ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

「アヒルと鴨のコインロッカー」2回目〜ネタバレ編〜

 ここから先は思いっきりネタバレします。未見の方は飛ばしてください! 携帯からの方は目を逸らしながらスクロール!! 下げて下げて!!

この先ネタバレあり!
 
 
 
 
 ネタバレあります。
 
 
 もういいかな。
 
 さてネタバレ編というか、また勝手妄想というか。読まれたくないんだけど吐き出したくはあるんですよ…。
 2回目ならではの視点、最初から最後までD視点を貫いてみました。何かもう、ね。わかってて観ると凄いね。最初の、「隣の、隣は、ブータン人だ」で、瑛太の瞳が「隣(←)の、隣(→)は、」って動いてるのとか…タマラナイです。髪型からヒゲ、指輪、着る物、靴、ジャケット、歩き方に座り方にタバコを叩く癖、全部をカワサキ*1にして。というか、全てがカワサキに「なる」までの時間、を思うと、泣けて泣けてたまりません…。どのくらいの時間をそうやって、レコーダーの中に閉じこめた琴美とカワサキとの思い出だけを傍らに、何もないあの部屋で過ごしたんだろう。あの部屋に残されたのは、琴美がDにくれた棚だけ。あの部屋で彼の持ち物は、他になかった。棚と、その中に琴美が閉じこめたディランのCDだけ。何もない部屋で、カワサキの服を纏って、Dはひとり、河崎へと変貌していったんだろう。そしてある日、2年後に引っ越してこようかとカワサキが笑っていたその部屋に、椎名がやってくる。ディランを歌いながらやってくる。
 ものすごく勝手な想像ですが、Dがディランの歌を耳にしたのは多分、カワサキが死んだあの車の中が最後だったんじゃないかと。数少ないDの部屋の中のモノにCDプレイヤーらしきものは見当たらなかったし、おそらく琴美が隠したディランのCDは、触れられることもなく棚の中に閉じこめられたままだっただろうし。Dにとってあの歌は、あの声は、痛ましい思い出と共に流れ、彼に苦痛を強いる、ある種残酷な神の声だったのではないかと。
 それを、とても楽しそうに、軽快な声で歌っていた椎名。Dにとって、最も辛い瞬間に流れていた歌を、何でもない鼻歌みたいに呻っている、隣に引っ越してきた日本人。そんな勝手な妄想ですが、何かそう思うと、Dにとって椎名が歌っていたディランは、正に「神の声」だったんじゃないかと。救いの啓示みたいに聞こえたんじゃないかと。いや救いかどうかはわからないけど、とりあえずのゴーサイン、背中を押した声、だったんじゃないかと。背中を押してしまった、なのか、背中を押してくれた、なのかはわかりませんが。隣に越してきたのが椎名じゃなかったら、椎名がディランを歌えなかったら、Dはもしかしたら本屋を襲わなかったかもしれない。部屋を出ず、椎名に話しかけもせず、何も起こらなかったかもしれない。もしかしたら、その方が良かったのかも知れないけど、でも、椎名にとってもDにとっても、互いに知り合えたことは、人生の中でとても大きな意味を持つ出来事であったと、思いたいのです。
 琴美が殺され、志半ばでカワサキも亡くしたDが、カワサキの姿になり河崎を名乗って本屋を襲撃する。この、「D→河崎」という変化のわけをぼんやりと探しながら観ていたのです。別に、椎名を騙すために河崎になった訳じゃない、だって椎名が越してくる前からDはカワサキになっていたから。髪型を変え、ヒゲを生やし、指輪を嵌め、服を着て、タバコを手にしていたから。…河崎はタバコを薫らすだけじゃないか、と友達が云っていたのですが、私個人的には銜えもしないんじゃないかと思いました。口付けない気がする…。Dの部屋が煙っぽくなっていたようには見えたけど、実際に河崎がタバコに火を点けるシーンはなかったし…部屋で火を点けて、火の点いたタバコを灰皿に置いておく、とかかな、なんてそれもアレです妄想ですが。
 じゃなくて、タバコはともかく、何だっけ。あ、Dが河崎になった理由だ。公園のブランコから立ち上がり、カワサキのジャケットに袖を通して、カワサキの真似をしてポケットに手を突っ込むDはまだDだったけど、河崎になった姿で本屋を襲撃するDを観ていて、ああ、Dはカワサキと一緒に、琴美の仇を討ちに行ってるんじゃないか、と…そんなふうに思いました。カワサキになることによって、彼の分も、彼と一緒に、彼が考えて果たせなかった仕事を、完遂する。アレをやるには、DはDの姿ではきっと、ダメだったんだろう。カワサキの思いも一緒に背負って、だからあの本屋襲撃は、本当は椎名とDとカワサキ、3人でやったことなんじゃないか。そんな風に、本屋に向かう白いジャケットの後ろ姿を観ながら、わたくしは思いました。とさ。
 所詮、妄想ですが。
 妄想といえばさらに。ラスト近く、麗子に自首を勧められて「…ソー、デス、ネィ」とおどけるDがね…。すんごい穿った見方かもしれないけど、色々考えてしまって。現代日本で、加害者が外国人留学生で、被害者が日本人で、てなったら、たとえ自首しても、世間一般的な視線は、なんというか…ね…所詮バス停のインド人女性で警察官がアレでワンゲル部な日本だからさ…。裁判官がそうでないとは思えない、というか。もちろんその「世間一般」には私も含まれます。ニュース見ててテレビから「ブータン人留学生が日本人男性を拉致」とか聞こえたら、…どう思いますか。私はその裏の事情まで慮れる自信が正直、申し訳ないけど、やっぱり、ない。バス停で困ってる日本語の話せない外国人がいたら、ちょっともー早くしてよと思ってしまうと思う。で、Dはきっと、そういうこちら側の心情を、冷静に察知していたんじゃないかな、と。だから、麗子に自首を勧められても、自首したからといって、事情を説明したからといって、麗子が思うようにはならないんじゃないかと、どこかで感じ取っていたのではないかと。わざとガイジンぽくおどけてみせるDが辛くて、そんな風にきっと思わせてしまう一端を担っているであろう自分が情けなくて、でもどうしようもなくて、妙な感じに泣けて仕方なかった。ええ、得意の勝手妄想でガン泣きってやつです。でもね…そんなことを思わずにはいられないんですよ…。だからといって、この映画自体が、啓蒙したりとか説教したりとか何か考えさせるようなことを突き付けたりとか、というわけでは全然、ないのですが。…全然そういう気のない感じがまた、良いんですが。
 でも、麗子の「助けられるものは、助けたいと思うようになった」というセリフは、きっとDにも深い所まで届いてるとも思うのです。Dはそういうの、ちゃんと受け取れる人だよね…!!(すごい妄想だ!!)少しでも、麗子の可能性をDが信じてみてくれたらいいなぁと思います。Dには、Dにだけは、この国も捨てたモンじゃないと…思ってもらいたいよぅ…。
 そしてラスト。…どうですか。どう思われますか。犬を助けようとした彼を神様が殺すはずがない、ですか。あのラストの犬が、あの時の犬と同じ(ですよね? 画面上では?)なことに私は今日気づいたのですが…どんな犬でもそう見えたんだろうしな…。原作は読んでいないので、小説の方がどう描かれているのか、死んだのか死んでいないのか、わからないのですが。…どうなんだろう…でも、Dが助けたのがあの犬だったら、だったら逆に死なないんじゃないかとも思…いたいのですよ。琴美が身を挺して生かした犬が、Dの命を奪うはずがないじゃない!と…。いや、真実が暴かれる前に連れてっちゃった、とも考えられますが…。コインロッカーの中で神が歌い続けている間に、椎名の知らない間に、Dは琴美とカワサキの元に逝ってしまって、それで彼ら3人の物語は終わりを告げ、飛び入り参加の椎名は元の、椎名自身の物語へと戻る、のかな…それはとても悲しいな…。麗子さんは「傍観者」ですよね。
 Dが生きているのかいないのか、わからないけど、椎名がその後戻ってくるのかどうか、椎名はDと再会することがあるのかどうか、考えると、…何故かどんどん切ない方向にむかってしまって…完全にセルフ妄想号泣です…。ああやだやだ、どうしてわざわざド暗い方向に突き進んでしまうんだ! せめて妄想くらいハッピーな方向にいっておこうよ自分…。

*1:Dは結局カワサキの漢字もわからないままだったんだよね