ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「Judas, Christ with Soy」@内子座(7/11夜)

 ついに来ちゃった内子座

 初回のぼんやりした感想というか印象というかメモだけでも。ネタバレは畳んだ下に置いておきます。
 内子座は木造建築物特有の、風通しの良さと音の響きを感じる、趣がちょっと異世界というか非日常感のある、素敵な空間でした。平席は軽く傾斜がついていたけど、うん、軽~くって感じ(笑)。天井には古風なシャンデリアというかシャンデリア風インテリア照明というかうちのリビングに付いてたけど外しちゃった照明に似ててちょっと可笑しかった照明がスズランの花みたいなガラス覆いで光っていて、ファンがふたつくらい回っていました。天井の木目が綺麗だった。左右というか東西というか、に張り出した2階席の下には新橋演舞場みたいに提灯が並んでいてそれも素敵。両側にはスポンサー名掲示、なんだけどまたそれも歴史と趣あってかっこいい感じ、なのが並んでいました。枡席はベンチに座布団って感じの席、両サイドと後方にパイプ椅子があったかな。
 カメラはスチールが1つ、Vがわたしが気づいたのは下手前方とセンター後方に固定で各1、ハンディが1、でした。ハンディカメラは終演後にお客さんのコメント撮影なんかもしていました。BSスカパー!で10月に放送予定とのことで…何とかしなくては…!
 チラシは山羊さんの顔がユーモラスなJudas,~のチラシと、談スの本チラシ、死刑執行中~の仮チラシなんかが入っていましたよ。パンフは特になし、代わりにエラさん・未來さん・吉井さんのコメントが掲載されたフライヤーがありました。
 お花は内子町からと、コクーンから来ていました。コクーン…きになる…(笑)。


 舞台は幕が上がっていて、上手にガラス瓶に入った蝋燭が14個、ランダムな配置で吊されて灯されており、下手には屏風状に3枚の板が組み合わされた壁、その真ん中の壁に階段が設置してあって、壁の上に昇れるようになっている。下手側には蝋燭じゃないランプがひとつぶら下がっている。そのくらいのシンプルな舞台装置で始まりました。壁は最初、ただのベニヤの壁と階段なのかと思っていたら、けっこう可動するし棚も出てくるし面白いギミックだった! 壁の上はスペースがあって、中二階みたいなロフトみたいな感覚で使っていました。あと、舞台奥の2階というかキャットウォーク的な部分も主に吉井さんが演奏スペースとして使ってた。
 衣装も凄くシンプルで、ベージュっぽい白っぽい*1ふつうのTシャツに、若干サルエルっぽいシルエットの黒っぽいパンツ、長い髪をシニヨンにしてるけど踊ってる間に崩れてほどけて顔が見えない肩下ワンレンになったり、また結い直したり、それもまた崩れたり。エラさんはボタニカルっぽいちょっとウイリアム・モリスみたいな柄のベージュ~茶系のワンピース。で、ふたりとも途中で一度ハケたタイミングで衣装替え*2がありました。未來は生成っぽいベストをTシャツの上に着て、エラさんは同じ色の襟の詰まったワンピースを元のワンピの上から着てたんだと思う。これが和紙の服、なのかなぁ。ぱりっとした張りのある生地に見えました。
 太宰の「駆け込み訴え」をベースに、となっているし、実際作品に出てくる文言を使ったりもしているのだけれど、とりあえず初回観た限りでは、そこまでこう、作品の舞台化とかダンス化とか、未來さんがユダ役でーとか、そこまで具体的にどうこうという取り上げ方ではない感じ。合間にはそれこそ汚物とハエとか、エラさんのヘブライ語と未來さんの日本語で音を揃えたパートとか、エラさんが日本語のセンテンスを並べて繰り返すシーンとか、太宰じゃなくて未來さん自身の言葉が多分に含まれていて、逆にむしろ、どうして「駆け込み訴え」を題材にしたんだろう、とも思ったり。ヘブライ語と日本語を重ねるパートの時に、ベストとワンピースに着替えてたのが印象的。あのシーンは何というか、別モノ感がした…作品の中でちょっと流れを変えるというか。駆け込み訴えと別の、独立したパート感というか。
 すごく個人的な印象だし、明日観たらすぐ変わってしまう印象かもしれないけど、今日初めて観た印象としては、未來さんとエラさんはペアとかカップルとかデュオとかっていうよりは、ひとつの身体、もしくは身体の一部分を共有している、ふたつの意思、みたいな感じがしました。相反する意思で反発し合うけど離れることはできない肉体、または、同じ意思を抱いているのに別々に動く肉体、とか。対になっていても相手はそこにいない、とか。通じ合う意思とかみ合わない身体、身体はかみ合っているのに通じない意思、何となく、そんな感じの印象を受けた。動きと想いの乖離、とか。言葉と動きに関連性がないからそういう印象を受けるのかな。早々に、物語的な意味を探すのは放棄したので*3、感覚でしかわからないのだけど。で、無理やりこじつけるとするなら、「駆け込み訴え」のユダとイエスの関係性や、イエスに対するユダの想いと行動が、そういう意思と行動の乖離/相反や、反発と同調の入り組んだ共存に、重ねようとすれば重なるかも知れないな、とぼんやり思ったわけです。あくまで今日の初回の印象ですが!
 イスラエル上演版と違う部分はセットであったり、追加されたパートであったりといろいろあるけれど、最たるものはやはり吉井さんの存在で。三線?だったり横笛だったり太鼓だったり、キャットウォークであったり階段上であったりふたりの間であったり、様々な楽器と音色とシチュエーションで本当に様々な音を重ねて、ノイジーだったりプリミティブだったりメロディアスだったり、日本的だったりもっと違うアジアのどこかだったり西洋寄りだったりで、すごく素敵でした。また吉井さんの存在が、それこそ双子かひとつかくらいの密着性を持つ未來さんとエラさんの間に、さり気なくするりと、でも硬質な感触で、コツリと入り込む違物感がたまらなかった。吉井さんが出てくると空気の色が変わる感じがするの…すごく好きです。
 面白かったのは、影の使い方がかっこよかった! エラさんが壁の向こうで踊ると、その下手側から強く照らされる照明で誰もいない壁に彼女の影が大きく映って、影が踊るの。で、壁から出てくると影が消えて実体が踊る。また壁の向こうに実体が消えると影が踊り出す。これがとっても格好良くて…ラストの三人の演奏も影だったけど、そこも良かった。誰が何を演奏してるのかちゃんとわかるのも面白かったです。
 作品を通して全体の意味とかメッセージとかは全然わからないけど、何度観てもわからないままかも知れないとも思うけど、それはそれでいいんじゃないかなーとも思います。ただ、この作品を内子座という場所で、あの場の空気の中で、体感しつつ観られることは、それはすごく大きな僥倖なんじゃないかとは、すごく感じています。明日観たらどうなるのかな、この印象たち(笑)。

*1:暗くていまいちはっきりしない

*2:というか何というか

*3:コンテンポラリー観るときはそうする