ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

三東瑠璃×稲村朋子「眠る場所」@d倉庫(8/6)

 予定を無理やりつけて観に行きました。d倉庫、面白いハコですねー好き(笑)。
 先に、配布された未來さんのテキストを読んだり、あとタイトルの印象が強くて、それを念頭に入れて観(てしまっ)たので、イメージがちょっとそっち側に引きずられるというか、限定された範囲内でしか観られなかったような気がします。眠り、とか涙とかそういうものに寄せた意味を見つけようとしてしまう意志が生まれてしまったというか。そういうの何もなく観る方が良かったのかなーどうなのかなー。
 舞台は中二階のようなロフトのような上階があって、上手側にランプと低い書き物机みたいな設えが、下手には佐藤さんが着席して演奏。ライオンのお面…着ぐるみの頭部みたいな、を被った三東さんと、3日満月の権頭さん*1が、追いかけっこのような、天井から吊り下げられた水風船をライオンが割る、その中から零れる水を、周りに置いてある水差しや急須?みたいな器で権頭さんが受け止めて、奥にある水槽へ注ぐ、のを繰り返したり…ライオンをかぶっている三東さんはあんまり前が見えない状態のようで、盲目のライオンと鈴を付けた少女の不思議な追いかけっこのようにも見えた。そのうちライオンが声をあげて泣き出して、滴り落ちる自分の涙を自分で雑巾で拭く、とか、泣きやんで上階に上がって、座卓の前に座ってライオンを脱いで、髪を結ってお粉はたいて白いドレスに着替える、とか。そこからはそれまでの絵本めいた雰囲気からじわじわと、抽象的で身体的な世界に浸食されていく感じでした。サティの単調で短調(すいません)な旋律が低く繰り返される中、白いドレスの動きも同じ振りが幾度も繰り返されて、ミニマルな雰囲気も。やがて、ドレスも脱ぎ捨てられ、というか脱皮のような変態にも見えたけど、肌色のボディスーツで同じ振りを続ける。繰り返される旋律と動きが、眠る場所を探し求めて、ここかと思いでも違う、彷徨いもがくようにも、逆に、眠りに落ちる瞬間にそれに抗う意識のようにも見えた。3日満月の生み出す音がまた、ふわふわ捕らえどころのない曖昧な輪郭で、それが一層の酩酊感みたいなものを漂わせていて不思議な感覚でした。最後は眠りの底に落ちて行くような暗転…と思ったのだけど、その眠りが睡眠の眠りなのか、それとも死なのか、みたいなこともちょっと思ってしまったり。眠りに落ちる瞬間が死に似ていて不安で赤ん坊はぐずる、みたいな話を思い出したりもしました。
 未來さんのテキストとの明確なつながりはあまり見つけられなかったけど、ライオンの涙は…涙を流し泣くことによって少女に変わる…? 何なのかしらね(笑)。客席前方がお子様連れ専用席になっていて、小さなお客様もたくさん見られたのが微笑ましかったです。ライオンの急接近にぴゃっ!てなってたり。
 三東さんのからだは華奢で繊細なのにダイナミックで、硬質な印象なのにそれはもう柔らかくて、それでいてどことなく悲哀というか切なさを感じるのでした。コミカルでもアパッショネイトでもどこか漂う寂寥感というか。それが3日満月のノスタルジックな音と相まって、古い絵本めいた雰囲気を生み出していて、素敵です。稲村さんの衣装も、ワンピースやパンツの裾に花の咲く草原のプリントが施してあってすごい可愛かった! 権頭さんが着てたワンピース欲しいです(笑)。あと佐藤さんのヴィオラがね…表現のライブの時もすごく思ったんだけど、決して技術的には上手くないんだよね…何というかヘタウマというか。でもあれ絶対できないし出せない音なんだ…クラシックだったら全然あの、直されるところなんだけど…でもあの音こそが必要不可欠な音なんだよね。あの音じゃないと成立しない世界。何か、20年ちょっとクラシックの方で弾いてきたけど、何もできないなぁああいうの、って胸が苦しくなるのです(笑)。いや、もう今となってはまともに弾けないんだけどさ! 全然!!
 カテコの時の「Je te veux」もっとちゃんと聴きたかったな。
 三東さんがツイッターで、未來さんのテキストをアップして下さっています。描かれている草花のイラストが、衣装にプリントしてあったもの。とても可愛い。ちなみにこの紙の裏にはイラストが線画でプリントされていて、ぬりえになっています(笑)。塗れないよーこんな繊細なの!

 わたしはとても手軽に目から水が出る方ですが、うーん…かなり軽率に泣くよね…あの、涙もろいというよりは泣き虫です。小さい頃からものすごい泣き虫で、すごくがんばってこらえた上で結局泣いていたから、最近はもう、こらえるのをやめようと思っています。そうか境界線を引きたいのか。そして向こう側に行きたいのか。そしてすっきりしたいのか。泣き虫は線を引きたがりなのか。口に出せない、言葉にできない、表現できない感情や、言葉の上限を超えた大きな感情の動きが喉の奥でぐるぐるマグマみたいになって、それの噴出先が涙なんだよね。泣くことによって得られる理解やすっきりは幻想、一時の先送りなのはわかってる。それでも涙を流すのは、わたしはこれに対して涙を流した、という事実が残るから、その事実は何かを掴む小さな手掛かりにはなり得るから、かしら。なんて、泣き虫の言い訳。

*1:は100ねこの楽隊の方