ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

Noism06「TRIPLE VISION」@ル・テアトル銀座

 新潟を拠点に活動するダンスカンパニーNoismの06年公演を観てきました。Noism立ち上げ前から、金森穣の名前は知っていたのですが*1 *2、やっと! やっとナマで観られた! トップランナーは観たけど!
 今回のTRIPLE VISIONという公演は、金森穣と同年代の二人の振付家を招聘して、3人の作品をひとつずつ見られる、という企画だそうで。さっき知ったのですが、穣さんは自分の振付作品は踊らない、そうですねー。ダンサー・金森穣を観られる機会は実は少ないのか? じゃあラッキーということで。
 まずひとつめ、金森穣作品「black ice(Ver.06)」。これはアフタートークで知ったのですが再演だそうで。でも、初演時とは全然別のものになっているらしく、ほぼ新作とのことでした。映像とダンスの融合、的な作品は他でもたまに見かけてますが*3 *4 *5、その入り交じり方が面白かった作品でした。何か、見終わった後味が「世にも奇妙な物語」みたいな。ええっ!? あれっ!?ってなった(笑)。わたくしはいつも、舞台を見ながらついつい、動きや衣装、照明や音の変化、そういうものに論理性を求めたり、物語性を探したりこじつけようとしたり、法則を見出そうとしたり、何かしらこう…意味を求めてしまいがちなのですが、コンテンポラリーを見る時は、なるっべくそういうのを頭から抜いてナシにして、純粋に身体の動きを見ようと思うように、何とな〜くしているのであります。だからコンテンポラリーに於ける私の「好き」は「身体の動きが何かカッコイイ」なんですね。で、このblack iceも、舞台セットとか背景とかに意味を見出そうとはしないでただ、絶対表現としての動きを堪能する、方向で観ようとしていた訳です。観ていたのです、とは云いきれない弱気な感じですが(笑)。そうやってがんばって観てたら、最後の最後にええっ!?というオチ的なモノがドカンと。びっくりした〜! でも、動きとしてとてもかっこよかったです。あと音楽がミニマル系で耳障りながらも好きな感じでした。
 金森穣振付作品は初めて観たわけですが、何だろう…抑圧された印象を受けました。ダンサーの動きに、厳しい規制や抑制が強いられているような。伸び伸びと踊る、という感じではなく、規制された中での身体表現。激しい動きや感情の発露も、爆発じゃなくて爆縮するような、周囲を取り込んで内側へ押し込んでいくような、そんなイメージでした。イメージの話ですが。で、内へ内へと向いているベクトルが、動きにある種のストイックさを与えて、そのストイックさがセクシーというか色っぽさの発露になるというか。基本的に緊張感の途切れない、張り詰めた舞台空間でした。息苦しいけどそれが心地よく、それこそが醍醐味であり魅力である、と。思いました。あくまで印象ですが。
 ふたつめは大植真太郎作品「solo,solo」。これ、black iceから休憩時間に舞台セット交換をしていたんですが、幕上げっぱなしで床張り替えたりしてたのね。幕下ろさないでやるの、珍しいなぁと思いながら見てたんですが、そしたらね。マイクスタンドを両手で横に捧げるように持ったヒトが舞台の片隅に出てきてね。…何やら怪しい動きをしてるんですよ。最初、建て込み作業中のスタッフかと思ったんですが、明らかに服が衣装なの(笑)。で、マイク捧げ持ってぐねーん、びのーん、って動いてたり、床にテープ貼るスタッフの動きに合わせて後ずさったり、マイクに向かって何か云ってたり。で、スタッフは彼に一切かまわず、そこにいないかのように黙々と作業を続ける。えっ始まってるの? 休憩中なのに? でも、気づいてしまったらもう彼から目が離せない(笑)。結局、休憩時間ほぼ出ずっぱりでパフォーマンスしてました。ですっかり準備が整って再び幕が下ろされた舞台上に、一人で取り残されて、スリスリと呟きながら袖に戻っていったのです…。が、やはりそれも作品の一部であることが、観ていたらわかりました。面白かった〜。
 で幕が開いて改めて始まるのですが。ダンスやバレエで台詞があるのは珍しくないですが*6 *7、でもこんなに饒舌なダンスの舞台は初めて観た(笑)。そのくらい、声がいっぱい出ていました。すっごくしゃべるしマイクは大活躍、ヒップホップ調に話したりアイドルみたいに歌ったり。でも、それだけ饒舌に、大量の言葉を発しているのに、その言葉自体はほとんど意味を持たない。ちゃんと日本語なんだけど、無意味な言葉しか発されない。なのに、言葉自体は無意味でも、観ていて聞いていて意味は読み取れる。何か…不思議な感覚でした。言葉って何だろう、とか、饒舌であることで一体何が伝えられるのか、とか、無駄に発されて費やされる言葉の意味は、とか、言葉と音の消費と形骸化、とか、何か色々なことをぼんやり考えた。でも、基本は笑える作品でした。可笑しかった。あと、金森さん声がイイね!
 アフタートークで、身体表現を主に表現手段とするダンサーが台詞や言葉を発することに対する心構えとか感覚ってどんななの?と、言葉を使わず物語を伝えようとしているヒトを思い出しつつでちょっと訊いたのですが、ダンサーさんたちの答えが一様に、「求められることは何でもやる、それが台詞であれ歌であれその作品に必要なら」みたいな感じで。それを聞いて、またもにもにと考えていたわけです。で、ああ、と思ったのね。腹筋も腹膜も肺も声帯も、身体じゃないか、と。身体を動かして表現する、という行為には、声帯を震わせて声を出す、唇を動かして言葉を発する、そんなことも含まれたってイイじゃない、とね。そこを分けて考える必要はないのね、と。何かちょっといつもの自己完結な感じですが、すとん、とハマったので。そかーそーだよねー。身体を動かすのに呼吸や息はすごく大切というか密接というか、なくては動かせないものだから、声を出すのはむしろ当然の行為なのではないかと、ない方が不自然なのかも、と。思ったわけです。でも長セリフ超早口とか、それ…ダンサーじゃなくても普通に出来ないよ…(笑)。
 ただ、台詞というか声というか音というか、に意識を持って行かれがちで、「ダンス」を堪能できなかった印象はありました。
 みっつめは稲尾芳文作品「Siboney」。個人的に好きな方向の動きが多くて、ちょっとニヤニヤしました(笑)。バラバラにいるヒトがそれぞれ、規則的な動きをくり返すようなものは好きです。三つの中で一番、ダンスらしいダンスというか、スタンダードにストレートに踊りを見せる、作品でした。身体表現の手段としての肉体を堪能させて頂き、大変美味しかったです。
 ダンサー・金森穣が存分に観られたのも良かった! Noismの作品とはまた違った味の、これはわりと伸びやかな印象の動きでした。伸びやかなセクシーでした。ギリギリせずに観られた(笑)。ああ何だろう、一番、動きとして好き=コンテンポラリーで好き、な作品なのに、だからか、あんまり語ることがない。衣装が面白かったです。男性も女性もアンティークな水着みたいだった。金森さん以外。金森さんは…裸サロペット…。
 カーテンコールは通常の、お辞儀をたくさんして下さる感じで。…そりゃそうだよな(笑)。でも金森さんのお辞儀は特徴的でした*8。普通じゃダメなの?(笑)
 で、終了後にアフタートークがありまして。質疑応答みたいなのがね。ああいう場でこう、すっと手を挙げられないのが日本人…。最初のひとり、になられた方はすごいなぁと思いました。イカンなぁ(笑)。ダンサーさん3名と金森さん、お疲れでしょうにジャージ姿で客席からの質問に答えて下さいました。面白かった! あとみんなリピーターなんだね! 金森作品と他の振付家作品の違いとか、Noismの女性ダンサーは何故みんな髪がショートカットなのかとか、再演をする意味とか、身体のケア方法とか、色んなお話が聞けて得した気分、そしてちょっと身近に感じられもしましたよ。あと金森さんの「金森穣は」っていう…何だろう、俺節みたいな? 何というか、「金森穣」という名前そのものが、もうブランド化というか、セルフプロデュースしている作品というか、何かそういう…自分自身と分けて考えてる、突き放した感が感じられて、面白い語り口だなぁと。思いました。がご本人にそのような意図があるかどうかは知りません。印象よ印象。
 総じて大変面白く興味深く色々考えさせてくれもした、良い公演を観たと思います。Noism07も是非観に行きたい…!と思ったのですが…アレレ…5月頭ですか…その辺は…ちょっと忙しそうだな(笑)。あとNoism観に行くと金森さんは踊らないんだよね〜。
Noism06 「TRIPLE VISION」
http://www.jokanamori.com/Noism/top-1.html

*1:「凱旋公演!」て書いてあるチラシを見た覚えが

*2:ラララを見た後にDMで送られてきた

*3:ラララとか

*4:ラララしかないのかよ!

*5:そんなに色々見てるわけではないですスミマセン

*6:ベジャールとか

*7:ベジャールしか略

*8:両手を合わせて軽く頭を下げる