいな楽曲を、こんなにパーソナルなものにしてしまえる、パーソナルなものとして表現する力がある、パーソナルな表現として成立させられる、そんなところにコンテンポラリーの底力を感じたような気がします。そもそもコンテンポラリーがとてもパーソナルな表現方法だからね…。すごいね、表現って自由だね。譜面を通して読んでいるだけじゃ、決して見えてこない風景が、がんがん目の前で展開されていくの、本当に知らない世界の扉が開く感じだった。模様だと思っていたものが実は文字で、宇宙の真実とか文明の歴史とかが書いてあるのが突然読めるようになるみたいな広がり方だった(笑)。主体と客体をくるりと引っくり返される感覚もすごく面白かった…し、そんな感覚を覚えるくらいに楽曲に対して客体でしかいられたことのなかった自分も、改めて認識させられたのでした。演奏って表現ではあるけれどとても受動的で制限されたものなんだなぁ。それを飛び越えていける人が演奏家、なんだろうね…。

 あっあと関係ないけど最後にちょっと自慢。わたしの運命パート譜、元祖ドラえもんの故・大山のぶ代さんのサイン入りなんだよ!(笑)

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 演奏会のゲネの時にホールでばったり遭遇して、サインもらえるものが楽譜しかなかったから運命にもらったやつ、でした。

 あとついでに第二楽章の冒頭部分も。

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 久しぶりに引っ張り出して懐かしくなってしまった。ボウイングの書き込みが生々しいな(笑)。

 

*1:でも充分楽しんではきたよ! 好きだし! 弾くのも楽しかったし!!

*2:母「あの曲かっこいいわね~!」私「何だあれあんなの絶対弾きたくない…」

*3:ってよくネタにされる

*4:だよねあれ