ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「Judas,Christ with soy」3日目

 4公演目の千秋楽でした。思い返すと現実味が薄れてきて、何だか朧で、夢のような1時間だったなぁ。音の粒子が立ち込める狭い空間で、その粒子に包まれて、同調して、時にそれを斬り裂いて、ふたりの身体が躍動する。本当に贅沢で、五感全部が「わたしの好きなもの」で満たされていた場でした…幸せだったなぁ。終わってしまったんだなぁ淋しいなぁ。…この作品でそんな風に思うなんて、ちょっと想像していなかった(笑)。
 内子座公演を観た時には、「駈込み訴え」のモチーフを未來さんのセリフからしかわたしは感じ取れなくて、あんまり太宰の小説の成分をダンスからは見出せずに、ピンと来ない*1まま終わっていたのです。というか、横浜公演を観て、ああ内子でわたしは何も見いだせていなかったんだなぁと思い知ったというか(笑)。それが、横浜で、ああ、こういうことだったのか、とものすごーくストンと収まりの良い位置にハマった感じで。登れない階段、手の届くことのないワイン、こんなにわかりやすく提示されていたのに一体何を観ていたんだろうわたし。と、反応の鈍さは自覚しているんだけど、それを上回るぼんやりっぷりに驚きましたよ自分で自分に。何見てたんだ一体(笑)。
 でも、横浜バージョンで、テーマはよりわかりやすくなったというか、未來さんとエラさんしか舞台上にいない分、やっぱり構成がすっきりしたとは思います。それで(やっと)気づけた部分は多かったんじゃないかな。鈍いからな。ああなるほど、ほんとだ「駈込み訴え」だ、と、やっと思い至ることができました。残念過ぎて恥ずかしい。
 100ねこの時に、猫の形態模写をするのではなく、猫という動物が人間の肉体を持ったらきっとこんな風に動くんじゃないか、的な見せ方をしてくれたのに似て、今回も「駈込み訴え」をそのままダンス化するのではなく、「駈込み訴え」という作品の持つエッセンスを濃縮して、ユダという人物の心情を動きにしたらこんな風なんじゃないか、というものを見せてもらったように思います。
 その「ユダ」という人物像が、こんなにも生々しく赤裸々に、人間味を帯びて立ち現われたのは、エラさんが振付けたからこその部分も多いのではないかとも思いました。文学的にも、宗教的にも、(おそらく)思い入れや先入観が良い意味でなく、とてもフラットに、ひとりの男としてユダを捉えて再構築している。十二使徒の裏切り者でも、有名作家が描いた物語の主人公でもない、ただのひとりの、男に焦がれ、男を憎んだ、身勝手で哀しい男の独白。だからこそ、その内面で繰り広げられる葛藤や懊悩、寂寥、憤怒、憎悪、それでも消せない憧憬、愛情、そういうぐちゃぐちゃな感情が、肉体という絶対的な説得力を持つかたちを伴って顕わされることに、こんなにも惹きつけられ震わされるのだろうな。聖書に出てくる聖者のひとりでも、小説の主人公でもなく、観ている側と同じ高さに立つただの人間にまで、解体されエッセンスを抽出され引きずりおろされてきたユダだから。なんてことをぼんやりと思いました。
 どんなに這い上がっても高みには至れず、登っては突き落とされ、注いだ酒は飲まれることなく捨てられ、登れない階段を裏側から這い上がり、やっと手を伸ばしてもその指先はワインに届かない、そんな男に並び、寄り添い、対峙し、翻弄し誘惑し衝突するのは、彼が求めた相手なのか、彼自身の内にいる誰かなのか、彼自身なのか。結局、彼が求めたのは誰だったのか。肉体を共有する双子のように離れがたく繋がりながら、彼が求めてやまないワイングラスを軽やかに傾け、高みから見下ろして歌い笑うのは、誰だったのか。
 焦がれても手に入らない相手を、裏切って売り渡し、その先に彼が得るものは何なのか。くるくると回るエラさんと、立ち尽くす未來さんの背中、静止と合わさる手のひら、その手が少しずつ離れて、最後に指先が離れる直前に暗転、というラストも、あるひとつの決断が為された瞬間のドラマチックさが感じられてわたしはとても好きです。決別という決断。内子の、3人の生演奏もあれはあれでとても好きなんだけど、牧歌的というかね、裏切りの後に仲直りしちゃってるよね(笑)。そこが良いところだとも思うし、内子の空気がそうさせたのだろうとも思います。本牧の、あの黒い密室では、低い電子音が空気を振動させる中、緊張の糸を限界まで張りつめさせたまま迎えるあのエンディングがわたしにはベストに感じました。っていうか好みー!! 好みだー!! すきーー!!
 …コンテンポラリーに意味とか物語性を求めるなんて野暮だし土台無理、と思っている方ではあるのですが、何かちょこっと手掛かりっぽいものを見つけると嬉しくて飛びついてしまうんです…そーんなにね、この動きの意味は!とか、あのセットは何の象徴?!とか、するもんじゃないよね、とはわかってはいるんですがつい…癖で…すみません野暮だわ。
 かまかろげ、かまんかろげ、って何だろうって首をひねっていたのですが、松山の言葉で「Feel so good」的な意味、とツイッターやコメントから教えて頂きました。に、日本語だったのかー!!(笑) いや、突然そこでヘブライ語にもならない流れではあったけど、でもまったくわからなかったし知らない言葉だったのでした…そうか…。あと、未來さんの左足親指のテーピング的なものが最終日には外れていたことをご報告します。相変わらずおっきな親指だった…(笑)。
 未來さんがいつも通り、開始早々に汗びっしょりになる隣で、エラさんが終始、ほんっと文字通り汗ひとつかかない、という対比も面白かった。汗だくで息を切らして踊る未來さんと、同じ振りで踊りながら全く汗かかず呼吸も乱れないエラさん、いったいどうなってるんだろう(笑)。そんなところもよけいに、肉体的で唯物的な未來さんに対し、エラさんの存在を何というか概念的なものに感じさせる一因だったかもしれないです。あんなにやわらかくてしなやかで存在感あるのに、どこか浮き世離れしているような、この世のものではないような、不思議な存在だったなぁエラさん。カテコの笑顔はめちゃくちゃキュートでした…って、それはもう、お三方ともですが!! ハケながら蓮沼さんのお尻をポンと叩く未來さんの手、うん、良かった!

*1:ともその時は自覚なかったけど