ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「ガラスの動物園」@シアターコクーン(3/30夜)

 月をまたいでしまいましたが先月末に観てきました。テネシー・ウィリアムズ長塚圭史が演出、というのもどうなっちゃうのか楽しみだし、えったにふかっちゃんに鈴木浩介さんというキャストも凄いし、何より個人的に、長塚演出で瑛太を観てみたい!とは阿佐スパ観始めた頃*1から思っていたので、念願かなっていよいよ…!という感じ。まさかその前に長塚演出の未來さんを観ることになるとも、いのうえ演出やケラ演出のえったさんを観ることになるとも、思ってなかったなぁ(笑)。
 舞台は奥に向かってパースを付けた、板張りの部屋。白い壁の質感が、油彩みたいに凹凸がある感じなのが印象的です。舞台奥の壁には大きな窓、その向こうは冷たく明るい外。この奥行き感は長塚演出の醍醐味な気がする、というか好きなところ。窓外はありますが、でも屋外のシーンも同じ室内で進行するのが面白かったです。窓の前にはタイプライターの載った書き物机がひと組、その手前には何故か街燈が立ってる。手前の方には食卓と椅子が4つ、カウチソファー、小さな丸テーブル、古い蓄音器。丸テーブルの上には小さなガラス細工の動物が並び、これが動物園なのね、とわかる。部屋の左右の壁には扉が並び、その扉が他の部屋へ続くものにも、街角に立ち並ぶ民家のドアにもなる仕掛け。シンプルだけどすごく絵画的な印象を受けました。静物画的な。
 そして今回の「ガラスの動物園」一番の特徴とも云える、ダンサーさんたちです。セットの一部のような、コロスのような、不思議な集団が、シンプルな調度と登場人物の間を漂うように満たしていく。壁と同じテクスチャー感の、全身を首元まで覆うぴったりした衣装で、6〜7人いらしたのかな。壁の隙間からするすると染み出るように現れて、ふわりとモノを動かし、波が引くように消えていったり、留まったり…何の役かと云われたら、うーん、わたしには「空気」に見えました…でもわからないな(笑)。パンフ読んだら何か書いてあったのかしら。ただ、思ったのは、「タンゴ」に於ける長塚さんの役割を、より発展・純化させた存在がああなった、んだろうと。そういうポジションに見えました、と云えば「タンゴ」を観た方には通じやすいんじゃないかしら。
 瑛太演じるトムが、客席に向かってかつての自分の家族についてを語りかける、そんなオープニングで幕を上げる作品は、南部の上流階級で過ごした華やかな少女時代を忘れられない母、度を越してというか社会生活に支障が出るレベルで対人恐怖症な姉、自分たち家族を捨てて行方知れずになった父、そして一家を背負わざるを得ず、鬱屈を抱える息子、3人それぞれの閉塞感、袋小路みたいな先の見えない未来、抱える理想と現実の差、そんなものが白い一室に閉じ込められるようにして息づいており、とにかく息苦しい。舞台上はシンプルなセットに3人(と空気)、なんだけど、状況の「お先真っ暗」感に、ずっしりと重苦しい気分になります…。空気さんたちは軽やかにしなやかにセットを動かしたり不思議なポーズで壁際にもたれたりしているのだけど、それもこの部屋の停滞した空気が目に見えているような、そんな印象を受けました。うん、重い。さすがテネシー・ウィリアムズ、八方ふさがりの閉塞感。
 そこに一陣の外からの風を吹かせるのが、「なかなか出てこない」(だっけ?)鈴木さんです。面白いのね、彼が出てくると「空気」さんたちは出てこなくなるのよね。淀んでなくなるからかしらね。彼のあけすけな、遠慮も悪意もない感じは、重苦しい舞台で正しく救いのような存在だったわー。しかし…うん、まぁ…予想の範囲内よねその展開は…うふふ……はぁ〜…。←この辺りが正直な感想です。ああもう。
 結局トムは、自分たちを捨てた父親と同じように、母と妹を捨てて家を出ていくのですが、それも仕方ないと思わざるを得ない塞がりっぷりで…むしろブレイクスルーできた彼を讃えてあげたいです、わたしは。でないと本当に、一生、静物画の中で静物みたいに生きていくことになるもの。と、トムに感情移入してそう思ってしまいましたが、彼が出ていった後の母と姉を思うと…胸が痛む…。しかしテネシー・ウィリアムズ作品に出てくる、過去の栄光が過去のものと気づかない人物、というのは何か…痛々しい哀れみの目線とイラッと感が絶妙ですよね…ああならないように気をつけよう的な…。
 あとはとにかく、「テネシー・ウィリアムズ×長塚圭史」という不思議さが面白くて。舞台上の世界観は明らかに長塚作品なんだけど、繰り広げられるドラマはテネシー・ウィリアムズ…ってその通りなんで当たり前なんですが(笑)、今までに観たウィリアムズのどの舞台とも全く違う、でも知ってる世界観、というのが面白くて。そことそこが重なり合うってどういう!?…こういうことか…という(笑)。すっごく長塚で、揺らぎようなくウィリアムズでした。そこのマッチングというかバッティングというかが個人的にすごく面白かったです。あと、長塚さん的家庭の象徴は、食卓テーブルなのだなぁと改めて思った。テーブルにきちんと着く=「正しい」家庭、それをぶち壊す=食卓をぞんざいに扱う、みたいな。タンゴも、今回もそういう動きがあったので、強く感じました。あと「荒野に立つ」のちゃぶ台もね!
 瑛太さんは舞台観るのは3作品目の5回目?くらい?ですが、もう安心の安定感ですね。トム素敵だった、本質的に良い子が鬱屈抱えてでも爆発には至らず小噴火を繰り返して何とか納めてる、感じがとても。ママにブラッシングされたら髪がつやつやしてたのがちょっと面白かったわ…。もっといろんな役や、ハジケちゃってる役なんかも今後楽しみにお待ちしております。ので新感線に出ようよー(笑)。深津っちゃんは生で観たのは初めてかな? 多分初めてだと思いますが、そりゃ上手いわな! 可哀想などうしようもない姉の姿に胸が苦しくなりました…でも何かちょっともったいない感じもしちゃった…次は元気な深津っちゃんが観てみたいな! 立石さんも流石です。イラッとするけど悲しい、哀れな母親でした…でもあれが親だと子はキッツイなぁ。と思わせるところがさすが。鈴木さん、空気を読む必要性を感じたことがない人、という感じで素敵でした(笑)。それに見合った心根が羨ましい人だったわ。しっかしとにかく…悔やまれるなぁ…でもまぁそうだよなぁ…だったらあんなことしなきゃいいのにねぇ(笑)。
 ガラスの動物園、が意味するところはそのまま、あの一家のギリギリの均衡、ほんの少しの衝撃で砕け散ってしまう家族、というところだろうと思うのですが、「角の折れたユニコーン」のくだりはもうちょっと考えてみたいです。すごく…象徴的で意味深なセリフだった気がする、けど結びつける先をまだ見つけられないので。

*1:といってもそんな前じゃないですが。メタマク以降くらいですが