ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「音のいない世界で」@新国立劇場小ホール(12/26夜)

 近藤良平首藤康之長塚圭史松たか子、とそうそうたる面子がそろって、でもたった4人で、小さな劇場で、とても素敵な時間を過ごさせて頂きました。ほんと、留学後の長塚作品は、たとえどんなに観客に対して不親切(笑)で突き放していても、その一番底というか奥というかに、何とも云えない優しさが流れている気がして、何だかよくわからないけど胸の奥がぎゅうっとなって泣けてしまうことが良くあるのですが、今回も泣けてしまいましたよ。全く悲しいシーンとか泣かせる展開とかじゃないのにね、変なスイッチ押されてぶわぁっとなってしまう箇所があるんだよなー。自分でも、何に対するどういう感情の涙なのか全然わからないんだけどね。
 貧しいけれど幸せそうな夫婦が、あるものを兄弟泥棒に盗まれて、それを取り戻す旅に出る妻と、彼女を追う夫。行く先々で出会うひとたち、みんな何かが前と違う、何か大切なものが足りない、けどそれが何なのかはどうしてもわからない。大切なものを盗まれた夫婦と、世界をめぐる、素敵なお話でした。舞台装置も衣装もとにかく可愛い、愛しい。ミニサイズの仕掛け絵本みたいだった! 派手なことやショッキングな展開は一切ない、静かなお話だけど、長塚さんと近藤さんの口上?から始まる童話のような世界感に瞬時に引き込まれました。すごく良かった…本当に良かった…。
 シンプルな舞台セットで、でも奥行きを感じさせるのは長塚作品の常であり魅力でもありまして。今回は盆を使った演出がすごく効果的で、マイムっぽさもありつつ、回転木馬のようというか、オルゴールみたいにも見えて…とにかく小さくてすっごく綺麗な素敵なモノが手のひらの上にある、みたいな感じを、観ている間ずーっと覚えていました。けっこう持ち重りのする、綺麗で小さいモノ、木製の小さな、でも響きのいい手回しオルゴールとか、銀製のちっちゃくて精巧なミニチュア動物とか、何かそんなものを手の上に載せて矯めつ眇めつしている感じ。愛しい、愛らしい作品でした。また演じているのが4人というのもすごいわー、小学生くらいの男の子がお母さんと一緒に観に来ていたんだけど、カテコで4人が並んだ時に、「6人くらいいなかった?」って云ってるのが聞こえて、だよねーもっといたよねー、と頷きましたよ(笑)。
 スカートめくりの彼(笑)が、赤いアレを手にするところで、わけがわからないけどぐぐっとなってしまって泣けたのは何でだろうか。兵士たちのアレやソレの扱いは何と云うかハラハラしまくりましたが(笑)。少なくとも松さんの方はとてもリーズナブルなブツであることは観てわかるんだけど、それでもひゃああ…となったわ(笑)。あとは「ぽろぽろしちゃうから?」が…ぎゅーんとキました。愛しくて、大切で、だからこそ切なくて苦しい感じ、具体的にいつのナニ、ってわけではないんだけど、誰もが絶対抱いたことのある感覚、を漠然と思い出してぎゅぎゅっとなった。でも、思い出せない方が苦しいよね…思い出すと苦しいのは、思い出すモノが愛しいからだもんね。その愛しさまで忘れちゃったら、本当に何にもなくなっちゃうよね…。
 盆を使った舞台がそのまま、レコードプレイヤーみたいだったなぁと帰宅してから思って、あの劇場そのまま、パタンと蓋を閉めて持って歩けそうだよね、って。あのレコードの上でもセイと旦那さまが欠片を辿って旅をしているのかも、なんて。とすると、泥棒ふたりがちゃぷちゃぷと歩くあの縁(?)は、あれはもうプレイヤーの外だよなぁ「世界」から逸脱してるよなぁと思いましたよ。だから盗まれたモノが消えちゃうんだね「世界」から持ち出されたからね。観終わってから、それまでに出てきた登場人物たちがそれぞれ、失ったモノを取り戻して本来の姿に戻っているところが想像できて、それもすごくハッピーな気持ちになりました。羊さん可愛かったなぁ(笑)。
 とにかく、極上の小さな世界を愛でられて、最高の2012年観劇納めになりました。もうほんとにね、愛しい。個人的に今の状況とちょっとだけ重ねて観る部分もあったりして、それもまた、この日のこの状況で観られたのもある意味幸せだったなぁなんて。こういうものに触れられると、ああ芝居観るの好きになって良かったなぁって心底思います。来年もきっといいモノといっぱい出会えるはず!