ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

Over the Rainbow 散歩リベンジ

 先日、袋小路に嵌ってさまよい歩いた挙げ句に投げてしまった散歩を、もう一度リベンジしてみようかな、と。どこに辿り着くのやら、という感じですが。思いつくまま徒然と。
 かなりウザったい感じで個人的意見も甚だしくしかも未來さんと全然関係ない、勝手な想像なので、あの、畳むので、見ても全然有益な情報とか含まれていないので…でもORをもう一度東京で見る前に、ちょっと整理してみたかったんです…整理っていうか、自分なりの解釈を言葉にしておきたいのかな。文章化しないと頭ん中整理できないタチなので。いや整理にもならないけど。つかそもそも記憶自体がかなり間違ってるっぽいけど。
 まぁ想像っつか妄想っつか何かそんな感じでひとつ。わたしはこんな読み方をしてみたよ、的な。戯れ言戯れ言。頭悪いからあんま深く考えられないし。結論とかわかんないし。



 だから戯れ言だってば!(しかもネタバレありだから!)




 「白い人」って何なんだろう、というのをぐじゃぐじゃと考えていたのです。「人」という言葉を使いながらあくまで「人間」ではない、生身のヒトではないモノを、それでも「白い人」と呼び表す。この「人」という言葉がくせ者だなぁと思ったのです。「白い人」が人ではない、なら「赤い人」も「黄の人」もやっぱり、生身の人間じゃあないんだろうな、と。便宜上「人」という言葉を用いてるけど、もっとこう…象徴的なモノなんだろうなぁと。その辺りから始める散歩なのです。
 で、じゃあ「●色の人」が生身の人間でないとすると、あのステージ上に登場する存在の中で、生身の人間なのはおそらく、少女だけだろうなぁと。あと木は生身の存在だろうけど*1。「少女」は普遍的な生身の人間、シルエットの少女は「少女」としての個の心情、「あれが欲しい」「これが欲しい」という少女の直裁的な欲求、と考えると、「●色の人」は人の持つ欲求、欲望の具現化、と読んでみるのはどうかなぁ、と。つまり「赤の人」というよりは「人の赤」、「人の中の赤*2を求める部分」の象徴…という図式はダメですかね。白い木のスクリーンだけじゃなくて、舞台全体がもう、少女(人間)の心を表すフィールドなの。だから少女は切り株から降りることなくあの場に留まり続ける。とか。そんな方向性で読んでみようという試みです。
 「人」という言葉に「人間」という意味が持たされていない、と仮定すると、オープニングの雑踏のようなシーンもあれは「人間」ではなく、でも何だろう、明確な「色」(=欲求)も未だ持たない、漠然とした心情、とかかな。で、このシーン、パンフには「色んな人は白い人に気が付きません」と書いてある。けど、白い人も色んな人を見ていない、光にしか反応していない、ように見えたのです。つまり、白い人を動かす動機は「光」にしかない、んじゃないかなー、と。だから、各色のシーンでも、前半はただベンチに寝そべって興味なさそうにしているけど、木が少女の欲するモノを与え、各色の光*3が溢れると、一緒に踊り出すんじゃないかなー、と。白い子はただ光と遊んでいるだけ、なんじゃないかしら。欲求とか欲望とか少女の心情とかには一切お構いなく。お構いなく、というかそういうフィールドに彼はいなくて、それこそ別次元の、もっと何か超越した存在…やっぱり精霊とかそういう…(笑)。少女の内側と外側、内面と外面、此岸と彼岸を自由に行き来できる、行き来はできるけどだからといって何か働きかけたり影響を与えたりはしない・できない、その行動はただ光のみによって動機付けられる、そういう存在かなぁ。あー…要するに天使? 妖精? 何かそういうヤツ?*4
 えーと。色の光を充足・欲求が満たされた状態、とすると、欲しいモノを手に入れた少女は、すぐにまた次の何かを欲しがるようになります。つまり満たされない状態に戻る。と、光は消える。で、光が消えると白い子は興味を失ってベンチに戻る。そんな法則かな〜…と思ったのですが、如何せん照明がどこでどうなってたかとかもうだいぶ覚えてない。ので勝手に脳内で捏造してるかもしれませんっていうか多分ほとんど捏造です。明日観たらびっくりするだろうな〜「えっこんな話だったの!?」って(笑)。
 各色の身勝手手前味噌な解釈を。青・藍・橙はまぁそのまま、ムリなく見ればいいと思うのでパスします。人間、欲することはとても大切なことです。緑、上官の中川先生とヒラ兵士の宇田先生の激しいやりとり、これは…脳髄と末端神経、とか、心と身体とか、そういう感じでしょうか。頭では「こうしたい」「こうしなくちゃ」と思っていても身体はその通りに動かず、云うことを聞かない。そこで木が協調を与え、身体は頭の云うことを聞くようになる…けれどその動きは画一的で機械的で、そこに「心」や「感情」は伴っていない。それが、くまのぬいぐるみを無表情に、首が折れそうなほど撫でる、という少女の動きに表れている、という読み方です。撫でる=可愛がる、慈しむ動作、なのにそこには一切のそういう感情は伴われていない。から、頭と身体は繋がったけど、心はどっかに置いて来ちゃったのかな、と。
 木が自己犠牲を払う度に大きくなっていく影、これも少女の心の中のひとつの表れ、ですよね。多分少女は、自分の欲求が木に犠牲を強いていることをわかってる。けど、気づかないふりをしているか、無意識のうちに目を逸らしてる。でも本当はわかっているから、後ろめたさとか、自分の所為で誰かを傷つけていることへの恐怖、負の感情、そういうものが影となって少女の心の片隅に芽生えてくる。それは重苦しくて抱えているのはとても嫌なことで、だから少女は知らんぷりしてさらに欲望をぶつけ続けるけど、でもそれが芽生えるってことはつまり、そういう感覚を感じることのできる優しさが残っている証拠でもあるわけで。という感じに「影」を読んでみる、試みです。もう全部試み。
 えーと赤。これはもう、美に執着するあまりどんどん醜くなっていく己に対する絶望、というそのまんまでいいと思うのですが、赤い光の中にいる間は一緒になって美を欲する白い子が、ぽい、と光の輪から出るとぽかーんと突っ立って、また光にかかると美争奪戦(笑)に参戦する、ような流れだった気がしたので、もしそれで合ってたとしたら、ああやっぱり白い子の動機付けは光だけ、なんじゃなかろうかという思いを新たにしたいものです。明日観て確かめたいものです。忘れてなければ*5
 手鏡で自分を見て、顔を覆う少女。ただ深い絶望。
 で黄色。あのパジャマメンはやっぱりあの…ヤバいですよね。完全に。僕を愛してよと懇願しながら自らは心を閉ざしてる。その閉ざされた心を開かせる黄色い光、ここでもその光が差した瞬間に、それまで全く無反応だった白い子が参入します。やっぱり白い子を動かすのは光だけ、なんじゃないかと思う部分。
 で、光が注いでも、少女はそれを受け入れることができません。切り株を降りていなくなってしまう。この「切り株から降りる」というのが、完全に心を閉ざす、木を拒絶する、欲することさえもやめてしまう、という意味に思えるのです。完全に木とのリレイションを断つ、一筋の光さえももう少女の心へは届かない。それまで、光が消えると後ろのベンチに待機していた白い子が、パジャマメンと一緒に舞台から姿を消すのも、少女の心が完全に闇に閉ざされたから、もう光はここには差さないとわかっているから、かなぁとか。結構あの、薄情だと思うんですよ妖精とか天使とか精霊とかって(笑)。
 完全に闇に閉ざされた少女の心の中で、影だけが蠢きます。安川先生と、黒っぽい衣装の女性ダンサーの場面ですね。「あれが欲しい」と云っていた少女さえもいなくなり、残された影だけがのたうち回るように手を差し伸べて欲しがる「夢」とは何なのか。夢、なのかなぁ。誰かを傷つけ、それから目を逸らすことによって生じる負の感情から生まれた自分を浄化してほしい、そんな希望を「夢」と表してるのかな。でも、浄化*6 *7 *8されるにはただ、気づけばいいだけなんですよね。自分の存在は裏返せば、他者を気遣う心から生まれてるっていうことに。
 そんな影に、木はもう与えるモノが何もなくて、ただ煙草をくゆらせるのですが。この「煙草」というのに何か…最後の自己犠牲を感じてしまうのです…だって煙草って葉っぱじゃない…。自分に残された最後の、わずかな身に火を点けて、その紫煙で影を包み込む木。あー…最後のひとかけらまで全部、あげちゃったんだな、と思ったら何か泣けてきた。妄想もここまで行けば、手前味噌もいいところだ(笑)。この「紫煙」が薄紫の衣装の群舞、ですね。木がくれた最後の紫煙に包まれて、影は気づけばいいよ。ひっくり返せば感謝の気持ちに、思いやりの心になれることに。そいで光になればいいよ。
 で、光になると当然のように白い子は戻ってくるんですよきっと(笑)。
 ベッドに横たわった木を起こして、虹の向こうに誘う白い人。ああやっぱりホラ此岸と彼岸の架け橋を渡らせることの出来る存在つまりそれって天使じゃね?的な。
 切り株に戻ってきた少女に、光が差し込む。この光はさっきまでの「影」でいいんですよね。で、ラスト近くで白い人が、少女に手を差し伸べて、切り株からそっと下ろしてあげる。ここで初めて、白い人が少女に対してアクションを起こしてるのですが、「白い人は光にしか反応しない」説を掲げてみると、つまり少女の内側にあった影が光へと転化して、少女自身に光が灯っているから、白い人は少女に反応したのではないかと。光しか見えてない白い人に見えるようになった少女は、自らの内に「光」を手に入れたのではないかと。木の犠牲によって。だからもう、木に何かをねだる必要はなくなって、切り株を降りられる。次のステージに行ける。そんな感じかな〜と。
 少女は白い人と一緒に、じょうろで水をあげます。今度は少女が木に何かを与える側になる。で、白い人と一緒に、木が戻ってくるのを待っている。それは次に虹がかかった時に、また虹を渡って戻ってくるのかもしれないし、木が落とした実とか何かそういうものが新しい芽を出すのを待っているのかもしれない。わたくしの論によりますと木は最後のひとかけらまで燃やして紫煙になってしまいましたから。
 うすらボンヤリとそんなことを思いました。眠い。

*1:佐竹先生は木のスピリットだろうけど

*2:=美

*3:この「光」の解釈がわからない…何? 充足の象徴?

*4:またそこか!

*5:多分忘れてる

*6:ていう言葉がふさわしいのかどうかわかりませんが

*7:そんなこと云ったらこの↑の文章全部ふさわしくない気がしますが!

*8:うん、まぁ、独り言だからさ…