ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

3.11以降

 3月11日14時45分頃は、会社で普通に仕事をしていました。デスクでPC入力などしていたところ、カタカタとゴゴゴゴゴと細かく縦に震えるような揺れを感じ、地震だ…けどいつもとちょっと揺れ方が違うなぁ、なんて思いつつ仕事を続けていたところ、ゆらりと左右に波打つように揺れ始め、あれ、おっきい…ぞ?と思っているうちにどんどん揺れが激しくなり、椅子に座っているのも怖いくらいの横揺れになって、怖くなってデスクの下に潜り込みました。デスクの引き出しががんがんと開閉し、他のデスクの椅子が動き始め、事務所のあちこちやわたしの頭上のデスクで、いろんなものが落ちる音がガシャンとかドサーとかがさがさっとかドーンとか鳴っていて、もう終わるか、終わるか、と祈っても止まらず、ビルもギシギシガタガタ鳴って、ああこれ倒壊するんじゃないかしらこのビル風が吹いてもちょっと揺れるし古いし、とか、これもしかしたら死ぬかもな、とか、何か落ちてきて下敷きになったら足だけ挟まったりすると出られなくなるからなるべく丸く小さくなっていよう、とか、何かどうしようもないことをぐるぐると考えながら、開いたり閉まったりする引き出しを手で押さえていました…。給湯室の方からは同僚ちゃんの悲鳴とガシャンガシャンとガラスの割れる音が聞こえていました。事務所にはわたしと同僚女子が計3名、社長、あとお客さんがふたりいました。女子ひとりは給湯室でお茶碗やグラスが入った棚の戸を手で押さえ、もうひとりは来客対応中でお茶を出した途端だったそうで応接室の棚の上に置いてあるでかい陶器の壺と何か鳥の剥製?を咄嗟にお客さんと押さえていました。みんな咄嗟に偉いなぁわたし机の下にもぐるしかできなかったよ…。
 とりあえず第一波をデスク下でやり過ごし、そろりと顔を出すと、テレビが落ちて、パソコン台の上部からプリンターが落ちて、デスク上の棚からファイルが全部落ちて、壁際のファイル棚の扉が全部開いて、デスク上に積んであったいろんなものが崩れ落ち、何かもうこれどうしたらいいんだろう…とぼんやりする感じ。給湯室に行ってみたら、食器棚の中でグラスやお茶碗ががっちゃがちゃに割れて、棚の扉を開けるのも危なくて…応接室はテーブルの上にお茶碗が転がってお茶がこぼれていて、とりあえず高い場所にあるものを全部下ろし、PCの上に落ちてきたプリンターはそのまま下に置きなおして、落ちたテレビも床に置いて、ファイルは棚にもどして、お茶を拭いて、割れてないお茶碗とグラスをダンボール箱に移しつつ割れた破片はビニール袋に片付けて、などを、余震が続く中で時折ビクッ!!となりながらもやっておりました…思い出しても怖かった、けど東北地方や高層階の方が感じた恐怖とは比べ物にならないんだろうな…わたしには充分だったよ…。
 そんな余震続く中、それでも仕事の電話が入ったりもして、2回目の大きな揺れの中で電話をとった同僚ちゃんは、必死に踏ん張って揺れに耐えながらきっちりと受け答えをし、内容をメモって復唱し、多少テンパりながらもきちんと電話を切りました。発信元は関西のお客さんで、まぁこっちの状況はわからないですよね…わたしだったら絶対、「すいません今地震ですっごい揺れてるんです!」とか云っちゃうなぁ…そんなこと云われてもお客さんも知らないよな(笑)。
 余震も続くしビルは古くて揺れて怖いし、一旦外に退避したりもしたけれど、だからといってどうなるわけでもなく、ワンセグでテレビ見つつ、とりあえず実家と、福島の弟と仙台の友人に連絡をしてみるももう電話は繋がらず…弟が本当に心配で、工房のあるビルはこれまたなかなか…心配になれる造りだったし、震度6とか速報入っていたので、ああもしかしたらアーケード全部倒壊してるかも、とか、ビルつぶれてるんじゃないか、とか、最悪の事態しか浮かばなくて、でも泣きそうとかには不思議とならず、あんなに怖くてどうしたらいいかわからなくて心配でたまらなかったのに、すごくぼんやりとした反応しかしていないのが自分でも不思議な気分だった、のを覚えています。埒が明かないので事務所に戻り、少し後片付けをして、そのうちに一度母と電話が繋がったのでお互いの無事を確認、母には落ち着いたらでいいからウチの様子もちょっと見ておいてとお願いして、あと弟から連絡あったら教えてね、と伝えて電話を切って、会社制服を着替えて荷物をまとめ、たはいいけれど帰るに帰れないし、電車は全部止まってるし、仕方ないのでまた片づけをしたり、テレビやネットやツイッターで情報収集をしたり、落ち着かないままそんなことをしているうちにいつの間にか時間が経っていて、ほんと、あっという間に暗くなっていたのにびっくりしました。電話は携帯も固定もどこにも通じないし、やけに静かなオフィスでテレビの音ばかり聞こえて、東北の被害がまったくわからないままに震度7とか6とか、怖いことばかりで…とりあえず早々にJRが終日運転取りやめを決定したので、さすがに歩いて帰るのは諦めて、会社に泊まることに。ビル管理会社の人も、今日は朝まで開けておきますから、居て大丈夫ですよと云いに来て下さって、暖房も終夜点けててくれることになって、暖かくて明るい室内で一夜を過ごせることになりました。応接室のソファに毛布やコートを持ち込んで、テレビを移動させて、仮眠取りつつテレビも見られるようにして…そのうち、ちょっと見てくると外に出ていた社長が戻ってきて、コンビニが空っぽだった、なんて。そうか、食べるものいるなぁと会社備蓄のおやつをかき集めてみたけどちょっぴりしかなくて(笑)、同じビルの下階にある和食屋さんが営業してるから食べに行こう、という話に。社長のおごりで! お客さん誰もいなくて、宴会の予約もキャンセルになったので、と我々が行ったら鯛のうす造りなどサービスして下さいました…わー…思いがけず豪華な夕飯。たまに余震も来るけど、美味しくて暖かい夕飯にありつけて、ありがたかったなぁ…お腹空くのと寒いのは本当に、哀しくなるものね…。
 美味しい夕飯でお腹一杯になって、事務所に戻って、メールをチェックしたら、弟から何も書かれていないメール返信が届いていて、状況も何も全くわからないけどとりあえず生きてはいるみたい、と…ホッとした、けどやっぱり心配は心配で…その後、夜中になって母から、大丈夫だってメールが来たって連絡が入って、やっと一安心。でも、ソファでは全然眠れなくて、結局一晩デスクのPCに張り付いていいました。帰宅中の人も、どうにか帰りつけた人も、帰れない人もいたけど、ツイッターが本当に「繋いで」くれていて…誰かと文字でもやり取りできていると、本当に心強いなぁと思いました…。社長が、明日の朝におにぎりでも作ってもらえないか相談してみる、と夕飯を頂いた料理屋さんに掛け合ってみたら、残り物ですが、とすんごく豪華で美味しいお弁当を作って下さったり、何かちょっと泣きそうになったよ…。
 だんだん夜が明けて明るくなって、JRの運行再開は7時頃、という情報も入り、朝になって営業さんから連絡が入り始めて、いつもなら全然思わないような相手(笑)なのに、電話越しに声が聞けた途端に泣きそうになったり、近くにある取引先さんが様子見に覗いて下さったり、何か…不思議な、というか、…現実感のない一晩、だった…。朝になって、お弁当を温めてお茶を入れて、暖かいお茶やご飯が食べられるって何て幸せなことだろうと思いながら、今日は帰宅にどのくらいかかるかわからないからしっかり食べておこうとお弁当もりもり。豚の角煮がとろとろで、味付けたまごがじゅわっとして、鯖味噌がこっくりしてて、本当に美味しかった…もともと美味しいお弁当をお昼時に販売しているお店なので、たまに買っていたけど、ちょっとお値段も高めなのでほんとにたまにしか食べられないのでした…。
 腹ごしらえして、サーモマグにお茶も詰めて、9時半頃に帰宅にチャレンジ。でも、地元ローカル線は復旧組に入っていなかったので、バスで迂回できるルートを探して、すんごい遠回りで帰りました。けっこう、覚悟していたよりは、全然、スムーズに帰れて、ちょっと離れた駅から最寄り駅へ向かうバスに昼前には乗り込めて、日差しが明るくてあったかくて、窓から見える風景はいつもと何も変わらなくて、スマホの電池が切れていたので情報収集代わりにと聞いていたウォークマンJ-WAVEからマイケルの「ヒューマン・ネイチャー」が流れて、目が潤みまくって困った…。バスを降りてからうちに着くまで、ぷらぷらと歩きながら、ああ、生きてるなぁ、なんて思ったり。さすがにほぼ完徹だったので、帰宅したらそのままバタンキュー、なつもりだったけど、テレビをつけたらやっぱり眠れなくて、30分くらい仮眠してから実家に移りました。何となく、誰かと一緒にいたいしね…。不思議だったのは、うちに着いてからやたらと涙が出て、号泣とかしてしまって、意味がわからないんだけど、やっぱりほっとしたんだろうか。うちはモノが壊れたり落ちたりの被害もほぼ皆無で、棚からCDが1枚落ちてたくらいの何ともなさで、会社で死ぬかと思った恐怖が嘘みたいで、テレビつけたらどんどん被害の大きさが明らかになってきていて、何か…感情を制御していた糸がぷつりと切れたみたいだった。でも、泣けてくるのはきっと理由があるからだと思って、泣きたい時には泣いておきました。出しちゃわないと、我慢したらよけいよくないと、何となく思えたので。
 号泣がひと段落してから、とりあえずお米を夜にならないうちに*1炊いて、実家に移動して、テレビをつけていたら、今度は福島原発で不穏な動きが。弟たちが住んでいるのは福島駅の近くなので、第一原発からは50キロほど離れているのですが、ちょっと戻ってきたら?という雰囲気に。その頃には福島からこっちにかける公衆電話は繋がるようになっていたので、福島出られるかなぁ、無理なのかなぁ、なんて云っているうちに、例の爆発映像がテレビで流れて…これはちょっと…と。正直、全然状況がわからないままに、だいぶ焦ったパニクった行動をとったと思います。でも、身体のこともあるしとにかく心配で、どうにか手段があるなら逃げてきて、と、そんな思いだけが先走って…高速バスは動いているけど、キャンセル待ちの人が5時間くらい先の便まで並んでる、電車は全て止まっている、レンタカーは車がないか、システムがダウンとかで貸してもらえず、今から予約できそうな高速バスは明日(13日)の深夜発、これじゃ間に合わない。そんな状況にどうしたらいいの?どうにかならないの?と、手が冷えて冷えて震えて仕方なくて、父も母も顔色悪い感じで…やっと繋がった電話で、弟に爆発の件を伝えたら、わかった、レンタカー当たってみる、と電話切って、それが17時過ぎだったかな。それから、車が借りられたらそれで来ればいいし借りられなければ明日のバスになっちゃうかと連絡を待っていたら、弟からメールが。17時45分くらいに、『タクシー乗ったところ』と一言。え、タクシー? タクシーでレンタカー借りるところまで行くの? それともタクシーでうちまで帰ってくる?? 訊いてみたら『タクシーで帰る』って…福島から!?とびっくりしたけど、でもいいとりあえ脱出してくれればいい、いくらかかってもどうにでもできる、と…状況考えたら本当に、たぶんやってはいけないことになるんだろうけど、どうにもできませんでした。とにかく離れてほしくて…顔が見たくて…近くにいてほしくて…あと50キロでいいから早く、早く、とそればかり祈って、新着メール問い合わせばかりしていました。
 メールを送ってもどうせ届かないから控えていたら、日付の変わる頃に『あと40キロで宇都宮』と連絡が来て、それで本当にホッとして、ふたりを泊める部屋のソファベッドやお布団を準備して、着いたら何時でもいいからウチに直接来て、近くまで来たら電話かメールして、と伝えてひとまず仮眠。でも余震も怖いし眼鏡かけたまま寝ました(笑)。で、3時くらいになるんじゃないかと予想していたけど、1時過ぎに入電、歯ブラシとか買っていくから、って…無事に着いたよ〜! 良かった、本当に良かった…! 顔見たら泣いちゃうんじゃないかとか思っていたけど、逆に嬉しくなっちゃってすごく元気になってしまいました(笑)。夜中だけどテレビつけて、コンビニで買ってきたご飯にインスタントのお味噌汁付けて、昼から何も食べてない二人が一息つけたらお風呂に入れて*2、それでも何だか落ち着かなくて、3人でテレビ見ながらしばらく喋っていました。寝たのは3時過ぎ…そういえば前日は会社でほぼ一睡もしてなかった、けどきっと何か、脳内アドレナリンみたいなものが出ていたんだろうな。3時過ぎにやっと寝て、でも朝も結局8時過ぎにちょっと揺れた時に起きちゃって、そのまま…やっぱりちょっとした揺れにも敏感になるものですね。弟たちは、それこそ余震が大きくて全然眠れなかったそうで、ぐっすり寝られたー、と云っていました。何よりだよーほんとによかったよー。タクシー代は10万弱だったそうですが、同じくこっちの方に行きたいおじさんと相乗りできたので半額に折半できて、タクシーの運転手さんもベテランで道に詳しい上に深夜割増も止めてくれて、10万の手前で「大変になっちゃうから」とメーターも止めてくれて、相乗りのおじさんがまた車で関東〜東北を何度も行き来しているらしく、裏道や新しくて地図にまだないような道も知っていて、すっごくありがたかったと…本当に、運が良かったというか、ありがたい出会いが重なって帰ってこられたなぁと、感謝の気持ちばかりです。
 買い物に出たその足で爆発の話を聞いて、ほぼそのまんまの状態でタクシーに乗ってきたふたりなので、着替えも何もなく、今日は近所のユニクロやら無印やらに当座の服や下着やを買出しに行ってきました。買い物のまま来たから、何故か生肉のパックとかレトルトのハンバーグとかみかんとかは持参してきた(笑)。脱出できなかったら篭城するつもりだったそうです。生肉は今日の夕飯に美味しく頂きました。みんなで食卓を囲めること、くだらない話で笑えることがこんなにありがたくて、楽しくて、幸せなことなんだというのを、改めてかみ締めました。今この瞬間も、救助を待っている人、避難所で寒い辛い思いをされている人、停電や断水やライフラインの寸断で心細い夜を過ごしている人、見えない恐怖に曝される不安でいっぱいの人、大事な人と連絡が取れない人、つらい思いをされている人がたくさんいるので、わたしなんかが「大変だった!」なんて口が裂けても云えないけれど、わたしの平穏無事で波風の少ない人生の中で、この3日間はそれなりにすごく激動でショッキングなことがいろいろ起きたのです。わたしにとっては、という意味で。これからのことを考えると、福島に戻れるのかどうかも、工房の建物が余震に耐えられるかどうかも、お店のことも住むところも、先が何も見えなくて不安になってしまうけれど、それでも今はとりあえず、安全な場所で家族が揃って過ごせることを本当に、心の底から、ありがたく思います。
 今日になってやっと、連絡が取れた仙台の友人たち、無事で本当に良かったです。どういう状況にいるのかもわからないけど、とりあえず生きていてくれたことが本当に嬉しい。明日から計画停電と断水が始まりますが、こっちでの停電が少しでも、誰かの灯りになりますように。6時間停電じゃない、18時間も送電があるんだから!
 まだ被害の全貌も全く明らかでなく、これからどうなるのか、日本はどうなるのか、やっぱりわかりませんが、一瞬でも早く、一人でも多くの方が、静かで不安のない夜を過ごせるようになることを、ただただ祈るのみです。一人でも多くの方の、ひとつでも多くの悲しみが、癒える時が早く来ますように。

*1:節電!

*2:断水してたからお風呂入れなかったそうで