ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「未来は今」

 ひとりで勝手に紆余曲折して、その結果たどり着いた…のか、まだたどり着いてはいなけどどうやらその辺に着きそう、くらいなのか、何でもいいですが、方向性と軌跡と結論をのらりくらりと。

 イベントの詳細を目にしたのが、ちょうど「未来は今」を見終わった直後というタイミングで…その所為も大きかったかもしれないけど、その時点で一番強く感じたのは、「ここは私の踏み入っていい場所じゃない」という感覚だった。番組の大半の時間を、「疎外感」…とはちょっと違うんだけど、そんなに排他的なものではないんだけど、消極的排他というか、とにかく「この中に私はいない」という感覚をすごく覚えながら観ていたから、だと思う。未來さんは被災者で、出会う人たちも被災者で、学生さんたちはもしかしたら、直接被災しているわけではないのかも知れないけど、神戸という街に暮らして、震災というものに密接に関わり合っている人たちで。被災者でもなければ神戸と関わりもない、ボランティアにも参加していない、もっと云えば関西人ですらない、14年前のあの日と、テレビの中の出来事としてしか関わってない、まったくの「他人」である私には、入り込む入り口が見つけられなかったし、そんな入り口はそもそも作られていない、そういう番組に見えた。それを唯一崩されたのが、ラストのドラマパートで、あそこで初めて、この番組には「他人」であった私に入り口が開かれた、私の手の届く範囲内に番組が降りてきた、そう思えた。ここからなら私も入れる、と思えた、のだけど。でも、あくまであれはドラマの部分で、メインはそこにはないのだから、やはりイベントの主旨もそこにはなく、仮に参加したとしても番組を観ている時に感じたような、居場所のない感じ、を受けるのではないかと、多分受けるんじゃないかなぁと、そこでまず躊躇した。被災者の辛い体験や、遺族の方の話を聞いて、可哀想だ気の毒だと涙を流す、そんなことの為に開かれる会ではないはずだし、そんなことを望んで語られる訳でもないし、でもそれ以外の関わり方、受け取り方を果たして自分ができるのかどうか、わからないし自信もない。6月6日に感じた、「これは私は行けない」訳は、まずはその辺だった、なぁ。
 あとはもちろん、「どうしたって消せない下心」というやつで。こんな人間ですから、ミーハー的な「未來目的」な動機はどうしたって、ある。けど、そういう気持ちで足を踏み入れていい場だとはとても、思えない。主催者にも、研究されてる学生さんにも、ご遺族の方にも、参加される他の方々にも、そして未來さん本人に対しても、そんな動機で参加するのはすごく失礼なことだと思う。もちろん、きちんと話を聞きたい気持ちはあるし、番組やGOING KOBE、前のプレミアム10、強いて云えば「森山未來」という人を通して、以前よりずっと近しい存在として感じられるようになってしまった震災というものを、どう扱えばいいのか、どう自分の中に落とし込めばいいのか、探ってみたい気持ちもある。近い将来に必ず起こるひとつの事実として、何か学べるものがあるはずだとも思う。思うけど、じゃあ未來さんが参加しなかったら、行く?と云われると、それはまず、行かない。…やっぱり、未來さんを「観に」行きたいだけなんじゃないかと、自分ですごく思うわけで、こんな気持ちで参加するのはやっぱり申し訳ないし、失礼だと思う。失礼だとしか思えない。
 なので、応募はしません。…と、思っていたのですが。
 カメレオンからメールが来た。これで一気に色々…組み上げていた防御壁が崩れた(笑)。
 ファンクラブから、参加を募るお知らせが来るということはつまり、そういう人種が来てもかまわない、と、動機が不純でも来ていいよ、と、そう…云ってくれてる、のかな、…と。思えませんか。下心アリアリでも来たければ来れば、と門戸をわざわざ開けてくれたのかな、と…大いなる勘違いかも知れないけど。でも、本人がOKしなければ、FCが勝手にそんな呼びかけをするとは思えないし…行きたくない訳じゃないんだ、すんごく行きたい気持ちはあるんだ、でも行っちゃいけないように思えるから、だから困ってるんだ。そんな時にこのメール…どういうことなんだろう、と考えてしまう。考えてしまった。
 「未来は今」を見て私が感じた居場所のなさは、多分、「被災していない」という負い目みたいなものじゃないかと思う。私は被災していないから、被災された方の気持ちはわからないし、被災された方にも「被災してない人にはわからない」という感覚は絶対的に、あるんじゃないか。被災者の震災体験を聞く時、どうしても申し訳ない気分になるのは、自分は被災しなくてすみません、みたいな、引け目だと思う。それはきっと、被災したけれど周りで死んだ人はいなかった未來さんが、家族や大切な人を亡くした人と対峙して感じたであろう、居心地の悪さ…辛さ、そういうものと、段階的に繋がっていくのではないか。そんな風に考えた時、ウーファンさんの言葉が思い出された。「それがその人の人生だから」…番組を見ている時は、未來さんの葛藤に対するある種の赦しみたいに聞こえた言葉だったけど、段階的に下ろしてくればそれは、被災しなかった者に対しても、云ってもらえるんじゃないか、と…震災の喪失体験が金魚なのは彼の所為ではないし、被災しなかったのは私の所為ではない。それが彼の、私の、人生だから。…じゃあ、私の人生から見て、ここからの視界で、震災はどう見えるのか、震災を通じて何を見るのか。そういうスタンスで震災を見ることは、それはひとつの「居場所」になるんじゃないか。そう思うと、最初の躊躇はクリアできた気がする。
 下心の方は…こっちの方がよっぽど厄介で。だって消せないもの、消しようがないもの。でも、カメレオンさんが「いいよ」って云ってくれたのが…何だかね。GOING KOBEのチャリティTシャツの時みたいな印象を受けて。神戸での未來さんは、自分が客寄せパンダみたいになることも厭わず、それで売れるならかまわない、売れて誰かが助かるならかまわない、そんな捨て身の覚悟みたいなものを感じる「手売り」だった。Tシャツ通販のメッセージでも、「どんな意図があるにせよ、ないにせよ」、それが結果に繋がるならいい、と云ってくれた。動機が何であれ、どこであれ、それだけでない何かに少しでも繋がるなら、それ以上の何かが伝わるのなら。どうやったって未來さんが「目的」になってしまう人種が一番たくさん集まっている*1、ファンクラブなんてところに、呼びかけをしてくれたのも、そういう思いがあるから、なのかなぁ…と。きっかけや動機が何であっても、何かを感じ取れたらいい。そう思ってくれたのなら、それはすごく…嬉しいことで。…こんなんでも許してくれるのかなぁと、淡い期待を抱いてしまうわけで。
 そうまでして伝えたい何かを、彼が持っているなら、ぜひ直接聞きたい。立ち入ることを許してもらえるのなら、その場に居たい。幸い、くじ運はもんのすっごーく悪い方なので、応募しても当たる確率は非常に低いわけで(笑)、それでももし万が一当たったりしてしまったら、それはもう、来ていいよ!ってお許しが出たんだ、と。そう思うことにして、まぁ当たらないけど、カメレオンさんにぽちりとお願いしてみましたよ、と。
 …要するに結局、「行きたいから行く!で申し込めないええかっこしぃの小心者が、申し込んでもいいところまで何とか理屈こねくり回して、己のミーハー心を正当化しましたよ」という軌跡でした。こうしないと申し込めないんだ…めんどくさいな。
 まぁ、当たらないんだけど。なので気は楽なんだけど。旅費の財源もアテないしな!

*1:…ですよね