ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

アートアクアリウム

 そんな楽しかった20日、マンダリン・オリエンタルでアフタヌーンティーする前に、ほぼお向かいのコレド室町で開催中のアートアクアリウム2014を見てきました。金魚がすごいやつね。
http://h-i-d.co.jp/art/nihonbashi/

 13時前くらいに着いて、チケット買うのも入場するのもほとんど待たずに行けたのだけど*1、中に入ったらけっこうな混雑で。平日といっても夏休み、子供さんも多かったな。
 暗い会場内に、大小様々な趣向を凝らした水槽がいろんな色の照明でライトアップされて、その中を金魚が泳いでいる、それだけといったらそれだけなんだけど、金魚の種類や大きさ、水槽の大きさや形、会場内の音楽やプロジェクションマッピングと合わせたものなど、けっこう飽きないで楽しめました。単純に、大きい水槽ってちょっとわくわくするよねっていうのもあるかもしれない(笑)。絢爛豪華な水槽と金魚に、ネオンカラーのライティングと提灯の赤い光、とか、ちょっとニナミカさん的世界観にもなったりして。




 すごいのは、水臭くない(笑)のと、水が綺麗なことですねー。その辺は最新テクノロジー併用で抜かりなくやられているようです。水が澄んでて綺麗なのはとても大事だけど維持するのはすごく大変なことだよね…。
 個人的には、琉金や和金、頭があんまりアレ過ぎない蘭鋳、小さい出目金、くらいは可愛いなーと思うけど、あんまり頭がもっこもこしてる蘭鋳とか、出目過ぎるのとか、浮き袋ついてるのとかはちょっと…可愛いというよりはグロテスクに思えてしまうのですが、でも、人間が観賞用として人工的に創り出したものという点においては、所詮は程度の差でしかなく。奇異さと希少性と美しさを求めて、本来あるべきものではない形へとつくり変えられていった哀しさというか、悲劇性を何となーく感じてしまうところも無きにしも非ず、でも小さい出目金は可愛いねーと何も思わずに口にする自分もいて、その齟齬が微妙に居心地悪いというか(笑)。
 金魚という生き物は観賞用につくり出されたものであって、それ故に、人間の手がないと生きられないわけで、「自然に生きる金魚」というものは存在しないわけで。存在そのものが人工的であり、人工的でなければ存在し得ないというこの不思議な生き物の存在意義が、「人間に観賞される」点にあるのならば、煌びやかに飾り立てられた水槽や色鮮やかな光は、金魚という存在に最もふさわしい舞台装置なのかもしれない、なんてことも考えたり、考えなかったり。人間の求める「美」というエゴを満たす為に、不自然に形を歪められ、その不自然さ故に愛され、大切に守られてきたものたちを、綺麗ね可愛いねと口にしながら観賞する。何だかとてもバロック的なアートなのだな。金魚観賞がこんなに倒錯的なものだとは気づかなかった…。
 でも金魚可愛いよね。

*1:えらく混むこともあるみたい?