ミライ派野郎

森山未來とその周辺を果てしなく気持ち悪い感じに追いかける桐の日々散々。

DanceDanceDance@YOKOHAMA2018オフィシャルガイドブック

 「SONAR」が9月に上演されるDDD@横浜のガイドブックが無料配布されています。未來さんのインタビューも1ページ掲載。

フェスティバルガイドブックが完成 | Dance Dance Dance at YOKOHAMA(DDD 横浜)

 まだ2ヶ月弱も先なので、何だか茫洋としていてタイトルとメンバーとスタンディングらしいこと以外わからない状態の「SONAR」ですが、インタビューを読んでも…うん、わからないな(笑)。言葉を使わない、言語を超えたコミュニケーション、なのは把握できるけど、それをどうパフォーマンスにするの…? 何が観られるの?? むしろ観られないの? 聴けるの?? わからない!!

 ヨン・フィリップ・ファウストロムさんとは「Te ZukA」繋がりなのはわかったけど、よく一緒に飲んでたのは…なるほど。スウェーデンにいた時、は「談ス」合宿ですよねきっと。ノルウェーは隣だから、っていうこの、地続きで外国な感覚がどうしても想像できない島国の人間です。どういう感覚なんだろう、他県に行くのとは流石に感覚違うよね? 徒歩で国境越えたのなんてカナダからアメリカに30分くらい滞在して戻ってきたナイアガラくらいだわ。あれも何だかほんとちょっと厳重な県境くらいの感じだったけど謎…。

 及川潤耶さんとの出会いもまた面白いところで、ドイツかー。音響空間作家、という肩書き(?)も不思議です。どんな音で満ちた空間が作られるんだろう。観る場所、立つ位置によっても聞こえるものが違ってきたりしそうな匂いがするぞ。3人のコミュニケーションの取り方も面白くて、3人の共通言語がないっていうのが(笑)。でも、そんな関係性だから、そんな3人だからこそ生まれる作品なんだろうな。

 イルカやクジラは超音波の振動でコミュニケーションを取り合うけど、じゃあこの3人はどんな振動で、何で何を震わせて、どんなやりとりをするんだろうか。それはどんな風に見えて、どんな風に感じられるんだろう。まだ何も、全然わからないけど、きっといろんなところをビリビリ震わせられるんだろうことは予想できます。楽しみー!!

「マクガワン・トリロジー」@世田谷パブリックホール(7/28夜)

 大型台風が関東に近づく土曜日の夜、「マクガワン・トリロジー」を観てきました。台風来ないうちに先に現地に着いておこう作戦で早めに三軒茶屋に行って、お茶などしてから劇場に入り、観劇後は駅直結で帰ったら、台風らしい雨風にさらされたのは正味15秒ほど*1という、何とも上手い具合にいきましたよ。電車も全然止まってなかったし帰りもすんなり帰れてほっとした…。

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 松坂桃李さん主演で、何となく不穏カッコイイ系なチラシビジュアルが気にはなっていた、くらいの感じだったのだけど、IRAの兵士の話と聞いて俄然興味が出てしまい、ついでに「テイクミーアウト」ご出演だった浜中文一さんや小柳心さん*2、あと趣里ちゃんも出ているとのことで、あっやっぱり行きたい…とチケットを入手しました。客席に着いたら、流れている音楽がちょっと前のUKロックで、開演前からめちゃくちゃアガってしまった…ストーンズの「Let's spend the night together」とかボウイの「Heros」とか流れてひゃーってなったよ。もうそれだけで来てよかったと思ったし期待もめちゃくちゃ高まった…お手軽…。しかしいざ開演してみたら、めちゃくちゃ高まった期待を裏切ることないというかさらに超えてのとても大好きな作品でした!! めちゃくちゃ好きなやつだった!! 劇中で使われる音楽も良かったし話もキャラクターもすごく好みだった。1幕なんかずっと頬が緩んでしまう好みっぷりで…全然頬が緩んで良い内容ではないんだけど…でも好きなんだああいうの!!! たまらん!! 良かった!!!

 1980年代のアイルランドを舞台にした、IRAの内務保安部長ヴィクター・M・マクガワンにまつわる、3つのお話です。トリロジーだから。IRA、80年代、アイルランドベルファスト、と並べればもうサンデー、ブラッディサンデー*3ですね。U2が流れ始めますね。わたし小学校に上がった頃から新聞を隈なく読むのが趣味だったのですが、国際欄に北アイルランドでの戦闘やテロの記事があったのを覚えています。3篇どれも、まぁヴィクターが対象を処刑する話なのだけど、小説の短編集を読んでいるようで、その小品×3、という構成もすごく好みだったし、3つどのお話もそれぞれ違うツボを突く好みだった…全部良かった…。

 ひとつ目はIRAのアジトになっているベルファストのバーで、敵に情報を漏えいした疑いのあるIRA構成員を尋問する、のだけど、まぁヴィクターがぶっ壊れていて最高にカッコイイんだ。ぶっ壊れてるけど。何かキメてるんじゃってくらいハイで、歌ってるかまくしたててるか踊ってるか暴れてるか暴力振るってるかどれか、みたいな…めっちゃアッパー系で観ているだけで変なアドレナリンがどばどば出てしまった。ほんと冷酷で無慈悲で乱暴で粗野で頭おかしくて、でも紅茶を愛していたりラテン語を織り交ぜて話したりシェイクスピアをもじったり、頭いいんだか悪いんだかな感じとか、細いダメージジーンズによれよれのTシャツの上からショルダーホルスターで銀のコルトを吊るして、革ジャン羽織って編み上げ靴というスタイルとか、笑ってる続きで殺す感じとか、だめだ好き…こういうのを「面白かった! 大好き!!」って云うとちょっと人間性がアレなんですが、でも好きで楽しかったのも本当だから…ごめん人間性がアレで…。

 バーのカウンター横にあるラジオから、絶えず70~80年代のUKパンクとかロックが流れていて、それが大きくなったり小さくなったり、それに合わせてヴィクターが歌ったり踊ったり、音楽の使い方がとてもかっこよくまた効果的で、選曲も個人的にツボで、そういうところもめちゃくちゃ楽しかった。やってること、舞台上で起きていることはそりゃあ酷いんだけど、どこか荒廃したポップさを感じてしまって、いいのか悪いのかはさておき、わたしはとても楽しかった…楽しんでしまった…スミスが流れる中行われる粛清とかほんと…最高か…。ヴィクターがたまに、外の車に待たせている仲間とトランシーバー?無線?で会話するんだけど、そのオチも素晴らしかった。これぞイギリス、いやアイルランドか。痺れる。

 アタマオカシイ処刑人のヴィクター松坂桃李さんがとにかくカッコイイんですが、処刑されるアハーン役の小柳心さんも、ついでに殺される司令官ペンダー役の谷田歩さんもかっこよかったです。アハーン大変だったな…血だらけで追い詰められていく姿が痛々しい、のだけど、どうしてもヴィクターのアッパーな空気に乗せられてしまってヒャッハー!って観てしまっていて申し訳ない…1部ほんとヒャッハーしてしまった…。可哀想なバーテンのパンクスくん浜中文一さん、めちゃくちゃモヒカンが似合ってて可愛かった! 何ていうんだろう、パンクス顔というか…すごく似合ってたんだ…彼は本当に関係ないただの巻き込まれでただただ可哀想だったんだけど、ラストにヴィクターが彼の背中に銃口を向けて暗転したの、は、すごく、だよねー!!!ってなって良かったです。ペンダーの甥だし顔見られてるしやるよねあれは……。

 と、ただただ暴力と血と硝煙とロックにアドレナリンどばどばさせられてヒャッハーたーのしー!!となってしまった1幕が終わり、休憩をはさんで第2部の始まりです。車のヘッドライトに照らし出される夜の水辺の、背の高い芦みたいな草むらに、カーステレオから流れる音楽が低く聞こえる…のが! また2幕いきなり「Broken English」で!! 頭パーンってなるから!! …っていうのは置いておいて(笑)、2部は1部とは打って変わって、趣里ちゃん演じるヴィクターの幼馴染の女の子との、静かな会話劇でした。両手を拘束され車のトランクから降ろされた少女は、ヴィクターに幼いころの思い出話をする。ねぇ、覚えてる?と語られる淡く甘い恋の思い出、ヴィクターはぶっきらぼうに「ああ」と答えるだけ。実はあなたが好きだった、と打ち明ける少女、でも彼女はIRAの敵であるイギリス軍の兵士を助けた罪で処刑されるために連れてこられたのだった。哀願と諦念の間を振り子のように揺れる少女の、肝の据わったような虚勢がとても痛々しくて可憐だった趣里ちゃん。お願い助けて、と請われても「規則だから」と淡々と返すヴィクターだけど、胸の中で泣かれるシーンでは抱きしめるかどうか戸惑う手がとても饒舌で…哀しかったなぁ。カーステレオから流れる曲に合わせて踊りながら、草むらの中へ入り背を向ける少女、その背中に銃口を向けて引き金を引くヴィクター。少女が倒れてから、頭を抱えて呻くように泣く…。1幕では完全に頭のイカレた殺人マシーンだったヴィクターだけど、少女との会話の中で描かれるかつての子供らしい一面や、センシティブな内面の機微を垣間見せて、ヴィクターという人間の多面性が明らかにされる2部でした。またこれがね…ラスト哀しいんだけどね…そこが良いんだ…。

 1幕でヴィクターがまくしたてる中にあった、ラテン語での言い換えとか、「ミドルネームは○○」というジョークとか、シェイクスピアの話とか、が、2部での彼女との会話にも出てくるのが、ヴィクターの根幹が幼少時に形成されたんだなって感じがしてうまいなぁと思いました。あと"What are you fighting for?"と繰り返される「Broken English」の歌詞が2部のヴィクターにすごく刺さる…。

 2部から暗転で始まる3部は、夜の病院のような一室で、ベッドで眠る老婆*4の元を訪れるヴィクターの話でした。顔から血を流しながら、風にカーテンが揺れる窓から音もなく飛び込んでくるヴィクターが何だか天使のようだった…。それまでの2篇が常に音楽が後ろに流れ続けている、音が溢れるイメージだったのが、深夜の病室…ではなくて老人施設の一室が舞台なので静謐の裡に沈んでいくようで、空気感の変化が鮮やか。目を覚ました老女メイはヴィクターの母で、でも二人の会話は噛み合わず、メイは辻褄の合わないことを取りとめなく話す。少女の頃の記憶、パパと呼ぶ夫、遠い昔に水辺で見つかった殺された少女、そしてヴィクターの弟であるパディのこと。目の前のヴィクターに「パディ」と呼びかけ、パディは優しくて頭が良い、ヴィクターは悪い子、嫌い、と何度も口にするメイに、ヴィクターは哀しげに、でも優しく、そして諦めたように相槌を打ち、手を握り、ショールを肩にかけてやる。自分の顔も忘れ、会話もろくに成り立たず、夢と追憶の間を漂うばかりの母親にイラつきながらも無下にできないヴィクターが哀しい。母親の言葉から、ヴィクターが幼少期から肉親の愛情を満足に受けられず、周囲からも孤立していた様子がうかがえて、彼がIRAの戦士となった要因もその辺りにあるように思えてくる…のは、「ジハード」の影響かな。居場所のなさとそれを与えられる組織に属する安堵、とか。

 母親が語る、ヴィクターも知らなかったいくつかの事実。ヴィクター・M・マクガワンのミドルネームMは、Murder のMだと嘯いていたヴィクターだけど、実は聖母マリアのMから付けられたこと、2部で殺した彼女が実はヴィクターの家を何度も訪ねていて、彼女がヴィクターのことを好きだと母親は知っていたのにヴィクターには伝えなかったこと。

 3部でも、1幕でヴィクターが口にしていた「金髪の」イリヤ・クリヤキン(テレビドラマ「ナポレオン・ソロ」の登場人物)の話や、2部で語られた湖畔の草の中で見つかった殺された少女、幼い頃のヴィクターの長い黒髪の理由、などが母との対話の中に現れて、この薄皮を剥いでいくようにじわじわと見えてくる構造がとても面白い。ヴィクターの黒髪のエピソード、親の心子知らずで子の心親知らずって感じで胸が痛むのな…。

 母親の死が近いことを悟ったのか、ヴィクターは錠剤を取り出し母に飲ませる。そのまま静かに息絶える母を看取り、病室のテーブルの上にあった、馬を駆るインディアンの置物にテーブルライトをあて、大きな影を母親の上に据えるようにして、また音もなく窓から去るヴィクター。大きな影が、母親の墓碑のようにも、彼女が求めて得られなかった理想の「息子のヴィクター」像を手向けるようにも見えて、哀しくもとても美しかったです。そして開け放たれカーテンがそよぐ窓から、また夜の暗闇へ姿を消すヴィクターはやっぱり、死をもたらす黒い天使のようだと思うのでした。好きだ…。

 1部で顔見知り程度の関わりの相手を楽しく殺し、2部でかつて好きだった、もしかしたら愛し合えたかもしれない相手を殺して慟哭し、3部で愛する肉親をそっとその手にかけて去る。結局、舞台上に現れるヴィクター以外の全ての人間はヴィクターによって殺され、ヴィクターのみが残るのだけど、それぞれの死とそれをもたらすヴィクターの描かれ方の違いが、3年(1話ずつ1年が経過している)の月日の流れでヴィクター自身の死に対する、及び殺人に対するスタンスというか、感じ方の変化に繋がっているように思いました。無感情に、むしろ楽しんで殺していた彼が、痛みを伴う殺しを経て、深い諦念とある種の安堵、もしくは救いをもたらすものとしてそれを行う。人間としてはきっと、壊れていっているんだろうと、心の大切な部分を麻痺させ続けているうちにそれが壊死してしまったように思うのだけど、それが逆に彼を人間性から遠ざけ、残酷で非人間的な聖性のようなものを纏わせているように見えてしまう。3部の彼の「天使」のイメージはそういうところからも滲んでいるのかな、と、勝手なイメージですが。

 ヴィクターの母親メイを演じたのは高橋惠子さん、年老いたなんて云えない美しさでした。でもその美しさが、この世からすでに半分遠ざかってしまったメイの彷徨える心の、悲しい狂気をより際立たせていたように感じます。時に少女のように無邪気に、夢を漂い、恐怖に震え、怯える様が、美しいからこそ哀れで痛々しくて、吐き出される無慈悲な言葉がとても鋭利に胸を切り裂く。母親はきっと、ヴィクターを愛していたと思う。のだけど、その愛し方は、ヴィクターが欲しかったものとは形が違っていたんだろう。愛情を伝えるにはその形はあまりにいびつで、それを受け取るにはヴィクターはあまりに幼く素直だった、んだろう。すれ違い、掛け違ったままの時間が長すぎた親子のボタンを掛け直す方法が、あれ以外になかったとは思わないけれど、あれ以外の道を探るにはもう、ヴィクターは「人間」から遠い場所に来過ぎてしまっていたよね…。

 カテコの最後で、イギー・ポップの「The Passenger」が流れて、またふわああってなってしまった(笑)。これも歌詞がとても、ここまでとこの後の、ここからの、ヴィクターにとても良く似合うので、戯曲で曲まで指定されているのかどうかわからないけれどもしそうならめちゃくちゃ考えられてるなぁと思うし、もし違うならこれをここに選んだ方のセンスにひれ伏すばかりです。ヴィクターが窓から飛び降りた夜空にはきっと、孤独な魂のための星が光ってるよ…。IRAベルファストだしU2の「Sunday Bloody Sunday」来るかなー??って待ち構えてたけどそれはなかった…短絡的過ぎですかすいません(笑)。

 アッパー系な1幕が楽しかった分、2幕でどんどん沈み込んでいく感じがちょっとしんどくて(好きなんだけど!)、もうひとつくらいヒャッハーなやつ欲しかった…なんて思ってしまったのだけど、でも時系列で並んだ3つの話だし、少なくとも2部より後のヴィクターはもう、ヒャッハーしなくなっちゃったんじゃないかな、と思うので、うん…。でも1幕のヴィクターは本当に刹那的な美しさと色気を纏って危うくて最高だったんだ…。

 こんな、IRAなんて日本からものすごく遠くて、とても共感しづらい難解な世界観で、背景なんかも馴染みがなくて、入り込みづらい、云ってしまえば受けなさそうな作品を、贅沢なキャストで、がっつりと上演してもらえたことに、何だか感謝の気持ちを覚えてしまう。日本でこんなものを観られたことを、とても幸せに思います。ほんと好き…上質な短編小説集の翻訳を、余韻を鼻に抜きながら読んだような幸福感と満足感に包まれて台風の劇場を後にしました。カメラ入った日があったようで、何らかの形で映像化されたらいいなぁ。出来たらWOWOWとかで放送してくれると嬉しいんだけどなぁ。放送なら音楽差し替えられなさそうだし…。

www.mcgowantrilogy.com

natalie.mu

 原作者のシェーマス・スキャンロンさんが、ヴィクターを主人公にしたアナザーストーリーをいくつかアップされています。う、うれしい…こういうのもっと読みたい…ツイッターのは2部の元になったテキストだけどこれまた訳も理想的で…。

thenewengagement.com

“Helpless” by Séamus Scanlon | Akashic Books

 

*1:カフェから駅までの往復

*2:はもちろんマーキュリーファーも!

*3:は70年代の事件だけど

*4:ってほどの老婆じゃないんだけど

「BOAT」@東京芸術劇場プレイハウス(7/24夜)

 マームとジプシーの藤田貴大作・演出「BOAT」を観てきました。藤田さんの作品は「小指の思い出」「ロミオとジュリエット」と、マームじゃないものばかり、それもプレイハウス上演のものに限って観てきている不思議(笑)。今回の「BOAT」も、プレイハウスで2作観てるから3作目も…って思った部分もなくはないです。けっこうあります。あと青柳いづみ&豊田エリーのロミジュリコンビがとてもとても良かったので彼女たちが観たいなって。

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 余談ですがチケット発売開始からそこそこ経って、やっぱり行こうかなーと座席指定画面を眺めていたら、けっこう前方の真ん中辺に1席空きがあったのであらラッキー、と確保していざ劇場に入ったら、まさかの最前どセンターでびっくりしました。F列が最前になるとは思わなかった…観易いちょうど良さそうな列だと思ってた…計らずともとても迫力ある視界を楽しめました。がちょっと奥が見えない場面もあったね(笑)。でも、豊田エリーちゃんの仰臥した目尻から水晶のような涙が一筋零れ落ちるのが観えたりして、それはそれでとても贅沢でした…。

 今回の「BOAT」は、マームとジプシーの過去公演「カタチノチガウ」「sheep sleep sharp」と世界観を共有しているとのことで、3部作的な、完結編的な、種明かし的な位置づけの作品だそうで。…って聞くと、前2作を観ていないのでちょっと躊躇してしまったんだけど、でもその躊躇を超えて青柳いづみと豊田エリーが観たかったんです…前2作も観ておけばよかったと歯噛みしつつ。

 マームとジプシーの、というか、藤田貴大の作品は、1本の流れのあるストーリーを小さく切って、断片化した場面やセリフたちを散らばらすように配置して、違う角度、違う時間軸から何度もそれを繰り返していく(リフレイン)手法が特徴的です。脈絡のない場面が細切れに、でも流れるように次々と連続していくのは正直、最初は戸惑うのだけど、それがだんだん心地よくなってきて、そして観ているうちにその場面やセリフが本来どこに嵌っていたピースだったのか、がわかってくると、ある種の伏線回収的な、云ってしまえばミステリ的な快感が得られたりもする。し、ああ、冒頭のあの場面はここだったのか……と思うとまたそれが何だか、じんわり染み込んでくるように感じたり、何度も繰り返されすっかり耳目に馴染んだ場面や言葉が、どんな流れで発された、どういう想いが込められたものだったのかを改めて理解する瞬間に、淡いカタルシスが感じられたり、するのが面白いです。わたしは。全編を紙ふぶきのように切り刻んで、ひらひらと撒き散らして、その降りかかる一片一片をランダムに読んでみるような。また、紡がれる台詞たちがどれも散文的に、もしくは詩的に響くことばで、それがまた散らばりシャッフルされた断片として、より印象的に響いてくる効果がある…ように感じます。わかり始めるまでは、わっかんない…ってなってるんだけどね、それがわかり始めるとまた面白い、というか、わからない状態から徐々にわかり始める感覚の変化が面白いんだ。バラバラに砕け散るグラスの映像を、逆戻しして破片がグラスに戻っていくのを見るような感覚…。

 前方席をかなり(5列も!)潰して大きく張り出した舞台上には、1隻のボート(本物の手漕ぎボート)が流木の上に乗せてあり、舞台奥には赤い幕が下りている。上手・下手の端には大きな蓄音機のような金色のホーンを担いだラジカセが、流木と共にオブジェのように設置してある。客電が明るいまま、音もなく現れた宮沢氷魚が、そのボートを下手に向かって押し出していく。そして幕が上がると、奥には薄暗い、いくつものボートが並ぶ港?の様子が広がる。そんな幕開けでした。登場人物に名前はなく、「あいつ」「あの人」「彼」「あの子」と曖昧に、でも理解はできる程度に呼びあうのがどこか無機質な印象で、「港」「丘の上の療養所」「市街地」「下宿」「酒場」と場所も変わるけれどそれも、セリフの中で説明される程度、大きなセットはボートと、薄い布を張った可動式のパネルのような壁、あとはソファやベッドやテーブル、ホーローの食器やブリキの水差し等、どちらかというと「小道具」の範囲に収まるものくらい。衣装もキナリ~藍のグラデーションの中で統一されていて、全てが簡素化というか記号化されたような世界観でした。「個」やキャラクター性を剥奪された世界の登場人物たちが、より普遍性、寓話性をまとって見えるのも面白い。遠い昔のどこかの国にも、今よりちょっと先か前の日本にも、まったくのSF異世界にも、見えてくる。

 ストーリーは断片化されて、目の前で語られている台詞や場面が、全体の時間軸のどこに当てはまるのかはかなり後半にならないと整理されない感じ。ボートで流れ着いた人々がルーツの港町に、今でもまれにボートで漂着する人がいる。1年前に流れ着いた「余所者」の男、煙突掃除人として買われてきた少女、1年ぶりに戻ってきた「除け者」の女、「除け者」の幼馴染で療養所に暮らす「患うひと」、「除け者」や「余所者」、新たに漂着した「漂着者」が身を寄せる下宿を営むのは、港で失踪した夫を「待つひと」。

 1年ぶりに除け者が旅から戻ると、下宿には見慣れぬ余所者がおり、かつて一緒にピクニックへ行った幼馴染はもう立つこともできなくなっていた。港町には新たな漂着者が現れ、彼の言葉をただひとり理解できる余所者を通じて、恐ろしい情報がもたらされる。空を埋め尽くすボート、襲い掛かる厄災。1年前、除け者が旅に出る前に起きたある少女の死と、それに続く事件の記憶がそこに重なり、混乱と緊張に覆われる中、次の悲劇が引き起こされる。新たな地を目指すもの、そこに留まるもの、送り出すもの、追うもの、待ちきれずに終わらせるもの。市街地の劇場は火に包まれ爆発する。灯台守の協力を得て夜の海へ漕ぎ出す一隻のボート、その背後から襲う脅威。暗闇の中に漂うボートはどこを目指し、どこへ向かうのか。

 観るたびに思う、青柳いづみというひとはいったい何者なんだろう。彼女の口から吐かれると、ことばには魔が宿る。初めて観たのが「小指の思い出」で、魔女狩りの火あぶりのシーンが印象に残っているせいか、彼女は魔女だと思っていますわたし。短く切りそろえられた黒髪が素敵でした。ラスト、漕ぎ出したボートの上での彼女の述懐、圧巻だった…。「劇場は爆発した」「これは祈りなんかじゃない」「もう繰り返さない」、それまで重ねてきた無数のリフレインをそこで一刀両断するような、そしてもう、言葉どおり、繰り返されることはない。赤い幕が下りた舞台の張り出しに、1隻だけ浮かんだボート、彼女たちが後にした街で燃え上がる劇場が今、この空間そのものになる感覚、劇場中を巻き込んで背負い立つちからを、彼女のことばは持っている。実は、青柳さんの魔が凄すぎて、彼女の口から吐かれたらどんなことばでも力を得てしまうんじゃないかと疑っている…ので、他のテキストを読んでみてもらいたいとか、同じテキストを他の人に読んでみてもらいたいとか、思ってしまうのです。今回のこのラストも、ずっと呼吸も忘れて吸い込まれるように見つめていたけど、それが青柳さんの魔のせいなのか、藤田さんのテキストなのか、わからなくてな…青柳いづみが吐いたら特売チラシのアオリでも力を得るんじゃないか疑惑を捨てられない。

 豊田エリーさんは、ロミジュリのジュリエットが姿も声もあまりに可憐で、青柳ロミオとの相性も素晴らしくて、あのふたりがまた並ぶのなら是非観たいと思った故の今回でしたが、うん。間違いなかった。すごく良かった。患うひと、という、ほとんど椅子に座ったまま、追憶の小鳥を追いかけ、ゆっくりと迫る死をただ待つだけという役だったけど、彼女の「今」が死に近い分、語られる1年前の過去がとても美しくて輝いていて、そのキラキラしたものを懐かしく窓の外に眺めながら、今の彼女は死に捕らわれている、という対比が悲しくも美しかった。1年ぶりに戻った除け者との再会を喜ぶ姿が、1年前から変わり果ててしまった患うひとの姿に衝撃を受ける除け者の悲哀とまた強いコントラストで、印象に残っています。襲い来るボートから車椅子で逃げまどい、除け者との合流を待たずに毒を呷って自死する展開は、ジュリエットへのオマージュなの?と思うくらい何というか既視感があったのだけど、でもその既視感も嬉しい方で…駆けつけるけど間に合わない除け者の青柳いづみと併せて、このふたりにはどうしてこう悲劇が似合うの…と唇噛みしめながらも深く頷いてしまうのでした…。こんなふたりが、誰もいないのに木陰に隠れてキスしたとか、珍しい色をした鳥を見つけたとか、追憶は常に色鮮やかで美しい。革のソファに横たわり、中空に手を差し伸べながら死へと向かう彼女の横顔の、目尻から一筋の涙がこぼれ落ちる様は、まるで絵画のようだった。

 宮沢氷魚さんは初舞台とのことですが飄々とした存在感が面白くて、すごくどっしりしてた印象。背が高くて姿が良いのは流石モデルさんって感じです。あと、良い意味での異物感というか、馴染みきらない感じが今回の役にとても効果的に働いてた、のか、それもお芝居なのか。でも陰鬱さはあんまりなくて、決して重苦しくはない、軽やかな異物感とでも云うか、涼やかなのが、「余所者」だけど「余所者」としてコミュニティに受け入れられ始めている微妙な立ち位置の絶妙さに似合っていたなぁ。あと英語が堪能なのを何かのドラマのメイキング的なもので見た覚えがあるけど、今回もちらりと披露するシーンがありました。お父様をミヤくんと呼んでいた方(笑)なので、何か…不思議だ…。

 中島朋子さんは「待つひと」、港で姿を消した夫が戻るのを待ちながら、身寄りをなくした「除け者」や「余所者」の受け皿になる下宿を営む。夫はもう戻らないことを、わかってはいるのだけど、待つことをやめられない、そこから動けない、弱さと強さが柔らかく合わさった女性でした。素敵だった! ラストの彼女の選択はけっこう、ああ、そっちなのか…って苦しくなったのだけど、でもそういうものなのかも知れないな…もう動けないんだろうなあの場所から…。あそこに残ることを選んだ彼女がその後どうなるのか、前2作を観ていたらもしかしたら想像できたんだろうか。想像しない方がいい感じなんだろうなってことは薄々察しているけどな…。

 煙突掃除の少女、「煤まみれ」を演じた長谷川洋子さんも耳に残る声の持ち主だったなぁ。小柄な身体が不憫で、いつも少し怯えた風情で、でも力強さが芯に透けるような。「口裂け」役の尾野島慎太朗さん、すっごくすっごくイヤなヤツの役で、もう本当にイヤなヤツでした(笑)。そう思わせられるってことはやっぱり、上手いというか、リアリティがあるお芝居なんだろうな……思い出しても怖いしイヤだ(笑)。

 薄くて大きなパネルが、チャプターを表示するスクリーンの役目を担ったり、部屋の壁になったり、舞台上を横に滑るように移動していき、場面を区切ったり場所を区切ったりするのが印象的でした。藤田さんの舞台は横軸に動いていくなぁ。あと、「本物」を登場させて動かすのも印象深い。「小指の思い出」も、本物の車がいくつも舞台上を行き交っていたし、今回はまた相当な数のボートを、動かしたり吊したり引っ張ったり起こしたり、大変そうだった。重いよなぁ陸上のボート…。でも、本物がそこにあることのインパクトと説得力、って凄く大きいとも思うので、わたしは好きです。

 音楽も印象深くて、舞台の両端に設えられたホーン付きのラジカセから、少し古い洋楽が、ざらついたラジオの音質でいろいろ流れてくるのが、ちょっとこじゃれた雰囲気で素敵でした。洋楽というか既存の楽曲なのがまた、この場所が現実の「今」と地続きの、いつかのどこかである可能性を思わせて、寓話的だけれどファンタジーじゃないというか、語られないけれどリアルというか。少し俗っぽさが残る感じがね、別世界じゃない、別文明じゃない、って気にさせる効果があるように思う。確かに、観ていて感じるイメージは、ぼかされているけれど北朝鮮から漂着するボートであったり、小さな船で国を脱出するシリア難民であったり、かなり現在の、現実のニュースに重なるところが大きい。記号化された美術や役名が具体性を薄めているのでついつい、どこか別世界の物語として捉えそうになってしまうけれど、意識を強く「今」へと揺り戻す役割を、聞き覚えある音楽が担っているように思える。燃える街を後に、暗い海へ漕ぎ出すボートが目指す場所は、我々の目指すべきどこかであり、燃える劇場は今この場所に重なり、メタに近い感覚で当事者意識を揺すぶられるラストの演出もあって、おとぎ話を観ていたら現実世界に放り込まれたような、そんな観後感の舞台でした。ルー・リードの「Perfect Day」が流れたのすごく印象に残ってる…。

 終演後にはアフタートークが設けられ、この日は藤田貴大さんと、宣伝美術の名久井直子さんのおふたりのトークでした。ギッチギチの緊張感が張りつめたクライマックスで終演した後とはとても思えない(笑)、ゆるふわなおふたりのトークが楽しかったです。舞台上に登場する小道具はすべて藤田さんの私物で、マームとジプシーのほかの作品にもよく登場する物たちであるとか、タイトルの「BOAT」の手書き風な文字は打ち合わせの時に藤田さんが何気なく書いたものをそのまま使ったとか、メインビジュアルの写真はピンホールカメラで撮影されたとか、ピンホールカメラなので制止しているボートだけはっきり写ってしまうから実はこのボートの陰にもうひとりスタッフが隠れていてずっとボートを揺らしていたとか、とても楽しい裏話が聞けて良かったなぁ。キャストのお話や芝居の内容に関することも聞いてみたかったけど、これはこれでへーえ!ってなるお話で良かったです。次回作の「BEACH」では珍しく人が死ななそうだよね、とか名久井さんが笑ってらしたけど、そう云われたらじゃあ、って殺しちゃうかも、なんて冗談(?)も。ずっと聞いていたいふんわりしたおふたりの、どこか可愛らしいトークでした。こんなふんわりした人なのに、あんなの作るから、作家って怖いなぁ(笑)。

 当日パンフがとても素敵だった。

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 今回の「BOAT」はNHKのプレミアムステージで9月3日に放送が決定したそうです。わーい嬉しい! 最前列でちょっと近かったので、引きでどう見えていたのか見てみたいな。あと青柳いづみさんの魔は映像でどう伝わるのか知りたい。あのラストをもう一度見てみたい!

TOKYO METROPOLITAN THEATRE×TAKAHIRO FUJITA |

natalie.mu

2018年7月19日:そういえば蚊に刺されていない

 あんまり暑いと蚊も出なくなるらしいですね。そういえば今年刺されてないなー。暑いのはもういいよ…って感じだけど蚊には出てきてほしくない。

 本日のエントリーはこちら。

 

futurist.hatenadiary.com

  あと昨日の分。

 

futurist.hatenadiary.com

 

「半神」@銀河劇場(7/16昼)

 お久しぶりの銀河劇場、代アニ傘下(?)になってから初めて行ってきました。死刑執行中以来かな? 内装が特に変わった感じもなく、そのまんまで懐かしかったですが、フラッグがとっても代アニで…ああもう代アニなのだな…ってなった…。

 そんなお久しぶりの銀河劇場by代アニで、中屋敷版「半神」を観てきましたよ。半神と云えば夢の遊眠社とか野田地図とかですが、実はどっちも未見です。そして柿喰う客の劇団員さんと乃木坂の子?と日本舞踊の子が出るんだよねくらいのうすらぼんやりさで当日を迎えてしまった。

 醜いけれど高い知能を持つシュラと美しく天真爛漫だけど会話もできない知能のマリアは結合双生児。世間の目に触れぬよう、双子が世界を知らぬよう、両親は双子を岬の灯台へ閉じ込め、双子はふたりだけの世界で生きてきた。そこへ若い家庭教師がやってくる。彼は低血圧の数学者だった祖父が追い求めていた「1/2+1/2=2/4」という【らせん方程式】の謎を、シュラと共に解き始める。バスタブの栓を抜いた時、北半球では左回り、南半球では右回りになる、その渦にらせん方程式の謎の手掛かりを見つけるシュラ。しかし9歳を超えた双子の身体は限界を迎え、10歳までは生きられない、と双子を切り離すことを医者は勧める。双子は心臓を共有しており、シュラかマリア、どちらかひとりしか助けることはできない。「孤独」に憧れ、お荷物のマリアを切り離せるかも知れない可能性を喜ぶシュラと、そんなシュラを無邪気に抱きしめるマリア。「人間ではない」双子を神話の世界へ引きずり込もうとする化け物たち、お芝居を演じる学校の教室、4時限と5時限の間にある給食の次元、六角形のバスタブの栓を抜いてできるメエルシュトレエムの渦の底、その向こうの化け物たちの住むベンゼンの国、謎解きのハテ?は世界の果て、謎を孕んだ少女が産むもの、白いゴムまりの風、さまざまな次元がレイヤーのように重なり合って、言葉遊びの連想ゲームで連なっていく不思議なジェットコースター。双子のどちらが助かるのか、助かった方はどうなるのか、【らせん方程式】の謎とは、いろんなワンダーに溢れためくるめくノンストップ2時間でした。面白かった!

 正直、野田作品は観ればすごいおもしろい!ってなるんだけど、どうにも台詞量の膨大さとスピード感に途中で振り落されてしまうことが多くて、観ている最中は面白いんだけど後から何も思い出せない…すべて流れ去ってしまった…っていう感じになってしまってちょっと苦手意識があるのですが、今回はわりと…覚えてるほうじゃないかな…? 中屋敷演出がわたしにはちょうど良いフックになって引っかかったのかな。ストーリー的にはもちろん(?)置いていかれたというか、途中で筋道を立てて考えることを放棄したのだけど、何かわけわかんないけどとりあえずすっごいな…って感じの感動はすごくした。そしてラスト近くで涙が出た。ちゃんと理解なんて全然できてないのにね、それでも心がふるえる気がするのは、積み重ねられた、そして流れ去っていった膨大な台詞たちの、欠片や雫がそれでも美しいからなのかな。それがこの戯曲の力なのかな。なんてことをぼんやりと思いました。やっぱりぼんやりなんだけど。

 前半はシュラ役の桜井玲華さんの鬼気迫る演技、後半はマリア役の藤間爽子さんの伸び伸びはつらつとした美しさ、双子どちらも見事でした。桜井さん綺麗なのにその綺麗さをかなぐり捨てるような醜い役でかっこよかった。藤間さんは流石の動きの美しさで、天真爛漫な笑い声も可愛らしくてこれは天使…愛される…。後半の見せ場が本当に良かった! やわらかい声が耳の奥にずっと残ってるような。家庭教師役の太田基裕さんも素敵でした。柿メンバーは鉄壁の化け物たちで…風呂太郎ユニコーン永島敬三さんキレッキレだしマーメイド淺場万矢さんセクシィこの上ないしハーピー加藤ひろたかさんはもうずっと観ていたい可愛さだしガブリエルで右子さんな田中穂先さんはすごい色っぽかった。穂先くんは色っぽい。スフィンクス牧田哲也さんは登場シーンが流石の中屋敷演出って感じで…スフィンクスはかっこよかったです!! とっつぁん!! 七味まゆみママは何か途中すごいことになっていた…すごかった…。福田転球パパは転球さんだった。そして松村武さんの数学者と医者、は、激流の芝居の途中途中に楔のようにポイントを打ち込む感じ。トランプカードを使った演出とか、学校のお芝居が挟まるのとか、どの辺が今回オリジナルなのかわからないけど、どれもわたしにはとてもうまく効いたなぁ。DEDE MOUSEの音楽がまたすっごく素敵で、2/4はタンゴのリズム、双子の心臓が奏でるタンゴ、ってちゃんと四拍子-二拍子のタンゴが流れてくるのとか鳥肌立った。サンプリングボイスみたいなのが織り込まれた曲も可愛かったなぁ。

 双子の白いネグリジェ&ドロワーズという衣装がとてもとても可愛らしくてツボでした。何となく頭の片隅に、ビッグTシャツみたいな1枚のワンピースをふたりで着ているイメージがあるんだけど、あれは野田版のふたごだったのかな…高校の昼休みに誰かが部室でVHSを観ていたのを覚えている*1。今回の双子はくっついてないけど動きでくっついて見せていてそれも良かったです。家庭教師が袴に編み上げ靴でとても良い感じだったり、あと化け物たちの衣装もねーみんな可愛くて! 蝶ネクタイとかサスペンダーとか帽子とか、トラッドな雰囲気で素敵でした。真っ赤な手術着とか…だいたいひろたかくんを目で追ってしまっていた(笑)。舞台が八百屋から急斜面(なむはむみたいな)で急斜面にブロック状の足場が飛び出ている形状で、そこを駆け上ったり駆け下りたり飛び乗ったり渡り歩いたり、化け物さんたち凄かったなぁ。 

 意味とか、理論的な筋道とか、もう全然掴めないまま、ただただイメージの奔流にぐるぐると流されていただけなのだけど、それでもメエルシュトレエムの渦に飛び込もうとするマリアのシーンはめっちゃわくわくしたし、先生が1/2の遺伝子の螺旋階段を下りる途中ですれ違う、懐中電灯を持った男が未来の/かつての自分なところは、だよね!!!ってなりながらぞびぞびっとしたし、イメージの奔流にぐるっぐるに巻き込まれて北も南も右も左もわからなくなったけど、メエルシュトレエムの渦から最後は霧笛が岬の灯台へ導いてくれた気がして、何だか涙が出ました。霧笛がベンゼンの化け物たちの遠吠えみたいだったのも良かった…素敵だった…。結局どうなったのとか、あんまりちゃんと理解はできていないんだけど、それでも圧倒的フィクションの渦にもみくちゃにされまくった挙句にふ、とすくい上げてもらえる、そんな演劇的快楽のかたまりのような作品でした。わたしには。でも戯曲も読んでみたいな!

spice.eplus.jp

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*1:その時は演劇まっったく興味なかったんだよねー人生って不思議ねー

柿喰う客 こどもと観る演劇プロジェクト2018「にんぎょひめ」@北とぴあペガサスホール(7/14昼)

 柿喰う客が、こどもとおとなが「劇場空間で観劇体験を共有し、互いの理解を深めることを目的」として上演を続けているプロジェクト、ちょっと行きづらい地方公演とかが多くて生で観る機会がこれまで持てなかったのですが、念願叶って(笑)やっと観られました。「ながぐつをはいたねこ」とか、「へんてこレストラン」とかも生で観たかったなぁ。

 今回は新作の「にんぎょひめ」、会場に入るとさっそく?メイド服姿の可愛らしい劇団員さんが迎えてくれました。出演は大村わたる、原田理央、今井由希、永田紗茅の4人。わたるさんはもうおなじみ、原田さん永田さんも柿フェスや本公演で拝見していて、今井さんだけ初めてだったかな? 開演前から会場内のアテンドをしたり、しりとりが始まったり、始まったしりとりが途中からポケモン縛りになったり(笑)、ずっと楽しかったです。会場内はこども2割おとな8割って感じだったかな…もうちょっとおとな多めかな…。自分が子供の頃に、演劇とほっとんど接点がなく、ごく少ない接点でも特にこう、心を奪われるようなことがなかったので、柿みたいなのを観ていたらどうなってたかなぁとか考えてしまいます。会場にいるこどもさんを羨ましく思う反面、演劇に心を奪われるわたし側のタイミングというか準備というか環境というか、もあるので、単純にあの頃観ていたらもっとこうなっていたのに、とも思えないところもあってむづかしいね…。まぁ少なくとも、生きているうちに出会えてるから良いことにしよう。現世は。来世に期待しよう。

 「こどもと観る」と銘打ってあるので、内容はとてもわかりやすく、でもテイストは中屋敷演出で、でもやっぱりドロドロとか毒っ気は抜いてあり、とても純粋に楽しめる作品になってしました。オリジナル要素も結構含まれていたような…でもそもそもアンデルセンの人魚姫をちゃんと読んだことがあるんだかないんだか、お話のディティールも良くは知らないんだな…童話あるある。人魚姫三姉妹がみんな可愛らしくて、お姉さんふたりが末っ子をとても大切に思っていて、それでも末っ子は人間になりたくて、王子様への想いを断ち切れなくて。人魚と云いながら3人ともメイド服で、このメイド服がまぁ可愛いわけで、正直ただ可愛いの為のメイド服なのかとずっと思っていたわけですが、このメイド服のにんぎょひめ、というものが物語の途中からぐいぐいと抉ってくるわけです…なるほどこのためのメイド服…。可愛らしい、いわゆる「萌え」の象徴みたいなメイド服が、本来の隷属し従属する役割を取り戻し、にんぎょひめを苛むような作りになっていて、中屋敷さん…!!!ってなりました。いやぁ可愛いのにしんどくなったわ…。

 王子様も決して悪人ではないし、自分の思いのままに自分の人生を生きられないことを悟って受け入れている哀しみが強く伝わってきました。わたるさんの笑顔だけど目が笑っていない感じとか、表情だけで心は動いていない笑顔とか、ほんと…胸の奥がシン…ってなる。コミカルな役どころが多いしオモシロいからこそ余計にね。魔女役とかお子さん喜びそうなキャラクターでした。

 確か元のお話では人魚姫は泡になって消えてしまうエンドだったと思うのだけど、そこはちょっとこう、こちら側に委ねてくれる作りになっていて。こどもがどう考えるか、どうしたいかの余地を残しておいてくれるのも、素敵だなと思います。どんな考えも思いつきも、全部正解にしてくれるのもね。

 とても暑い昼間に観たけれど、蒼い海の底でゆらゆら揺れる影越しに観たような、清涼感のある素敵な作品でした。せつないねぇ…永野さんの末っ子ツインテール姫がまぁ可愛らしくて、痛みを裏に隠した笑顔が胸に刺さるのでした。今井さんは声がやわらかくて耳に心地よかったなぁ。原田さんはもう、かっこいい。かっこいい。わたるさん八面六臂の大活躍で、魔女もやるけど王子様の時はちゃんとノーブルで素敵でした。こどもさんにもっといっぱい観てほしいしこれからもまた観たいシリーズです。ドロドロの柿も大好きだけどね!

natalie.mu

2018年7月17日:あつい

 溶けるというか、劣化して崩れるプラスチックみたいになりそう。モロモロと崩れていきそう。人としての形を保つのが難しい。あとツールのおかげで寝不足が続くのが地味にじわじわ来ている。そのくせ何だか予定が詰まってきていてこの夏を無事越えられるのだろうか。越えるけど!!

 本日のエントリーはこちら。久しぶりに観る花髑髏楽しかったなぁ。鳥楽しみだなぁ!!

 

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  あと3日前くらいのも。

 

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