ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

演劇企画集団THE・ガジラ「大人の時間」@吉祥寺シアター(11/28夜)

 遅くなってしまいましたが、「新・雨月物語」「ゆらゆら」「PW」と観てきたガジラ、11月公演に行ってきました。
 …うん、鉄板だ。ハズレない。クリスマスムード一色の吉祥寺の町から一転、欠片の明るさもない世界に突き落とされました。が、それがいい。それでこそガジラ、それこそが鐘下演出。あらすじは↓の辺で。
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20091126dde012200036000c.html

 風間杜夫×ガジラ、ということで必然的に期待値ガン上がりなのに、さらに梅沢昌代さんなんて。凄くない訳がない。ええ、凄くない訳がなかった、です…もちろんこのお二人以外も凄くて…怖かった。演劇的に良い怖さを体感させてもらえました。
 こぢんまりしたホールに入ると、舞台上には幕の代わりみたいに板塀というか雨戸が閉められていて、犬の鳴き声がたまに響いてる。暗転し、雨戸に映し出される映像はパソコンの画面、所謂「匿名巨大掲示板」というやつで。そこに次々と書き込まれていく「匿名」の書き込みにより、教室で同級生5人を刺殺した元・少年が17年の刑期を終えて出所することがわかる。再び暗転、犬の鳴き声、唸り声、パン!という乾いた破裂音、そして開かれる雨戸、その向う側には木の椅子や机がいくつも並び、教壇が設えられた、教室のような空間が広がる…そんな幕開け*1でした。
 17年ぶりに出所してくる元生徒を迎えて、教室を模した場所で同窓会を開こうとする元教師、これだけ見ればそれほど違和感ないのだけれど、出所してくる元生徒は教室で同級生を5人殺していて。会話の向こう側から徐々に明らかにされる状況の異様さに、まず違和感を覚える。芝居しかもガジラ、これで何も起こらないわけがないじゃないか! 起こるとしたら怖いコトしかないじゃないか!
 17年の刑期を終え更生した(はずの)桐山を、あくまで暖かく迎えようとする元教師・瀬山、彼に従う元生徒で地元御曹司の龍巳、戸惑いつつも同窓会を取り纏める並木、甲斐甲斐しく夫に尽くす瀬山の妻。しかし同窓会の当日、瀬山・龍巳・並木の他に参加する者はいなかった、桐山さえ。待ちくたびれて夜が明けて、瀬山が可愛がっていた犬がいなくなり、山の猿避けの空砲が鳴り響く…開始から不穏な空気が漂い、完全暗転+空砲音*2で否が応にも不安感を煽られ、結局2時間ガッチガチで観ていました…緊張感が凄い、一瞬たりとも抜き場所がない…でもこの重厚感がたまらないんだ…。ネット社会、格差、少年犯罪、いじめ、自殺、現代日本の抱える闇を、罪とは、贖罪とは、何故人間は人間を殺してはいけないのか、普遍的な命題と共に、綺麗事で済ませてくれない部分まで踏み込んで描き切る鐘下作品の容赦なさが凄かった。悪趣味で醜悪で情けなくて、でもどれも自分の中に確かにあるモノたちを、舞台の上に引きずり出して暴かれる、そんな作品でした。つらかった、でも…面白かった…!
 もう終わってしまったのですが、一応畳んでおきます。
 
 
 
 
 とりあえず、同窓会に1日遅れて桐山とその連れの宮田が登場してからの、最初のカタストロフが。5人の墓参りに行こう、謝罪しようと誘う瀬山に桐山が返した「…え?」が。全く悪びれる様子もなく、本当にわからないから訊いている「どうして謝らなくちゃいけないんですか?」が。おそらく会場の心がひとつになった瞬間であったと…更生してねええええ!!!! 一気に空気が変わる、凍りつく瞬間でもありました…。桐山が顔こすり始めると「きたきたきた…」ってなるの…こええええ。
 それぞれがそれぞれに、問題や困難を抱えながら、それでも取り繕って表面上は波風立たせず生きてきた元教師と元生徒たちが、桐山という明らかな「異物」*3の混入によって、その内側に隠し持っていた歪みを引きずり出されていく、理性や体面が徐々に壊されていく過程が丁寧でリアルで生々しくて怖い。何が桐山を凶行へ向かわせたのか、そのきっかけが桐山の口から明らかになった時の、何とも云えない「あー…」な感じもたまらない。瀬山と桐山、どっちの言葉も、それなりにそれぞれの側からの理に適っていて、でもお互いの側から見た相手の言葉は心外以外の何ものでもなくて。最終的に、「人を殺した」というただその一点で、桐山は絶対的に悪いのだけれど、そこで落とし込むしかない後味の悪さが何とも。
 ネット上の「心無い」罵詈雑言で、あいつは人間じゃないケモノだ、ケモノに社会復帰は無理だ、などと書き立てられていた桐山に、観てる側は最初、怒りに似た憤慨を覚えるのだけれど、その憤慨そのものを揺るがされる展開がその後に待ち受けていて。「良心」という名のキレイゴトを見事にぶち壊されて、ええじゃあどうしたらいいの?と途方に暮れる気分でした。桐山を暖かく迎えようとしていた瀬山の気持ちが嘘だった、とは思わない*4けど、当の桐山自身によってその「良心」を粉々に砕かれ、その奥底にしまい込んでいた本音を吐露する場面で、結局瀬山が行きついた結論は、ネット上の書き込みと同じことで。「人は人を殺してはいけない、理由なんてない。人は人を殺さない、何故なら人は人を殺せないからだ」「だから人を殺したお前(桐山)は人じゃない、ケモノだ」…先生それ云っちゃダメー!と思いつつ、でも何て明確な答えだろう、とも同時に思うのでした…どこかで桐山に、(普通の)良心を求めてしまう観てる側を、見事に突き離すセリフで。それに納得したら桐山は…と思いつつ、でもそうだよね、と思わざるを得ず…苦しい。
 時折響く、猿追いの空砲の音、山の猿も必死に生きようとしている、という瀬山の妻の言葉が、ケモノと呼ばれた桐山にも重なって聞こえたり。いなくなった犬の首輪が、「学校」という鎖に繋がれたかつての生徒達にも重なって見えたり。桐山の同僚*5が云った、「出て行けって云われても出て行けない、教室はそういう場所だ」という言葉が、すごく印象的でした。教室を模した廃屋が、檻のように見えた。閉鎖された空間に閉じ込められ、その中から出るすべを持たない子供たち、逃げ場なく追い詰められて凶器を手にした子供と、その中から逃げ出すことができず凶器に倒れた子供。教師も生徒も、鎖に繋がれ檻に閉じ込められ、そこから出ることのできないまま17年間を過ごしてしまったんだな、とぼんやり思いました…。
 ガジラと云えば本物を使う演出、ですが。「ゆらゆら」時は毎回、生きた鯛を舞台上でさばいてましたが(あれはすごかった…斬り落とされた鯛の首が、身をさばいてる最中に何度もぴくぴく動いて口パクっとするの…あの生臭さと、その後振り撒かれる香水の臭気…悪夢のベニサンピットだった…)、今回は本物のチェーンソーと丸ノコ?が登場しました。どっちもギュインギュイン回った…怖かった…。チェーンソーのガソリン臭とか、そういうリアリティには否応なく圧倒させられる。チェーンソーで乱闘怖かったよぅ…。腕が飛ぶような事態にならなかったのがせめてもの救いでした…阿佐スパは飛んだけどね…あっちはまた違う怖さだったからなぁ。
 人としての修羅場を経て、どうにも立ち行かなくなったところで、最後に動くのはやはり女、というのが、梅沢さんの説得力は本当に凄かった。かなわないと思った。何があっても食べるもの食べる、そういう図太さが人間の救いであり、強さなんだろうなぁ。縁側に食事の皿を置き、その前にいなくなった*6犬の首輪をそっと置くラストの梅沢さんの姿が、とても静かで良かった。殺されることによってしか、その鎖から解放されなかった5人の生徒へ捧げているように見えた…。そして教室を模した檻の中で食べる6人の解放は、一体いつなんだろうね…。
 最後にもう一度、ネット掲示板の映像が出て、そこにおそらく瀬山であろう人物が書き込んだ、「キリヤマは死んだ」という言葉が、何を表わしているのか。…もう一回観て確かめたいところがいくつかあったのですが、もう終わっちゃったんだなー。テレビとかでも…やらないだろうなー。バタフライナイフ、学校内での凶行、犬猫で練習、少年犯罪と17年の経過、実際にあった色んな事件が思い起こされるのと同時に、今まさにこういう状況が、ここまで極端でなくても、日本のどこかで起きているかもしれない、起きかねない、ことに改めて、眉根が寄りました。問題を提起されているのに、どうしたらいいのかわからない、答えが見つからない、のが…一番、重い。
 やっぱりガジラは外れない。感想はまとまらないけど、それだけは改めて確信しましたとさ。

*1:というか雨戸開け

*2:でかくて怖い!

*3:やっぱり異質だった。「先生、僕は変ですか?」の問いかけが哀しいけど、それでもやっぱり異質だとしか…

*4:少なくともそういう気持ちは多少でもあったはず

*5:これもすっごかった!! すっごいウザかった!! 可哀想だけどウザかった!!

*6:結局瀬山に殺されたんだけど